3-3

 誰よりも先んじて行動出来たのはメティスであった。

 鉛の弾丸が嵐となって、四人の体を食い破る直前に、メティスの編んだ黒の暗鋼の防壁が、ギリギリ間に合った。

 凄まじい数の銃弾が防壁に阻まれ、兆弾し、無数の金属音を生む。荒れ狂う破壊の豪雨が、黒の暗鋼を隔てて暴威を振った。

 眼前に起こった事態に、ガウルも綾也を動揺を隠せなかった。

 ガウルはまず自分の感覚を疑った。彼が嗅ぎ取った気配は紛れも無く、人狼であった。偽人狼のように、理性という仮面を持たない剥き出しの獣性。彼等の武器は、その凶暴な気性と強靭な体そのものに他ならない。

 ならば、目の前の人狼の群は一体何なのか。

 黒の暗鋼に視界を遮られる寸前に、ガウルの目が捉えたのは、サブマシンガンを脇に構え、照準をこちらに定める人狼であった。人狼は原始的な武器、棍棒すら扱えない。銃器を始めとする近代兵器などもっての他だ。

 銃声が止み、周囲に耳が痛いほどの静寂が訪れた。

「如何かな? ただの人狼と侮った相手に噛み付かれた気分は」

 勝ち誇った鵜流辺の声が、鬱陶しく耳を突く。

「貴様、何を……」

「見ての通りだ、ガウル。これが、我がハンドラーが手に入れた力だよ」

「狼が火遊びを覚えたくらいで、それほどはしゃぐことか? おめでたい奴だ」

「大いにおめでたいとも」

 宿敵を驚愕に貶めたのがよほど嬉しいらしく、鵜流辺の口調はいつになく饒舌で尊大だった。

「狼禍症が世に生まれでて、半世紀が経った。貴様ら吸血鬼や「緋森」が、人狼を狂った原始人と見下すうちに、「ハンドラーわれら」と共に進化したのだ。君達を迎えたのは、祝福されし新たな世代だよ」

 綾也の中で、目の当たりにした事実と、鵜流辺の言葉が融合し、少しずつこの施設の意味を解き明かしていく。

「ここは……さしずめ人狼の改造施設ってとこか。それも精神をいじくる類の」

「いい読みだ、緋森綾也。貴様ならこの光景がどれだけ尊いものか、良く理解出来るだろう?」

 人類にとって、人狼に対するアドバンテージは、武器を頼みの中・遠距離戦にあった。これで、人狼が銃まで自在に扱い出せば、白兵戦において人類は手も足も出なくなるだろう。

「才能ある人狼ならば、転生した直後から仕込めば、格闘技から銃技まで、扱えるようになる。無論、脳外科やら、投薬やら科学的な精神操作は必要だがね。将来的には、彼等は偽人狼わたし以外の、例えば人間の指導者の命にも従うようになるだろう」

 ハンドラーにとって、それはこの上ない商材になるだろう。戦火の絶えないこの世界で、人狼兵が実現すれば、欲しがる買い手など幾らでも付くに違いない。

「地上の連中は、見捨てられた落第生らしいな」

「気の利いた、実に合理的な再利用法だろう。彼等も、揺り篭を守る為の尊い犠牲になることが出来て本望だろうさ」

 自らの同族であるはずの人狼を、ゴミ同然に扱う鵜流辺の醜態に、綾也は反吐が出る思いだった。どの口がガウルを「同族殺し」と呼ばわるのか。

「調子に乗るな……!」

 ガウルが吠え、黒の暗鋼の防壁から自ら飛び出す。途端、サブマシンガンの集中砲火が彼を襲った。人狼の動体視力は、高速機動のガウルを正確に照準に捉え、動きを鈍らせた。

銀狼の堅牢な毛皮が、数を頼みにした連射に少しずつ散らされていく。全身を殴られているような鈍痛を意に介さず、雪崩のように押し寄せる銃弾を掻き分けて、ガウルは鵜流辺へ急迫する。

 直後、鵜流辺の背後から、人狼が二体飛び出し、ガウルを迎撃した。サブマシンガンの射線を妨げない巧みな位置取りから、同時にサバイバルナイフで斬りかかって来る。

 ただ牙を振り立てて、噛み付くしか脳の無かった地上の人狼とは、比べ物にならない洗練された動きであった。それぞれのナイフは、ガウルを仕留める事に重きを置かず、動きを止めるべく左右から閃いた。

 だが、その程度で怯むガウルではない。

 右の人狼の獲物を掴む手に拳を叩き付け、指ごとナイフの柄をへし折る。太腿に突き刺さる寸前だった左のナイフは、刃の鋭さにも構わず、人狼諸共に蹴り砕き──。

 ──刹那、目の前を深紅の爆炎が襲った。

 銃弾とナイフに注意を削がれ、後ろから狙い撃たれたロケットランチャーへの対応が遅れた。火炎には揺るがないものの、生み出された衝撃には対処しようもない。ガウルはランチャーの直撃を受け、無様に吹き飛ばされた。

