5-3

 メティスの妨害により、距離は稼がれたものの、ガウルは人狼兵がコンビナートから脱出した直後の緩衝地帯で、彼らを補足した。

 逃亡する人狼兵の数は五体。一人がライアの矮躯を抱え、屋根から屋根へ飛び移っている。あの中に、銀狼がいてもおかしくはないのだが、詮索する猶予は無い。ガウルは更に速度を上げ、人狼兵へ吶喊とっかんする。

 ガウルの接近に、敵も気が付いた。ライアを攫った一体はそのまま逃亡を続け、四体が足を止め迎撃体勢を取る。

 その程度の妨害、ガウルにとって物の数ではない。サブマシンガンの銃火を弾きながら、一体の人狼兵に肉薄、腕力で力任せに引き裂いた。残りの三体は放置し、逃亡する人老兵へ急迫する。

 絶対的な力量差の上に、ライアという致命的な重荷を背負った人狼兵に、抗う術があるはずが無かった。

 銀狼の咆哮と共に、人狼兵の首がへし折れる。瞬時にその体は灰へと返り、ライアはとあるビルの屋上に放り出された。ガウルは咄嗟に受け止めようとしたが、ライアを避けるように腕を引っ込めた。銀狼の毛皮は、それだけで吸血鬼の肌を焼くのだ。

「……生きてるか?」

「ガ、ガウルさん……」

 信じられないと言った表情で、ライアは自らを助けた銀狼を見上げた。

「どうして……?」

「メティスから全て聞き出した。「聖女の慈悲」か。お前もなかなか、複雑な出生を持っているようだな」

「……そうですか。全部、知っているんですね……」

 人狼から救われたという安堵も、感謝も、そこには無い。ただ無為に生き延びてしまった、という寂寥を少女は漂わせている。

 その様子に、ガウルはカッと頭に血が上るのを感じた。

「助けられた礼も無しか? 死にたがりを助けるのは俺も不本意だがな」

「……貴方には理解できないかもしれませんが、私には唯一与えられた役目だったんです。存在意義だったんです……!」

 ガウルの目を見つめたまま、ライアが涙声で訴えた。

「私の毒の受け皿なんて、この世界に存在しない! 私はどうしたら良かったんですか!? 生きるだけで疎まれ、死ぬことすら許されずに、私は……」

「生きる理由が無いとでも言うのか? お前にはそれこそ、山ほどあると思うがな」

 ガウルの言葉に、ライアの瞳が眼鏡越しに大きく見開くのが見えた。

「──憎めばいいんだ。お前なら、対象は幾らでも思いつくだろう? その連中に復讐する為に、牙を研ぎ、策を練るだけで、人生が潤うぞ」

 凶悪かつ物騒極まりないガウルの物言いに、ライアは絶句する。

「そんな事……」

「どうした? 「聖女の慈悲」の発動で何十万の命を巻き込む覚悟がある癖に、今更「命の尊さ」でも語るつもりか? それともそんな体にされて、「感謝している」とでも嘯くのか?」

「そ、それは……」

 饒舌に語るガウルの言葉を、まるで悪魔の誘惑であるかのように、ライアは振り払った。

「私は自分の欲望を満たす為に、生きたいのではありません。ただ、役に立ちたくて……」

「役に立ちたい、と思った時点で十分利己的だ。そして、その役に立ちたい誰かの為に、無関係の命は幾ら殺しても良いと簡単に思い込めるお前は独善的だ」

 ライアの反論を、ガウルは事もなげに一蹴した。自然と口調が厳しくなる。

「お前は、視野が狭すぎる。世界がどう成り立っているのか、知りもしない癖に悟ったような口を利くな、忌々しい」

 それだけ言い捨てて、ライアの眼前から銀狼の姿が掻き消える。残り三体の人狼兵を葬るべく、ガウルはビルの屋上から飛立った。

 再び、三重の短機関銃の砲火が舞った。正確無比なその射撃も、ガウルには何の意味も成さない。

 兵として在るなら、ここは一度退却し、体勢を立て直すのが定石だ。無駄に命を散らす必要は全く無い。しかしその判断すら、所詮は精神支配によっての命令に縛られている人狼兵にとっては叶わぬ話だった。

 「ライアを確保し、所定の位置まで逃げろ」。ライアが固執する「存在意義」。彼らにとってはこの至上命令こそが、「存在意義」であろう。そんな物でしか、この世に存在する意味を見出せないというならば、彼らは人狼と堕ちた時点で、人として死んでいる。

