第4話 傭兵対凶賊。グラビナ街道の戦い。
暗黒時代以前の歴史を伝える、最古のものとされている史書。その内容は史実とも神話ともつかぬものだが、そこにはユーシア大陸の名の由来について、源地球のユーラシア大陸に形が似ていることによると記されている。源地球は人類発祥の星とされている。この世界には、人類の祖先は遥かなる昔に、源地球より光の船に乗り、星の海を渡ってやってきたという伝承がある。また史書には、ユーシア大陸の面積は北米大陸に等しいともある。しかしこの世界のどこにも光の船などはなく、それを造る技術も存在しない。源地球などという星が本当にあるのか知る者もなく、ユーラシアや北米などは、夢よりも遥かな、おとぎの世界の地名なのである。
史書の記すところ、遥かな昔、先祖の人々は光の船に乗って源地球を飛び立った。その年、源地球の暦である西暦で、五千三百六十年であったという。二万光年の星の海を越えて、人々はこの世界に降り立った。やがて大地にクリスタルの都市を築き、黄金の千年紀と呼ばれる大繁栄時代の到来となった。それは実に華やかで、幸福に満ちた時代であったという。
人々はクリスタルの摩天楼に住み、飢えや病気に苦しめられることもなく、寒さや暑さに悩まされもせず、身分の上下に関係なく誰もが人生を享楽できる、まるで天国の地上に現れたような世界だった。光の船に乗って星の海を気ままに翔け、美食を楽しみ、スポーツや趣味に心行くまでうち興じる。身分や貧富に関係なく、すべての人々が天界人のように優雅に快適に暮していた世界。だが、黄金期は突如終焉を迎えた。天空の大崩壊と呼ばれる、今ではなにが起きたのかさえわからぬ大災厄によって、クリスタルの都市は壊滅し、地上の天国は消滅した。代わりに来たったのは暗黒の時代。一切の物が失われた地上で、人々は魔物に怯え、飢えに苦しみ、自然の寒暑、雨や雪にも悩まされ病気に苦しめられ、黄金期に無縁だったありとあらゆる生きるうえでの苦痛を浴びて、地獄の亡者のように苦しみの底にあえいで生きた。長い暗黒期の後、ふたたび人類は文明の火を灯した。いくつもの国々の起こる群雄割拠の戦国の後、アルスター帝国が建国された。その年をユーシア歴元年として、今は九百九十年。建国の聖帝セイン・アルスターにより人倫の帝国の宣言がなされてより千年になろうとするが、いまだ世界にはヴァルムヘルの魔の影の濃き、そのような時代であった。
ユーシア大陸がユーラシアに似ているといっても、それは幼児がユーラシアの地図をみながらクレヨンを走らせた程度のものだ。その小ぶりでいびつなユーラシアの西アジアに相応するあたりを東西に伸びているのがグラビナ街道だ。
群青の空を白い雲が、気ままなものの象徴のようにのんびりと漂う。マユラは小さい体にリュックを背負って歩きながら、のんきそうに流れる雲を羨ましげに仰いだ。志摩ハワード率いる傭兵チームと旅をして五日。グラビナ街道はサルマンド州に入り、遥かな北にはインティ山脈の峰々がノコギリのように険しい稜線を連ねていた。
まだ十時をまわったあたりで、朝メシから三時間ぐらいしか経っていないが、マユラはもう腹ペコでへとへとだった。なにせ生まれ育った町で暮していたときには旅なんてしたことなく、遠出といったら日帰りの遠足ぐらいだ。それが傭兵たちと町を出てこの五日というもの日中は歩き通しで、まったく、冒険小説でおなじみの旅というやつが、こんなにしんどくて腹の減るものだとは思わなかった。だがカムラン、あの七十は超えていそうな魔道師のじいさんでさえ皆と同じペースで歩いているのだ。ここは歯をくいしばってついてゆくしかない。
「オイ、しっかり歩けよ。遅れると、またサブリナに文句言われるぜ」
耳元で声がした。フェアリーのウィルだ。その彼はマユラの肩に腰かけていて、気になるほどの目方ではないが、楽ちんそうにしているのがなんとも羨ましい。
「まったく、そんなのでよく傭兵になるなんて言えたな」
「こんなに歩いたことなんてなかったから、そのうち慣れるさ。でも、アッシュがいってたとおり、冒険て難儀なものだね」
「アッシュって」
「幼馴染。親父さんはヴィシュヌに殺されたんだ。アイツは無事だといいけど」
「友達を失くすのは辛いね。だけどシリウスにはキミと同じ年頃の子どもたちがたくさんいる。きっと新しい友達が出来るよ」
「シリウスってどんなところ」
アナハイムの郊外にある貴族の館だったのを、団長、シリウスの一番偉い人なんだけど、団長が買い取ったんだ。古いけどしゃんとした建物で、館だけど砦みたいな雰囲気があって、みんなは砦って呼んでいる。キミたちの寝起きする寮や、体育館に運動場、学校だってあるんだぜ」
「素敵なところみたいだね。学校はなくていいけどさ」
つい本音がもれる。
「最初に見たときから分かってたよ」
肩のあたりからの見透かした視線に、
「いっとくけどボクは勉強が出来ないんじゃないんだぜ。やらないだけで、アンタはやれば出来る子っていうのが、おふくろの口癖だったんだ」
「シリウスにいる出来の悪い連中も、親からはそんなふうにいわれてたってさ。だけどシリウスじゃ、勉強は二の次ってわけにはゆかないからね。そっちも頑張ることだね」
「強くなるのに、勉強なんて関係ないじゃん」
「団長はキミたちを戦うことしか知らない、闘犬みたいな人間にしたくないのさ。身に付けた力を、正しく使える人間になってほしいのさ」
「それって、正義の味方になれってことでしょ。そんなの、ヴァルカンやヴァルムや悪い人間をやっつけて、弱い人々、善良な人々を助ければいいのだから、勉強なんかしなくてもなれるよ」