「ガウル!」

「っ……」

 ダメージは大きく無かったが、与えられたショックは甚大だった。ただの人狼には皆無だった連携が、高度な次元で展開されている。

今や、殲滅チームが皆殺しにあった理由は明白だ。人間では、そして並みの吸血鬼ではまるで歯が立たないだろう。

「無様だぞ、ガウル・オーラント! 恵まれた銀狼の体を持ちながら、何だ、その様は!」

 鵜流辺は、声も高らかに哄笑する。

「役に立たぬ不適合品ならば、せめて我が精鋭の名を知らしめる墓標になってもらうぞ!」

 再びサブマシンガンの一斉掃射が、ガウルの足を止める。

「ぐ……!?」

 銃弾を防御すべく、交差させた両腕の一部が破裂し、血が霧散する。サブマシンガンの銃弾に紛れて飛来した、大口径のライフル弾が、肉へと喰い込んだのだ。

 継いでロケットランチャーの弾頭が白煙を噴出しながら、銀狼に狙いを定め──。

 爆裂する。ただし、ガウルに届く遥か前方で。

「何っ!?」

 爆発の熱波に晒されながら、鵜流辺が驚愕の声を漏らした。

「──メティス」

 飛来したロケットランチャーの弾道に視線を向けたまま、ガウルは呟く。

「一瞬だが灼泥を出す。悪いが、全力で防御してくれ」

 言うや否や、銀狼の金色の双眸が、瞬時に

血の色に染まる。

「鵜流辺、火遊びの仕方を、俺が教えてやる」

 その体から噴出した滞留する黒い濃霧が、徐々に赤く輝き始めるのを見て取り、メティスは全方位に黒の暗鋼を、球状に展開させ、三人を完全に外部から遮断した。

 光の消え失せた閉鎖空間の中で、綾也はメティスがかつてない程に緊張しているのを感じた。彼自身も手に汗を握っている。

 ──ガウルが全力を出すのは久しぶりだった。この時ばかりは、綾也でさえ、彼には口を挟まない事にしている。


********************


 鵜流辺は、人狼は進化している、と嘯いた。

 人間も日進月歩、目覚しい進歩を遂げている。そして何も、自らの技を研鑽するのは、彼等の専売特許ではない。

 黒の暗泥を、銀狼に封じられた吸血鬼も、自らの戦闘術を進化させていった。黒の暗鋼もその進化の系統の一つである。

 中でも「赤熱の灼泥」と呼ばれる技は、黒の暗泥の進化系統樹の中でも最強を誇る奥義だった。

 大量の黒の暗泥を圧縮し、高熱へと転化させ敵を焼き滅ぼすその様は、伝説の火竜の吐息と並び賞される。銀狼は、黒の暗泥を無力する事は出来ても、一度熱として発生してしまえば、その現象までを打ち消すことは出来ない。

 「赤熱の灼泥」を完成させ、息をするかの如く行使した破格の能力を持つ吸血鬼は「竜公女」の名を贈られ、同族からも畏れ敬われた。

 名をゼレニア・オーラント。

 後に銀狼によって討たれた彼女の心臓は、彼女自身の遺志で、受け継がれた。

 彼女に連れ添っていた、従者である銀狼の胸の中に。


 狗頭を二つ持ち、煉獄の火炎をその口から吹き出す「双頭の魔犬」。

 ガウルが生み出した赤く輝く灼泥は、その審判の炎の如く、熱波と化して人狼の群を飲み込んだ。

 気流の渦のみを生み出す黒の暗泥の破裂術とは、次元が違う。その物が破滅的な灼熱を秘める赤い泥の波が、ガウルの意思に従い、奔流となって床を舐め溶かした。

 炎の洗礼は、容赦なく人狼の肌を焼き、肉を煮て、骨を焦がした。その燃え滾る溶岩を前にしては、新たに手に入れた銃器など何の役にも立ちはしなかった。

「ば、馬鹿な……」

 一瞬で精鋭と誇る人狼たちが炭化した光景を見せ付けられ、鵜流辺は今度こそ、全ての手駒を失った。そして、ガウルが自分だけを意図的に灼泥の範囲から外したと悟るや、

「ふざけるな……。ふざけるなぁぁぁぁぁ!」

 天を仰ぎ、絶叫した。

「彼等は必要だった……! この国を変える為に必要だったんだぞ!」

 目を充血させ、泡を吹きながら鵜流辺はガウルへと突撃した。

「警察や自衛隊が、この施設を制圧出来るならばまだ良かった! だが無能なあのゴミ共は、ここに気付きもしない! それがどれだけ憂慮すべきことか分からないのか!?」

 「赤熱の灼泥」の放射を納めたガウルは、捨て身で襲い掛かってくる鵜流辺を、黄金の輝きを取り戻した瞳で、見つめていた。

「私達が、あの連中と取って替るべきなのだ! 狼禍症は最早、人間の手に余る。人狼は、人狼で処するしかないのだ! それを、貴様は今更のこのこ顔を突っ込んで、浅はかにも台無しにしたんだぞ!」

「妄言も大概にするんだな」

 狂想を真っ向から否定して、ガウルの右腕が鵜流辺の胸板を貫いた。

「人狼が、人間を救えるものか。俺達は──あくまで世界の敵なんだ」

 鵜流辺へ手向けた言葉は、大いなる自嘲に満ちていた。偽人狼の肉体は、今度こそ灰と化し、燃え上がったスーツの炭と混じり、散っていく。

 この男は、偽人狼となる前は、その優秀さゆえに、人狼に対しての国家権力の無力に絶望しきっていたのかもしれない。狼禍症は、そんな誠実な男の理想さえも、穢し歪めるのだ。

 そんな呪いが、世界を救う力になれるはずもない。世界が安寧を取り戻すには、人狼は一匹残らず消え失せねばならない──役目が終えることが出来た時は、この命も諸共に。

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