 せめて、一瞬で楽にしてやる。

 胸中でのみそう宣言して、ガウルは双腕の爪に殺意を漲らせた。

 ──そこに、決して油断は無かった。

 未だ姿を見せぬ銀狼に、警戒は万全を期していたはずだった。

「な──!?」

 ガウルの索敵をまるで意に介さず、突如眼前に現れた銀影に、彼は中空から大地へと叩き落とされていた。

 力任せに頭を殴られた。振動に揺さぶられた脳が、事態をかろうじて認識する。だが、受けたダメージは、ただの一撃で、今まで受け続けた銃弾の総量を遥かに超えていた。

 頭部に直接、大量の爆薬を撒きつけられ、爆破されたかのような衝撃。銀狼の堅牢な骨格と、柔軟な毛皮で無ければ、首から先は粉々に飛び散っていたに違いない。

 巨体の落下衝突に耐え切れず、アスファルトは易々と陥没した。軋む痛みに耐えながら、ガウルは即座に全力を振り絞り、ダメージを無視して四肢を躍動させた。

「出たな……!」

 追撃を警戒するも、ガウルを襲った怪異はそれ以上追おうとはしなかった。

 ガウル同様に、アスファルトに仁王立ちしてみせるその禍々しい風貌。自らと同じ、狼の獣相を持つ化け物は、彼が追い続けた仇敵に他ならなかった。

「貴様だな。俺の名を騙って、卑怯な真似をしたのは……!」

「そうなんだがな。……おいおい、まさか、その様子じゃ俺が誰かまだ気付いていないのか?」

 ガウルの獰猛な殺気もどこ吹く風、対峙する銀狼は、妙に人間臭い仕草で、大仰に溜息をしてみせた。

「多少、声と姿を変えただけで、俺の正体に気付かないとはな。随分と、つれないじゃないか? ガウル・オーラント」

「っ……!?」

 親しげに名を呼ばれ、ガウルの総身が粟立った。差し向けられる、その金色の眼差しのなんと邪悪な事か。愛しげに、誇らしげに、我が子に注ぐような慈愛に満ちた視線を、よりにもよって銀狼はガウルへと向けていた。それは彼に、一度味わった絶望の苦辛を思い出させるに十分だった。過去に彼が遭遇した、たった一体の原初の銀狼。人を食ったような態度と口調と、その破滅的な力で、彼から全てを奪い去って行った怨敵。

 気付けば、剛脚が地面を叩き割り、駆け出していた。ダメージはまだ回復しておらず、ここは体勢を立て直す時間を稼ぐ事が、最も上策であった。

 だが、ガウルの頭から一瞬、策も計も吹き飛んだ。ただ精神を満たした怨讐を吐き出す為だけに、彼は原初の銀狼──アルフレッドへと飛び掛った。

 向かい来る銀の狼牙に、アルフレッドは満足げな笑みを零す。そして自らも全身の筋肉を隆起させ、真っ向からガウルの猛襲を迎え撃った。

 衝突の余波のみで、大気が震え、捩じ切られた空間が悲鳴を上げる。

「グオォォォォォォ!」

 砲弾の如き咆哮を上げるガウルの巨躯を、アルフレッドは双腕を持って受け止めていた。鉤爪と鉤爪が交錯し、瞬時に幾重に渡って火花を散らす。

 大型重車両をもスクラップにする衝撃にも関わらず、原初の銀狼の体勢は微塵も崩れない。衝撃はアスファルトを隆起させ、ガウルに圧される形でアルフレッドの両足が二条の長いうねを穿ち、形作った。

 必殺の初撃を受け切れられたガウルだったが、動揺は無い。相手は一〇〇〇年もの間、全世界を敵に回し続けた条理を逸した化け物だ。同じ化け物であっても、その格は自分とは比べるまでもないと、承知の上だった。

 だが、挑む。ガウルの眼が朱に染まる。

 無残に敗れ去ったかつての自分では無い。今彼は、アルフレッドの手によって葬られた『竜公女』と共に在るのだ。

 両腕を噛み合わせたまま、ガウルは黒の暗泥を展開させた。ただそれだけでは無力な超常の暗霧を、彼は赤熱の灼泥へと変貌させていく。

「む……」

 強烈なエネルギーの胎動を見て取り、アルフレッドは腕を振りほどこうとしたが、ガウルはそれを頑として許さなかった。

 並みならぬ高熱を発する灼泥は、具現化してしまえば敵も己も、見境無く焼き滅ぼす。指向性があるとはいえ、間近での行使は自爆にも等しかった。

 しかしガウルは、彼以上の速度で戦場を跋扈するアルフレッドを、遠距離から灼泥で絡め取る技量を持たない。初めから、自らの手でガウルを釘付けにし、至近距離から灼泥を見舞う覚悟であった。

 銀狼と銀狼の間、僅か数十センチの空間に、輝き燃える極小の恒星が生まれた。形成の維持を全く省みず、コントロールを放棄し、ガウルはその恒星に、全身全霊捧げられるものを全て注ぎ込んだ。

 崩壊はすぐに訪れた。

 高まりに高まった内圧に、恒星は一瞬収縮する。直後、爆発と共に噴出したプロミネンスの如き赤光の奔流がアルフレッドの体を呑み込んだ。

「…………!?」

 人狼たちを滅ぼした灼泥すら燃やしかねない煉獄の炎泥。アスファルトは一瞬で溶け、液状化した上に、さらに蒸発する。

 範囲外にいるにも関わらず、ガウルの銀毛は瞬時に燃え尽きていた。再生しながらも炎上を繰り返し、その激痛にガウルは苦悶する。

 だが、その苦悶すら自らを律する鞭として、決してアルフレッドを逃がすまいと、両腕に渾身の力を込め続ける。

 果たして、彼の決死の灼泥は、原初の銀狼を焼き尽くしていた。銀毛は消し飛び、銀皮は溶け落ち、その下の肉が炙られる匂いを、ガウルは嗅いだ。この熱火に晒されて、まだ形がある事すら脅威的だったが、「効いている」という確かな事実がガウルを奮い立たせる。

 殺す、殺す、殺す──!

