第5話  蛇

「我らは賊ではない。旅の傭兵だ。狼藉を働いていた賊徒どもを討ち払ったのだ」

 志摩は指揮官の騎士にいった。

「そんな見え透いた嘘で、この場を逃れられるとでも思っているのか」

 騎士は横柄に見下す。ミスリルアーマーに身を固め、これはかなりの使い手とみた。

「嘘ではない。状況を見ればわかるであろう。我らが賊を討ち払ったのだ」

「そうだ。こっちは人々の難儀を見かねて、命がけで戦ったのに、見当違いも大概にしやがれ」

 ファズも腹に据えかねていった。

「だまれ。おびただしき流血の場にたむろする不逞の者ども、どう見ても賊としか思えぬ」

「向うがどうしてもやるっていうのなら、受けてやればいいじゃないか」

 バルドスが面倒くさそうにいった。

「軍のメシ食う三下やっこなんざ、ちゃちゃと散らしてずらがればいいのよ」

「役人に手を出すと、後々めんどうなことになりはせぬかな」

「黙れ」

 指揮官の騎士が怒鳴った。

「後々も先々もあるものか。おとなしく縛につかねば、この場で斬り捨てるのみだ」

 指揮官の恫喝に、志摩は涼しげな視線を返す。

「おぬしもなかなか使いそうだが、出来ることと出来ないことの区別もつかぬか」

「なんだと」

 軍人と傭兵、武をもって身を立てる者同士、互いの意地のぶつかって、また一波乱の緊張がみなぎる。

「待て、待たれよ」

 呼びかける声がして、一騎矢のように駆けつけてきた。

「ベイロート隊長、いかがいたしたことで」

 駆けつけた若い騎士は、状況を見て指揮官に問う。

「レイウォルか、見れば分かるであろう。賊徒どもを成敗するところだ」

 ベイロードと呼ばれた指揮官は、舌打ちしたげな顔で答えた。

「おぬしら賊か」

レイウォルという名の若い騎士が志摩たちに問う。チームの面々を見渡すその目が、しばしサブリナのうえに止まった。

「賊なもんか。俺たちは非道を働く悪者どもを退治した正義の味方だぜ」

 ファズが腹立たしげにいった。

「そうともよ。それをあっちの大将が勘違いして、喧嘩をふっかけてきてるのさ」

 ダオも憤慨の声をあげる。

「我らは、アナハイムに本拠を置く、レギオンシリウス所属の傭兵だ。賊ではない。調べればわかることだ」

 志摩は冷静な口調で述べる。

「IDはあるか。ギルドに所属の傭兵なら持っているはずだが」

志摩は首もとに手をやった、服の下、細い鎖を首にかけていてそれを外す。鎖はトランプぐらいの大きさのカードの端にあけた穴に通っている。このカードが傭兵には、兵士の認識票にあたる身分証明IDだ。IDをレイウォルに投げ渡す。レイウォルはIDを入念に見る。ギルドのIDは、簡単に偽造できるようなものではない。IDの顔写真と志摩の顔を見比べた。

「サムライの志摩ハワード。これは本物のギルドのIDであり、あなたがナンバーレスAAのサムライマスター志摩ハワードであることに間違いないようだ」

 確認が済むと、レイウォルは志摩にIDを返した。

 ナンバーレスAAと聞いて、包囲していた兵士たちはざわめいた。ギルドではアナリストと呼ばれる特別な魔道師がファイターの能力を測定してレベルを認定する。彼らはファイターのフレイヴ波動を分析してこれを行うのでアナリストと呼ばれている。アナリストによるレベルの認定は霊的なまでの精妙さで、実力に見合わぬレベルの認定がされることはまずない。AAは、マスタークラスとされるAクラス最上位A1の上Aのさらに上のレベルで、これら数字のつかないレベルはナンバーレスとよばれ、マスタークラスの上の、超一流の証なのだ。ナンバーレスAAの相手と戦うことは、数に上回るといっても、相当のリスクを覚悟せねばならない。

「そのようなもの、偽造できないものでもないのだ」

 ベイロードは疑いを解かぬ。

「そうかもしれませんが、もうすぐ、我らがライゼン隊長も来られます。隊長のご判断を待つべきでしょう」

「ライゼン殿が・・・・」

 ベイロードは渋面となった。やがてまた、別の部隊がやって来た。ベイロードは兵を下がらせて囲みを解き、志摩たちは二つの部隊に挟まれる形となった。

「街道に賊が現れたと聞いて駆け付けたが、顔に邪紋を残したヴァルカンの死体をいくつも見た。ご貴殿たちのお手柄かな」

 新たにやってきた隊の指揮官は、志摩たちに興味をひかれつつも、まずはベイロードに声をかけた。

「いや・・・」

 ベイロードは口ごもる

「それは俺たちの手柄だぜ」

 ダオが声を張り上げる。

「おぬしたちは」

 ライゼンは馬上より志摩たちを眺める。年恰好五十代の白人で、ベイロードよりは十も年上に見えた。紳士然とした面長の顔立ちは、貴族的な落ち着きを感じさせた。ライゼンに比べるとベイロードはいくぶん粗野でいかつげな感じだった。

「アナハイムに本拠を置くレギオンシリウスの傭兵で、俺はダオ。チームリーダーはこちらの志摩さんだ」

「IDを確認しましたが、おかしなところはありませんでした」

レイウォルが報告した。

「うろんな者どもだ。簡単に信じるわけにはゆかぬ。連行して取り調べるべきと思うが」

強硬に言い立てるベイロードに、

「まあ、待たれよ」

 ライゼンは鷹揚に応じた。

「白昼、街道でこれだけの斬り合いが行われたのだ。多くの者が見ていよう。。その者たちの証言を聞けば事実はあきらかになろう」

 ライゼンの言葉を受けて部下たちが動き、ほどなく五人ばかり連れてきた。周りには事の推移を興味をもって見ていた者たちがいたので、目撃者を集めるのにさほどの手間はかからなかった。

「お主らは賊が現れてから今に至るまで、その目で見ていたか」

「はい。見ておりました」

 中年の農夫らしき身なりの男が答えた。

「では聞こう。この者たちは賊か」

 ライゼンは馬上から志摩たちを指差した。

「とんでもございません。賊どころか、グルザム一味を退治したヒーローです。とくにそちらの旦那は、あのトカゲの悪魔グロルめを斬ってしまわれた。そりゃあ見事な業前でございました」