「正義の味方ね。そんなもん気取って渡ってゆけるほど、世の中は甘くもなければ単純でもない。いずれキミにもわかるよ」
フェアリーは、メルヘンな見かけとは裏腹の、世間ずれしたことをいった。
「アナハイムってどんなとこ」
「大きな都市だ」
「ボクらの町の何十倍」
マユラはこれまでの道中で、街道沿いの町をいくつも見てきた。中にはマユラの生まれ育った町の何倍もある、マユラには都会と思えるような町もあったが、実際には、どれも田舎町に過ぎなかった。
「キミらの町じゃ比較の対象にならないよ」
「そんなに大きいの」
「大きさだけじゃない。洗練されていて華やかで、キミが見たこともないいろいろなものがある。その目で見る日を楽しみにしてるんだね」
ウィルの言葉にマユラの胸は、大都会アナハイムへの興味にワクワクした。
「アナハイムまで、あとどれぐらいかかるの」
「サルマンドに入っているから、すんなりゆけば二十日ぐらいかな」
「ボクはまだ使えないけど、みんなはブレイヴ体になって、風みたいに速く走れるんでしょ。それを使えばもっと早く着くんじゃないの」
「一日中ブレイヴ体でいられるわけじゃないんだぜ」
後ろから声がした。ファズだった。戦闘能力の一番低い者を最後尾にしないのは、傭兵や軍の部隊など、戦闘集団の移動の常識だ。
「レベルによって長短はあるが、ブレイヴ体になっていられる時間には限りがあるんだ。もし戦闘中にガス欠になったら、ガス欠ていうのは、ブレイヴエナジーが尽きて、強制的に普通体に戻ることだが、戦闘のさなかにガス欠になったら致命的だぜ。だからブレイヴファイターは、単なる移動でのブレイヴの使用は控えるのさ。この商売をやってたら、いつどこで戦闘に巻き込まれるか、わかったもんじゃないからな」
「つまり、ブレイヴは無駄遣いできないんだね」
「そうだ。それにブレイヴ使いであっても、足腰はファイターの基本だ。いつまでもチンタラ歩いてんじゃない」
「それで、まっすぐアナハイムに帰るの」
「仕事次第だ」
「仕事」
「僕たちは、遊びで旅しているわけじゃないんだよ」
ウィルが説明した。
「傭兵は依頼があれば大陸の果てだってゆく。今回も依頼を受けての遠征だったけど、本件、つまり本来の依頼の仕事は残念ながら上首尾とはいかなかった。メンバーに被害こそ出なかったものの報酬はかなりの減額となった。このまま帰れば赤字だから、ギルドのネットでいくつか別件の仕事を拾ったけど、どれも小遣い稼ぎにしかならない小さな仕事で、たいした儲けになっていない。だから途中で仕事が入れば、ツアーの締めくくりにひと稼ぎすることになるかもしれない」
「仲間の手前もある。このまま赤字で帰りたくない。どこかで大きなヤマに当たればいいんだが」
ファズは漠然とした望みを口にした。
小説に出てくる傭兵は胡散臭くダークなイメージだったが、自分がその仲間となって、マユラはこれにもヒロイックなイメージを重ねた。しかしいまのような所帯じみた話しを聞くと、ヒロイックのメッキもいささか剥がれるというものだ。
「なにかあったのかな」
ウィルが飛び立って、前方を見る。確かに往来の滞って、先のほうでざわめきが起こった様子だ。やがて人波のこちらに返してきて、ファズが息を切らしながら駆けてきた男を捕まえた。
「なにがあった」
「グルザム一味だ」
「グルザム」
「このあたりでは知らぬもののない凶賊だ。運の悪い連中が捕まったが、ああなったもうおしまいだる。くわばらくわばら」
男はファズの手を払いのけて走っていった。
マユラは戦慄と興奮に身を震わせた。またあんな酷いことが行われようとしている。そう思うといてもたってもいられず、こちらに返してくる人の流れに逆らって走り出そうとした。
「落ちつけよ」
ファズに肩を掴まれた。
「おまえがいったって、どうなるものでもない」
「でも・・・・」
「気持ちはわかるが落ち着け。冷静でいられるかどうかが運命の分かれ道になるんだ」
「それに、こういうときには、リーダーの指示に従わなければならない。勝手な行動は許されないんだ」
ウィルが戻ってきていった。
「さういうこと、リーダーたちと合流するぜ」
先を歩いていた志摩たちは、異変を感知するや走り出していて、仲間たちからずっと遅れていたマユラたちは、三四百メートル先で合流できた。。ほとんどの人は逃げていたが、怖いものみたさか、ぽつぽつと人影はあり、街道を外れ、草むらに身を隠すようにして、凶賊どもの血なまぐさい所業を見物しようとしている。彼らの数百メートル先で、それは行われていた。志摩たちが来たときには既に街道は地に染まり、いくつもの死体が転がっていた。凶賊どもがあたりに陣取り、抜き身をひけらかしたる不埒な一団のもとに、数十人の人々がとらえられていた。
「俺たちは年貢を取りに来たのだ」
蛮刀を肩にかついだ痩せぎすの男が、遠巻きに見守る人々に知らしめるように、大音声で言い放った。
「サルマンドの、このナタール郡一帯はグルザム様の縄張りだ。年貢を納めるのは当然なのに、百姓町人に貴族どもまで知らん顔を決め込んでやがる。だから、こっちからこうして取りに来てやったのだ」
「待ってくれ」
捕らえられていた男が声をあげた。
「俺は旅の者だ。たまたま通りがかっただけなんだ」
「それがどうした」
痩せた男は、縛られ、ひざまづかされている男を見下す。肩に担いだ蛮刀がギラリと陽に光って、囚われの男をゾクリとさせた。
「おまえたちは麦と同じよ。畑に植えたものであれ、たまたま生えたものであれ、こちらの領分あったものはいただく。それだけだ」
