4-3
目の前の男が──隊長を名乗る男が拳銃の引き金に手をかけた時点で、綾也の取るべき行動は決定付けられた。
ホルスターから愛銃を引き抜く。綾也は二丁用意した中から、迷わず散弾猟銃を引き抜いた。
本来、早撃ちに適さぬ猟銃を選んだのは、鵜流辺を仕留め損ねた轍を踏まぬ為だった。綾也の無駄を一切排した熟練した所作は、一瞬で隊長の照準動作に追いつき、抜き去った。
凄まじい怒号と共に、銃身が跳ね上がる。
爆裂した散弾を胸にまともに受け、隊長の体が吹っ飛んだ。暴れる銃を無理矢理制動し、もう一撃。更にもう一撃。
高速機動で肉薄する人狼を射線に納めるには、単純に射角を広げるのが最も効果的だ。線では無く、面で獲物を制圧するいわゆるショットガンは、対人狼戦で真価を発揮する。
だが、散弾は貫通力に乏しく、肉体が頑丈な人狼への致命的な一撃とはなりにくい。まず散弾で敵の機動力を殺し、ハンドガンで息の根を止める。それが、綾也が練り上げた人狼必滅の定石だった。
すぐさま次弾の装填を開始しつつ、綾也は跳んだ。彼が数瞬まで立っていたアスファルトが、銃火に晒され砕け散る。
周囲に身を隠す場所はただ一つしかなかった。取り囲んでサブマシンガンを乱射する人狼兵から、綾也はメティスを盾にしてうずくまる。
そんな綾也を見やってから、メティスは黒の暗鋼の盾を紡いだ。堅牢な黒壁は、再び銃弾の雨から彼らを守った。
「どういうことだ……」
窮地をひとまず凌いだ綾也は、改めて目の前の事態に混乱する。
「外の殲滅部隊は、人狼に全滅させられていました。見ての通り彼らは人狼の群です」
答えは思わぬ所から寄せられた。綾也は驚愕に目を見開いて、メティスを眺めた。
「……知っていたのか!?」
「薄々と不穏な気配は感じていましたが、確信は持てませんでした」
綾也は、即座にメティスの言葉を「嘘」であると断定した。彼女は確実に、確信を持って、知っていた。恐らくは、ライアがロビーで「幻視」を行っていた時に、この偽装は露呈していたに違いない。
今ここで、メティスを追及しても詮無き事だ。ガウルがこの状況を察知して、駆け付けるまで何とか持ち堪えねばならない。
「隊長の気配は確認出来るか、メティス」
決断を鈍らせる葛藤を排除し、綾也は散弾を見舞った敵指揮官の様子を窺う。彼の視界にはかろうじて、仰向けに倒れた男の姿が見えた。
「──意外ですが、あの男は人間だったようですね。顔を半壊させ絶命していますが、灰になる気配がない」
確かに、彼が人狼であればわざわざ拳銃を抜く必要は無かったはずだ。腕を一振りすれば、容易く綾也の首を掻き切れる位置に、彼はいたのだ。あっけない最期だったが、仕留められたのなら問題は無い。
「このまま耐えられるか?」
「銃撃だけならば。しかし──」
メティスが懸念を口にする前に、彼女が警戒していた事態は起きた。
数人の人狼兵が後方で銃撃を維持しながら、残りの手勢がメティスの黒の暗鋼に急迫する。そしてその内の一体が、自ら猛火に身を投げた。
無数の銃弾は容赦なく、人狼兵の体を引き裂いた。粉々に砕かれた肉体が灰と果てる前に、盛大に血飛沫が舞う。そしてその血飛沫は、鉄壁を誇る黒の暗鋼へと降り注いだ。
「ぐ……」
顔をしかめて、メティスが呻く。
人狼の体液は、黒の暗泥へ干渉する。そして僅かに走った黒の暗鋼の亀裂を、人狼兵は見逃さなかった。
接近した人狼兵の爪が、弱体化した黒の暗鋼を切り裂いた。防壁の維持を即座に放棄し、メティスは格闘戦で迎え撃つべく、既に小刀を抜いている。
吸血鬼と人狼兵が交錯する。どちらかの死においてのみ、決着が許されるその決闘は、綾也の予期を反して不発に終っていた。
人狼兵は、メティスに構わず、小刀を掻い潜り、その横をすり抜けた。その先にいるのは──呆然と立ち尽くしているライアだった。
気付いた時には、もはや手遅れだった。
猟銃を構えるも、綾也は引き金を引けずに硬直する。どう撃っても、散弾は人狼もろともライアを吹き飛ばす。ハンドガンを抜いていては、間に合わない。
人狼兵は竦むライアに肉薄し、そのか細い体に肩から衝突していった。
「────っ!」
少女が吹き飛ばされる──と思いきや、人狼兵は白い両足に腕を回し、彼女の矮躯を軽々と肩に担ぎ揚げた。
「な……!?」
予想外の行動に、綾也の動きがまたも鈍った。人狼兵は少女を抱いたまま、勢いを殺さずに、すぐさま離脱を図る。後方で身構えていた綾也と高速ですれ違う瞬間、彼は咄嗟に腕を伸ばし手を差し伸べた。