「そうか・・・・」

 ライゼンは志摩を見やり、それから他の目撃者たちにも確かめた。

「この者のいったことに間違いないか」

「はい、その人たちが悪党どもをやっつけるのを、胸のすく思いでみておりました」

「まったく、久々に溜飲がさがったってやつです」

「そうか。わかった。手間をとらせたな。下がって良いぞ」

 人々は去り際、志摩たちに親愛の笑みを向け、

「あんたたち、最高だぜ」

 などと讃えてゆくものもいた。

「どうやら、おぬしの勘違いだったようだったな」

「そのようだな」

「へん、人を盗賊扱いしておいて、そのようだもあったものか。詫びの一つでも言ってもらおうか」

 文句を言うファズを、

「黙れ下郎」

 ベイロードは横柄に一喝した。

「そもそも傭兵など、ヤクザやギャングのたぐいに似たりのすこぶるうろんな輩であろう。そのような者を取り調べるは、我らの務め、当然の職務を遂行したにすぎぬ」

「なっ!」

 言い返そうとするファズを、志摩は片手をあげて制した。

「まあ、いいじゃないか。うろんな稼業といわれればそうかもしれぬ」

 志摩は馬上のベイロードを射すくめるように見上げて、

「我らも誤解が解け、そちらもいらぬケガをせずにすんで、双方なによりってことさ」

「ふん、ザコを少々倒したぐらいでいい気になるなよ」

言い捨てざまベイロードが馬首を返すと、部下たちもこれに従い、指揮官ともどもその配下の部隊の引き揚げていった。

「なんて野郎だ」

 ダオが遠ざかる姿に毒づく。

「余計な悶着を起こさずに済んだ。それだけでもよしとせねばならぬ。おかげで助かりました」

 志摩はライゼンに礼をいった。

「我らこそ礼をいわねばならぬ。街道の安全を守るのは我らの役目だが、代わって悪党退治をしてくれた。そして、ベイロードに代わってお詫びする。同僚のご無礼、お許しくだされ」」

「いや、こういうことは初めてではない。治安を預かる側からすれば、どこの馬の骨とも知れぬ傭兵など、怪しんで当然であろう」

「申し遅れたが、わたしはアルスター帝国中級ソードオフィサーで、サルマンド州ナタール郡クリオ砦を預かる、ロバート・ライゼンと申す」

「ソードオフィサーってなに」

 マユラは近くにいたウィルに聞いた。 

「ソードオフィサー(佩剣将校)はソルジャークラスの上級職さ」

 ウィルはマユラの肩にとまって答えた。

「中級のソードオフィサーだと、二百人規模の歩兵隊まで指揮できるかな」

「レベルはどれぐらい」

「ソードオフィサーは軍の階級だから、レベルやジョブとは関係ないさ」

「私は志摩ハワード、アナハイムのレギオンシリウスに所属のサムライマスターだ」

「志摩殿、それにチームの方々、お急ぎでなければ、これから我らの砦に来てくれぬかの。礼に宴の席を設けたい」

「光栄だが、さっきの大将は面白くないのじゃないか」

「ベイロードは北のジェリド砦の隊長だ。私が預かるのは南のクリオ砦。ゆえにあやつへの気遣いは無用だ。もっとも一席もうけるとあらばベイロードも呼ばねばならぬが、客として来る者に対して、さほど気を使うこともあるまい。それにおぬしたちアナハイムの傭兵とのことだが、旅行を楽しんでいるわけではあるまい」

 一仕事あるということか。仕事は欲しいところでもあり、軍の仕事なら、話を聞いてみる価値はある。

「ご厚意に甘えて、お招きにあずからせていただく」

「では、御同道くだされ」

 チームはライゼンの部隊とともに動き出した。

 クリオ砦は開けた土地に建つ石造りの建物だった。近くに村があり、十キロほどゆけば町もあるということだった。古い頑強そうな建物で、兵舎の他に役所の一部もあり、重要な書類はこちらに保管されているということだ。また留置所もあり、たとえばグルザム一味の者のように、仲間が取り返しにくるかもしれず、町の警察の牢屋では不安のある者はこちらに送られる。ただ志摩たちが来たときには、砦の留置所には誰もいなかった。グルザム一味はやっつけたが、留置所は死人の入るところではない。

「宴席の準備が整うまで、こちらで休んでいてくだされ」

 そこはビリヤードの台やカードゲームのテーブルなどがあり、壁際にソファーも並べてあり、十数人がくつろげる部屋だ。

「ここは」

「娯楽室だよ」

「こいつはいい」

 ファズがビリヤード台にとびついた。緑のラシャを張った台の上には玉が散らばっていて、玉突を突く棒、キューを手に取ったファズは狙い澄まして白い玉を突いた。乾いた音をたてて転がる白い玉は1の数字の入った球に当り、球は台の壁に当ってワンクッションしたのち隅の穴に落ちていった。