「そんな」
「しのごのうるせぇ」
蛮刀が振り下ろされ、捕らえられていた男の首がとんだ。どくどくと、頭を失った首から血を流す死体を蹴り倒し、痩せた男は、残虐な所業を誇るかのように辺りを見回す。捕らえられた人々は恐怖に震え、悪党どもからは、下卑た笑いが起こった。
「あの野郎」
マユラは怒りに満ちた目で、痩せぎすの男を睨んだ。だが志摩が見ていたのはそいつではない。悪党の群れに一人、リザードマンがいた。おそらくほかの連中は多くがヴァルカンだろう。マユラの町を襲った連中がそうだったように、ヴァルカンとヴァルムが共闘するのはよくあることだ。なにせヴァルカンはヴァルムヘルの邪神に帰依する者だが、その邪神こそは、ヴァルムどもの大ボスなのだから。ヴァルムはそのリザードマンだけだったが、こいつこそが、この凶賊の群れのリーダーだと直感した。
「あのトカゲ野郎がリーダーだな」
「ふむ、使いそうだ」
「ざっと三十ばかり。レベルも低くはなさそうだが、やるか?」
「やるぜ」
バルドスがすぐさま答えた。
「どうにかできない相手じゃなし、ここで尻尾を巻いたら、後の武運にケチがつくというものだ」
「そうだな。ほかに意見のある者は」
「リーダーとサブがやるっていうのに、尻ごみできるかよ」
ファズが応え、ダオも同意の表情だ。
「悪党撫で斬りパラダイス。逃す手はないでしょ」
サブリナは楽しそうだ。
「他には。仕事じゃないから戦わなくても構わない。尻込みしたい者は遠慮なくいってくれ。こちらも計算から外す」
「俺はやめとくぜ。仕事じゃないし、余計な修羅場は踏みたくない」
グレッグだった。
「わざわざいわなくても、はじめからアンタは計算に入れてやしないわよ」
サブリナだった。
ずいぶんな言い様にマユラには思えたが、グレッグは言い返すでもなく、サブリナと目も合わせない。なんだか意気地がないとマユラも思った。
「他は全員やっていうんだな。マユラおまえはおとなしくしてろ。下手に動かれると足手まといになる」
忸怩たる思いのマユラだったが、戦う力がない以上、足手まといにならないようにするしか貢献できることはないと、あのときアッシュに教えられたのだ。
「そして俺たちになにかあったら、こちらには構わず、すぐに逃げろ」
「そんな」
「逃げるのも修業のうちだ」
志摩は、それからカムランに顔を向けた。
「雷を頼むぜ。弱いのでいい。被ったら厄介だからな」
「なるべく、味方には被せないようにするが。乱戦となると動きが速いでのう」
そこは、保障しかねる面持ちのカムランだった。
「それじゃ、挨拶してくるぜ」
志摩は凶賊の群れへと歩きだした。
痩せぎすの男は、血に酔ったかのように、目をギラギラさせて捕らえた人々の前をうろうろと歩いた。
「次はどいつを殺す。いや、女はだめだ。こいつらはいろいろと使い道がある」
男のゲスな視線に女たちは、身をすくませた。
「おっ、こいつはやけに年増じゃないか」
男は四五十代の女の髪の毛を掴んで、悲鳴をあげるのもかまわず引きずり出した。
「グロルの兄貴、ババアだが脳みそいかがです」
「こんなところでいつまでもぐずぐずしてたら、砦の兵士や郷士どもの駆けつけて来ないとも限らぬぞ」
リザードマンは、青黒い鱗におおわれ、口の大きく裂けたトカゲ顔ながら、意外に分別ぶったことを言う。
「そのときは、この前みたいに返り討ちにしてやればいいんですよ。正義感ぶってしゃしゃりでてきたあのおっさんも、兄貴に耳の穴からその舌を突っ込まれて、脳みそを食われちまったけどよ」
人外のヴァルムなどを兄貴などと呼び、身の毛もよだつような話しに笑い興じるこの連中は、人としてのなにかを、失くしてしまったもののようだ。
「さあ、遠慮はいりませんぜ」
男は猟師が仕留めた山鳥でも掴むみたいに、女の髪の毛を掴んでトカゲ男にすすめた。
「お助け、おたすけを」
哀願する女を、男はおもしろそうに見下し、トカゲ男を中心に群れ集う男たちのげらげら笑う外道どものさんざめきが、ふと止んだ。こちらに来る一人の男に視線が集まる。
「兄貴に脳みそを進呈したい酔狂な野郎が、また現れやがったが」
男はほくそ笑む。
志摩は悠然と歩いて、血に酔うかのような一団の前にたち、注がれる敵意のこもった視線をものともせぬ。
「婦女子への乱暴など、男のすることではない。放してやれよ」
「なんだ、てめぇは」
「通りがかりの者だ。見るに見かねて出てきた」
志摩はポケットからタバコを出して一本くわえた。マッチを、男の服で擦って火をつけた。
「なっ」
目を剥く男をよそにタバコに火をつけ、ふーっと煙を顔に吹きかける。
「どうやら死にたいようだな。それも八つ裂きされるのが望みのようだ」
「そんなことはいっちゃいない。オバさんを放せっていってるだろうが」
「キト、そいつは使うぞ」
リザードマン、グロルが警告した。
「わかってますよ。そりゃあ多少の自信もなけりゃ、俺たちの前に一人でのこのこ出てくるような酔狂もしないでしょうがね」
志摩の背後、二人の男が動きはじめていた。剣を手に間合いを詰め、背後から斬りかかるときを計っている。
「人間がしくじりをやらかす、最大の原因はなにかわかるか」
男は薄笑いをうかべながら志摩に問う。
「・・・・・・」
「自信過剰さ。井の中の蛙が海に出てサメに挑むみたいに、少しぐらい使えるからといって、天下の豪傑みたいにふるまったら、そりゃあ、命を落とすってもんだろうが」
「同感だ」
