chapter3

「揃ったね」

 緋森美咲は早朝と変らず、同じリクライニングチェアに身を預けていた。だがその表情と声色は硬い。

「二人共すまないね、こちらの事情につき合わせてしまって。現当主と、巫龍刑武がいてくれたら良かったんだがねぇ。こっちも何分人手不足なんだ」

「いえ、吸血鬼である以上、私達も無関係ではありませんから」

「ありがとう。では、現状から説明させてもらおうか」

 美咲は腰を上げると、大会議室の壁の前に立った。壁には拡大された総和化学コンビナートの地図が貼り付けられている。

「お前達が鵜流辺と交戦した後、殲滅チームが構内にて作戦を開始したのは知っての通りだ。その彼等と、一二時間経ってなお、交信が途絶えている」

 未明に決着がついてから、周囲には再び夜が訪れていた。作戦に参加してもらう以上、吸血鬼であるメティスが最大限に力が発揮出来るよう夜まで待つ必要があった。

「部隊の規模は?」

「この地に派遣されて来た数は六四人だった。その内の半数、三二人が構内で掃討作戦に当たっていた」

 ガウルの問いに、美咲は壁の地図に視線を這わせながら答える。

「一小隊まるまる消えたわけか……。しかし、人狼相手とはいえ吸血鬼との混合部隊がそう簡単にやられるとは思えんな。その小隊には吸血鬼が居なかったのか?」

「いや、原則連中は一分隊八人につき必ず一人吸血鬼を入れるチーム構成になっている。今回も同じだ」

 美咲の言葉に、ガウルの獣面に険しさが増す。例え、鍛錬と装備が充実していたとしても、人間では人狼に後れを取る場合は多々ある。これは両者のスペック差を考えれば、避けられない事だ。だが、一分隊に一人吸血鬼がいれば、その安定性は大幅に増す。吸血鬼の気配探知力と、攻撃・防御を一度に実行する黒の暗泥は、部隊の中核を為す存在だと言っていいだろう。彼等も、その前提に基づいた訓練を重ねているであろうし、事実、その方法論で今まで確実な成果を上げて来ている。

 鵜流辺自身も片腕を失うという重傷を負い、人狼はガウルによって一掃されていた。鵜流辺が手勢をまだ控えていたとしても、一〇や二〇の人狼に彼等が全滅させられるとは到底思えなかった。

「問題はやっぱり、交信が途絶える直前の状況だな。婆さん、その辺りの交信記録ログは?」

「うむ」

 美咲は地図の前に経つと、地図上のある一点を指し示した。海岸沿いからは離れた、工場地帯の外郭に位置する建物である。

「……病院か?」

「ああ、工場内病院だ。と言っても規模はそこらの総合病院並みにある」

「そこで、連中が消息を絶ったわけか。しかし、何でそんな所に……」

「お前達が鵜流辺に仕掛けてから、直後に総和化学にも捜査の手が入ってね。そっからの情報らしい」

 ──ほとんど空振りだったがねぇ。と詳細は告げずに、美咲は一人ごちる。

 捜査員が社長宅に突入した時点で、社長は既に首を天井から吊って絶命していた。死後数時間経っており、検死に立ち合った吸血鬼によって行われた「幻視」でも、断片的な感情と記憶しか読み取ることが出来なかった。

 ただ、彼の記憶から総和化学が「ハンドラー」と手を組んでいた事実が明らかになった。そして、両者が結託して何らかの施設を病院内に建造したことも判明している。

 その情報から、鵜流辺の追跡に加え、病院を探査するミッションが部隊に課せられたのだ。

「美咲殿、そこで何か発見は出来たのですか?」

「いや、残念だが殲滅チームの指揮官殿にも、何の連絡も無かったそうだ。だが、突入する間際に、病院を含む周辺に強力なジャミングがかけられていることが分かってね。あそこに「何も無い」ってことは無いだろうねぇ」

「なるほどな。さっきから中々要領を得ないと思っていたが、ジャミングそいつのおかげで、隊員に何が起きたか、全く把握出来ていないんだな?」

「まぁありていに言えばそうさ。当初は二分隊が突入したんだが、所定の時間を過ぎても何の合図も寄越さなかった。指揮官の命を受けて、その後を追った残りの分隊も同じ道を辿ったってわけだ」

 人狼の巣で消息を絶った三二人。一二時間経過して猶も応答が無いという事実を前にしては、冷徹な判断を取らざるを得ない。まず、全滅していると見て間違いないだろう。

 吸血鬼を含めた手錬てだれを皆殺しにする力が、あの病院内に潜んでいるとしたら、それは最早人狼の脅威を遥かに上回る。

「その虎穴に、今度は僕等を送り込もうというわけか。便利屋は辛いね」

 綾也が鼻を鳴らして盛大に殲滅チームを皮肉るが、今回ばかりは美咲も窘めなかった。美咲は迷っているのだ。「緋森」が長年人狼と渡り合ってきたプロとしての経験と自負はもちろん大きいだが、今回敵は明らかに罠を張っている。それも待ちに徹する事で最大限に効果を発揮する狡猾な手腕だ。卓越した腕を持つ狩人とは言え、敵のあぎとの前に、部下を晒していいものだろうか、と。研ぎ澄まされた歴年の美咲の直感は、激しく警鐘を鳴り響かせている。