「どうだい」

「なにが」

 サブリナは、とりたてて言うべきこともない表情。

「俺の華麗なキューさばきさ。難しい位置にあった一番球を、ワンクッション効かせて落としただろうが」

「はあっ、あんなの目をつむっててもやれるじゃん」

「へっ、口だけは達者だぜ」

「口先だけかどうか、アンタのいかれた頭にも理解できるように、腕前披露してあげようか」

 サブリナもキューを取った。

「おもしろい。だったら一勝負十ユーロでどうだ」

「いいわね」

「女だからって容赦しないぜ。まあ、身ぐるみ剥がされたらストリップショーでもするんだな。砦の野郎どもが山ほどおひねり投げてくれるさ」

「我らが砦で、そんなふしだらなことは許されませんぞ」

 ライゼンとともに案内に付き添うレイウォルという名の若い兵士が、顔を赤らめていった。

「心配ないわよ。ベソをかくのはあっちなんだから」

 サブリナが舌舐めずりするような笑みを見せた。

「ストリップショーってなに」

 マユラがウィルに聞くと、

「ガキは知らなくていい」

 バルドスのどやしつける声が、雷みたいに降って来た。

「そういうことだ」

 ウィルも苦笑するだけだった。

「おっ、いいものがあるじゃないか」

 バルドスは碁盤と碁石のあるのに目を止めた。

「志摩よ、一局どうだ」

 志摩は顔をしかめる。

「志摩さんは、そっちはからっきしなのわかっているくせに。弱い者イジメしないで、ボクが相手になりますよ」

 レオンが黒い石をとって、二人は一局はじめだした。

「リーダーはこっちだよな」

 ダオは丸テーブルの椅子に座り、備え付けのトランプを切っていた。

「グレッグ、おまえさんもカードはするだろう」

 ダオに誘われ、グレッグはいつもの不機嫌そうな表情ながら、椅子を引きテーブルについた。

「三人じゃ盛り上がらんぜ。カムランさんどうだい」

「私は休ませてもらうよ」

 魔道師カムランは、ソファーに腰をおろした。

「ボクが入ろうか」

 マユラが加わろうとすると、

「ガキのやることじゃない」

 今度はダオにどやされた。

「ファルコ入れや」

 ファルコは気が進まない顔だったが、リーダーや先輩たちに気を使ってか仕方なく加わり、四人でカードゲームが始まった。

「楽しんでいただけてなによりだ。すぐに飲み物を持ってこさせましょう。では失礼する。また後ほど」

 ライゼンは大らかな笑顔で辞去し、レイウォルも、サブリナに気がかりな視線を投げ、部屋を出て行った。

「なんか、ボクたちだけつまんないね」

 マユラはカムランの隣に腰かけた。

「場馴れしていても、戦いの後では気が昂る。それを鎮めるためにも、ああやってゲームに興じるのはよいことだ。もっとも、熱くなりすぎるのはいかんがな」

 カムランはソファーにくつろぎ、みんなのゲームするのを眺めていた。

「おなかすいたよ」

「そのうち、ごちそうをたらふく食えるさ」

マユラの肩に腰かけるフェアリーがいった。

 カードのテーブルでは早々に一勝負ついて小銭が動いた。勝ったのはグレッグのようだった。親となって、慣れた手つきでトランプを切って配る。

「グレッグもああして、みんなと遊ぶ気持ちがあるうちは、まだ見込みもあるというものだ」

 カムランは、横のマユラに語りかけるのでもなくつぶやいた。

「グレッグさんてなんなの。戦いには加わらなかったし、サブリナさんからえらい言われ方されても黙ってるし。あれで傭兵やる気あるの」

「奴には関わるなよ。厄介なものを抱えているんだ」

 ウィルが注意した。

「悪い人間ではないよ」

 カムランは、かばうように言った。

「傭兵なんて仕事をしていたら、いろいろ物騒な目にもあうし、普通の人には想像もできないような、過酷な、恐ろしい体験をすることもある。それで心が折れてしまった者を、これまでにも何人とみてきたよ」

「グレッグは、以前はソードマスターまでになった使い手の剣士だったんだ」

 ウィルが事情を話しはじめた。

「チームのリーダーをやっていて、といってもウチ、シリウスではなくて、どこかで小さなチームを率いていたらしいんだ。小さいけど堅実な仕事ぶりで、評判の良いチームだったらしい。それがある日、なにかの仕事で旅に出て、しかし帰って来たのはグレッグ一人だった。なにがあったのか一切語らず、しばらく呆けたような状態だったらしい。やがて酒を浴びるように飲み始めた。毎日ボトルの四五本も空けなきゃ飲んだ気にならないって調子で、朝から晩までへべれけさ。そんなことを一年も続けていて酒ですっかりダメになった。アナリストの再審査でソードマスターも取り消された。家族の助けがあって、どうにか酒びたりの暮らしをやめることはできたけど、いまでも酒の誘惑には弱い。レベルは低下しているうえに、心が折れちまっててファイターとしては、はっきりいって使い物にならない。そんな奴がなぜチームにいるかというと、グレッグの父親はシリウスの主宰者であるロレンス団長の旧い友人なのだそうだ。詳しい事情は分からないけど、団長も旧友の頼みを断り切れずに身柄を預かることになったらしい。最初はカンネリってニンジャのチームに入ってたんだ」

「ニンジャって?」

 マユラが初めて耳にするジョブだった。

「シノビの上位職。サムライ系の刀術を使うがそれだけじゃない、飛び道具使ったり、妙な術を使ったりと、あの手この手で仕掛けてくる、カンネリの奴にはなるほど相性の良さそうな油断のならないジョブさ。このカンネリって男は、ニンジャでチームのリーダーなんだからそりゃ強いけどよ、ズルい上にあつかましくて、いけすかない奴さ。おまえもシリウスに着いたらコイツには気をつけろよ。ともかくそんな奴だから、使い物にならないグレッグなんざ、ボロクソにけなして追いだしたんだ。で、うちにお鉢が回って来たってことさ。志摩はカンネリとちがって律儀なところがあるから、使い物にならないグレッグを引きうけて、こうしてツアーにも出ているけど、チームの面々は不満さ」

「サブリナさんとか」

「サブリナだけじゃない。口に出して言わないだけで、みんな閉口さ。さっきみたいに仲間ほっぽりだして酒でも飲まれた日には特にね。傭兵は命がけの稼業だから、信頼できない奴は置いておけない。そんなこと百も承知の志摩なのに、グレッグを置いたままにしている。団長に気がねしているのかもしれないけど、いつもの志摩らしからぬ手ぬるさに、みんなイライラしているのさ」

「グレッグさんだって、旅の途中でチームを出されたら困るでしょ」

「子供じゃないんだ、一人でだってアナハイムに帰れるさ。カンネリの奴はろくに金も渡さずにルーベンあたりで追い出したもんだから、グレッグは数百キロの道のりを野宿しながら帰ってきたんだぜ」

「志摩さんはカンネリとは違う。団長への義理というよりも、仲間を失い、心も折れたグレッグに同じ武人として同情しているのだろう。彼のそういう優しいところが、わたしは好きなのだがね」

  カムランの言葉に、ウィルは首を振った。

「そりゃあ俺だって志摩のそういうところ好きだけど、じいさんだって知ってるだろう。この稼業では、おうおうにして優しさが仇となることを」

「志摩さんだってわかっているさ。グレッグとの付き合いも、このツアーが終わるまでだろう」

「このツアーが終わるまでか。このまますんなり、シリウスへ帰れりゃいいんだがな」

 つぶやくウィルの顔は、どこか心もとなげであった。

 ポットと積み重ねたカップを載せたワゴンが押されてきた。

「おくつろぎのところをお邪魔します。どうぞ、珈琲をお召し上がりください」

 中年の女性が明るい声でいった。ポットの珈琲がカップに注がれ、それを数人の男女がみんなのもとに運んだ。マユラもカップを受け取ったが、一口飲んで苦いのに顔をしかめた。

「軍隊の珈琲はブラックときまっている」

 カムランがいった。

「ぼうやにはお砂糖がいるわね」

 中年の女性がマユラのまえにやってきた。ガラスの砂糖壺を持ち、小さなトングで角砂糖を一個挟んでいる。しかしマユラは、ぼうやと、幼子のように言われたことに反発して意地を張り、