志摩の背後、二人の男たちがブレイヴ体となって跳んだ。五六メートルの距離を跳んで、二人の剣が志摩の背後を襲うのに一秒もかからなかった。それと同瞬、男はゴオッと風鳴りを耳にし、志摩の姿が霞んだ。顔に生温かいものを浴びて、見れば二人の男が倒れていた。志摩を背後から襲った男たちが既にこと切れていて、一瞬にして二人を屠った男がブレイヴをまとい、その体は二三十センチ浮いていた。
「凄い、瞬く間に二人を倒した」
マユラは目を瞠った。
「あれぐらい、志摩にしたらどおってことないさ」
ウィルは今は戦時なので、なにかあればすぐ飛んで行けるよう、マユラの横に羽ばたいていた。
「でも、浮いているよ」
「ストリームタイプだ。知らないのかよ」
「ストリームタイプ」
マユラの初めて聞く言葉だった。
「ブレイヴファイターには二つのタイプがある。エアを履いて跳ぶのをスプリントタイプ。ああいうふうに、二三十センチ浮いて、足元に形成した気流に乗って戦うのをストリームタイプというのさ」
「ストリームタイプ・・・・・」
マユラは胸に刻みつけるように、その言葉をつぶやいた。
志摩はブレイヴ体となり、足元に形成した気流に乗って二三十センチ浮いたまま、静止している。この状態を凪という。
「自信過剰が身を滅ぼすもととは、分かっているじゃないか。ヴァルカンのクソ虫野郎が、街道で白昼堂々悪事を働くとは、身の程知らずもはなはだしいというものだ」
志摩は冷徹のまなざしを男に送った。
「さあ、オバさんを放せよ」
「やかましい」
キトと呼ばれたヴァルカンは、ブレイヴ体となって志摩に斬りかかろうとする。
「めんどくせぇ」
志摩は一刀でキトの首を刎ねた。
ひいいっ、オバさんは震えながら死体の手を逃れ、そのまま走り出した。
ヴァルカンどもが動いた。そのなかから鉄砲玉のように飛び出した影が、一瞬にして百メートル余を走り、オバさんを捕らえた。
「あっ」
離れた標的を狙っての一瞬のことで、志摩にも阻止することができなかった。
リザードマンはオバさんを捕らえ、志摩ににんまりと、気味の悪い笑顔を見せる。
「てめえ」
「友達が最後に勧めてくれた獲物だ、ゴチになるぜ」
「させるか」
ストリームを飛ばそうとした志摩だったが、横から斬りつけてきた敵に、ストリームを駆る身の鮮やかに翻ってこれを斬り捨て、向きなおったとき、リザードマンはオバさんの頭に横からかぶりつき、耳の穴から触手のような舌を刺し込んだ。苦痛に身をもがき、悲鳴をあげるオバさんだったが、ズズズズッとなにかを啜りあげるような音とともに動きは止まった。表情はうつろとなり、右目がボコッと引っ込み、真っ黒な眼窩から、にゅるっと赤い舌が出てきた。
志摩は顔をしかめるでもない。傭兵なんて稼業を長くやっていれば、こんな光景も初めてではなく、もっと惨たらしいものも目にしてきている。
リザードマンはオバさんの頭から舌を引きぬいた。
「受けたかい」
リザードマンは、口のまわりの血を赤い舌でなめる。
「目玉なんてまずくて食わないが、キトの野郎には大受けだった。気のいい奴だったけどな」
リザードマンは子供が人形をもてあそぶみたいに、首を掴んだオバさんの死体を片手でブラブラさせた。
「てめぇもすぐに送ってやる。そのゲス野郎にゃ、地獄への道中で追いつけるさ」
志摩に刎ねられたキトの首は、胴を離れて石みたいに転がっていた。その顔にはヴァルカンの証である邪紋が、くっきりと表れていた。
リザードマン、グロルはオバさんの死体を捨てた。舌を突っ込まれた耳がどす黒い穴ぼこになっていた。
「こいつはただの前菜だ。今日のメインはきさまの脳みそだぜ」
「俺にはトカゲを食うなんてゲテモノ趣味はないが、トカゲのさばき方なら、ずいぶんと手慣れているぜ」
「・・・・・・・・」
グロルは剣を抜いた。長さのわりに幅のあるブロードソードだ。青みがかった刃紋がぎらぎらして、毒でも塗っているのかもしれない。そして、駆けた。百メートルを五六秒で駆け抜けるようなスピードだった。ヴァルムはブレイヴ体にはなれないが、素の身体能力がブレイヴ体に匹敵するのだ。
志摩は凪いだままグロルを迎え撃ち、ガキッ、刀と剣が噛み合った。見た目気味悪いが、それほど力はありそうにないリザードマンでも、その腕力は人の規格を超えていて、生身の人間ではなかなか受け切れるものではない。しかしブレイヴは、単に機動力を与えるだけでなく、力場となって衝撃を支えてくれもする。レベルが上がれば、百人力のトロールの棍棒でも受け止められるのだ。
グロルの剣を止め、すぐさま志摩は切り返す。素早い意志摩の太刀行きを、グロルはなんとか防いだ。人と比べるとずいぶん長い手足を活かし、遠い間合いから切りつける変幻の剣術だった。それを志摩はものともしない。疾風と化した身の迅速自在に翔けてグロルに迫る。
「あのトカゲ野郎」
離れた場所から見ていたマユラは、無残に食われた女性に、肩腕だけのなきがらとなった母の最期を重ねて憤った。
「ヴァルムは、種類によって好みとする部位が違うらしい。ゴブリンやオウガなどは手足や内臓を好み、デビル系は心臓が好物。そして蛇やトカゲの系統は脳みそがごちそうらしい」
絵本から抜け出たようなメルヘンチックなフェアリーだが、傭兵なんかとの付き合いも長いと、胸の悪くなるようなグロい話も平気で口にする。
「あのトカゲ、バラバラにしてやれって」
「奴はけっこう使うぜ」
「リザードマンてザコじゃないの」
マユラの読んでいた冒険小説では、リザードマンは切られ役のザコ敵として登場する。
