第6話 風と花

「意識を集中しろ。目を閉じるな。ろくに精神の鍛錬の出来ていない者が目を閉じると、かえって雑念にとらわれる」

志摩の声に、マユラはつむりかけた目を開いた。木刀を手に志摩と向かい合い、しかしここからなにをすればよいのか、漠然とした心境のまま、正眼に構えた木刀を持つ手がだるくなるばかりだ。

 二人がいるのはクリオ砦の近くの野原で、ぽつんと立つ大きな広葉樹がかたわらに影を落としていた。ライゼン隊長が傭兵たちに宿舎として提供してくれたのは、なんのことはないクリオ砦の兵舎で、傭兵たちは、百数十人の兵士たちと寝起きをともにすることになった。もっとも、さすがに紅一点のサブリナは、男どもの兵舎で寝起きというわけにはゆかない。本人はそれも至って構わないと言っていたが、兵士たちがどうにもやりにくいということで、サブリナは砦に近い村の一軒の家に民泊させてもらうことになった。朝は兵士たちの起床にあわせて早朝に起きるとなり、傭兵たちはストレッチや軽い運動で、一日の活動に支障のないように体をほぐす。マユラは志摩の命令で朝の掃除を手伝うこととなり、、窓ふきやぞうきんがけをした。その他、馬の世話や早朝ランニングにも付きあわされる。兵士たちとともに活動することが、よい鍛錬になると志摩は考えたのだ。起きてからかなりの活動量で、トーストにベーコンエッグ。煮豆とポテトサラダの朝食が、昨日の宴で出されたステーキ肉にも劣らぬほどに美味であった。食事が済んでから、志摩はマユラに稽古をつけることにした。師弟となって初めての指導である。砦の練兵場から木剣を借りてきて、剣の持ち方から姿勢、腕の振りやら、基本のところを一通り教えるのだが、どうも手足バラバラの印象だ。剣術の稽古はこれが初めてだから仕方ないかもしれないが、志摩の経験からすると、素質のある者は初心者なりに挙止にまとまりのあるものだ。しかしこれは、鍛えていくうちに才能が開花しないこともない。多少長い目でみることにして、

「どうだ、なにか感じるか」

「なにも」

 師の問いかけにマユラは首を振る。

「おまえはブレイヴを覚醒させている。できるはずなのだがな」

 思案げな志摩に途方に暮れるマユラ。さっきから師弟は煮詰まった雰囲気の中で向かい合っていた。

 武芸については多少長い目で見るとしても、ブレイヴの発動。これはあまりあとまわしにはできない。サムライはもとより、ソルジャーやナイトなど、この世界でのほとんどの戦闘職の武芸はブレイヴ体仕様となっていた。ブレイヴ体になることがあらゆる戦闘職の大前提なのだ。母親の遺体を見激情にかられ、強烈なブレイヴを発動させて志摩たちを驚かせたマユラだが、思いもかけぬ状況に対応して、無意識のうちにブレイヴを発動することはあっても、意識的に自在に使えてはいない。今、マユラは精神を集中してブレイヴ体になろうとしているのだが、空っぽの箱の中を手探りしている感じで、なんのとっかかりも手応えもなく、本当に自分にそんな能力があるのか、半信半疑にすらなってくる。たとえ能力があっても、それを意識的に使えなければ意味がない。スイッチをオンオフするみたいに、ブレイヴ体になったり普通体に戻ったりできることが、ブレイヴ前提のファイターには必須の能力なのだ。