 殺意と憤怒と怨恨を、全て「竜公女」の心臓へ託し、灼泥へと昇華させる。その勢いが更に増した瞬間、ガウルはアルフレッドの握力が弱まった事を感じた。

?」

 復讐の完遂を彼が確信しかけたその時、原初の銀狼の顎が微かに動いた。口を動かせば、牙を焼き、舌を焼く火竜の炎息の中では、言葉すらも灰となる。

 しかし、ガウルはアルフレッドが、何と口にしたか理解してしまった。

 

 その意味するところを悟り、ガウルは戦慄する。

 炎熱の壁を越えて、ガウルとアルフレッドの視線がぶつかった。

 原初の銀狼の瞳は、黄金の輝きを全く濁らせていなかった。もはや筋肉が剥き出しになったおぞましい形相が歪む。苦悶にではなく、勝ち誇るかのような愉悦に。

 アルフレッドの握力が復活する。

「な……に……!?

 復活どころではなかった。拮抗していた筈の膂力が、じわじわと圧倒されていく様にガウルは驚愕する。

 ミシミシと噛み合っていた両手が悲鳴を上げる。歯を食い縛りながら、押し返そうとするも、原初の銀狼は苦も無く、その抵抗を捻じ伏せていった。

 そして間もなく、ぐしゃりと、ガウルは両手を、同時に握り潰された。

「ガァァァァァ!?」

 理不尽極まりない現実と激痛に、ガウルは絶叫する。赤熱の灼泥の維持もままならず、猛り狂っていた火炎は、霞のごとく霧散して消失した。

「……もう少しはやる、と思ってたんだがな」

 アルフレッドの声が、冷ややかにガウルの耳を打つ。炭に等しかった黒い肉体が、見る間に銀に輝く毛皮に覆われていく。時間を巻き戻したかのように、対峙した瞬間の光景が再現されてしまった。

 アルフレッドの佇まいに、ダメージの深刻さは全く見られなかった。むしろ、攻勢を仕掛けたはずのガルフの損耗の方が遥かに大きい。両手を破壊され、全力を賭した灼泥の発動は、彼の体力を極限まで食い潰していた。

「まぁ、てめェごときに「竜公女」の炎は生み出せんだろうな。あの女の炎は、まさに火竜の息。まともに浴びれば、俺ですら消し炭だ。子犬の火遊びと比べるだけ酷ってもんか」

「く……」

「躾けのなっていない、出来の悪い子犬には、罰が必要だな」

 アルフレッドは、ガウルの傷ついた両手を開放すると同時に、そのまま拳を胸板へねじ込んだ。

 ガウルの巨体が木端のように吹き飛ばされる。背後にあった民家のブロック塀を崩壊させ、家屋の土壁を粉砕し、それでもなお勢いは収まらず、触れるあらゆる物を薙ぎ倒して

彼はようやく停止した。

 仰向けに転がったガウルの視界には、夜空。だがそれを眺める一時の猶予さえ彼には与えられない。瞬時に追いついたアルフレッドに蹴りを見舞われ、再び宙を舞う。かと思えば握り固められた拳で、大地に叩き付けられた。

嵐の高波に翻弄される木屑のように、抵抗の暇すら許されずガウルは蹂躙された。

 やがて、アルフレッドがその暴威を納めた頃には、ガウルの意識は散り散りになっていた。銀狼の毛皮の下で、筋肉はズタズタに寸断され、骨格は要所を粉砕されている。指先一つ動かすことさえ叶わない。

「──おめーは中途半端だ」

 ガウルの意識があるかどうかなど構いもせず、アルフレッドは嘯いた。

原初の銀狼おれたちのようにも、吸血鬼にもなれねー。人間にも受け入れらないお前には、この世界のどこにも居場所なんかないだろうさ。哀れだな」

 アルフレッドはガウルの首を鷲掴みにし、ゴミでも扱うかのように引きずっていく。屈辱的な侮蔑を与えられても、ガウルは唸り声一つ漏らせなかった。

 復讐に未だ燻る熾き火の意思と、原初の銀狼を殺す術を最早自分は持たないと理解した氷の理性が、渾然となって彼の心を苛む。

 ──立ち上がれ。

 ──そして、どうする?

 ──立ち向かえ、殺せ。

 ──何を使って、どうやって? 

 

 勝てない。

 

 一瞬でもその未来を思い描いてしまった時、ガウルの敗北は決定した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る