「人間に、キミや志摩がいるみたいに、リザードマンにも強いのもいれば弱いのもいる。それにリザードマン系は武術に長けていて、レベルの低いのでも、ゴブリンなんかよりはずっと手ごわいのだぜ。まあ、あの程度のリザードマンなら志摩には全然問題ないけどね。ただ、リザードマンは、レベルが上がると系統進化して、ザウルスという上位種になる。聖剣士ウィン・ロマリオを倒したザムジグは金色のザウルスだったんだぜ」
「あいつはザウルスなの」
「リザードマンさ。毛がないからね」
「毛?」
リザードマンは、力まかせではない、ちゃんと剣理をふまえた剣術を使った。トラキア流剣術の流れを汲むもののように志摩には見えた。派手な動きから繰り出すトリッキーな技が特徴だが、これがリザードマンとは相性が良さそうだ。疲れを知らぬヴァルムの体力で派手に動き回り、長い手足は惑わすような動きを作りだすのに適している。剣術そのもののレベルは中の下でも、手ごわさは2ランク以上アップしている。それに強烈な打ち込みで、並みの使い手ならたじたじとなるところだ。しかし志摩は、リザードマングロルの剣を受け払っても、寸毫だに揺らがない。格段に優れた刀術とブレイヴが一体となりグロルの剣を鉄壁と跳ね返し、ストリームを駆ったその身はさながら飛燕の如く中空を翔ける。
電撃の矢が凶賊どもの上に降った。魔道師カムランの術で、とても一命を取るほど威力のあるものではなく、被ったとしても軽い電撃性の痺れである。しかしいきなりのことで混乱が生じた。そこにチームの面々の襲いかかる。
「オラオラ外道ども、地獄に退散の刻限だぜ」
巨漢のバルドスの手錬の槍に、またたくまに三人が突き伏せられた。賊どもは反撃に出たが、電光速のバルドスの槍先にはじかれた。槍の巨漢は縦横無尽の肉弾戦車。その図体がウソのようなエアを効かせた駿足で敵中を駆け、襲い来る刃を槍で弾き、繰り出す槍先は迅速強烈、群がる敵が、たまらず散開する。ファズにダオ、ファルコとレオン。そしてサブリナと、バルドスの後を競って雪崩入る。バルドスが核弾頭となって敵陣をひっかきまわし、そこに残りのメンバーの一斉に襲いかかっるのだ。こんな戦法がとれるのも、頼れる斬り込み役がいるからだ。このチームは、リーダーとサブリーダーの戦闘能力は、レギオンの他のチームと比べても抜きんでている。ほかのメンバーも、しかし志摩やバルドスの後塵に甘んじているものではない。ファズはブレイヴに反応して径を拡張したシールドで防ぎ、剣で切りつけるスタイルだ。シールドの扱いが巧みで、堅い防御は複数の敵を引き受けて、ものともせずに押し出してゆく。防御が堅い分、片手剣による切りつけはやや威力を欠くが、盤石な戦いぶりは橋頭保ともなりえるものだ。ダオははアックス片手に躍動する。四十センチほどの柄の先に肉厚の刃を付けた戦斧は、並みのアーマーなら蟹の殻みたいに割ってしまう威力がある。しかし頭の重い武器は振ったあとの隙が大きく、敵の剣を受けるのも難しい。しかしダオは戦斧を使っての受けも巧みで、斧と一体化したような戦いぶりは、隙を敵に与えない。一撃粉砕の斧を見舞って、次々敵を倒してゆく。レオンはファズと同じシールドソード。経験の差からかファズには一歩及ばないが、若く果敢な戦いぶりだ。ファルコはロングソードを使う。ゲルマン剣法のフェンサーだ。剣一本で戦うスタイルは志摩と似ている。ライトアーマーを装備しているところと、スプリントタイプであるところが違う。だが、サムライでもライトアーマーを装備することはあるし、サムライがすべてストリームタイプというわけでもない。スプリントタイプのサムライ流派もある。昔はサムライとフェンサーのあいだに明確なスタイルの違いがあったようだが、ともに刀剣をもって戦うジョブであり、フェンサーの上位クラスであるソードマスターの者が、サムライマスターに弟子入りして、複合流派をうち立てたり、サムライ流派がトラキアあたりの技を取り入れたりと融合が進み、サムライとフェンサーの差異は微妙なものとなってきている。ともあれ、バッサバッサと斬りまくる志摩の戦いぶりはいかにもサムライらしく、堅実鋭利に敵を討つファルコのスタイルはフェンサーらしかった。そしてサブリナ。
キィーンギィーン、立て続けに襲い来る剣を左右のショートソードで払い。次の瞬間、ショートソードが敵を裂く。左右の手に剣を持つスタイルは守りに堅く、攻撃に多彩で、攻守に優れているように見える。だが、剣が短いぶん、戦うには敵の間合い踏み込まねばならず、短い剣で打ちこんでくる長い剣を受け止めれば押し込まれがちとなる。また両手の剣からなる技は、多彩過ぎて使用者本人が戸惑うこともあるのだ。双剣を使いこなすには、高い技量と度胸が必要となる。サブリナは強靭な肉体とブレイヴで、打ち込んでくる剣をものともせずに受け止める。俊敏にして柔軟な動きで敵中に躍り、両手の剣は多彩な技も自在によどみなく、次々敵を切り裂く様は、さながら黒い牝豹のごとき。ツインソードはシノビの双剣特級だが、基本ジョブのシノビは、俊敏軽捷なる体術をもって身上とするジョブである。
「クソ、ひとまずトンズラだ」
ヴァルカンが一人、若い女をかかえて走り出す。すぐさまサブリナが追って、男の前にたちはだかる。
「女なら、ここにとびっきりのがいるじゃない。さあ、死ぬまで相手してあげるわよ」
「ちっ」
男は、腕に抱えていた女を捨てる。乱暴に落とされた女は悲鳴をあげたが、たいした怪我ではない。
「てめぇの首を、ハチミツ漬けにしてヴァルムどもにくれてやるぜ。連中には手頃な菓子だ」