「いりません」

 苦い珈琲を口を曲げるようにして飲んだ。その様子に女の人はほほ笑んだ。

「一ついただけますかな、マダム」

 カムランの求めに、女の人は角砂糖を一つ落とした。

「年をとると甘いものがほしくなりましてな」

「もう一ついかが」

「いやけっこう」

 女の人はワゴンから、陶器のスプーンを取ってきて、カムランのカップの珈琲を掻きまわした。

「すみませんな」

「どういたしまして。フェアリーさんは、珈琲は口に合わないかしら」

「そうだね。ココアがあれば一番だけど、なければ甘いミルクでいいよ」

 横で聞いていて、マユラは自分もそれがいいと思ったが、いまさら口には出せなかった。

「ミルクココアを持ってくるわ、あなたにもね」

 といってくれたので、

「やったー」

 つい歓声をあげて、本音がもれる。

 中年の女性はおかしそうに微笑んでから、

、「皆様方のリーダーはどの方ですか」

 とたずねた。

「あちらにおられるのが、我らがチームのリーダー志摩ハワード殿です」

 カムランに教えられると、会釈をして志摩のほうにあるいた。

「こちらのチームのリーダーの方とうかがいましたが」

 声をかけられた志摩は、カードからかたわらに立つ人物へ目をやった。木綿のワンピースにエプロン姿の中年女性だ。

「そうですが、なにか」

「この砦を預かるロバート・ライゼンの妻の、ミア・ライゼンです」

「やっ、これは隊長殿の奥方でしたか」

 慌てて立ち上がろうとする志摩に、

「どうぞそのまま、おくつろぎなさってください」

「そうはいきませんよ」

 志摩は席を立ち、堂々とした偉丈夫の相対する。

「志摩ハワードです」

「「このたびの皆さま方の活躍に、この地域の治安を預かる者の妻として、お礼が言いたかったのです。人々の危難を救ってくださり、ありがとうございました」

 ライゼン夫人は志摩、そして傭兵の面々に頭をさげ、使用人の男女も後に続いた。

「ごていねいにどうも」

「いま、厨房で料理人たちが腕によりをかけてごちそうを作っていますの。もうしばらくおまちください」

「ご厚意、いたみいります」

 隊長夫人は会釈して、使用人たちとともに部屋を出て行った。

「わざわざ礼に来るとは、謙虚で感じの良いご婦人じゃの」

 カムランは好感をもったようだ。

「なぁに、亭主が連れてきた傭兵とは、どんなうぞうむぞうか顔を見てやれってところさ」

 ウィルが勘ぐっていった。

「おとぎの国の住人のような姿をしていながら、おぬしはひねくれた見方をする」

「ここはおとぎの国じゃないしね。人間、ヴァルカン、ヴァルム、欲深くて血なまぐさい連中のひしめく剣魔の大地だぜ。のほほんと妖精ごっこやってたらパクリとやられるだけさ。爺さんこそ、長生きしている割にゃ人が良すぎるぜ」

 二人の言い合いをよそに、

「あのオバさん、いや、隊長の奥さんさ、ボクのミルクココア、忘れてやしないよね」

 マユラの配はそれであった。

飲み物もくばられ、傭兵たちはまたひとしきりゲームをしてくつろいだ。マユラの心配していたミルクココアもちゃんと来た。ウィルのはスープ皿に入れられてきて、フェアリーは泉の水を飲むように顔を近づけて飲んだ。

 ドアが開いて隊長のライゼンが、数名の部下とともに入って来た。

「ご機嫌はいかがかな諸君。こんなところに押し込めて申し訳ない。宴のほうは準備中で、いましばらく待たれよ」

「こっちは気楽にやってるぜ。奥方からもうまい珈琲と丁重な挨拶を戴いた」

 志摩はカードゲームも一区切りついたテーブルから、くわえ煙草で応じた。

「そうかね。実は宴の前に話しておきたいことがあるのだ。諸君らの仕事のことだ」

「・・・・・・・・・」

「一つ聞いておきたいのだが。諸君らには、この先の予定は決まっているかね」

「いや、これといった仕事は入っていない。なにもなければこのままアナハイムに帰るだけだ」

 志摩が答えた。

「つまり、ここで仕事が入れば受けることは可能と」

「そうだな。後は内容と報酬で決める」

 ライゼン隊長は、カードゲームのテーブルの空いた席に腰かけ、志摩と向かい合う。ダオにファルコにそしてグレッグも、他のメンバーは席を立った。

「仕事は他でもない。君たちの戦ったグルザム一味だ。あやつらを根絶やしにしたいのだ」

「連中、こののあたり一帯、自分たちの縄張りとかほざいていたが」

「そのとおりだ。この北ナタール地方には、以前から山賊追いはぎの小グループがいくつかあったが、グルザム一味が現れてそいつらは消えた。グルザム一味に吸収されるか、消されるかしたらしい。グルザム一味はこの二三年のうちに雲の湧くように現れた一団なのだ。人数も多くヴァルムも抱え、神出鬼没で、君たちも見た通り所業は残虐だ。我々も黙って奴らの悪行を見ていたわけではないのだが、北ナタールは広く、このクリオ砦の百五十たらずで全域を守ることはできぬ。警備の主体を人の多く住む町に置いて、ほかはパトロールするしかないのだが、まったく神出鬼没の奴らで、一味の現れたという一報を聞いて駆け付けると、時すでに遅く、奴らは立ち去ったあとで、ただ、悪鬼の所業をみせつけられるというわけだ」

「アジトは」

「残念ながらつかめておらぬ」

「数は」

「たしかなことはわからぬが、二三百はいるらしい。まったく、連中についてはわからぬことだらけでの、首魁のグルザムにしてもわかっているのはその名だけで、顔かたちはおろか、人かヴァルムかも不明なのだ」

「おかしなことだのう」

 カムランが首をかしげる。

「それだけ大きな賊の集団となれば、少しずつ内情は漏れてくるものなのだ。鉄の規律、死の盟約の秘密結社ならともかく、盗賊など無頼の者の集団とはそういうものなのだが」

「確かに。私も以前から普通の山賊野盗の群れとは異なる、違和感を感じていたのだ。いずれ、首塊の正体はもとより、一味の全容も解明してみせるつもりだが、いまは、悪党どものほしいままを許しているのが現状だ。しかし、その状態も、諸君らの出現で変わる気がする。今日君たちがグルザム一味の凶行の場にでくわし、きゃつらに天誅与えたのは、まさにエウレカ神のお導きというものだ。どうだ、しばしこの地に留まって、悪者退治に力を貸してもらえぬか」

「だけどよ、さっきグルザム一味は二三百とかいってただろ。二百と三百の間をとって二百五十として、この砦の兵力は百五十、それに俺たちが加わったとして、勝てるのかよ」

 ファズが聞いた。生き死に賭けた稼業であるだけに、勝算に関わるところは曖昧にしておけない。

「二百五十が内の二十がところは今日、おぬしたちに減らされた、まだ厄介なヴァルムもいるようだが、所詮は無頼の集まり、汚い欲で結びついた烏合の衆だ。それに引き換え我らは訓練を積んだ規律ある部隊。百やそこらの差があったとしても、ひけを取るものではない。それに、ジェリド砦のベイロードの部隊がいる。普段は反目しあうときもあるが、ともにこの地の治安を預かる帝国軍人。いざとなれば、我らに力を貸してくれるはずだ。さらに郷士たちも、要請すれば百やそこらは駆けつけてくれる」

 郷士とは官職にない武門の氏のことで、多くは、旧時代の豪族の郎党衆の子孫であり、大陸の各地にいる。傭兵にも郷士の家の出は多く、このチームでも、何名かが郷士の家の出である。

