4-2
ガウルの言葉通り、隊員達の屍の横の通路に、上へと続く階段はあった。
先行したはずだった二人の女吸血鬼に、綾也はあっさり追いついた。ガウルとの会話も気付かれているかもしれない。だが、聴かれていたとしても今となっては些末な問題だった。
交わした言葉の応酬で、吸血鬼たちとの断絶は決定的な物となった。相手を従わせるならば、原始的に腕力に物を言わせるしかない。
ただ強いだけの人間である綾也に、そんな力はない。メティスもそれを考える必要も無く理解している。だから自分が監視されていると知りながらも、綾也を周囲にたかる羽虫程度にしか捉えていないだろう。
緊迫した空気を気にもせず、メティスとライアは歩みを進める。綾也は一定の距離を保ったままその後を追う。
時折、ライアが綾也を振り返っては、目を逸らした。彼女の存在価値を否定した自分を、彼女はどう思っているのだろうか。その顔に浮かぶ感情は様々で、その複雑さが逆に彼女の心中を読めなくしていた。
何回かの折り返しの末、階段は終点へと至った。硬く閉ざされている扉を、メティスは黒の暗泥の膂力で強引にこじ開ける。錠が弾け飛び、重い鉄扉がギリギリと歯を擦り合わせるような音を立てて口を開けていく。
扉は開いたが、そこから光が差し込むことは無い。魔獣蔓延るダンジョンを探検してきたかのような感覚だったのだが、清々しい外気には触れるには、まだ早い。
扉の先は倉庫だったようだ。はっきりと断言出来ないのはあ、ここに侵入する際にガウルが破壊の限りを尽くしたからだった。天井にも床板にも、爆撃があったかのような大穴が開き、コンクリートの中の鉄骨が剥き出しになっている。
「ライア様。失礼いたします」
メティスはライアを肩を抱き、膝の裏に腕を回して少女の矮躯を持ち上げる。トン、と軽く床を蹴った体を、たちまち黒の暗泥が包み込んだ。黒霧は易々と二人の体重を支え、天井の大穴を経て地上へと運ぶ。綾也は舌打ちして、足速に地上への階段を探す。吸血鬼の何気ない動きでさえ、綾也は息せき切って追わねばならない。
地上までの階段を駆け上がるまでに数十秒を要したが、吸血鬼は病院の正面玄関から外に出る所であった。やはり、綾也を撒くつもりは無いらしい。
綾也は視線を二人から外さぬままに、停めてあったバイクに跨った。刺しっ放しだったキーを回すと、ライトが眩い烈光を放ち、エンジンが轟きと共に息を吹き返した。
アクセルを軽く握り、片足で地を蹴りながら、徐行の速度で綾也もロビーを出た。星明りのある分、照明の無かった病院よりも夜の空は明るい。吹き付ける潮風が、体の汚れを洗い落とす。鬱屈した闇と、どこまでも広がる開放的な闇。視覚上違いは無くとも、与える印象は全く異なっていた。
メティスとライアは、ロータリーの前で足を止め、視線を前方斜め上に投げていた。綾也も敢えて二人の横まで二輪を進め、降車する。
さて、これからどうするか──。
「──よう、お疲れさん」
綾也が思案する間もなく、前方から声をかけられた。夜霧に紛れながら、複数の足音と共に声の主は姿を現した。
先頭に立っている男が、殲滅チームの隊長だろうか。男の格好も、後ろに控える無骨な集団の装備も、突入した部隊と同じであるから、そうなのだろう。だが、綾也は首を傾げる。それにしてもこの男は若い。下手をすれば、自分よりも年下なのではないか。何より、どこかで見た事があるのは気のせいだろうか……。
「その様子じゃ、無事任務を果たしたみたいじゃないか。良かった、良かった」
男は親しげに笑うと、無防備に三人へと近づいた。全く敵意を感じない自然な動きが、何故か綾也の心に
「……君が、殲滅チームの隊長か?」
「ああ、あの銀狼も「若い」って驚いてたなぁ。一応今はそういう事になってる」
胡乱げに尋ねる綾也に、男は気を悪くすることもなく頷く。
「突入した部隊が負傷して中で取り残されているのを発見した。搬送の準備をしてくれないか」
「へぇ……、あいつらまだ生きてたのか」