「やみくもにブレイヴ体になろうとするのではなく、なにかのイメージに置き換えてみてはどうだ」

「どんなイメージですか」

「刀を抜くイメージではどうだ。刀を抜いてブレイヴ体になり、鞘に納めて普通体に戻るのだ」

「刀を抜いたことがありません」

「見ていろ」

 志摩は腰の大刀を抜き放った。よどみない動きでするりと鞘より現れた真剣は、弧を描いて正眼の構えで静止する。

 マユラは空を薙いで余韻を醸す、鍛え冴え冴えとした大刀に見入った。

「いまの光景を思い描いて、抜刀とともにブレイヴを放つと意識するのだ」

 志摩は刀を鞘に納め、マユラを促した。

 師の言葉に従い、マユラは自分が刀を抜く場面を想像してブレイヴを引き出そうとしたが、実感が足りずうまくゆかなかった。

「お願いがあります」

「なんだ」

「先生の刀を貸してください。ボクもその刀を抜いたら、ブレイヴ体になれる気がするんです」

「だめだ。おまえには扱えぬ」

「ケチだなあ」

「ケチでいっているのではない。オモチャじゃいのだ。下手に扱えばケガをしかねないのだぞ」

「わかってますよ、先生がそれで人を斬るところ見てますから」

「・・・・・・・・」

「慎重に扱いますから、ちょっとだけ貸してください」

「だめだ」

「こんな木の棒じゃ全然雰囲気出ないし、ブレイヴ体になれる気もしません。でも先生の刀を抜いたら、なにか呼び醒まされるような気がするんです」

 しつこく迫られて志摩も考えた。刀を抜いてブレイヴ体になれるかどうかはともかく、サムライになるのならいずれ手にせねばならぬものであるし、扱い方ぐらいは教えておいてもよいかもしれぬ。もっとも、あの木剣の構え方からして、マユラのサムライとしての将来性は怪しかったが、とにかく今は弟子なのだから、しっかりと指導してやることが、師としての誠意というものだ。

「よかろう。そこまで言うのなら貸してやる。ただし心して扱え。ブレイヴが乗った状態だと、軽く当っただけて指の二三本スパっとゆく。下手に振り回して自分の体に当てれば大ケガだぞ」

志摩は腰の大刀を鞘ごとはずしてマユラに手渡した。武士の魂などと時代がかったことをいうつもりはないが、長年命を託してきた愛刀を、片時といえども他人の手に渡すのは、多少の抵抗があった。

「慎重に扱います」

 マユラは両手で押し戴くように大刀を受け取った。幅広長寸の大刀は、ずっしりとくるがマユラの手に余るほどの重量ではない。この刀は、重さは鉄の半分以下で、強度は鋼の三倍といわれるミスリルを鍛錬して造った業物なのだ。鋼の太刀でこの大きさなら、マユラの腕力で扱えるものではない。マユラは刀をベルトの間に差し込んだ。剣士は刀剣用のガンベルトともいうべき剣帯(ソードベルト)を腰に巻いていて、ホルスターに剣を差し込んでいるものだが、マユラはそんなもの装備していない。それでも腰に大刀の重みを得ると嬉しくなった。

「うかれるな、気を締めてかかれ。左手で鐔元をしっかり握り、右手は軽く柄に置く。左手の親指で鯉口を切り、あわてず、滑らせるように抜くのだ」

 師のアドバイスを聞きながら、マユラ左足を少し前に出し、腰を沈め加減に抜刀の姿勢をとる。

 まず抜き切れまいと志摩は見ていた。初心者が鮮やかに鞘を払えるものではない。途中でつっかえて、にっちもさっちもゆかないということになるだろう。

 抜刀の姿勢をとったマユラは鯉口を切り、一呼吸おいて抜きにかかった。鞘から流れでる白銀の光が大きく弧を描き空を薙いだ。その瞬間マユラの全身の細胞から霊的なエネルギーの燃えあがって、熱を持たない透明な炎がその体を包んだ。抜刀とともにブレイヴ体になることにも成功したのだ。

「先生できました」

 喜々とするマユラに、

「・・・・・・・」

 志摩はうなずくのみであった。

「刀を収めて普通体にもどってみ」

 ややあって志摩は命じた。

「慎重にな。抜刀のときよりも納刀のときがケガをしやすい」

師からの注意だったが、マユラし手元も見ずに刀を納め鐔を鳴らした。このわずかな間に刀が手の延長と化したかのような、手慣れて危なげのない動作で、刀が鞘に収まると同時に全身より燃え立つブレイヴも消えた。