「そう。化け物どもと付き合うと、手土産にも気を使いそうね。でもそんな気苦労もこれでおしまいよ。もっとも、邪神に魂を売ったあんたたちには、死んでも平安なんてないかもしれないけどね」
「うるせえ。牝豹、てめぇが死にやがれ」
ヴァルカンは斬りかかったが、この男には、サブリナの動きを捉えることもできなかった。あっさり首を掻かれ、血を噴き上げてのけぞり倒れた。
水平に速いストリームタイプの志摩に対し、リザードマングロルはジャンプを多用した、縦方向に変化のある動きで対応しようとした。スプリントタイプの対ストリーム基本戦術で、リザードマンにオウガやゴブリンなどの人体形のヴァルムの動きは、スプリントタイプとほぼ同じである。志摩は、もはやグロルなど問題としていない。獲物を狙う鷹の目で見据え、小細工などものともせずに迫る。
グロルは大剣の風に融け入るスピードで斬りつけてくる。弾く、連撃! ものともせぬ。ストリームで翔ける志摩と、ヴァルムの超人的な脚力の、大地を疾駆しつつ、剣光絡ませ合って、グロルが渾身の打ち込みを放とうとした刹那、志摩はつけいり、大刀の断命のきらめきを落とす。志摩の一刀はグロルのトカゲ頭を唐竹割に断ち割った。甕のひびから水の漏れるように、グロルは頭頂部から顎へと走る切れ目よりどくどくと血を流し、さしもの生命力旺盛なヴァルムも、さすがに動きは止まる。すかさす志摩は横薙ぎの一刀でその首を刎ねる。
「やったー、志摩さんがトカゲ野郎をやっつけた」
マユラは歓声をあげた。
「ちょっと時間かけ過ぎさ」
ウィルは、最初から1ミリの懸念もなかった顔であった。
「どうにか勝てたようだな」
魔道師カムランがやってきた。雷撃系の術を放って、一仕事終えたふぜいだ。既に乱戦状態で二波は放てない。範囲攻撃の不便なところだ。一体の敵に狙いを絞り、強力な雷撃を放つ、スパークキャノンという術もあるが、それはトロールなどの、大型のヴァルムに使用するもので、動きが速く標的の小さいヴァルカンやリザードマンでは外してしまう可能性が高い。術構築に手間もかかるし、多勢の敵を一人一人狙い撃つのは効率が悪いのだ。ピンポイントに敵を狙う電撃の矢を、矢継ぎ早に放つスパークアローなどという術もあるのだが、残念ながらカムラン老人は、そんな術を使う器用さを持ち合わせていない。
「カムランさんの術、凄かったです。魔道の術を見るのなんて初めてで、驚きました」
マユラの称賛に、
「大したことない」
カムランは誇るでもなく、顔には一抹の苦さがあった。
「わしがもっと早く術を放てていたら、あのご婦人をトカゲに食わせずに済んだかもしれぬが、術構築に時間がかかった。気の毒なことをした」
「最善を尽くしてのことだもの、しかたがないよ。犠牲者が出たのは残念だけど、みんなが戦わなかったら、もっと多くの人が殺されていた」
ウィルは割りきった口調であった。
「そうだのう。しかし若い頃は、術を組み立てるのももっと速かったが」
「そのぶん老練の味というか、安定感が出てきたさ」
話していたウィルだったが、おやっと遠くを見て顔色を変えた。
「まずい。一人走って来る。じいさん、たぶんアンタが狙いだ」
チームの魔道師の居所を突きとめたヴァルカンが一人、エアをきかせてすっ飛んでくる。
「グレッグは、クソッ、いやがらない」
頭上を一回り飛んで、ウィルが舌打ちした。
「術構築は間に合わん」
「カムランさん、逃げて」
マユラはこちらに来るヴァルカンに目をやりながらいった。エアを履いているだけに、ぐんぐんこちらに近づいてくる。
「キミも逃げるのだ」
「別々の方向に逃げよう。とにかく走って。アイツの狙いはあなただから」
「わかった」
普通体の足で逃げ切れるものではないかもしれんが、カムランは走った。
「仲間に知らせてくる、おまえも逃げろよ」
「アイツは、ボクが引きとめる」
マユラは迫りくるヴァルカンを見据え、決然たる表情だった。
「馬鹿なことを言うなよ。ガキが、丸腰でなにが出来るってんだ」
「武器ならあるさ」
マユラは石を拾った。
「バルドスさんにゃはじかれたけど、アイツはそれほどのもんじゃないでしょ」
「たとえザコでも、剣を持った相手に石ころで挑むのは無謀だ」
「けど、ボクが逃げたらカムランさんが危ないぜ」
「だからって」
「ブレイヴだってあるし」
「使いこなせてないだろう」
「ボクは緊急覚醒だからね、イザとなったら、またどうにかなるさ」
「馬鹿が」
「ボクだってチームの一員だもん。みそっかすはみそっかすなりに役に立つぜ」
てこでも退かないマユラに舌打ちして、
「助けを呼んでくる。それまでもてよ」
ウィルは全速力で飛んでいった。
剣を持ったヴァルカンが来る。やっぱり怖い。狙いがカムランの爺さんなら、脇にとび退けば見逃してくれるかもしれなかったが、それは出来ない。仲間を見捨てて自分の安全を図るのなんて、そんなのヒーローじゃない。どんなときでも、目指すのはヒーローなのだ。
ヴァルカンは、目を血走らせ、エアを履いた駿足で走って来る。顔に表れた邪紋がまがまがしい。マユラは顔を狙い石を投げた。
うぎゃ、石が顔に当って、ヴァルカンは足を止めて顔に手をやった。鼻血が出ていた。
「ガキが、なにしやがる」
男は怒りもあらわにマユラを睨んだのだが、
――コイツ、とろいんじゃないの――
マユラは思った。そりゃあ、バルドスみたいに両断しろとはいわんけど、ブレイヴ体になって機動性に加えて俊敏性も増しているのだから、正面から飛んできた石を剣で叩き落すぐらいはするものと予想し、次の対応を考えていたのだ。
