6-3
高速で流れていた景色がぶつりと途絶え、ライアの視界がブラックアウトする。
代わりにぼんやりと、目の前に淡い赤光が浮かび上がった。
「ようこそ。ゼレニアの記憶の終焉へ」
朗々と女の声がライアの脳裏に響く。
光はみるみる輝きを増し、人の形を模った。
椅子に座った女が、頬杖を突き、悠然と微笑んでライアを見つめていた。
白い肌に、煌めく輝きを湛えた金髪が流れ、燦然と光を放っていた。蠱惑的で挑発めいた微笑が、その異様なまでに整った美貌の魅力を更に引き出している。その紅い瞳に誘うように見つめられれば、逆らえる男などこの世にはいないだろう。
その姿はまさに、今までライアが記憶を共有してきたゼレニア・オーラントその人に違い無かった。
「……ゼレニアさん?」
「歓迎するよ、ライア。良く来たね」
さらに唇を歪め、ゼレニアが笑みを濃くする。
「私にわざわざ会いに来てくれたのは、お前で二人目だ。久しぶりの来客に、ろくな用意も出来ず心苦しいが」
「二人目……」
ゼレニアが何を言っているのか、ライアには何故か見当が付いていた。
ガウルの血を吸った吸血鬼は、恐らく今まで二人しかいない。目の前のゼレニアと、そしてライア。
ならばこの目の前のゼレニアの姿をした吸血鬼は──。
「……魔女ユリス」
「──ふーん」
ゼレニアの瞳が、鮮烈な紅から豪奢な金へと瞬転する。
「別に隠すつもりもなかったけれど、察しが早い。いや、本物の私は一〇〇〇年も前の存在だし。それに、この男の血は原初の銀狼ほど私の血が濃くないからね。ユリスである私は、記憶の断片が残るのみで、元の人格を形成するほどの余力が無いんだよ。私は、ゼレニア本人の姿と性格を拝借して君の前に幻像を結んでいるだけさ」
流暢に種明かししてみせる魔女ユリスは、確かに回想の中にあったゼレニアそのものだった。
人間と吸血鬼は、人狼を滅ぼす為に、長年ユリスの足跡と「魔女の悪意」を追い続けていた。いかなる捜索を持ってしてもその痕跡を見つけることは出来なかったが、まさか、銀狼の血を幻視する事で、対話まで出来るとは思いも付かなかったに違いない。
「幻視」は吸血鬼にのみ扱える能力であるのに、その対象は猛毒。誰も率先して飲もうなどと思うはずもない。
「お前は本当に優秀な吸血鬼のようだ。あのゼレニアでさえ、ここまではっきり私と対話は出来なかったよ。その分、彼女は回数を重ねて私にアプローチしてきたけどね」
口を差し挟めないライアを前に、ユリスは久々に口が利けるとあって上機嫌らしかった。
「まぁ何度も銀狼の血を飲んで、ボロボロになったところをアルフレッドに襲われたのは気の毒だったよ。あの銀狼は、私が作った中でも確か、五本の指に入る強さだ。さしもの『竜公女』も敵わなかっただろう」
「……どうして、私にゼレニアさんの記憶を?」
「お前が、ゼレニアの跡を次いで、ラストゲームに参加する資格を得たからさ」
不可解なユリスの言葉に、ライアは眉を顰めた。
「実は、銀狼を含む全ての人狼は、『私』が死ねば機能停止するように設計されてある」
「え……」
その言葉の意味するところを即座に理解出来ず、ライアは言葉を失う。
「ああ、誤解しないでくれ。『私』というのはガウルや、ゼレニアの事じゃない。正真正銘の魔女ユリスのことさ」
「そんな……!? 貴方は人間に殺されたんじゃ……」
「確かに、その通り。私の肉体は、人間に八つ裂きにされて滅んだよ。しかし、ギリギリのところで、心臓だけは間近にいた銀狼に移植したんだ。銀狼がこの世にある以上、まだ私の心臓はどこかで生きている」
とうの昔に滅んだとされる、諸悪の根源が未だなお世界に存在している。この重大極まりない事実を、今現在において知りえるのはライアだけだ。その重責が、どっと背中にのしかかる。