「そこに百戦錬磨の諸君らが加われば、賊徒どもを大いに圧倒できよう」

 相手は場数を踏んだ悪党の群れだ。一筋縄でゆく相手とも思えず、ライゼン隊長の言葉は楽観的すぎるようにも思えたが、分の悪い戦いではなさそうだ。

「報酬は」

 志摩は単刀直入に問う。

「五万でどうだ」

 五万と聞いて、マユラは思わず傍らのフェアリーに確かめた。

「五万って、ユーロで」

「当たり前だ。五万エキュなんてふざけた話があるか」

 エキュはユーロの下位貨幣で、一ユーロは百エキュとなる。一ユーロの小遣いを手に入れるのも大変だったマユラにとって、五万ユーロは想像もつかない大金だった。

「五万か」

 志摩はしかし、検討するような面持ちだった。

「ただし、前金ナシの全額成功報酬だ。町の有力者たちにも諮ってみねばはっきりとはいえぬが、まず、それぐらいの報酬は出せるはずだ」

 砦の経費だけではまかないきれぬということか、終りのほうで声のトーンが若干下がり気味だったのが気にかかるが、

「トレジャーはどうする」

 バルドスが聞いた。トレジャーとは盗賊どもが貯め込んだ略奪品のことだ。奪われた金品は元の持ち主に返すのが筋だが、戦わなければ取り返すことができないのだから、これはサルベージと同様の扱いで、取り返した者にも貰う権利が認められている。

「前金ナシの場合、トレジャーは取り半が相場だが」

 つまりグルザム一味の貯め込んでいたお宝を発見した場合、半分傭兵たちが受け取るということだ。

「それも、町の者たちと相談せねばならない。ただ、手ひどくやられたものも大勢いる。半分取るというのは納得せぬと思うぞ」

「いちいち金づると相談。なんか頼りないわね。五万とか大見え切って、本当に払えるんでしょうね」

 サブリナが例によって、ずけずけと質す。

「そこは私を信用してくれ。ただ、君たちが自慢の腕で大いに働いてくれたら、町の有力者たちは、値切ったり出し惜しみしたりすることはない。成功にはきちんと報いてくれる人たちだ。そこは請け合う。つまりグルザム一味を討伐すればなにも問題なく、諸君らは大枚の報酬を手にするということだ。それと、逗留する間は、この砦を宿としてくれ。もちろん、宿代メシ代はただでいい」

 隊長の言葉に、志摩は思案する表情となり、仲間たちを見回した。

「条件に不確かなところはあるが、隊長殿は篤実な人柄とみた。隊長殿を信じて、俺はこの依頼を受けようと思うが皆はどうだ」

「いいんじゃないのか」

 バルドスだった。

「このまま手ぶらで帰るのは気がひけるところだった。ここらあたりで一暴れするのも悪くない」

「妙な裏のあるような話しでもないし、受けておいていいんじゃないの」

 サブリナも前向きな意見だった。

「他には」

 志摩は仲間たちの顔を見回したが、反対の意見を唱える者はいなかった。

「カムランさん。あんたはどう思う」

「善良な人々を苦しめる、悪逆の賊を討つというのであれば、それは傭兵冥利に尽きるというものであろう」

 老魔道師は明快にいった。

 志摩はライゼン隊長に向きなおると、

「この仕事受けさせていただく。そして受けたからには、きっとやり遂げてみせる」

受諾の意思を伝えた。

「そういてくれると思っていたよ。改めて、シリウスの勇士諸君を、これから戦線をともにする同士として歓迎する」

 ライゼン隊長は手を差し出し、志摩は握手した。

「宴までもう少し、ここでくつろいでいてくれたまえ。では諸君、後ほど酒宴の席で会おう」

 隊長は席を立ち、部屋を出て行った。

「ビリヤードはどうなったの。ずいぶんと、おだやかでない話をもちかけられてたけど」

若い副官のレイウォルが、サブリナに心配そうな声をかけた。

「期待してた」

 サブリナはイタズラっぽい目を向ける。

「ばかな、そんなふしだらなマネは、この砦の中では絶対に許されないんだ」

 レイウォルは頬を赤くしていった。

「そんなにむきにならなくても、脱ぐのはあっちよ」

 サブリナは、しょげた様子のファズを目で示した。

「もっとも、野郎のハダカ踊におひねり投げるもの好きもいないでしょうから、身ぐるみ剥ぐのは勘弁してあげたけどね」

 サブリナはキューを取って、まるで無造作に台の上の白い球をはじいた。白い球は前にあった五番の球を飛び越えて転がり、一番の球をはじいて隅のポケットに落とした。

「やるね。今度手合わせ願うよ。ただし僕も身ぐるみ剥がされるのはご免だから、 負けたら一杯おごるってことでどう」

「いいわよ」

「じゃあ」

 レイウォルは手を振って出ていった。

「どうした」

 ダオが青菜に塩のファズに声をかけた。

「やられた。なけなしの五百もってかれた上に、三百の借りだ」

「一時間ばかりの勝負で、なんでそんなに負けるんだよ」

「面目ないがまったく歯が立たなかった。一ゲームも勝てなかったぜ」

「勝てる相手じゃないと分かった時点で、さっさとゲームを降りろよ」

「あの澄まし顔に、ほえ面かかせてやりたかったのさ」

「それでてめぇがベソかいてりゃ世話ないぜ」

「いいさ。久々大きな仕事が入ったんだ。一働きして負けは取り返すさ」

 気を取り直すファズに、

「貸しを返してくれるまでは死なないでよ」

 とサブリナ。、

「田舎を荒らしまわるがせいぜいの三流外道に、このファズ様が不覚をとるかって。おまえこそ、いつかぎゃふんといわせてやるんだ。あっさりくたばってくれるなよ」

「この先百年生きたとしても、アンタにしてやられることはないと思うけど」

「いってろや」

 伝法なやり取りは傭兵の流儀か。

「本格的な傭兵の仕事だね」

 興奮のにじむ表情のマユラに、

「ガキは留守番だ」

 ファズはにべもない。

「ボクだって、なんかの役にたつよ」

「戦えもしない奴が、なんの役にたつってんだ」

「さっきは運がよかっただけだぜ。二度も三度もついているとはかぎらない」

 ウィルもいう。

「強くなって両親の仇を討つのが目標じゃなかったのかね。キミはまだ、強くなってないじゃないか」

 カムランにも諭された。

「無鉄砲なのも困りものだが、せめてマユラの半分の意気地も、グレッグにあればな」

 ダオがぼやく。グレッグはカードゲームが終わると、部屋を出てどこかへいってしまった。

「いまさらぼやいてもしかたないだろう。アイツは、もう一人お荷物抱えていると思えばいいさ」

「ボクはお荷物じゃないよ」

 マユラは心外そうにファズに言い返したが、

「一人前じゃないやつは、お荷物なんだよ」

 とやり込められた。

「グレッグはマユラと違うわよ。マユラは石ころみたいなもん。ポケットに入れといても、ちょっと邪魔になる程度よ」

 サブリナの言葉に、荷物の次は石ころかいとマユラはむくれた。

「でもグレッグは折れたナイフ。使えなくても刃はついている。ポケットに入れていたらケガのもとよ」

 サブリナは気がかりそうに眉をひそめた。

 酒宴は二時間ほど待たされて開かれた。砦の大食堂は、百数十人の兵士たちが食事をとるだけに広く、数十人が向かい合える大テーブルがいくつもあった。食事時となるとずいぶんとにぎやかなことだろうが、今は中央の大テーブルにだけ白いテーブルクロスが掛けられていた。志摩たちが入ると、ライゼン隊長以下十人足らずが既に席についていた。あとは給仕の者が数名、隅に控えてがらんとした雰囲気だった。

