3-2
「一体何を考えているんだ、お前は……」
渋面のガウルを、ホテルのドアマンのように恭しく綾也が出迎える。
「お前が突入すると思って、二秒くらい待ったんだがな。なかなか動かないから」
「無きに等しいわ、馬鹿が! 真面目にやれ!」
「そう言われても、僕は至って真面目なつもりなんだが」
喰ってかかる銀狼の剣幕を、平然に受け流せる人間など、世界広しといえど彼くらいしかいないだろう。
「喧嘩を売る時は、一発目をガツンとやるのが定石だろう。こっちの威勢を相手に見せ付けてやるのさ」
「喧嘩って、お前……」
「さぁどうぞ、ライアちゃん」
綾也は未だにバイクのシートで半ば放心しているライアの手を取り、降ろしてやる。
「背中に感じるライアちゃんの温もり、腰に回してくれた華奢で柔らかいライアちゃんの腕……いやぁ、役得だったなぁ。帰りも一緒に帰ろうね」
「は、はぁ……。そ、その……」
当のライアは、あまりバイクの乗り心地をお気に召さなかったのか、足下が覚束無い。綾也の憚らないセクハラと、乱暴極まりない運転、どちらに辟易したのか判然とはしないが。
「……静かですね」
そんな三人のやり取りを気にもせず、メティスは油断なく、奥へと続く闇を眺めていた。
「てっきり踏み込んだ瞬間にでも襲いかかって来るかと身構えてたんだがなー」
「ふん、当てが外れたな」
「罠に自信があると見えます。徹底して、こちらが罠にかかるのを待つつもりのようだ」
「面倒だなー。さっさと出て来てくれれば、ガウルが蹴散らして終る話なのに」
「綾也……働く気があるのか?」
「面倒なのはお前だ」とガウルが毒づくが、勿論綾也は気にも留めない。
「まさか、秘密の抜け道でも使って、もう逃げ出した後とか?」
「それは、どうだろうな……」
微かにこもる人血の匂いを、ガウルの鼻は嗅ぎ取っていた。匂いの筋道を辿ろうと試みたが、匂いの元は複数に分かれており曖昧に滲んでいる。
「どうしたもんかな、一階から虱潰しに探してみるか?」
「それには及ばないでしょう。ライア様」
そう呟き、メティスはライアを見つめた。それに倣い、ガウルと綾也が少女に視線を向ける。
いつの間にか、吸血鬼の少女は瞳を閉じ、長い睫毛を震わせていた。その表情は、まるで瞼の裏に、こことは違う景色を見つめているような──。
「どうです? 読み取れますか?」
「ん…………」
メティスの声すら、今のライアには届かないらしかった。少女は切なげに吐息を漏らし、両手で肩を掻き抱く。その姿はさながら、神を身に降ろす儀式に臨む巫女のように、神秘と霊異に満ち満ちていた。
「う──!?」
突然、少女の顔が苦痛に歪み、詰めていた息を小さな悲鳴と共に吐き出した。いつしか顔中に汗の球を浮かべ、喘ぐように咳き込んだ。
呆気にとられる狼男と優男をよそに、うずくまった少女の背を、いたわるようにメティスが撫ぜる。
「大丈夫ですか、ライア様?」
「うん……複数の血が混じって、はっきりとは分からないけど……」
荒い呼吸を繰り返しながら、ライアが言葉を紡ぐ。彼女はメティスに支えらえながら、何とか立ち上がった。
「ガウルさん、綾也さん。敵はこの病院の地下に潜んでいると思われます。入り口は、おそらくあちらに──」
「な……」
「ラ、ライアちゃん?」
少女の言葉に面食らい、二人は同時に目を
「今、何をした? 何を根拠にそんな事を」
「我が主の「幻視」です、ガウル・オーラント。恐らくは、犠牲となった隊員の記憶によるものでしょう」」
辛そうに身を預けるライアに成り代わり、メティスが返答を寄越した。
「馬鹿な。血の一滴も飲まずに?」
「その通りです。我が主は漂う血の残り香さえあれば、「幻視」行うことが出来るのです」