「・・・・・・・」

 志摩は目を瞠りしばし無言だった。

「もう一度やってみよ」

 志摩は抜刀と納刀を繰り返させ、マユラは抜刀とともにブレイヴ体となり、納刀で普通体に戻る。

「次は刀を抜かずに、イメージだけで、ブレイヴ体になり、普通体に戻れ」

 マユラは刀を抜くイメージを意識しただけでブレイヴ体になり、鞘に納めると思っただけで普通体に戻れた。

「ものにしたようだな」

「刀が導いてくれたのです。良い刀ですね」

マユラは刀を腰からはずし、名残惜しいながらも師に返した。

「ミスリル一文字だ」

 志摩は刀を腰のホルスターに戻し、しばしマユラを見つめた。

 マユラは見事に抜刀をこなすとともに、ブレイヴを自在に扱えるようにもなった。刀は扱いに慣れるのに時間のかかる武器で、これを手足の延長のよう使えるには、才能のあるものでも半年はかかる。しかしマユラは一瞬にして、才能の有る者の半年分の領域にたどりついたのだ。しかも、木剣を持っていたときはまるでなってなかった構えが、抜刀とともにすっかり完成されている。短く切った何本ものロープが、一瞬で一本の長いロープになる手品を見たことがあるが、そんな感じで、抜刀を終えたマユラの構えは、さっきまで手足バラバラで隙だらけだったものが、まとまりを持った隙のないものになっていた。これは、筋がいいとか、上達が早いとかの域のものではない。見者という者がいると聞いたことがある。見ただけで技を、その表面的な動きだけでなく、要所、勘所まで習得してしまうという稀有の能力を備えた者だ。しかし見者も、単に見ただけですべての技を習得できるのではなく、その能力が発動するには、特定の条件が必要であると聞く。しかしその能力が発動すると、一瞬で神業を我が物とできるような、爆発的な上達を遂げるのだ。マユラも、それに近い資質を備えているのかもしれない。志摩はこれまでに一人だけ、そのような人物を知っていた。マユラがそうなら、二人目の逸材ということになるのだが。

「ブレイヴ体になれたら、次はストリームだ」

「足元に気流の流れるようなやつですね」

「武道系ファイターは、移動スタイルによって二つのタイプに分けられる。エアを履くスプリントタイプと、ストリームを駆るストリームタイプだ。スプリントタイプはエアと呼ばれるブレイヴの力場を靴を履くように形成する。動くときには歩いたり走ったりするのと同じで一歩一歩足を動かすが、その一歩ごとに生み出される力は普通体時の数倍、ときには十倍近くにもなり、超人的な機動力を発揮する。ストリームタイプは足元にストリームを形成して、これを駆って翔ける。ストリームの層の厚さ分二三十センチ浮上して空中を滑るように翔けるのだ」

「スピードはどちらのタイプが速いのですか」

「タイプによる差はあまりなく、個人差が現れる。ストリームにもスプリントにも、速い者もいれば遅いものもいる。速ければ強いというものでもないが、スピードは武器になる」

「ストリームとスプリント、どちらのタイプが優れているのですか」

「これも個人差だ。両タイプとも一長一短あり、どちらが優れているということはない。優劣はタイプではなく、個々の技量、センスによって決まる。ただ、普段の動きの感覚からそのままブレイヴ体に移行できる便利さから、スプリントタイプを取る者は多い」

「サムライはストリームタイプと決まっているのですか」

「いや、流派によってことなる」

「流派?」

 初めて聞く言葉だった。愛読していた冒険小説にも出ていなかった。

「サムライには流派というものがある。流派とは祖となる先達が、工夫勘案して築いた技の体系だ。私は獅波新陰流という流派の技を修めたものだ。したがっておまえも獅波新陰流を習得することになる」

「シバ・・・・シンカゲ流。なんか強そうですね」

「強そうではなくて強いのだ。おまえも私が戦うところをみただろう」

 志摩の咎めるような視線がマユラを射すくめた。

「習得するからには、流派については絶対の自信をもて。我が獅波新陰流は、およそ二百年まえに流祖獅波ユアン様によって打ち立てられたサムライ流派で、現在はアリゾナ州リブローの道場で、獅波ラムダ様が第十代当主を務めておられる。我が獅波新陰流はストリームタイプだが、殱刀示現流や竜王一刀流はスプリントタイプだ」

「その中で一番強いのが、シバシンカゲ流なのですね」

「我が獅波新陰流は優れた流派で、そこに自信と誇りはあるが、他の流派にも達人はいる。優れた流派を修めたからといって、強いサムライになれるわけではない。私について修業すればおまえは獅波新陰流の剣士となるが、おまえが誰かと戦って負けたとしても、おまえの弱さはおまえが至らなかっただけであり、獅波新陰流とは関係ないのだ。流派の精髄を極めるには、たぐいまれなる天才と厳しい精進が必要となり、私などでは到底そこまで至れぬ。しかし当代の御当主、獅波ラムダ様は、帝都の大宮殿で行われた御前試合で、十人の聖剣士を打ち負かし、皇帝陛下よりお誉めの言葉と黒鷲国綱の太刀を賜った大陸屈指の使い手であられる」