殲滅チームの隊長ならば、それは朗報であるはずだったが、男は妙に淡白な反応を示した。そして、綾也の前からライアの前へと体を滑らせる。
舐めるように足下から視線を這わせて行き、ピタリと彼女の顔で止める。値踏みするようなその姿に、ライアだけでなく綾也も悪寒を感じた。
「その娘が、どうかしたのか?」
「──似てると思ってね。遠い昔の知り合いに」
男は肩を竦めて苦笑すると、一歩下がった。
「さて──仕事を始めようか」
隊長の声が、朗々と夜気に響き渡る──。
「うう……」
綾也と別れてから、一分ほど経っただろうか。
ガウルの横で、うなされていた隊員の一人が目を醒ました。
男は虚ろに瞳を見開いて、周囲を見渡す。ここは男にとって覚えのない場所だったのだろう。状況を理解しきれずに、落ち着き無く左右へと視線を彷徨わせている。
「ひぃ……!?」
「……気が付いたか」
ようやく、隣に腰を下ろしている銀狼に気が付き、男は悲鳴を掠れさせた。まぁ、そうなるだろう、と予期していたガウルは、一応声をかけておくことにする。
男は慌てて、ガウルから逃げようと体を捩じらせて、しかしそこでようやく四肢に力が入らないことに気がついたようだった。無理に動こうとして、傷に激痛が走ったのか、くぐもった嗚咽を上げる。
「ぐぅぅぅぅ……!」
「動かない方がいい。腱を切られている。精々安静にしていろ」
「う、うあぁぁぁぁあああああ……!」
宥めるガウルの意に反して、男は絶望に満ちた慟哭を上げた。その反応は、ある意味当然だと言えた。
錯乱している相手に、化け物じみた姿の自分が話しかける事が、男の安静に繋がるかどうか、ガウルは判断できなかった。が、一応情報は与えてやるべきだ、とガウルは言葉を連ねた。
「この身なりで、人狼の巣の中で言うのも説得力が無いが、俺は味方だ。ガウル・オーラントの名を聞いたことがないか?」
「が、ガウル……?」
「そうだ。お前達殲滅チームを援護しに……」
「嘘だ……!」
ガウルは思いの外に、瀕死の相手に自分の言葉を否定され、驚いた。その声は、弱弱しいものの、強い怒りと憎しみに満ちていた。
「……嘘だ、と言われてもな」
「信じられるものか……! そうやって、お前はまた俺を騙して、嘲笑うつもりなんだろう……!?」
かろうじて顔だけ動かして、男はガウルを睨み付けた。その荒み切った瞳孔に燃え上がる明確な敵意に、銀狼は思わず気圧される。
初対面で、ガウルに敵意や恐怖の眼差しを送る者は珍しくない。むしろ、先ほどの殲滅チームの隊長のような態度を取る者は、極めて稀なのだ。
しかし、この男が叩き付けて来る気迫は、ガウルが慣れている味方の気配とは一線を画している。長年の仇敵に対する積年の怨みに等しい。この隊員は魂の底から、ガウルの存在を憎み切っている。
「「また」というのはどういう意味だ? 俺と以前に会った事があるのか?」
「嬲る気か、クソ野郎! ふざけるな! わざとらしく惚けやがって……!」
血を絡ませた唾を撒き散らしながら、男は激憤する。ガウルが何を言っても、火に油を注ぐだけのようだ。
困惑を隠せないガウルに、男はなおも言い募る。
「化け物の癖に、騙まし討ちなんかしやがって……! 何がガウル・オーラントだ。何が「双頭の魔犬」だ……!」
男が自分の過去の行いを責めていることだけは、かろうじて理解出来たが、それが何を指しているのか、ガウルに思い当る節は全く見当たらなかった。ただ、この目の前の男との噛み合わなさが、言い知れぬ悪寒だけを悪戯に増幅させていく。
「俺の部下を皆殺しにしておいて……! 絶対に殺してやる! 死んでも、呪い殺してやるからな……!」
「……お前は突入部隊の隊長だったのか?」
地獄の亡者の如き呪詛を垂れ流す男に、望み薄ではあったが、ガウルは問い糾す。突入部隊の全滅の責を問われているのなら、尚更男の怨恨の理由が分からなくなる。ガウルが彼等と接触する機会など皆無だからだ。そもそも突入部隊の消息が絶たれた事で、彼は出撃を要請されたのだ。