 全員が席を立って志摩たちを迎えた。

「お待たせしましたな」

「今日は我らのために宴を開いていただき、感謝します」

 志摩が代表して礼を述べた。

「なんの、きみたちの義勇の働きに対する、ほんのささやかな礼だよ。既に顔は知っていると思うが、改めて部下たちを紹介しよう。彼がウォルトン下級オフィサー。そしてリント下級オフィサー、それからレイウォル下級オフィサーだ」

 レイウォルは二十代だったが、他の二人は四五十代。下積みの長い下級管理職といった感じだ。

「そしてこちらはエルゼンの方々だ」

 六人ばかり、仕立ての良いスーツの紳士たちがいた。

「エルゼンとは」

「わがクリオ砦が管轄するエリアの中では、一番大きな町だ。こちらがウォルトン男爵。町長のラドムさん。サモンズ商会のサモンズさん。穀物商のウニスさん。金融業のペドロさん。織物問屋のデールさん。エルゼンの有力者の方々だ」

 つまりは傭兵たちのスポンサーとなる者たちだ。

「諸君らのことは町の噂にもなっている。強い傭兵が現れてグルザム一味を成敗したと、酒場などではその話でもちきりらしい。ウォルトンだ。英雄に会えてうれしいよ」

「光栄です」

 志摩はウォルトン男爵と握手を交わした。

「グルザム一味を退治してくれるのなら、五万ぐらいは仕方ないが、お宝の半分もってくなんてぇのは勘弁願いますぜ」

 ペドロは針のような細い髭を左右に尖らせた小太りの小男で、三つ揃いのスーツのチョッキの胸ポケットに時計の金鎖を垂らし、いかにも金貸しといった雰囲気の男だ。

「私どもが融資した顧客の中にも連中の被害者はおりまして、少なからぬ不良債権ってやつを抱え込んでいるんですよ。取り返せるものがあるのなら、銅銭一枚だってこぼしたくないっていうのが、正直なところです」

「取り返すには命張らなきゃならないんだぜ。そこんとこ、わかってほしいんだが」

 バルドスが応じた。

「いまここでなにを話し合ったところで、グルザム一味を討伐しなけりゃ取らぬタヌキだ。そんな話はあとでいいだろう」

 志摩がいって、

「さよう。無粋な話は酒がまずくなるというものだ。さあさあ皆さん席について、面倒なことは後回し、まずは楽しくまいりましょう」

 ライゼン隊長に促され、それぞれがテーブルの席についた。主座にライゼン隊長。そして副官たちが左右に別れる。傭兵たちは志摩、そして年長者を立ててカムラン、それからバルドス、サブリナ、ダオ、ファズと居流れて、末席はもちろんマユラだ。ウィルはマユラよりも一つ上に、彼用の小さな皿が置かれている。傭兵たちの向かい側にはエルゼンの町のお偉方が並ぶ。すぐに給仕の者たちがきて、各自のグラスにワインを注ぎ、マユラのグラスだけはミルクだった。

「志摩殿をはじめとする傭兵チームの諸君の武勇を讃え、そしてさらなる武運と、エルゼンの町の繁栄を願い乾杯」

 ライゼン隊長の乾杯の音頭で一同はグラスを干した。マユラのグラスにはウィルが、まるで洗面器に顔をつけるようにしてぐびぐび飲んだ。

「酒は飲まないの」

 ウィル用の小さな杯にも、スプーン数杯分の酒が注いであった。人形のような姿をしているフェアリーだが人間よりもずっと長命の種族で、年齢による外見の変化も少ない。ウィルが志摩や、もしかしたらカムランよりも年上だったとしてもおかしくない。正確な年は聞いたことはないが、飲酒の許される年齢は越えているようだ。

「酒もいいが、俺たちみたいな小さいものが、勝手の分からない場所で酔っぱらうのはいかにも危険さ」

 小さな体だと便利なこともあるが、なにかと気をつけなければならないことも多いらしい。乾杯が済むとすぐに料理が運ばれてきた。都会のレストランで出されるような、上品で洗練された料理ではないが、牛や羊の肉をふんだんに使った豪勢なものだ。マユラはさっそくに厚切りのステーキを皿にとり、ウィルもバターの融けた熱々の肉に食らいついていた。昼前から腹をすかせていたマユラだったが、突然の戦闘の緊張と興奮に空腹も忘れていた。しかし戦いが終わって気持つもおちつくとそれもぶりかえしてきて、ここまでずいぶんひもじい思いをしてきた。その状態でありつくこのごちそうはまさに至福の美味であった。

「うめぇ」

 ときおり感嘆の声をあげながらがつがつと食うマユラに、

「みっともないぞ。逃げるもんじゃなし、落ち着いて食えよ」

 ウィルが、自分も脂まみれの顔をしながら迷惑そうにいった。

「腹ペコでこんなごちそう前にしたら、気取ってなんかいられないよ」

 ステーキを平らげ、次は骨付き肉に食らいつく。もっとも他の傭兵たちも、マユラほどガツガツしていないが、おせじにもテーブルマナーができているとはいえなかった。

「剣を使うようだが、ソードマスターにランクアップしているだろうな」

 グラスを片手に、ウォルトン男爵が志摩に聞いた。

「サムライですよ」

「サムライなのか」

「サムライとは、なんですかな」

金融業のペドロがたずねた。

「剣術ジョブの一種だ。一般的な剣士と比べると、攻撃型のスタイルかな」

 ウォルトン男爵が説明した。

「そういう武張ったことには縁遠い私どもにはよくわかりませんが、あのトカゲ悪魔のグロルを成敗なされたのだ、そりゃあお強いでしょうな」

「あのリザードマンは、それほど手ごわくもなかったが」

「おお頼もしい、これならジカルが出てきても心配ありませんな」

「ジカルとは、なんだ」

「グロルの兄貴分の、赤毛のザウルスですよ」

「そんな奴がいるのか」

「赤毛のジカルは一味の副頭目格で、あまり姿を現さぬが、こいつが暴れると手がつけられない。わたしの部下も十人ばかりやらりている。腕に自信のある郷士たちが十数人がかりで挑んだことがあったが全滅させられた」