 志摩は誇らしげにいった。

「皇帝陛下って、アルスター帝国の」

 マユラのみならず一般庶民にとって、皇帝は雲の上の神にも等しい存在だった。

「ほかに皇帝陛下がおられるか」

「すごいや、先生も皇帝陛下にお会いしたの」

「俺などが陛下の御前に出られるわけなかろう。話はこれぐらいにして、ストリームの稽古ゆくぞ。まずは見よ」

 志摩はブレイヴ体になった。透明な炎のようなブレイヴの波動を全身より沸きたたせて足元には風がとぐろを巻くようにストリームがたゆたいもい志摩の体は三十センチぐらい浮いていた。陽炎のように沸き立つブレイウは、足元に形成するストリームを中心に密度が濃く、上にゆくにしたがって薄くなっているように見えた。

「こうして浮いたまま静止している状態を凪という。最初のうちは難しいだろうが、凪のときはなるべく体をプレさせず、大地を踏みしめているようにしっかり静止しなければならない」

浮上した志摩は、大地に立ってるかのように微動もない。

「そして翔ける」

 右足を少し前に出すと足元にたゆたっていたストリームが尾を伸ばし、まるで氷上を滑るように志摩は翔ぶ。右足を半歩弱前に出して姿勢は少し前傾、そのまま、足を動かすことなく三十センチの高さを疾走する。颯爽として大地を翔ぶ様は、さながら風の化身であるかのようだ。志摩は四五百メートル流して戻って来た。

「さあ、ブレイヴ体になってみろ」

 マユラは抜刀をイメージしてブレイヴ体になった。陽炎のようなブレイヴが体を包む。しかしそれはただ全身から沸き立つだけで、エアもストリームも形勢していない。機動力がまだ形になっていないのだ。

「以前激情に駆られて発動したような激しさはないが、それでも波動は強いほうだ。これでいい。ブレイヴは激しければ良いというものではない。燃費も考えねばならなんからなではストリームを作ってみよう。そのままじっとしていろ」

 志摩は身をかがめ、ブレイヴ体になった。しかしストリームは形勢されず、波動は上半身に濃密となる。両手でマユラの両足首を掴む。志摩のブレイヴに引き寄せられるようにマユラのブレイヴが足首のあたりで濃密となり、やがて体が浮いた。手を離した志摩は普通体となって立ちあがり、浮上する弟子を眺めた。

「ストリームが形成された」

「これ、だけですか」

なにか、特別な鍛錬を必要とするのかと思っていたが、師に足を握ってもらっただけ、簡単過ぎて拍子抜けのマユラだった

「そうだ、普通体に戻ってみよ」

 マユラは普通体に戻ってブレイヴを消した。

「ブレイヴ体になれ」

 ブレイヴ体になると、同時に体が浮上して足下にはストリームのたゆたっている。

「ブレイヴは意識や姿勢によって形や密度を変える融通性がある。私のブレイヴでおまえのブレイヴを下に引き寄せた。引き寄せられたブレイヴは私のブレイヴの波動を受けてストリームを形成したのだ。ブレイヴは柔らかい粘土のようなものだと思え。粘土を型に押し込むようにストリームタイプの波動を与えた。それでおまえのブレイヴはストリームタイプとなったのだ。これでおまえもストリームを使える。だが、使えるのと使いこなせるのとは別だ。稽古を積んで扱いに慣れるとともに、経験値を貯めてレベルアップして各種の能力値をあげることもしなければならない。まずはストリームで翔けてみよ」

「どうするのですか」

「右足を前に出すのだ。そんなに大股ではない、引いて、そう、控えめに一歩踏み出す感じだ。体が前に倒れ過ぎだ、上体を起こせ」

 志摩は指示を出してマユラの姿勢を矯め直す。

「初心の者は、つい深い前傾をとろうとするが、意識して深い前傾姿勢になる必要はない。自然に体が傾く程度でよい。ブレイヴは既におまえの手足と同じだ。手足を動かすように、これを流そうと思えば流れるが、まだ出るなよ。視線を遠くにやってスピードは出すな。そよ風に押される感じで流すのだ。よし、行け」

 マユラはストリームを流す。足元にたゆたっていたストリームは、マユラの意思に従って流れ、ボートを漕ぎだすように数十センチの空中を体は滑りだす。綱渡りでもしているように、身体を左右に振らせながらもゆっくり進んでゆく。ぎこちないストリームだが、新たな能力を得た喜びにマユラの胸は躍った。