確かに届いていた。
ライアが、その腕を伸ばせば、確実に彼女の指を、綾也は絡め取ることが出来ていた。
だが、少女は手を伸ばさなかった。綾也に助けなど求めていなかった。
衝撃に立ち尽くす綾也の目が、もうどう足掻いても取り戻せない速度で攫われていく少女の目と重なった。
体当たりの衝撃で苦痛に顔を歪ませてはいるが……、その瞳に浮かんでいたのは明確な「諦観」だった。自分の運命を受け入れたという、抵抗を止めた恭順の光。その空虚な感情も、人狼兵の脚力によってあっと言う間に遠ざかっていく。
その姿が闇の中へ完全に溶け込んだ瞬間、再び襲来した銃弾の爆音が、綾也の意識を現実に引き戻した。
振り返ると、メティスが再び黒の暗鋼を展開し、防御に徹していた。人狼兵の何人かが、ライアの後を追って行くのも見える。敵の狙いは明白だった。一方はライアを確保し、一方は敵の追撃を阻止する。明確な役割分担を、的確にこなす人狼兵、綾也はその脅威を改めて思い知らされた。
「……そろそろ頃合いでしょうか」
主を連れ去られたにも関わらず、メティスの白皙の美貌には、焦燥の僅かな歪みも生まれていなかった。
「綾也殿。死にたくなければ、地面に伏せることをお薦めする」
振り向きもせずに、メティスは告げる。綾也がその意図を問う間もなく、メティスの周囲をさらに巨大な黒の暗鋼が包み込んだ。
綾也が地面に体を投げ出すのと、その頭上を無数の漆黒の尖棘が掠めて行ったのは、ほぼ同時だった。
昨夜、鵜流辺を貫いた黒の暗鋼の棘を、メティスは比べ物にならない規模で、展開したのだ。親指大の太さの棘が、メティスを中心に三六〇度、全天に隙間無くびっしりと林立した。その姿はまさに
瞬く間に、音速で伸びた鋭い針は、どの人狼兵も平等に、全身を串刺しにしていた。距離も、角度も関係なく、頭を、四肢を、心臓を、急所という急所を、無慈悲に破壊している。
数度、痙攣を繰り返した後、人狼兵達はほぼ同時に灰へと還った。埋め尽くしていた獣の気配が一瞬で消え失せていく。黒の暗鋼は形を失い、黒い霧となってメティスの体へ戻って行った。佇む彼女の様子に、疲労の色は全く見られい。
瞬殺。メティスが執行したのは、一方的な処刑だった。彼女の実力が明らかとなった今、ここまでの戦闘が全て彼女の演出による茶番である事は疑いようが無い。地下での対決も、ライアが攫われるまでの抗戦も、彼女が一瞬でも本気を出していれば、戦いとも呼べぬレベルで終っていたのだ──。
「──綾也!」
ガウルの焦燥に満ちた声が、綾也の耳に届く。アスファルトからゆっくりと立ち上がる綾也の隣で、ガウルは周囲の惨状を察し「これは……」と絶句する。
「偽の殲滅チームは、メティスがほぼ壊滅させた。連中の隊長も僕が撃ち殺した」
「なに……?」
あの豪胆な隊長こそが銀狼だと踏んでいたガウルは、意外な結末に驚いた。しかし、確かにあの男は路上で事切れている。耳を澄ましても、転がっている死体からは、心音も呼吸音も拾えなかった。
「ライアは? あの小娘の姿が見えないが」
「……人狼兵の生き残りに攫われた」
メティスを睨み付けながら、苦々しく綾也は事の顛末を告げる。
「なに……? ならば何故あの女はその後を追わないんだ?」
「……始めから、人狼に攫わせるのが目的だからさ。そうだろう、メティス?」
核心を突く綾也の言葉に、メティスは応えぬまま、彼に怜悧な眼差しを向けた。
「「魔女の悪意」は、僕達だけじゃなく、ハンドラーにとっても重要な
「まさか……ライアを攫わせる為に、敵の監視の中でわざと「魔女の悪意」を使ってみせたのか……!? その脅威を奴等に知らしめる為に」
二人に初めて会った時、綾也が感じた違和感は、決して気のせいなどではなかったのだ。
ライアとメティスは、忠誠で結ばれた主従などでは無かった。ライアは守られている演技を、メティスは守っている演技を、おそらくずっと続けて来たのだ。
「……人間が害虫を駆除する為の道具の中に、毒を巣に持ち帰らせて、巣ごと害虫を滅ぼす類の物があるのを、貴方達も勿論ご存知でしょう」
メティスの口から滑り出した言葉は、綾也の望んでいた回答ではなかった。突然あらぬ事をしゃべり出す女吸血鬼に、彼は虚を突かれる。
「一匹に毒を盛ることで、巣全体の成虫から卵まで殺せることを考えれば、非常に効率的です。素晴らしい発想だと、賞賛の念に耐えません」