「なに……」
今度こそガウルは言葉を失った。
彼女の言葉が真実であるならば、ライアの「幻視」は一般的な「幻視」の範疇を超越している。
「幻視」に優れた才を持つ吸血鬼の検死官でさえ、死後一〇時間を越えれば、直接検死体から血を啜っても情報の断片しか拾えない。
それをライアは、空気に僅かに残った血臭から行ったと言うのだ。強大な黒の暗泥を操る吸血鬼には何人も遭遇して来たが、ここまで優秀な「幻視」能力を持つ吸血鬼にお目にかかったことは無い。
もし、彼女が生き血を口にすれば、諸共にどれだけ対象の記憶を啜り上げてしまうのか──それはとてつもなく恐ろしい事ではないのか。
無力と侮っていた少女が見せた、吸血鬼としての深淵な一面に、ガウルはライアの評価を改めざる得なかった。
「地下だと……? この一帯は埋立地だろう。地下に施設があるとは……」
「──いや、この病院は内陸寄りだった。埋め立てじゃないのかもしれないな。可能性はある。つまり……入り口が分かったっていう事は、突入したチームはそこを発見したって訳か」
「……私が読み取れたのは、重傷を負って動けないままに、地下に引き摺られていく方の記憶でした。恐らくは皆さんは病院内で襲撃を受けて……」
他人の恐怖を追体験したのか、ライアが再び口を手で覆い、喘ぐ。
「仕留めた獲物を、巣に持って帰ったってわけか……ぞっとしない話だ」
不愉快そうに顔をしかめて、綾也が呟く。
「その入り口を素直に探してみるか……。それとも」
綾也はしゃがむとトントンと、煤けたリノリウム張りの床を手の甲で鳴らした。
「やるか? ガウル」
「はぁ──結局は力技か」
「喧嘩の初手は」
「ガツンとだろう? 下がってろ」
ガウルの金眼が、力を漲らせ輝いた。綾也が吸血鬼二人の肩を押し距離を取ると、ガウルは大きく右腕を振り上げた。
筋肉が隆起し、途方も無い力が急速に集中する。硬く握り締められた拳の威力は、至近距離で炸裂する鉛の砲弾に等しかった。
ドン、と直前の手榴弾の爆発が安っぽい爆竹のように思える程凄まじい轟音が、文字通り病院を揺るがした。ビリビリと空気を震わせるその迫力に、ライアがビクリと体を痙攣させる。
そんな衝撃に、たかが床板一枚耐えるはずもなく、拳が直撃した爆心地を中心に、フロアが大きく陥没する。崩落は瞬く間に広がり、ロビー全体を飲み込んだ。支えを失い崩れる瓦礫と共に、ガウルの姿が地下へと消える。
「どうだー?」
「……まだだな。ここはただの倉庫のようだ」
言い終える前に、再び爆音が炸裂する。破壊の余韻が粉塵と化し、地下から地上へと舞い上がった。
「────当り、か」
洞の中で反響しているかのように、くぐもったガウルの呟きが綾也の耳にも届く。どうやら無事に目的地を掘り当てたようだ。
「じゃあ、僕達も行こうか──メティス?」
綾也はふと、メティスが正面玄関の先をじ
と見つめているのに気が付いた。
「……綾也殿、外にいるのは確か人狼の殲滅にあたる政府のチームでしたね」
「え? ああ、ガウルが今しがた隊長と話を付けて、周囲の警戒を継続してもらってるけど。それが気になるの?」
「いえ……背中に銃を押し付けられているようで、少し気が張ってしまったようです。ガウル殿を追いましょう」
いつの間にか、メティスは綾也の腰に右腕を回していた。左腕をライアへと回し、倒れるように三人は大穴へと身を投げる。
地下一階を直下し、一気にガウルの待つ地下二階へ。高さにして一五メートルの距離を見る間に滑空し、メティスは黒の暗泥の操作により、危なげなく綾也とライアと共に着地する。
幸運にも、一度の掘削で辿り着いた地下二階は、以外にも広大な面積を有していた。天井も高く、潜り抜けた穴が闇に紛れて霞んで見える。