「ガキが、なめやがって。ちょうど手ぶらで帰るのも気が引けていたところだ。こうなったら、グルザム様への手土産に、その首をもらっていくぜ」
「えっ!」
どうやらカムランを狙ってたとかではなく、コイツはただトンズラかましていただけ。まったくの藪ヘビだった。
「くたばれ」
とろい奴でも、ブレイヴ体で振るう剣はそれなり速い。マユラは身を投げ出すようにしてかわした。走って逃げようとしたがブレイヴが発動しない。ブレイヴが発動しないのなら、走り出すのは、相手に背中をさらすだけだ。マユラは天性のすばしっこさ全開に、男の剣を避けまくった。地面に転がり跳ね起きたり、横っ跳びやらトンボ返り。たぶんこれが並みの使い手であったら、普通体でこうも避け続けられなかっただろう。そこはツイていた。しかし、やはりブレイヴ体の利である。ついに避けようのない一撃が来た。瞬間、マユラの体はブレイヴを噴き、後方に七八メートルも跳んでいた。
「ブレイヴ体になるとは生意気な。いよいよ生かしておけねぇ」
慎重に迫る男に、マユラはもうかわす構えもみせない。
「観念したか」
狩猟者の笑みを浮かべたヴァルカンだったが、マユラの視線が自分を通り越し、ずっと後ろへ注がれていることに気づいた。
「俺は背後から襲うようなことはしない」
背後からの声に、ヴァルカンは肩を震わせながら振り返る。
「女子供を手にかけることもな」
男がいた。ブレイヴ体となり、その体はストリームを凪がせて二三十センチの中空に静止している。
「てっ、てめぇは」
「志摩ハワード」
志摩は名乗ったが、その声をヴァルカンの男はろくに聞きとってもいない。仲間内で使い手として知られたリザードマンのグロルを倒したという事実が、どうしようもなく意識されるだけだ。グロルを斬って捨てた大刀は腰の鞘に納まっていたが・・・・・・、
志摩は冷然たるまなざしでヴァルカンを見据え、刀の柄に手をやった。
「きっ、きぇぇぇい」
ヴァルカンが奇声を発して動き出し、志摩はストリームを噴かせた。ヴァルカンがどれほども進まないうちに、ヒュン、ストリームを駆った偉丈夫がその傍らを翔け過ぎて、ヴァルカンは大きくのけぞった。いつ抜いて収めたのか、志摩の刀は既に鞘の内にあり、鐔鳴りの音だけが長く韻を響かせていた。
ヴァルカンは胴の中を冷たい物が過るのを覚えるとともに、崖から飛び降りて、墜落中にあるようなおぼつかなさに慄然とした。痛みよりも、自分という存在のとどめようもなく喪失してゆく感覚に震え、幕が下りるように陰ってゆく視野の中に少年の姿を認めたが、ついさっき、自分が殺そうとしたことも忘れていて、ほどなく、すべては闇に呑まれた。
マユラは、ヴァルカンの目に光の失せてゆき、やがて倒れる、人の命の失われる様を目の当たりにした。
「大丈夫か」
ウィルが飛んできた。
「うん」
「志摩が間に合ってよかったぜ。まったく無茶しやがる」
「だが、仲間を助けるために体を張る勇気は認めねばなるまい」
志摩がこちらに歩いてきた。既に普通体となり、ストリームも消えて足は地面を踏む。
「強いのですね」
マユラは憧れのまなざしで仰ぐ。安心志摩したからか、いつしかその体からブレイヴは消えていた。
「アナハイムにも凄腕といわれる傭兵は数いるが、ウチのリーダーと真っ向勝負できるほどのものは、そうはいない。」
魔道師カムランも戻って来た。
「わしのために危険を冒してくれたの。恩に着るぞ」
「アイツはカムランさんを狙ってたわけじゃなく、ただ逃げてきただけでした」
「そうであったとしても、キミが私のために奮い起こした勇気は本物だ」
カムランはマユラの勇気を讃えた。
「ボクの勇気なんて・・・・いくら勇気があっても、弱ければだれも助けられません。強くなりたいんです」
マユラは志摩を見上げた。
「貴方みたいに。弟子にしてください」
訴えかけるようなマユラに対し、
「いいだろう」
志摩はさして考えるふうでもなく、あっさりと答えた。
「本当ですか」
「おまえはジョブは決めてなかったものの、いずれ傭兵になるつもりで我らと旅をしていたのだし、弟子にしてくれといわれて、いまさら断るものでもないさ」
「やったー、ありがとうございます」
喜ぶマユラに、
「見込みがなければ破門するだけだ。精進するのだぞ」
「はい」
鋼のような志摩の目に、マユラも先行きの険しさを悟り、浮かれ調子も改め、身を引き締めて答えた。
仲間たちが集まって来た。皆乱戦をしのいできた様子だった。
「賊どもは、死んでる奴以外は、みんな逃げてったぜ」
ファズが報告した。
「みんなは無事か」
志摩はまず、仲間の無事を確認する。
「あんな連中に不覚を取るヘタレはいないぜ」
やがて全員がそろう。かすり傷程度はあったが、目に就くような傷を負ったものはいない。
「みんな、御苦労だった」
「久々、スカッとしたぜ」
バルドスが快活の気を吐く。
「カムランさんの雷で一発ビビらせた後に暴れ込んだが、こちらの奇襲にも崩れずに、粘りのある戦いを仕掛けてきやがった。かなり場慣れた連中だった。もっともヴァルカンどもの槍や剣に、このダオ様のアックスが後れを取るはずもないがよ」
「なにいってやがる。青息吐息で戦っていたくせに」
ファズの言葉に、
「だれがよ。てめぇこそ、シールドの後ろに隠れてばっかじゃないか」
いつもの言い合いだ。この二人の場合は・喧嘩というより、妙に息のあったおなじみの一幕だ。
「みんなよく戦ったさ」
志摩がなだめるようにいった。
「まあ、リザードマンをやったリーダーと、バルドスの兄貴の働きぶりには及ばないけどよ」
ファズの言葉に、
「それはそうだ」