「ゼレニアがガウルに心臓を移植するなんて離れ技を為しえたのは、私の記憶を読んで再現出来たからさ。ゼレニアはガウルの血の中の私の記憶から、人狼に関するほぼ全ての知識を引き出していた。その直後にアルフレッドに襲われて、何も残せなかったようだけどね」
ライアの反応をいちいち愉しむように、ユリスは笑みを浮かべたままだ。その笑顔は、とても信頼に足る誠実さに欠けていた。
「『どうして私にそんな事を?』って顔をしているな? 言っただろう。ゲームだからさ。ゲームをするからには、公平なルール説明が必要だ。参加資格は、銀狼の血を辿って私と対話して見せること。以上だ」
そう素っ気無く言って、ユリスは銀色の棒をライアに投げて寄越した。思わず胸の前で受け取り、その正体を見て慄然とする。
銀の棒は、見覚えのあるシンプルな意匠のナイフであった。他でもない、アルフレッドの右目を抉り、緋森綾也に致命の一撃を与えた銀狼の牙である。
「──そのナイフは銀狼の構成を表す組成式。それがあれば、ガウルを救えるだろう。アルフレッドに一矢報えるかもしれないよ? 彼の血を持っていれば、の話だがね」
思わず顔を上げ、ライアは改めてゼレニアの顔を借りた、ユリスの幻影を眺める。
「貴女の目的は一体何なんです? どうして銀狼を率いて世界を敵に……」
「──ある所に、人間と恋に落ちた吸血鬼がいました」
どこか、遠い目をしながらユリスは呟く。
「吸血鬼は、人間を助けるために、人間を救う技術を開発しました。しかし、二人の仲は、心無い人間と吸血鬼に引き裂かれてしまったのです……」
急に言葉を切り、ユリスの表情に、ある意味実にゼレニアらしい、人を翻弄する魔笑が張り付いた。
「とか言ったら、信じる?」
「……いいでしょう。本当の理由は貴女の心臓に直接尋ねることにします」
銀狼の牙を握り締め、初めてライアの瞳に闘志の光が宿る。それを見届けたからか、ユリスの身体がその輪郭を失い始めた。
「良い目だ。首を長くして、待っているよ、ライア」
──まずは、アルフレッドぐらい倒してみせてごらん。
ユリスの声を遠く聞きながら、ライアの意識もまた闇の中へと崩れていった──。
********************
気が付いて最初に目に付いたのは、気を失う前と変らぬ夜空であった。
慌てて上体を起こし、ライアは周囲を見渡す。
幸か不幸か、気絶する前と変らぬ光景が、そのままの形で残されていた。アスファルトに転がる綾也の亡骸と、その横で未だ『聖女の悪意』に悶え苦しんでいるガウル。『幻視』の中で、十数年の時を駆け抜けたにも関わらず、現実の世界はそれほど時間を経過させていないようだった。
起き上がろうとして、ライアは身体の中に残るガウルの銀の毒によろめいた。この深刻なダメージこそが、今まで垣間見えた映像が幻ではなかったということを証明している。
そして、脳裏にはっきりと刻まれた銀狼の構成組成式。ユリスの気まぐれで手渡されたその公式は、彼女が忌み嫌い続けてきた『聖女の慈悲』が流し込まれるのを今か今かと待っている。
自分だけでは、アルフレッドを斃すことは出来ない。ガウルが健在でなければ、この公式を生かすことは出来ないのだ。
ガウルが握ったままだった、血に濡れた銀狼の牙をそっと抜き取る。そして、ガウルを救うべく、肌が焼けるのも厭わず、ライアは小さな腕を回し精一杯ガウルを抱きしめた。
ライアから生まれた黒い淀みが、二人の姿を包み込んでいく。それはさながら、新たに生まれ変わる為に、繭にくるまれる蝶のようだった。
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