5-2
それはただの言葉であるはずだった。だが、脳を直接に殴られるようなかつて無い衝撃を受け、綾也は表情を引き攣らせた。ぐわんと視界が揺らぐ、呼吸が荒くなる。やはり、聴くべきでは無かったと心が折れかけているのを自覚してしまう。
「良い顔じゃないか。勿体ぶって話した甲斐があるね」
満足げにくっくと人の悪い笑みを漏らし、銀狼の瞳が怪しく綾也を射抜いた。
「一度人間の血の混ざった銀狼の血は、脈々と受け継がれるって寸法さ。なかなか性質が悪いだろう?」
「では……負傷者が狼禍症を発症するのは……」
「その考え方からして違う。人狼は、生まれた時から人狼だ。他の人狼に触発され、血の中に眠っていた本性が目覚めるんだ」
アルフレッドの言葉が真実とするならば──綾也の思考に絶望が染込んで行く。
狼禍症を根絶するには、現存する銀狼と、偽人狼を含む人狼を、一匹残らず消し去れば良い。およそ困難な手段であったが、それが「緋森」や「トランシルバニア」が取るべき、唯一の道であった。
だが──。
「てめェらは、銀狼や人狼を皆殺しにすれば話は済むと思っていたんだろうがなぁ。気の毒だが、それは不可能だ。下品な話だがな、戦争を生き残った俺達は、一〇〇〇年の時をかけて、あらゆる場所に胤を撒いた。女を脅迫し、篭絡し、或いは王者として君臨して貢がせて、とにかく孕ませた。深く広く、銀狼の毒が、人類に染み渡るようにな。もう、俺達でさえ、どれだけ広がったのか把握は出来ていない」
人類の数を冒す毒。狼禍症の正体、それは遺伝子レベルを冒す解毒不可能な毒だった。この一〇〇〇年の間に、世界の人口は三億から、七〇億に迫るほどに増えた。どれだけの人間の血統に、銀狼の血が入り混じっているのか、想像するだに恐ろしい。
人狼を完全に滅ぼすには、つまり、発症すらしていない人狼に穢された人間を全て、殺さなければならない──。
今まで死力を振り絞ってきた自分の全てを否定された気分だった。遥か遠くで輝いていた出口の光が、崩落し、完全に閉ざされた。厚く硬い銀の岩によって。
「人と人の間から生まれたあの新たな銀狼こそが、その証明だ。一度分散した銀狼の血が、また一つの結晶となったのが、ガウル・オーラントさ。せっかくの福音の子が、「竜公女」に手懐けられたことだけが、業腹だがな」
「……ユリスは何をしたかったんだ……?」
もうその事実を掘り下げるだけの気力を、綾也は持ち合わせていなかった。綾也は血を吐くようにして、かろうじてその問いを口にした。
「そこまでして、人類と吸血鬼を相手取って、魔女は何を目論んでいたんだ!?」
「──知らん」
綾也の詰問に興味を示さず、アルフレッドは無碍にあしらった。
「そんな事は、本人に直接訊いてくれ」
「ふざけるな……! お前達は理由も知らずに、銀狼戦争と一〇〇〇年を生き抜いて来たっていうのか!?」
「そうさ」
思わず激昂する綾也を、原初の銀狼は一蹴する。
「銀狼と呼ばれてはいるが、人狼も銀狼も、その本性の至る所は同じだ。人間を犯し、殺し、食い尽くす。欲望のままに、愉悦の為に。それに理由はない。何しろ、この性は、他ならぬ吸血鬼から受け継いだんだからな。ユリスに命ぜらるまでもない事だ」
獣の本性を垣間見せ、アルフレッドがぐるると喉を鳴らす。綾也は、震える腕をナイフを握り固めることで懸命に鎮めた。
「さて──、余興もそろそろ終わりだ」
綾也から視線を外し、身を翻した。人狼兵とライアが消えた方向の闇へと、眼差しを馳せる。
「ガウルの奴を軽くからかってやるだけのつもりだったが、あの娘のおかげで気が変った。粗悪な模造品らしいが、何、話を聞く限り使い道は幾らでもある。吸血鬼がくれてやると言うんだ。ありがたく貰ってやろう」
「……あの娘をそんな風に言うな」
無謀であると知りながら、綾也は声色に怒気を込める。そんな彼の様子に、フンと銀狼は鼻を鳴らす。
「まさか、ああいった娘が好みなのか? 会って間もない割には、肩を持つじゃねーか」
「ライアは、今まで仲間の吸血鬼にさえ散々利用され続けて来たんだ。お前達にこれ以上好きにはさせない」
銀狼の牙を逆手に持ち、綾也は戦闘態勢に移る。致命の凶獣に一片の勝機も無く挑む、自分の愚かしさに内心苦笑しながら、渾身の殺気をアルフレッドへと叩き付けた。
その姿を見て、銀狼は再び声を上げて笑った。
「いいぞ、緋森綾也。事実を知ってまだ立ち向かって来る、その闘争心。最高だ。一〇〇〇年も生きると暇を持て余して仕方ないが、たまにてめェのような奴が現れるからたまらない」
原初の銀狼が、炯炯と双眸に金色の炎を燃え上がらせる。
「追ってくるがいい。そして、俺を追い詰めてみろ。俺の
アルフレッドは高らかな哄笑を残し、地を駆けた。綾也の目には、星光を涼やかに弾く銀の残像としか映らない。
硬直する綾也を置き去りにし、闇を裂く銀光と化して、アルフレッドの姿が消える。ライアとガウルを追って行ったのだ。
「くそ……!」
それを見送るしか無かった自分の無力さと、突きつけられた真実に、綾也は徹底的に叩きのめされていた。手にしていた銀狼の牙を、思わず地面に叩き付ける。
がしゃん、と何かが割れる音がした。
反射的に目をやると、銀狼の牙はメティスの遺したブラックスーツの上に転がっていた。そのスーツの下のアスファルトに、黒い液体がじわりと広がっている。
はっと、綾也は我に返り、液体に触れぬように、慎重にスーツの中を検めた。
胸の内ポケットに、小さなガラス瓶が隠されていた。三つあったが、そのうち二つは銀狼の牙によって割れてしまっていた。残った一つを手に取り、綾也は厳重に封が成されたその中身が黒い液体である事を確認する。
瓶をスラックスのポケットに放り込み、銀狼の牙を改めて拾い上げる。月光を吸った刀身が、綾也の決死の覚悟に満ちた眼差しを受け止めた。
ショットガンとハンドガンを装填した後、オートバイの状態を確認する。多少の銃火を浴びたものの、幸いにもパンクもなく、走るに支障の無いコンディションは維持されていた。
「……お望みどおり、追い詰めてやるよ。アルフレッド」
スロットルを全開にし、爆音が闇を震わせる。決戦を挑むべく、緋森綾也は、走駆二輪を急発進させた。
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