 グラスを傾けるライゼン隊長の顔は苦々しげであった。

「そいつは俺がもらうぜ」

 何杯目かのグラスをあけたバルドスが、豪快に宣言した。

「志摩よ、おまえはトカゲ野郎を仕留めたから、あとはザコでも狩ってろや。赤毛のザウルスは俺が仕留める」

「あのジカルを獲物にしようとは、ずいぶんと豪胆な方ですなあ」

 ペドロが目を丸くしていった。

「ウチのサブリーダーのバルドスだ。やるといたらやる男だ。口先だけのヘタレとは違うぞ」

「そうでしょうとも。チームの方々も粒ぞろいですな」

 追従を口にするペドロだったが、したたかな商人の目は半信半疑であった。

「赤毛のザウルスって」

 志摩たちの話を聞いていたマユラが、ウィルに聞いた。

「ザウルスが、リザードマンがランクアップしたものだってことは話したよな」

「うん」

 マユラはチーズを一かけら口にいれながらうなずいた。

「リザードマンは鱗だらけの、まんまトカゲを人型にした化け物だけど、これがザウルスになると、頭髪やらの体毛が生えて、顔形もちょっと人間に近くなるんだ。で、ザウルスにもレベルがあって一番下が黒毛。で赤、青、そして金色の順に強くなっていく。大陸にその名を歌われた聖騎士ヤン・レシュリー。彼を倒したのは金色のザウルス、ファグメドだった」

「赤毛のザウルスって手ごわいの」

「リザードマンよりはずっと手ごわいはずだ。だけどバルドスだって、志摩に負けず劣らずのものを持っている。そんじょそこらのヴァルム野郎に遅れをとることはないさ。俺にもチーズ取ってくれ」

 マユラはウィルに皿のチーズをとってやり、自分は骨付き肉を手にした。ウィルの話に刺激されて、赤毛のジカルや金色のファグメドに闘志を燃やし、がぶりと骨付き肉に食らいつく。

「ベイロード隊長と、サムオン司祭様がお越しになられました」

 取り次ぐ部下に、

「お通しいたせ」

 ライゼン隊長は即座に応えた。やがてベイロート隊長と、エウレカ教の僧服であめ茶色のロープをまとった人物が入って来た。ベイロードは大柄な体をミスリルアーマーに包み、剣を腰に佩き、一つの砦を預かる者の威厳も十分の貫録であった。その後ろ歩くロープの人物は、ベイロードとは対照的な小柄で痩せた老人で、ベイロードの腕にでもあたればどこかポキッといきそうな、枯木のようにもろげな様子だ。

「ベイロード殿とサムオン司祭様。急なお呼びたてにもかかわらずお越しいただき、お礼を申し上げる」

 ライゼン隊長は席を立ち、二人を出迎えた。ベイロードは横柄にうなずいただけだったが、サムオン司祭は丁寧に腰をかがめて礼をのべた。

「こちらこそお招きいただき感謝いたします」

「さあ、まずは席にお着きください」

「ほお、お歴々もお揃いか」

 ベイロードはエルゼンの町のお偉方を見やり、傭兵たちには目もくれず無視して過ぎた。サムオン司祭は志摩たちにも丁寧におじぎをした。二人は空けてあった上座につき、エルゼンの有力者たちと並んで、志摩たちと向き合う。

「紹介しよう。ベイロード殿とは既に会っおられたな。彼はこのクリオ砦とともにこの地域の治安の一翼を担う、北のジェリド砦の指揮官だ」

 会っていたというか、しょっぴかれそうになって、乱闘寸前にまでなった相手だ。ベイロードはグラスを傾け目礼もくれず、傭兵たちも白けた顔でやりすごす。

「こちらはサムオン司祭。リュード神殿の司祭をしておられる」

「サムオンですよろしく」

 司祭は物腰丁寧に挨拶して、志摩たちも一礼した。柔らかな笑みを浮かべる、人当たりのよさそうな老人だった。

「この人たちはアナハイムにあるレギオンシリウス所属の傭兵で、彼がリーダーの志摩ハワード殿です。シリウスの諸君は、白昼街道に現れて狼藉を働いていたグルザム一味の者どもを退治してくだされた。その武勇を讃えてこのような宴を催した次第です」

「それはお手柄でしたなあ」

サムオン司祭は、田舎の老爺らしいどこか土臭い顔の、いたく感じ入った表情となった。ベイロードはグラスに口をつけ、冷笑するのみである。

「さほどのことでもありません」

「勇敢に戦って多くの人々をお救いになられたのでしょう。その勇気はエウレカの神の讃えるところです。こののち、みなさんの行き先に神の御光のあることでしょう」

「司祭様のリュード神殿は、何百年と、この地域のエウレカ神の教えの拠点となっている、歴史ある神殿なのだ」

 ライゼン隊長の言葉に、

「さぞや由緒のある神殿なのでしょうな」

 志摩も社交辞令を述べる。

「いやいや、古いだけのボロ神殿です。最近はエルゼンの町に新しい神殿が出来て、参拝の信者もめっきり減りました」

「ザコどもを退治してヒーロー気取りなのはいいが、グルザム一味がこのまま黙っているとは思えぬ。奴らが仕返しに出れば、もっと多くの血が流れることになるのだぞ」

 ベイロードが厭味たらしくいった。

「だけど、そもそもああいう連中を取り締まるのがアンタらの仕事じゃないの。連中が報復になにをしようと、それは、アイツらの好き勝手を許しているそっちの責任。自分たちのていたらくを棚に上げて、善意で働いたウチらに難クセつけないでもらいたいわね」

いつものように遠慮のないサブリナである。

「傭兵風情が減らず口をたたきおって。私とて名誉ある帝国武人のはしくれ、女子供には手をださぬが、しかし体面を傷つけられたとあらばその限りではない。思いあがった口はケガの元と覚えておけ」

「おあいにくさま、ウチら切った張ったが日常茶飯の傭兵稼業。悪党どもの始末一つつけられないなまくら大将にすごまれて、恐れ入るようなヤワな根性してないわよ」

「こやつ」

 腰を浮かしたベイロードに、

「酒の席で無粋なマネは慎まれよ」

ライゼン隊長が一声を放った。

「おのれは、同僚がけなされたのを見てなんとも思わぬのか」

 ベイロードの怒りの矛先は、ライゼン隊長に向かった。

「酒のうえでのやりとりだ。いちいちとさかにくるのも大人げないというものだ」

「なにっ、・・・・・」

「まあまあ、ベイロード隊長も、気をおだやかになされまし」

 サムオン司祭が、なだめるようにいった。

「なにぶんにも、相手は女性です。そこいらの男よりよっぽど血の気は多そうですが、とにかく、立派な隊長さんが女相手にケンカしても名誉にはなりますまい。それに、悪党どもを討ち払い、本日善行格別の方々でもあれば、その働きに免じて、お腹立ちをおさめられませ」

