5-1

 銀狼アルフレッド、男の名乗りに綾也は気色ばんだ。

 原初の銀狼の一体だというだけではない。その名は確か、「竜公女」ゼレニア・オーラントを殺した銀狼の名であった。ガウルと因縁があるどころではない。彼が、いつか引導を渡さなければならない仇敵。

「近くを通りかかったら、知り合いが顔を出すっていうじゃないか。久々に顔を見たくてな」

 綾也の緊張をよそに、メティスを一撃で葬り去ったアルフレッドは、相好を崩したままだ。

「緊張しているのか、緋森綾也? こんなスプラッタな姿を見せられて、怖気づいたか? まぁてめェにやられたんだけどな。どうだ、中々見事な死んだ振りだったろ?」」

 散弾を三発、至近距離でまともに受けながら、アルフレッドはまるで気にも留めていないようだった。予想以上の化け物振りだ。そんな怪物を前にして、手の中のナイフの、なんという心細さか。

「どら、少し馴染みのある姿になってやろう」

 そう宣言するや否や、めきり、とアルフレッドの体躯が軋んだ。

 野戦服が隆起する筋肉に耐え切れず、悲鳴を上げて引き千切られた。肌色の人肌を、見る間に銀の剛毛が覆っていく。人の骨格が崩れ、瞬時に更に堅牢で剛殻な巨躯を組み上げた。爪は鋭い鉤爪となり、犬歯は長大化し牙となる。口は裂け、顎が膨れ上がり、耳が双立する。

 確かに馴染みのある姿だった。ここ最近は毎日、こんな姿の馬鹿を隣で相手にしてきたのだ

 だが目の前の銀狼の放つプレッシャーは、ガウルの放つそれとは比べ物にならなかった。まるで気配そのものが、黒の暗泥さながらに、実体を持ってこちらを圧してくるかのようだ。

 ただ、そこにいるだけで、綾也ですらこの有様だ。その殺意を向けられれば、自分は気絶してしまうのではないか。

「どうだ? これなら見慣れているだろ?」

 狼の獣相で、アルフレッドは器用に笑ってみせる。気の知れたガウルですら。こんな表情を綾也には見せない。

「──ああ、そうだな。意外と可愛らしいじゃないか」

 気力を振り立たせる為に、綾也はふてぶてしく軽口を叩いた。まだいける、呑まれるな。丹田に力を込めて、綾也はアルフレッドの金色の双眸を睨み返す。

「でも、そうだな。うちのクソ犬の方がまだ可愛いよ」

 それを耳にして、アルフレッドは破顔し大笑した。笑い声が、ずしりと綾也の胃の底にまで響く。

「まぁそうだろうな! あいつはまだガキだ。何でも小さい時の方が可愛いもんだろうよ」

「……今の人間の姿は、お前の趣味かよ」

「ん、ああ、あれか? 別に何でも良かったんだがな、喰ってやったついでに姿を借りたのさ、鵜流辺の息子の」

 何気なく語るアルフレッドの言葉に、綾也は外面に現さぬように歯噛みする。見た事がある若者だと思っていたが、言われてみれば、確かに資料にあった男子高校生と同じ顔だった。

 結局、あの一家は、人狼に食い尽くされていたというわけだ。誰も救われず、誰にも知られずに。

「悪趣味だと思うか? だが、俺に言わせりゃ、吸血鬼共の方がよっぽど悪辣だぜ。きな臭いと思って耳を澄ましていれば、案の定だったな」

 不愉快そうに、原初の銀狼はアスファルトに広がるブラックスーツに侮蔑を投げる。

「お前には知る由も無いだろーけどよ、あの偽「魔女の悪意」の小娘、見た目からしてそっくりなんだぜ、ユリスに」

「そうなのか……?」

「ああ、顔も背丈も瓜二つ。最も、本人はあんな純な乙女じゃなく、邪悪で陰険な魔女そのものだったがな」

 一〇〇〇年の記憶を遡り、アルフレッドは軽い回想に浸っているようだった。隙だらけな上に、注意はまるで綾也に向いていない。だが、綾也は一歩も動けない。逃げる事も、玉砕する事も、体と精神が拒んでいる。

「……お前たちの、銀狼の目的は何だ。狼禍症を撒き散らしている根源はお前なんだろう」

 触れることすら叶わないなら、舌戦を仕掛けるしかない。せめて情報を集めようと、綾也は自分を鼓舞した。

「狼禍症……ねぇ」

 アルフレッドは、爪で額を掻きながら気の無い声を上げた。

「人間や、吸血鬼は、勝手にそう呼んでいるがな。てめぇらはアレを本気で感染症の一種だと思ってるのか?」

「なに……?」

 思わぬことを問われ、綾也は言いよどむ。

「てめェらは、感染したとされる人間を、何度も解剖してきたんだろ。そこで何か病原菌の類が見つかったのか? 変化の原因を発見出来たか?」

 銀狼が言う通り、実際、罹患者の肉体からは何も発見されていない。そこには細菌も病原菌も無く、だからこそ遭遇から半世紀経ったにも関わらず、狼禍症は未知の病のままなのだ。

「もう毒も十分に回った頃合だ。そろそろ人類も知ってもいい段階だ」

 にたりと牙を覗かせ、アルフレッドが凄惨な笑みを浮かべた。

「特別サービスだ。俺を愉しませた礼に教えてやろう、緋森綾也。結論から言えば──狼禍症は、てめェらが考えているような、傷つけられれば伝染する、感染症じゃねェ」

 それは直前の銀狼の口ぶりから、予想は出来ていた。だが、それでは人狼を生み出すメカニズムが、益々理解出来なくなる。

「あの陰険な魔女はな、銀狼戦争において、毒を三種類用意した。一つは、吸血鬼殺しの「対吸血鬼素材アンチヴァンパイアマテリアル」。吸血鬼お得意の黒の暗泥を葬る毒。もう一つは、銀狼殺しの「魔女の悪意」。そして最後に一つ、あいつは人間の為に極上の毒を用意したんだ。とっておきを、な」

「極上の……毒……?」

「人間はなぁ、弱っちぃ癖に数だけは多かった。だが、戦争においては結局の所、最終的には数の暴力が物を言う。だからユリスは、その数を冒す毒を俺達に持たせた」

 綾也の直感が警鐘を鳴らす。銀狼が今から口にする情報は貴重であるに違いない。だが、嫌な予感がする。聴けば、もう後戻りの効かない、築き上げた価値観を根こそぎ崩された世界に放り出されるのではないか。

「知ってるだろ。つまる所、俺は吸血鬼と人間の混血なのさ。ユリスは、人間の俺に、自分の血と肉を移植して銀狼へと改造した。一部、人間の機能を残してな」

 綾也が止める間も無く、アルフレッドは真相を紐解いていく。

「──生殖だ」

 アルフレッドは一際下卑た笑みを口に刻み、そう言った。

「俺達は、人間と子を成せる。今、人狼と呼ばれてる連中は、全て、俺達銀狼の子孫だ」

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