 風の尾を引き、一筋の流れと化して翔ける。スピードを上げるにつれて身体のプレはおさまり、身体の傾きでカーブを切ることは自然に悟った。新たな能力を獲得することは、人にとって最上の喜びの一つであるが、殊にマユラのような少年がストリームのような能力を得たら、夢中になるあまりつい自制が効かなくなるのは無理なからぬところだ。最初こそ、漕ぎだすようにゆっくりとストリームを流したマユラだったが、気づかぬうちにスピードはあがり、いつしか馬の駆けるほどの速度になっていた。そして、前をみることのおろそかになっていたマユラの目の前に大樹があった。避けようとしたが、得たばかりの能力でとっさの対応ができない。ぶつかると思った瞬間、横から強いちからではじきとばされて、大樹に激突するのをまぬがれた。

 地面に転がって、顔をあげると志摩の姿があった。

「ブレイヴ体になれば、そこに生まれる力は肉体の能力の十数倍。まかり間違えばじぶんの身体を砕きかねないこと、肝に銘じておけ」

 叱責を浴びて、マユラは立ちあがった。志摩に弾かれて転がったとき、ブレイヴは意識せぬうちに消えていて、うつむき加減にしおれた様子をみせていたが、わんぱくな表情はあいかわらずで、内心どれだけ懲りているのやら。

「兄貴、隊長殿がお呼びだ」

 ダオが呼びに来た。

「わかった、すぐにゆく」

 志摩は応えて、

「今日の稽古はこれまでとする。またストリームで翔けるつもりなら、無茶をしても次は助けてくれる者はおらぬぞ」

 マユラに言い置き、歩き去っていった。

 一人になったマユラは、さっそくブレイヴ体となった。ストリームを噴かせて翔ける。新たに手に入れた能力に夢中の少年は、少しばかり危ない目に遭ったり、お小言を喰らったぐらいでおとなしくなるものではない。ストリームを流して翔ければ風の精になったようで、中空を滑空する感じがおもしろく、スピードが心地よかった。もっとも今回は、さすがにスピードは控えめにした。そのかわり木刀を振り回す。マユラはストリームで翔けながら、ヴァルカンやヴァルムの姿を思い描き、木刀を振る。これはこれで危なっかしかったが、あたりに人の姿はなくマユラは気にしたものではない。空想の悪者退治に夢中になっていたマユラの目に人影の飛び込んできた。いや、向うが飛び込んできたのではなく、単にマユラが気づくのに遅れただけだが、またしてもの事態に、マユラは身体を横に傾けて急回避する。強い接触はなかったが、相手は驚きの声をあげて倒れ、手に持った籠からリンゴがこぼれ、その一瞬、マユラは花の風に流れるかのような印象を覚えた。マユラも、身体を横に傾け過ぎたために倒れ、すぐさま起き上がった。普通体となって相手のもとへ走る。

「大丈夫」

横たわる華奢な身体に手を差し伸べたマユラは、海のごとき紺碧に撃たれた。同じ年頃の少女だった。海のように明るく澄んだブルーの瞳に見上げられ、マユラは何かに撃たれたかのように、一瞬、身をすくめたのである。少女はそんなマユラの手をとって立ちあがった。自分で手を差し伸べておいて、少女に手を握られた瞬間、マユラはまったく意外なことのようにまごついてしまった。

