第11話 犯人、告白する
遺書
これを見つけたのは、暗号を解いた曾根玲子さんでしょうか。
花壇に埋めたのだから、放っておかれればそのうち字がにじんで、読めなくなってしまうでしょう。ですから、これが読まれているなら、曾根玲子さんがあっという間に暗号を解いて見せたのだろうと思います。
探偵に、わたしは期待しています。
これは、遺書であると同時に、犯人の告白です。
もう、罪の意識に、良心の呵責に耐えられません。死を選ぶことを許してほしいとは言いません。身勝手な逃避だとわかっています。どうか非難してください。わたしは、丘沙木知彁は、罵詈雑言を受けるに相応しい悪人なのですから。
もうお判りでしょうが、瑞川典那の命を奪った憎むべき罪人は、この丘沙木知彁です。
わたしが落ちたのは殺人でも転落事故でもなく、自殺です(もし生き残ってしまった場合、自殺未遂ですが)。
まず、そもそもの、きっかけから書きましょう。
典那の傷を知ってしまったことこそ、始まりなのです。
経緯それ自体は大したことではありませんが、これが、きっかけとなってしまいました。
わたしは、どうしてそんなにアザだらけなの、と問いただしました。
しばらく、典那はごまかそうとしていたのですが、わたしが執拗に訊き続けると、観念したように、言いました。
遠まわしな言い方でしたが、要するに、父親から暴力を振るわれている、ということでした。理由はちゃんとあって、自分が悪いからなんだ、と典那は主張していましたが、まさかそんな。
ちょっとしたことで殴られ蹴られ、ことあるごとに罵倒されたそうです。一睡も出来ない夜も多いそうです。典那の父は滅多に自分で買い物をしないので、深夜になってから買い物を任せられることも多いのだそうです。
親だろうが暴行だろうし、深夜に一人で放り出すのは条例違反でしょう。
ただ、長袖のことが多いのは、アザを隠すためだったのかな、と合点がいきました。
みんなに相談しよう、とわたしは説得しました。わたし一人に解決できるとも思えなかったので、誰かに頼ろうとしたのです。
しかし、典那は拒否しました。あらゆる介入を拒みました。
どうして、と訊くと、「自分が悪いのに父が非難されるのは可哀そう」「離れて暮すようなことになれば、きっと父は耐えられない」「自分が周囲に助けを求めたことをしったら、父は悲しむに違いない」だのと、そんなことを典那は答えました。
でも、典那が傷ついていると、わたしは悲しい。
そう伝えると、典那は目を逸らして、誰にもこのことは言わないで、と言い残して行ってしまいました。
ここで、典那を無視して警察に言えば良かったのかもしれません。柚雨に相談すればよかったのかもしれません。でも、できませんでした。
わたしは、身勝手な理由でショックを受けていました。
結局、典那は、父の悲しみとわたしの悲しみを天秤にかけ、父の方が重いと判断したのだと思いました。裏切られた気分でした。これでも、一番仲が良いのはわたしだと自負していたのに。二人だけで硝子さんの店に行くこともあるくらい、油断してわたしにアザのついた肌を見せてしまうくらい、そのぐらい仲が良いと思っていたのに。
それでも、親の方が、理不尽な暴力を振るう野郎の方が、典那にとって大切なのだと思って。
はっきり言ってしまうと、わたしは嫉妬しました。
どうして。わたしはこんなにも心配しているのに、なんで、典那は言うことを聞かないんだ、と憤っていました。
わたしは、典那の父より典那を愛しているのに、どうして典那は父の方を愛するんでしょう? ただ親であるというだけで、なぜわたしよりも、あの屑が尊ばれるのでしょう?