「……美咲」

「分かっている」

 ガウルの呼びかけに、美咲は視線も交わさずに呟いた。無論、手をこまねくつもりなら、わざわざ正体の怪しい吸血鬼に助力を要請したりもしない。

「ガウル、綾也、そしてメティス。今から三人には、この病院に潜入し内部の調査に当ってもらう。綾也、第一級武装を許可する。必要な物は全て持って行きな」

 鋼の声色をもって、美咲が厳命を下す。

「施設内でハンドラーが何らかの研究を行っていた可能性がある。無論、解析出来るに越したことはないが、脅威とあらば即座に破壊しろ。施設内の抵抗は全て排除を許可する[#「全て排除を許可する」に傍点]。責任はあたしが取る」

 邪魔あらば、人狼であろうが人間であろう、が[#「人間であろう、が」に傍点]、斬って捨てろ。利己の為に人狼と手を組む輩には、等しく断罪の刃を。「緋森」に与えられた権限が、今全て解放される。

「……美咲殿。貴女の指示には従うつもりですが、一つ条件があります」

「何だい? こんな危険な任務に同乗してもらうんだ。出来うる限り配慮するよ?」

「我が主の同行も許可願いたい」

 メティスの要求は、完全に美咲の思考の外にあった。思わず、二人の吸血鬼の顔を見返す。

「我が主を危険に晒さぬように、とのご配慮には痛み入ります。ですが、それは無用の心配です。私の身は、主を守る為にあります。一時も離れる事は許されない」

「矛盾も甚だしいぞ、メティス」

 噛み付くような荒声を、ガウルがメティスに叩きつける。

「ライアに戦闘能力が無いのは事実だ。確実に足手まといになる。戦闘にどれだけ支障が出るか、分からないはずも無いだろう!」

「……ガウルの言う通りだ。少なくとも、コンビナート構内よりは此処の方が安全だ。貴女が腕の立つことは二人から聞いている。だが消息を絶った殲滅チームもプロだった。もし、敵を過小評価しているのなら……」

「いえ、失礼ながら」

 美咲の言葉を遮り、メティスは変らぬ冷静な口調で、

「敵の戦力を、そしてライア様の御力を侮っているのは貴方達の方ではないでしょうか」

「なに……」

 真っ向から対立意見を述べる彼女に、ガウルが色めきたった。メティスは怯むことなく、銀狼の瞳を見つめ返す。

「一つ、忘れていませんか? それともわざと思考の選択肢から外しているようにしか思えません。敵は──原初の銀狼である可能性も十分にあります」

 悪辣なその響きが、美咲の思考回路に冷水を浴びせた。

 確かに、ハンドラーと銀狼には密接な関係があると考えられている。この病院が、重要施設であるならば、そこに銀狼が控えていようとも何の不自然もない。もし、その予想が正しいのであるとすれば、殲滅チームの末路も説明がつく──。

「なればこそ、我が主の力は絶対に必要だ。この方の血は、銀を制し、狼を滅する。銀狼を誅するのは、ライア様以外には有り得ない」

「だが、メティス──」

「美咲殿、申し訳ないが、条件を飲んでいただけないなら、ご依頼はお受けできない。私達二人は独自に病院捜査に向かわせて戴く。ガウル殿に「魔女の悪意」を受けることを拒まれた以上、私達は少ない可能性に賭けるしかありません」

 凛とした彼女の宣言は、見事に「緋森」の英雄を圧倒した。銀狼が潜む可能性は、そのまま彼女たちにとっては千載一遇のチャンスとなる可能性になる。美咲は、この男装の女吸血鬼が今宣言した通りに実行してみせるだろうと、どこかで彼女を侮っていた自分を悔いた。

「……ライアちゃんも、同じ考えなのかい?」

 やり取りを黙して見守っていた綾也は、同じく沈黙を守っている少女に問いかけた。

「君の血が銀狼に効くと仮定しても、どうやって飲ませるんだ? 銀狼が君の血に触れる機会は、おそらく一度しかないと思うけど、その一度は……」

 銀狼の牙が、ライアの白い首筋を噛み千切る瞬間に他ならない。ライアと銀狼の、果たしてどちらの毒が勝るか。それはあまりにも分の悪い賭けだ。

「……勿論、覚悟しています、綾也さん。私は銀狼を殺す為に生まれて来ました。ただそれだけの為に」

 メティスのそれと変らぬ決意を、小さな声で、しかしはっきりとライアは言った。

「──勝手にしろ」

 それを見るや、ガウルは「馬鹿馬鹿しい」と言い捨て、怒りの気配を纏ったまま大会議室を去った。綾也もそれ以上の追求は行わないままに、「準備に一〇分くれ」と残し、ガウルの後を追う。

 二人を見送ることもなく、メティスは背中を壁に預け、瞼を閉じている。それに倣うかの様に、ライアも無表情に虚空を彷徨わせている。

 希少なる血を持つ気弱な主と、それを守護する頑迷なれど明晰な従者。当初二人の姿を見た時、確かに美咲の目にはそう映った。

 だが、今は違う。二人の関係は、いびつで決定的に歪んでいる。根拠の無い不吉な予感が、さざなみとなって、絶えず美咲の胸中を揺らしていた──。

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