「ごめん、どこかケガしてない」

「どこもケガしてないわ」

「まったく、オイラってなんて馬鹿なんだ。さっき注意されたばかりなのに、調子にのって、今度は人にケガをさせそうになるだなんて、本当に大馬鹿だ」

「そんなに自分を責めないで、わたしなら、どこもケガしてないから」

 少女はマユラを気遣うようにいうと、籠を手にして、あたりに転がったリンゴを拾いはじめた。マユラも落ちたリンゴを拾うと、服でこすって少女の籠に戻した。

「ありがとう」

「ボクのせいだもの、当然だよ」

 二人してすべてのリンゴを拾い集めた。

「どうぞ」

 少女がリンゴを一つくれた。

「いいの」

「うん」

 マユラはさっそくに服でこすって、テカテカした赤い果実に食らいつく。薄い皮の下の白い実のパリッと割れて、口の中に酸味と甘みが広がる。

「うまい」

「でしょ」

 少女も一つ、リンゴを手にとって食べた。ハンカチで拭いて、マユラのようにゴシゴシこするようなことはしない。

「見かけない顔ね」

 少女はリンゴを食べながら聞いた。

「昨日から砦に泊まってるんだ。傭兵チームのものさ」

「そういえば、噂になっているわ。旅の傭兵がグルザムの手下どもを退治したって」

「ウチのチームの手柄さ」

「あなたも戦うの」

 自分と同じ年頃の少年が、血なまぐさい戦いに身を投じるのかと思い、少女は眉をひそめた。

「ボクはまだ戦えないよ。剣も持たせてもらえない見習いだもん。マユラっていうんだ」

「アリスよ」

 アリスは青い瞳の本当にきれいな女の子だった。瞳だけでなく、やや面長の顔立ち端正に、頬にちょっとソバカスがあるけど雪のように白い肌。ブロンドの髪はさらりと、シルクのしなやかで肩まで流れ、第一印象なんてきれいな女の子だと思ったマユラだったが、改めて見てもその認識は崩れなかった。

「家は近く」

 アリスはまぶしいぐらいの美少女だったが、着ているものは木綿のブラウスにスカート、、町に出れば見劣りするような身なりで、このへんの村の子かと思った。

「うん。ウチは農家しているの。今日はリンゴジャムを作るために、リンゴの木のある家にリンゴをわけてもらいにいった、その帰りよ」

「食べてよかったの」

「いいわよ。まだこんなにあるもん」

 籠には十個ちかくのリンゴがあった。

「マユラは、家族の人といっしょに旅しているの」

「チームに家族なんていないよ。みんなあかの他人さ」

「それじゃあ、ご両親は心配しているんじゃないの」

「 両親はいないよ。父さんと母さんは殺されたんだ。ヴァルカンやヴァルムの悪党どもにね」

「まあ・・・・・」

 アリスは眉をひそめた。

「ごめんなさい。辛いことを思い出させたわね」

「いいさ。どうせ忘れることなんてないからね」

「この地域でも、グルザム一味の恐ろしい噂を聞くわ。このへんは砦が近くにあるからずいぶん心丈夫だけれど、でも、ときどき人がいなくなることがあるのよ」

「悪い奴らにさらわれたの」

「わからないわ。家出したんだっていう人もいるけど、そんなことしそうにない人まで急にいなくなったりして、なんだか気味が悪いの。おまけに、グルザム一味のような悪者どもが好き勝手に暴れていたりするもんだから、落ち着いて暮せる気分じゃないわ。だけど先祖の代からこの土地に暮していて、他に行くところもないのよ」

「そんな心配ももうじき終わるさ。ウチのチームはボクの師匠の志摩先生をはじめとして腕利きぞろいだぜ。悪者どもを残らず片付けてくれるさ」

「そうなったらいいけど」

「きっとそうなるさ。ボクも修業して強いサムライになるんだ。そして、父さんと母さんの仇を討つんだ」

「勇敢ね。私には無理だわ」

「そんなの、やってみなけりゃわからないさ。ウチのチームにも、女だけど凄い使い手がいるぜ」

「やること自体が論外よ。誰かに剣を向けたり、斬り合ったりすると考えるだけでゾッとするわ」

「それじゃあ強い人と結婚して、キミは優しいママになればいいさ」

 エレナはマユラと同い年ぐらい。身なりは質素だが、顔立ちや姿は愛読していた冒険小説の挿絵のヒロインを彷彿とさせ、アナハイムにも、こんな美少女はいないだろうとマユラは思った。

私にはたとえ男に生れてたとしても、戦いなんてできそうにないわ。人に向けて剣をふるうなんて、考えただけでぞっとするもの」

「それじゃあ強い人と結婚して、キミは優しいママになれよ」

「そうね、でも私、先生の奥さんになるのが夢なの」

「なんでだよ!」

「勉強が好きなの。本当は先生になりたいけれど、ウチじゃ上の学校になんて通えないもの。だからせめて、先生の奥さんになれたらいいなって思っているの」

「勉強が好きだなんておかしいよ」

 マユラはまるで、勉強そのものが恋敵であるかのようにいった。

「そうかしら」

「そうだよ。ぼくたちの年頃のもんは教科書なんかより、チャンバラの棒や虫取り網や、釣竿や石けり遊びの石や、サッカーボールやマンガやラノベと友達になるべきなんだ」

「チャンバラなんて男の子の遊びでしょ。虫取りは虫が苦手だし、釣りはときどきお父さんにつきあうことがあるけど、石けりなんてもっと下の子のする遊びよ。サッカーは女の子入れてくれないし、本を読むのは好きだけど、くだらないマンガやラノベより、勉強の本のほうがためになるしおもしろいわ」