ダオも同意して、二人の言い合いも収まった。
「どうして、サブリナの戦いぶりも見事だったぞ。つむじ風みたいに敵を斬りまくってた」
バルドスの言葉に、
「さすがサブリーダー、見るところは見てるじゃない」
サブリナはそっけなく返した。
「レオンとファルコも経験値稼いだろうな」
志摩が声をかけると、若い二人ははにかむような表情をみせた。
「小僧、大人しく留守番してたか」
ファズがからかう調子でマユラに声をかけた。
「なにいってやがる。マユラだって命張ってたんだぜ」
ウィルの言葉に、えっと腑に落ちぬ顔をする。それで、みんなが出払っている間におきた一幕を、ウィルは話した
「大したもんだ。丸腰で、剣を持った敵に立ち向かうなんて、なかなかできるもんじゃない。その勇気だけでも、大いに素質ありってもんだ」
バルドスに誉められ、マユラは誇らしい気持ちになった。
「ボク、志摩さんの弟子にしてもらったんです」
「そっちにいったか」
バルドスはちょっと惜しそうだった。
「小僧はよくやったけどよ、グレッグの奴はなにしてたんだ」
ファズの憤慨に、ほかの仲間たちも同様の意見で、不快の表情を隠さない。
「戦いに出なくても、後ろの守りに当るのは当然だろう。仲間なんだからよ」
腹立たしげなダオに、
「グレッグだけが悪いのじゃない。俺の指示が足りなかった。戦う前に、後ろにいる者の守りまで考えておくべきだった」
志摩はとりなすような口調だった。
「なにいってんの、戦いに出なくても後ろは守る。なにも言わなくてもそれぐらい傭兵ならツーカーでしょ。それこそアンタのいってた絆ってやつ。そもそもあいつには繋がってないみたいね。チームに入れてる意味ないじゃん」
サブリナはきびきびした口調で言葉に遠慮がない。
「そう、決めつけるな」
志摩は返したが、戦いのときの切れ味はない。
「志摩だって心苦しいのだぜ。察してやれよ」
バルドスがいった。
「団長への義理。律儀なことね。けど、それでだれかが犠牲になったら、リーダーとして、チームへの義理が立たないじゃなくて」
「グレッグのリスクはコントロールするさ」
「奴は計算外だろう。もう一人、ガキを連れていると思えばいいさ」
リーダーとサブリーダーの言葉に、サブリナは鼻しわんだ。
「志摩さんは頼れるリーダーだ。サブリナ、あんただってそう思っているだろう。ならば、ここはリーダーを信じてあげろ。幸いわしらも無事だったのだし」
穏やかにおさめようとしたカムランだったが、
「幸いでなかった場合、どうするのって話なんだけど」
サブリナに切り返されて言葉に詰まった。
「それにしてもグレッグのやつ、どこでなにしてやがんだ」
ぶつくさいうダオに、
「あいつが姿をくらましてやってることといったら一つしかないでしょ。本人はこっそり隠し持っているつもりのウオッカの小瓶が、今頃は空になっているわよ」
知れたことをと、サブリナは形の良い鼻をツンとそらした。それは皆も分かっていて、ダオも、いわずもがなのことであった。
そこに当のグレッグが帰って来た。散策から戻ったような何食わぬ顔をしていたが、酒臭い息をしていた。
「悪者退治は終わったか。全員無事で、まずはめでたしだ」
「で、おまえさんは、前祝いに一杯ひっかけてきたか」
ムッとした顔で問うファズに、グレッグは悪びれるでもなく、
「あんたたちなら、問題ないと思ったのだ」
「だけど、後ろの守りぐらいはしてろよな」
「なぜだ。俺は戦いには加わらないといったはずだぞ」
「この戦いには加わらなくても、仲間の安全に気を配るのは当り前だろうが。アンタだって、昔はチーム率いてたっていうし、それぐらいの配慮が・・・・」
「自分らがやりたくてやったんだろうが。必要もない戦いを買って出ておいて、人をアテにするなよな」
グレッグはファズの言葉が癇に障ったみたいに、ヒステリック言い返した。
「ハハハハッ」
嘲笑はサブリナだった。
「アテにするなとは、しょってるじゃない。こっちじゃとうにお荷物扱いなのにさ。えっ、アンタのなにがアテになるの」
くっ、グレッグは唇を噛み、剣に手をやった。
「あら、元ソードマスターとやらの腕前をいよいよ披露してくれるのかしら、楽しみね」
サブリナは鼻で笑う。
「仲間内での決闘沙汰は許さんぞ」
志摩の言葉に、グレッグは剣から手を離す。サブリナは拍子抜けの顔をした。
「グレッグ、チームの一員だということを忘れるなよ」
「お荷物なんだろ、いつでも捨ててくれてかまわんぜ」
グレッグはふてくされ口調で返し、そっぽを向く。
「本人もああいっているんだし」
促すようなサブリナに、
「団長から預かったチームだ。アナハイムに帰るまでは誰一人見捨てない」
志摩はきっばりと答えた。
「見ろよ、軍の連中の今頃になってお出ましだぜ」
小手をかざして遠くを見やるダオに、皆もそちらに目を向ければ、なるほど、数騎の騎馬を中心とした武装の隊の街道をこちらへとやってくる。やがて向うもこちらに気づいたようで、スピードを速めて近づくと、ざざっと兵列の円形に志摩たちを取り囲み、剣を抜き連ねる。
「なんのマネだ」
志摩が声音鋭く問いただす。大音声ではないが、ただならぬ剣気たたえたその声に、兵士たちは身構えなおすかであった。
「なんのマネとはふてぶてしい」
指揮官らしい馬上の騎士が、憎々しげに見下した。
「賊のぶんさいで、猛々しげなる言い草ではないか」
「なに、賊だと」
怒気をはらんだ志摩の顔が、困惑の面持ちとなった。
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