chapter4
綾也は聴いた。
生命が崩れる音を。
ガウルは嗅いだ。
魂が穢される匂いを。
時間と細菌の微力によって、静かに、音も無く、本来「腐敗」という現象は緩慢に進む。それは忌むべくもない、自然の営みだ。万物を等しく塵に還すその作用は、「浄化」の力だと言っても決して過言ではない。
──だが、この目の前のおぞましい光景は一体何だ。
ずるり──。総毛立つような音を立てて、ライアの血を口に含んだ隊員の顎が、溶け落ちた。肌の肌、肉の赤、骨の白。混ざり合い、侵し合いながら、一握の汚泥の如き粘体となって、床にぼたりと垂れ落ちる。
ここに至って、不幸にも隊員は目を醒ました。恐らくは意識を失ったままであった方が、せめてもの慰めになっただろう。だが、末期の安息すら、彼には与えられなかった。
「────!!!!!」
動かぬ手足を痙攣させ、全身を蠕動させて男が絶叫する。もはや声を発する口も失せ、喉も変色し気管の中身を晒しつつある状態にあっても、その音無き悲鳴は綾也の鼓膜を揺さぶった。
生きながらに肉体が腐れ落ちるその感触、その苦痛。
「これが……『魔女の悪意』……」
胃をひっくり返し、内容物を全部吐き出したくなる衝動を必死に抑えながら、綾也はその名を口にした。
悪意。この現象を称するに、これほど似会う名前があるだろうか。
今まさに、一〇〇〇年の時を経て、魔女ユリスが遺した悪意が覚醒したのだ。牙を濡らし、喉を鳴らして、思う様に「悪意」は男の肉体を貪っている。泰然とした自然現象であるはずの腐敗を、「魔女の悪意」は強引に促進させ、指先の一片まで我が物にしようと悦の嬌声を上げていた。
おぞましい、という言葉すら生温い。この世に在ってはならない光景から、それでも目を離せないままでいた綾也の視線が、ふと男の濁った瞳と重なった。
涙に濡れ、耐え難い腐痛に引き攣った双眸は、絶望の内にあって、未だに理性の色を残していた。いつ気が狂ってもおかしくない状況で、男にまだ意思の光を保持させ続けたのは、切実な願いを綾也に訴える為だった。
──頼む。──どうか、どうか……──。
懇願が、綾也の胸をぎしりと軋ませた。
だが、激情荒れる胸中とは裏腹に、彼の指先は、ハンドガンの銃爪に引っ掛けられていた。
「……分かったよ」
乾いた声で請け負った介錯人の姿を見て、一瞬、ほんの刹那の瞬間、男の瞳が安堵で緩んだ。
──感謝する。
指に力を込める。銃爪を引き絞る。幾度と無く繰り返してきた行為であるはずなのに、引き金がやけに重たかった。
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