だから、わたしは、典那の意思を無視してでも、救済する方法を考えたのです。
今になって思えば、身勝手な、独り善がりな考えでした。
ホームセンターで、安い金槌とレインコートを買いました。
その夜は、両親がともに出かけていたので、わたしは悠々と外出できました。
典那の家と、最寄りのコンビニエンスストアの中間に、ちょうど公園があったので、わたしはその公園で待つことにしました。
きっとその日も、典那は深夜のお使いに走らされると、予想したのです。
当然、その予想は当たりました。
レインコートを羽織って公園のベンチに座っていると、足音がしました。公園の出入り口の方へと行き、音の方を見ると、背の低い少女が歩いている姿を認めることができました。
今となっては、人影の正体は狙いの人物である典那以外であったかもしれないとも思うのですが、興奮していたわたしは、そんなことにさえ気付かずに。
少女の人影が公園の前を横切る瞬間、後ろから金槌で殴打したのです。
言い訳のようですが、このときは殺す気など、まったくありませんでした。
ただ、病院に行き、検査を受けねばならない状況を作り上げたかったのです。父親に作られたアザの正体を世間に知らしめるために。
そのためなら、わたしは逮捕されたって一向に構わなかったのです。
殴りつけられた少女は、倒れこむように、逃げるように公園へと入ります。
そこまで強く叩いたつもりはありませんでしたが、だらだらと鮮血が流れているのが、暗闇に慣れた眼に映りました。
そして。
典那は振り向きました。
彼女だって、暗い夜道を歩いてここまで来たのだから、犯人がわたしであることくらいは判ったでしょう。
わたしの狙いまで見抜いたかもしれません。
なのに。
典那は、鬼のような顔で、とてつもない怒りをたたえた顔で、わたしを睨んだのです。
ああ、当然でしょうとも。自分を殴った人物に、優しい笑みを浮かべることなどできないでしょうとも。
でも、その時のわたしは、理解できなかった。だって、わたしは典那を助けようとしているのに、誰よりも典那のことを想っているからこその行動なのに、どうして、そんな恐い顔をされなければならないの。
典那は頭に手を伸ばし、傷を確かめたようでした。このとき、典那の手には、べったりと血がついたことでしょう。
わたしは、典那に拒絶されたことが理解できずに、彼女に近づこうとしました。わたしは典那のためにやったんだ、と気付いてもらいたくて。
だけれど、典那は抵抗しました。わたしに飛び掛って来ました。わたしも、余計カッとなって、また殴ってやろうとして。
その末に。
血まみれの手がわたしの左腕に伸びてきました。強く握られました。振りほどこうと、暴れるうちに。
わたしのブレスレットが、はじけ飛びました。
古いテグスを使いまわしたのが悪かったのでしょう。典那の血がこべりついたビーズが、公園に散らばりました。
せっかく、典那が買ったものと、同じものを、一生懸命に作ったのに。
気付いたら、わたしは本気で、全力で、典那を金槌で殴打していました。
もう死んでしまっていると頭では判っても、何度も何度も。
典那の顔を見るのが恐くて。典那がわたしに怒っていると認めたくなくて。恨めしげな眼がどうしようもなく恐ろしくて。
我に返ったときには、典那の頭は完全に破壊されてしまっていて、到底生きているとは考えられない状態になっていました。
わたしは急に冷静になって、このまま逃げると、ブレスレットを失くしたわたしが疑われると気付いて、典那の腕から盗みました。
ついでに、怨恨ではなく金目当てだと見せかけようと、財布を盗みました。
公園のトイレで、血まみれのコートを脱いで、金槌をくるんでコートでくるんでまとめ、そのまま逃げ帰りました。
帰宅して落ち着くと、自分のやったことの重大さに気付きました。
取り返しのつかないことをやってしまった。
誰にも謝ることなど、できません。もっとも謝るべき相手は、もうこの世にいないのですから。
わたしは、警察を恐れ、有耶無耶になってしまうことも恐れながら、暗い日々を送っておりました。
そこに、曾根玲子さん、あなたが現れたのです。
わたしは、身勝手にも、決めました。
あなたが暴くならそれを受け入れよう、あなたが暴けないならば、隠しきろうと。
だけど。
決めたは良いのですが、もう耐え切れそうもないのです。
自分の犯した罪の重みに。罪を糺される不安に。典那のいない世界に。
ああ、逃避だと判っています。判っているけれども、ここで立ち向かえる人格なら、もっと素晴らしい選択をもっと前にしていたはずで、わたしは所詮、この程度の人物なのです。
生きていても、また、どこかで短絡的な罪を犯すに違いありません。
玲子さん、はたして、これを読んでくださるでしょうか。
投身の前に、テグスを部屋に撒いておきます。古い、劣化したテグスを。これを見れば、きっと、わたしが犯人だとお判りになったのではないでしょうか。
まさか、密室殺人と勘違いする、なんてことはないと期待しています。勘違いしたなら、どうせこの遺書が読まれることもないでしょうし。
そして、暗号を解いたあなたに、物証を贈ります。
花壇の反対側に、財布と金槌とレインコートが埋めてあります。わたしと典那の指紋のついた財布。血のついた金槌とレインコート。レインコートは、意外と小さくたためたので、案外あっさりと学校に持ち込み、埋めることができました。
玲子さん以外が見つけたら、どんなに驚くかと思うと、すこし愉快です。
さようなら、みんな。
もう、柚雨に、杜樅に、馴子に、顔を合わせるのが辛いです。みんなが傷ついているのを見ると、わたしが一番愛しているなど、単なる思い上がりに過ぎなかったと思い知りました。
もう誰にも、申し訳が立たない。
みんなに、相談すればよかった。
ごめんなさい。
最後に、玲子さん、お願いです。
どうか、あの屑を。つまり、瀑布とかいう、典那の父親の罪を暴いてください。
身勝手ではありますが、最後の願いです。
わたしには果たせなかった、できなかった。だけど、きっと、あなたなら。
もう、だいぶ長くなってしまいました。
ここで、筆を置こうと思います(筆と言うかボールペンで書いてはいますが)。
玲子さん、ありがとうございました。
殺人犯・丘沙木知彁より、親愛なる探偵・曾根玲子さまへ。
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