「……何が言いたい? まさか、ライアの「魔女の悪意」が、その毒だとでも言うんじゃないだろうな?」
「アレが宿す猛毒は、「魔女の悪意」などではない」
「なに──!?」
メティスが、その従者の仮面を脱ぎ捨てた瞬間だった。
あれだけ固執していた「魔女の悪意」の正統性をあっさりと翻され、綾也もガウルも、同時に言葉を失うしかなかった。
「アレの毒は、原初の猛毒とは似ても似つかぬ粗悪品。「魔女の悪意」の再現を願った研究者たちが生み出した下劣な廃棄物。研究者からは「聖女の慈悲」などと嘯かれていましたが……」
今まで悩まされて来た煩雑な些事からやっと開放されたという
「綾也殿、貴方のご推察の通り、アレの「聖女の慈悲」は、人狼のみならず、人間も汚泥と化す代物です。いや──この世に存在する全ての命を害するでしょう。あの猛毒は、
綾也の脳裏に、血泥と成り果てた男の哀眼が蘇る。綾也の手で命を絶たれた不運な男は、やはり狼禍症になど感染していなかった。メティスの無作為な気まぐれで、不条理にも魂を穢されたのだ。
「それで──」
居た堪れない怒りに身を震わせる綾也に代わって、ガウルが問う。
「結局、貴様の狙いは何だ。「聖女の慈悲」とやらを「魔女の悪意」と偽って、ハンドラーに持ち帰らせる事に何の意味がある。連中の研究者も解析を行えば、即座に事実に気付くだろう」
「そう、まさに、そこなのです」
ガウルの言葉に我が意を得たりと、メティスは口元を綻ばせる。
「「魔女の悪意」を解析する為に、「ハンドラー」は相応の規模の施設に、後生大事にアレを監禁するでしょう。未だ場所を掴めない本拠地、或いはそれと劣らぬ価値を持つ研究所に」
美しいルージュを更に歪め、メティスは妖笑を濃くする。
「そこでアレは破裂する」
そのたった一言が意味するおぞましさに、ガウルは初めて、目の前の女吸血鬼に絶大な恐怖を覚えた。
「
「馬鹿な……! 貴様、正気か……!?」
たった十数分前に起きた惨劇が、未曾有の規模で引き起こされるという予言を、メティスは事も無げに語ってみせたのだ。吐き気と眩暈すら覚え、ガウルは罵倒する。
「その死の霧で、どれだけ犠牲者が出ると思っている!? 半径五キロだと? 冗談もたいがいにしろ! 連中のアジトが絶海の孤島にでもあると思っているのか! もし人口密集地に存在していれば……!」
「むしろ、そちらの方が特定が容易と考えるべきでしょう。周囲の変化が乏しければ、敵の要害を見つけ出す材料を欠いてしまいますからね」
「この……!」
全く悪びれる様子もなく、男装の吸血鬼は笑みを保ったままであった。その瞳が狂気に彩られていれば、まだどれだけ救いがあったか。彼女の瞳に宿る光は、並々ならぬ知性と理性を湛えており──彼女が信念の下に行動していることを如実に表していた。
「貴方達や、トランシルバニアのやり方は手緩過ぎる」
今まで甘んじて綾也とガウルの批難を受け止めていたメティスが、責に転じた。
「犠牲を出さぬ為にと嘯くが、その理想の為にさらに多くの犠牲を強いている事に何故気がつかないのです。この、コンビナートはその最たる例だ」
凛と澄んだ声が、夜気に染込んで行く。いつに無くメティスは饒舌であった。
「はっきりと人狼の巣であると把握しながら、三年間も手をこまねくとは、正気の沙汰とは思えない。その愚考が、人狼兵なる脅威を生んだ。あの走狗は、新たな火種となって大きな犠牲を生む」
その点においては、綾也もガウルも、反論の余地を見出せなかった。事件の当初から捜査に加わっていなかったとは言え、中々鵜流辺の尻尾を掴めなかったのは事実だった。
「ガウル殿、何故、私が昨夜、アレをここに一人で放置していたのか、気にしていましたね」
「……」
「私は昨夜、「聖女の悪意」をこの場所で解放するつもりだった。それだけですよ。お二人のご活躍のおかげで、機会を失ってしまい、こんな芝居を打つ必要が生まれましたが……それももう、御仕舞いです」
メティスの告白に、二人はもはや驚かなかった。戦意を新たに身構える、「緋森」と銀狼にメティスは、所在無げに嘆息を漏らした。
「やはり……、これだけ道理を連ねても、貴方達は愚かな手段を選ぶのですね」
その言葉を合図に、二人は動いた。
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