地表にある病院とは違い、電灯が光っている所を見ると、この隠蔽された施設の電力はまだ活きているようだった。
「これは──」
見渡すと、壁一面が、光を反射する鼠色と闇の黒が、規則正しく交互に並んでいた。それが頑強な鉄格子である事に気が付くまでに、綾也は数秒の時を要した。
床から天井まで、左右の壁全てに格子が嵌めら、中を鼠色の壁が仕切っている。一階から三階、三列ある牢の前には通路が確保されている。アニマルショップにある壁一面のケージ。それを無骨に巨大化して、病院の地下に移植した、そんな性質の悪い冗談を見せ付けられているようだ。
腰からぶら下げていた小型のライトに光を入れ、綾也は手近な牢に近づいた。
格子の向こう側はがらんどうとしており、掲げた光は容易にケージの奥に届いた。いわゆる牢獄にある寝床もトイレも、ケージの中には何一つない。ただ、近づけばはっきりと分かる臭気と、そこら中に散らばる得体の知れない黒い染みと黒い塊。その正体を知りたいとも思わないが、格子の扉が開け放たれるまで、このケージで何かが生活していたのは明白だった。
そこまで思い至り、綾也は総毛立つ。
隣のケージも、その隣も。見上げても、反対側を振り返っても。ケージは全て空であり[#「ケージは全て空であり」に傍点]、全ての扉が開いたままだった[#「全ての扉が開いたままだった」に傍点]。
後ずさる様にガウルの下に戻りながら、綾也は全神経を励起させた。ホルスターに挿してあった猟銃を抜き、銃爪へと指を絡ませる。
「ガウル」
「離れるな」
ガウルの喚起は、綾也だけでなく全員に向けられていた。自然と、ライアを庇うように、三人の配置が彼女を中心とする円陣となる。
「──つくづく忌々しい」
呪いと恨みに満ちた怨嗟が、各々の耳を打った。
「天井を破壊して侵入してくるとは……。おかげで用意した舞台が台無しだ。せっかく何人か、餌にもせず、生かしておいたと言うのにな」
鼓膜に絡みつくような、生理的嫌悪を煽る男声。薄光の下に、昨夜と同じスーツ姿の隻腕の鵜流辺が再び姿を晒した。岩に刻まれた彫刻のように、その歪んだ凶相もあの時のままだ。
「ご大層なもんを造りやがって。これが、ハンドラー謹製の施設かよ」
「貴様らに暴かれたのは業腹だが、その通りだ」
緊張を感じさせぬ綾也の声に、ますます鵜流辺は表情を歪める。
ガウルの瞬発力をもってすれば、鵜流辺の位置は既に射程範囲だった。だがガウルは動かない。ガウルと対峙する鵜流辺の背後に、そして綾也の睨む闇の奥に、無数の気配が生まれたからだ。
綾也は、フンと鼻を鳴らした。
「何の悪巧みをしてたかは知らないが、その成果がこいつらか? その割には、相変わらず下品なツラだな」
生まれた気配の正体は詮索する価値も無かった。
「──そう思うのならば、そう思え」
鵜流辺の号令もなく、彼の背後の影が一斉に動いた。
同時に飛び掛ってくるならば、それはガウルの臨むところであった。いくら数で圧そうとも、接近戦においては此方に分がある。メティスの黒の暗泥を加えれば、それこそ鉄壁であった。敵が付け入る余地など微塵もない。
だが──ただ一つの疑問が、ガウルの思考の中でしこりとなって残っていた。鵜流辺の取る戦術は、昨夜の戦闘をなぞっているだけだ。この程度の戦力が、殲滅チームを壊滅に追い込むことが出来るのだろうか──。
疑問の回答は直後に
人狼の咆哮ではなく、硝煙むせぶ鋼の咆哮によって[#「硝煙むせぶ鋼の咆哮によって」に傍点]。
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