 勉強嫌いの持論をことごとく論破されたマユラは、これならどうだとブレイヴ体になった。透明な炎のようなブレイヴの波動を沸きたたせて二十センチも浮かんだ身体を、宙に凪いで胸を張る。

「まあ・・・・・・」

 急に浮かんだマユラに、アリスは目を瞠った。

「いま、僕の足の下にはストリームという風の力が、蛇がとぐろを巻くように待機しているんだ。こいつを流したら、馬よりも速く翔けられるんだぜ。ガリ勉野郎にゃマネのできない芸当さ。見てな」

 ストリームで翔けだそうとしたマユラだったが、次の瞬間ブレイヴは消えうせ、ストリームに乗って浮いていた足は地面を踏んだ。

「それだけ」

「ガス欠」

 ブレイヴの元となるバイオクァンタムを使いきって、必然的に普通体に戻ることをガス欠という。バイオクァンタムはガスではなく一種霊的なエナジーなのだが、この言葉は遥か昔、人類の祖が源地球にいた頃の、なにがしかの記憶に由来しているという説がある。

「しばらくしたら、またブレイヴ体になれるけど」

「そう、わたし仕事があるから行くね」

 立ち去るアリスを、致し方なしとマユラは見送った。

「いいところみせようとして、ガス欠とはおまえらしいぜ」

 頭上から声が降ってきて、見上げるとウィルだった。フェアリーは透明な羽をキラキラさせながら、マユラの顔のあたりにまで降りてきた。

「いつからいたの」

「おまえがあの子にぶつかりそうになったあたりからさ。調子こいて翔けてたから危ないと思ってたら、あんのじょうだった」

「次から気をつけるよ」

「そうしろよ。もしあの子にケガさせていたら、おまえも頭にコブの二つ三つこさえることになっていただろうからな」

 ウィルの忠告も上の空に、マユラはマリアの去っていった方角をみていた。

「きれいな子だったな」

「アリスっていうんだ」

「だけどあの子は、おまえとは合わないぜ」

 ウィルはマユラの肩に降りて羽を休めつついった。

「なんでだよ」

「賢いし、勉強が好きだなんて、趣味の嗜好もおまえと正反対だろ」

「次はもっとカッコイイとこ見せて、勉強よりも好きにさせるさ」

「おまえな、強いサムライになるんだろ。これから修業は大変なんだぜ、女の子のことなんか考えている余裕ないぞ」

「わかっているよ」

「それに、いつまでもここにいるわけじゃないんだ。仕事が終わればアナハイムに帰るのだし、親しくなれば別れがつらくなるだけさ」

「それはそうだけど、一つ聞いていい」

「なんだよ」

「アナハイムにあるシリウスの砦ってところには、かわいい子いる?」

「ったく、さっき、女の子のことなんか考えている場合かって、いったばかり・・・・」

 ウィルはなにかに思い当たった様子で、人の悪い笑みを浮かべた。

「シリウスにもかわいい子はいるけどよ、おまえはその中でもとびっきりの美人と、お近づきになれるぜ」

「どうしてさ」

「そいつは、向うに着いてからのお楽しみだ。それより志摩が呼んでいるぜ」

「先生が」

「町へ出かけるから、おまえも連れて行ってくれるとさ」

「やった」

マユラは喜び勇んで走りだした。

「ガス欠でなけりゃ、ストリームで翔けているのにな」

ウィルはマユラの肩に腰かけている。

「ガス欠でなくても、ストリームは使わないよ」

「・・・・・・・」

「ブレイヴはファイターの命綱だから、いたずらな消費は控える。それが常在戦場の傭兵の心がけってもんさ」

「いっちょう前の口をききやがる」

 ウィルの言葉に、ふふんとマユラは余裕の笑みでやりすごす。ストリームの能力を得て心躍るうちに、アリスのような美少女とも出会えた。風を得て花めぐる、前途にそんな、明るい彩りを感じていたマユラだったが、武の道を彩るは鮮血の紅と思い知るのに、さほどの時は要さないのであった。

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