第8話 玲子、暗号を解く
土曜の朝。
朝も七時過ぎ、玲子が訪ねてきた。
無遠慮に部屋に入り込んできたので、わたしも無遠慮に寝巻のまま応対してやる。
一応作ってやったメモを渡すと、玲子は興味深そうにメモをにらむ。
そのうち、メモをしまい込んで玲子は本題に入った。
「解けたよ。実につまらない暗号だった」
玲子は寝不足らしく、
「シンプルに二進数で考えると、太陽は月より大きく遠いとは、太陽>月となる。一>
眠そうな顔で、しかし
「すると、絵文字の一行目は8E4Fで、二行目は9046、三行目はE4BFとなる」
「まだ暗号みたいですが」
「まあそうだろうね。ここで、日出ずる国の原器を移動せよ、だ。日出ずる国は日本国のこと。その
「文字コードって?」
「現代のコンピュータは、零と一の二進数を処理している。だが、我々が見るのはもちろん十進数や日本語や英語での表示だ。零と一が並んでいてもわけが判らないからね。それは、この零と一の並びをこの文字として表示する、というルールが決められているのさ」
「――零がAで一がB、みたいにですか」
「そう。実際には多くの文字を表すためにもっと桁が多いがね。現在インターネットで多く用いられるのは、国際規格の
「でも――あの文章や絵文字が、そのコードを意味しているという解釈は強引ですね」
「まあ、思いついたのを片っ端から試したうちの一つさ。ほかの方法ではまともな文にならなかった。とにかく、さっきの数字をシフトJISに当てはめると、一行目は〈三〉で二行目は〈色〉で三行目は〈菫〉となる」
「
「ふふふ、これは
昨日、窓から見下ろした光景を思い出す。
知彁がいじっていた花は――。
「パンジーだったと思います」
「な? とりあえず意味を成した。これは、知彁の植えたパンジーを調べろということだろう。実際に調べてみれば正しい解読だったかは判る」
玲子は得意げに笑った。
「シフトJISは、最近では漢和辞典にも載っているからね。暗号マニアや、情報技術の専門家でなくとも、思いつくことはできるだろう。二進数に太陽と月を当てはめるのも、想像力や発想力があれば可能だろう」
「否定はしません」
「踊る人形や二銭銅貨や公開鍵暗号やエニグマを知らなくても作れる暗号だ。暗号を名乗れるか怪しいくらいのね」
「だとしたら」
「知彁のような推理小説にも情報技術にも詳しくない人間でも作れるだろう。彼女が作っていても、ギリギリ不自然ではない域だと思う」
わたしには、反論できない。
いや、納得しかけていた。
そして、答え合わせは簡単にできる。
「じゃあ、校庭の花壇を調べれば良いんでしょうか」
「そうだね。早速行こう」
「え――今からですか」
「ジャージでも着ていけば、土曜の朝から練習に励んでいる殊勝な運動部員どもに混ざって、校内に入り込めるだろう」
それに、と玲子は付け足す。
ほのかに、恥ずかしそうに。
「わたしがやろうとしているのは早く謎を解くことだよ。週が明けるのを待っていては、警察も真相に気づくだろう。そうなれば、わたしがやったのは、きみや関係者に迷惑を掛けただけになってしまう」
「もしかして――後ろめたいんですか?」
「――まぁ、そうだね。その通りだよ。探偵行為に手を染めたからには、解明せねば申し訳が立たない」
自分で言っておいて、玲子は少し照れたようだった。
意外だった。昨日から、玲子の意外な面を見ている。
この、傍若無人が服着て歩いているような曾根玲子という人間が、申し訳だとか、わたしに悪いとか、そう考えているなんて、思いもよらなかった。
ひょっとしたら、意外と善い人かもしれない。
「というわけで、さっさと着替えたまえ。嫌なら置いていくぞ」
前言撤回。やっぱり玲子はこういう奴だ。
玲子の言った通り、朝っぱらから練習に励む運動部員が大勢いたので、呆気なく校内に忍び込むことができた。
沈痛な面持ちの陸上部員――火富柚雨が、それでも練習に励んでいるのを見て、心が痛む。
玲子は気にかけた様子もなく、園芸部の管理する花壇へ向かう。
「考えてみれば、パンジーの苗植えを行う時期は初夏ではない。いったいなにをやっていたんだろうね。まぁ、わたしの知らない園芸上のなにかがあるのかもしれんが」
花壇は、さびれていた。
雑草は抜かれているが、端にパンジーが植わっているだけなので、非常に殺風景である。
玲子はパンジーの前で中腰になると、その周辺を素手で掘り返し始めた。
「なんで素手なんですか」
「移植ごてがどこにあるか判らん」
「軍手くらい持ってきても良かったのに」
「その発想はなかったなぁ」
玲子は手を土で汚しながら、花壇を掘り続ける。
わたしも手伝った方が良いのだろうか、と悩んでいると――。
「あった」
と、声。
玲子は土の中からあるものを取り出した。
玲子はしげしげとそれを見つめてから、満面の笑みでわたしの方を向いた。
「謎はすべて解けた。関係者を集めてくれたまえ」
格好つけて玲子は言った。
だが、それは無理な話だった。
「いや、わたしは関係者の連絡先を知らないんですけど」
「――じゃあ、わたしが呼ぶ」
ほんのり悲しそうに玲子は言って、スマートフォンを操作し始めた。
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