「・・・・・」

 ベイロードも、エウレカの神殿の司祭の言葉はないがしろにできぬとみえて、不承不承椅子に腰を落ち着けた。

「ウチのコレも、日ごろからづけづけと物言いに遠慮のない奴で、非礼はお詫びする」

 志摩もいって場は収まった。当のサブリナは、さっきの一幕も人ごとのように、肉を喰らい酒を飲む。

「実は志摩殿たち、傭兵チームの方々に、グルザム一味の討伐に協力してもらうことになったのだ。もちろんご貴殿のジェリコ砦との共闘も欠かせぬ。今後は連携して同じ敵と戦う者同士として、互いに、わだかまりや偏見は捨ててほしい」

 ライゼン隊長の言葉に、

「帝国軍人の誇りはどうした。傭兵風情の力を借りるなどありえんわ」

 ベイロードは怒りも露わにした。

「だが、今に至るまでグルザム一味を退治できておらぬし、それどころかこのところ、連中の凶行はひどくなる一方だ。もはや面子にこだわっている状況ではない。それに、外部の協力なら、既に、地元の郷士たちの協力を得ているではないか。そちらの取りまとめは、ウォルトン男爵殿にお世話になっているが」

「義勇の士と、金目当ての傭兵とは違うであろう」

「確かに俺たちは金目当てだが、仁義は心得ている」

志摩がいった。

「命に代えても報酬分の働きはする。それが傭兵の仁義だ」

「そうともよ。俺たちをタダメシ食いのゴロツキといっしょにしてもらっちゃこまるぜ」

 ファズも荒い口調で加える。

「それに郷士たちに協力を求めるとしても、いつまでもだらだらとやっていては、彼らにも不満が出てくる。このへんで本腰を入れる。そういう姿勢を見せるためにも、傭兵たちを雇い入れるのは悪くないと思う」

ウォルトン男爵もいった。

「これも、エウレカの神のお導きでしょう。必ずや悪人どもを成敗されますよう、みなさんの御武運を祈ります」

 サムオン司祭は和やかな顔でことほぎ、ベイロードはフンと鼻を鳴らしたものの、それ以上なにか言うでもなく、酒を飲み、食事に戻った。

「ちまちま注ぐな、ええい、ボトルをよこしやがれ」

 突然酔漢のわめき声がして、誰かと見ればグレッグだった。グレッグはボトルをひったくると、なみなみ注いであっというまに飲み干し、また注いで飲み干し、見る間に一本空けてしまった。

「代わりのを持ってこい。ぐずぐすするな」

 給仕の者に怒鳴り、代わりのボトルがくるとひったくって、グラスに満たして一息にあおった。

「うめー」

口元をだらしなくゆるませ、酒臭い息を吐くいぎたない酔っぱらいの姿に、マユラも顔をしかめた。

「あの者は」

 意地悪く目で示すベイロードに、

「仲間です」

志摩は端然として答えた。

「なるほど、これはかなりのつわものだ。路地裏で潰れいてる酔いどれどものなかにもそうはおるまい」

 ベイロードは皮肉げに笑った。

「おい、チームの恥だろうが。それぐらいにしておけ」

 ファズが注意した。

「いいじゃないの、存分に飲ませてあ゛なさいな。コレでしか、本領発揮できないのだから」

 サブリナが嘲笑する

「さげすみの表情だな」

 グレッグは酔眼を据えて、あたりを見回す。

「けっこうだ、大いにさげすんでくれ。なにせ、なにせ俺ほど軽蔑されて当然の男はいないのだからな。天下一のゲスって奴だ」

 グレッグは、がぶがぶと水のように酒を飲み、正気をなくしてゆくその目は、追憶をさまようもののようだった。

「まったく俺という奴は、どうしようもないクズなのさ」

 薄笑いしながら、またグラスに酒を満たす。

「仲間が・・・・・・・・・・・・・・のを・・・・・・・だけ・・・・腰ぬけさ」

 一人ごち、こみ上げてきた苦いものを流すように酒をあおる。

「もうよせ」

 席を立ったファズが、グレッグの手からボトルを取り上げる。

「十分に飲んだだろう」

「十分だと、一樽空けてもそんな気持ちにはなれそうにないが、まあいい。お歴々の前で醜態をさらせば、チームの体面に係わるってもんだからな。まだ、それぐらいの分別は働くさ」

 グレッグはたちあがった。ふらつく足取りでテーブルを離れ、そのまま行くかにみえて、ふと立ち止まり、振り返った。

「酔いどれだと思っているだろうな。確かに酔いどれのクズだが、俺と同じ目に会って、果してアンタたちのうちの誰が、しゃんとしていられるものかな」

 奇態な笑みを浮かべ、やがて背を向けて歩きだし、もう振り返ることなく出て行った。

ふらつく足取りで出てゆくグレッグを見ていた志摩だったが、姿勢を戻して向きなおった。さりげないしぐさだったが、その両眼は鷹のごときまなざしを放っていた。一瞬異様な気配を感じたのだ。それは気のせいとも思えるほど微かだったが、なにか、ぬるりとしたもののよぎる感じが妙に生々しかった。

「おい、なにやってんだよ」

 ファズの声がして、みるとマユラが席を立ち、なにか捜しものをしているのか、あたりを見回し、テーブルの下を覗きこんだりしている。

「グレッグの次はおまえかよ。三つ四つの幼児じゃあるまいし、メシ食ってるときにバタバタするな」

「ウィルが、蛇がいるかもしれないっていうから捜しているんだよ」

 マユラは心外そうに言い返した。

「蛇だと」

 蛇と聞いてテーブル全体がざわついた。町のお歴々はもとより、傭兵たちにしたって、女の子のように悲鳴をあげはせぬまでも、どこかに蛇が這っていると思うと、気持ちの良いものではない。ファズもいっしょになって、テーブルの下から周辺捜したが、どこにも蛇なんていなかった。

「蛇なんてどこにもいないじゃないか。まったく人騒がせな奴だ」

 ファズは、マユラの頭に一発ゲンコツを見舞った。

「痛いなあ。ウィルがいうから捜しただけなのに」

 マユラは少々きつく叩かれた頭をさすった。

「ごめん、ボクのせいだよ」

 マユラの傍らに羽ばたいたウィルが面目なさそうな顔だった。

「でも、たしかにそんな感じがしたんだ。アイツらボクたちの天敵だから過敏になっていたかもしれないけど、どこかで蛇に見られているような感じがしたんだよ」

「ビクビクしすぎなのさ。俺たちが付いているんだ。蛇の百匹や二百匹いたところで、ちゃちゃっと料理してやるって」

 ちょっとした騒ぎも収まって、テーブルではふたたび酒宴の談笑のにぎやかとなったが、志摩はその眉宇に、一抹の影を刷いた。

「蛇か・・・・」

 グラスを片手に呟く志摩に、

「どうかしたのかね」

 隣のカムランが声をかけた。

「なんでもない。ただ、この仕事は案外手こずるかもしれぬ」

「リーダーの勘ですか」

「そうだ。まあ、俺の勘はけっこう外れるがな」

「いえいえ、悪いのだけはよく当っていますよ」

 カムランの言葉に、志摩は苦笑いして酒を飲んだ。




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