声が枯れたのか、男は一頻りに咳き込んだ。息も絶え絶えに、皮肉げな笑みを口元に浮かべる。
「……そうだろうな。お前みたいな化け物が俺の顔なんざ覚えているわけがないだろうよ……。それとも、うすら惚けて、俺の苦しむ顔を見て愉しもうって腹か、え?」
「……いい加減にしろ」
男の侮蔑に、埒が明かないと悟ったガウルは語気を強めた。
「はっきり言ってやろう。俺はお前が何を言っているのか、理解出来ない。お前には会った事はない。騙まし討ち? 皆殺し? 何のことだ。傷に
「何だとぉ……!?」
ガウルの反撃が、男の顔をさらに濃い憎しみで染める。
「その姿、見間違えるものか! お前は確かに名乗った! 味方だと俺を謀った! 背中を向けた瞬間に、襲い掛かってきた卑怯者の癖に……!」
「それに身に覚えが無いと言っているんだ。俺の偽者にでも騙されたのか──」
──偽者。
自分で発した言葉に、ガウルは戦慄する。
襲撃されたと吠える目の前の男。そんな事実に全く覚えが無い自分。どちらかが間違っているのではなく、双方が正しいと仮定するならば──。
ガウルの名を騙った偽者がいた、とするならば辻褄は合う。その襲撃者は、殲滅チームにすんなりと近づき、無防備なその首に牙を突き立てたのだ。
だが、どうやって?
こんな銀の毛並みを有する狼の化け物に、どのような手段で化けるというのだろうか。幽鬼や妖怪の類で無ければ、そんな真似は不可能だ。
──いや、化ける必要もない。そんな不条理が唯一つ、この世界には存在する。
早鐘の如く、心臓が脈打った。
「……お前は、後から派遣された殲滅チームの隊長だな……? 病院を監視する任務を帯びた……」
確信を持って、だが、自分の予感が間違いであって欲しいと祈りながら、ガウルは乾いた声で尋ねた。
「そうだ……! ようやく認める気になったか、化け物!」
ガウルの祈りは虚しく散った。激昂と共に首肯する男を見て、彼は周囲の闇が一段と密度を増したかのように錯覚した。
最早、問答を交わしている猶予は一刻も無かった。焦燥に胸を焼き焦がされながら、ガウルは床を蹴る。傷ついた隊員達の安否など、一気に頭から吹き飛んだ。
「綾也……!」
もう彼は地上に辿り着いているに違い無かった。そして今、全滅したはずの殲滅チームと合流しているだろう。
間に合わない。息をするのも忘れて、絶望の辛酸をガウルは味わう。
今になって思えば──!
自分が愚かにも見落としていた点が、次々と脳裏に浮かび上がる。
ガウルが殲滅チームと接触した際、何故隊員達は視界を妨げるバイザーを装着していたのか。何故、分隊を構成する上で必ず配置される吸血鬼の気配を周囲に感じなかったのか──。
集中して気配を探れば、正体を看破することは出来たはずだ。人狼が銃を扱えるはずがない。その先入観が彼の嗅覚を鈍らせた。今となっては、その認識は根本から覆されている。
そして、あの二人の吸血鬼。
ライアは、ロビーで「幻視」を行った際に、既に周囲の殲滅チームが偽者に入れ替わっている事に気が付いていた。そして、メティスにだけ、その事実は伝えられていたのだ。
メティスは、その点を踏まえた上で、「魔女の悪意」による試毒を執行した。ふてぶてしく振舞って、ガウルを激怒させる為に、ひいては決別を演出する為に。負傷者を見張る役をガウルが負うのは、容易に想像出来ただろう。
その真意までは読めない。彼女たちが何を企んでいるのかは未だに分からないが、これだけは言える。
メティスとライアは、目的を果たしに行ったのだ。ガウルの仮面を被り、殲滅チームを血祭に揚げた──原初の銀狼と対峙しに。
遠く轟いた号砲が、悔恨と自戒に打ちのめされているガウルの耳に届いた。
まだ地上は遠い。だが、彼の手の届かない場所で戦端が開かれてしまった。
「間に合え……!」
食い縛る牙の隙間から、獣の唸り声が、虚しく漏れ出でた。
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