第7話 玲子、暗号を見せる

 深夜、ようやく警察署から解放された。

 色々と話をさせられたのだが、よく覚えていない。

 いったい、わたしは何を証言したのだろうか。


 揺れたカーテン。落ちてくる少女。かかっていたカギ。テグス。

 そのことを、話した気がする。


 迎えが来ていると警察官が言ったから、てっきり両親だと思ったのだが、警察署の前で待っていたのは曾根親子だった。

 曾根玲子と、父親の曾根警視。


「ほら、乗りたまえ。せっかく父に頼んで車を出してもらったんだ。遠慮はいらんよ」


 玲子は言って、地味な国産車を軽くたたいた。曾根警視は少し困ったように苦笑している。


「娘が巻き込んでしまったようで――自宅まで送りましょう。信用できないというなら、ご両親をお呼びしますが」


 わたしは、考えるのも面倒で、何も意図なく首を縦に振った。

 玲子はそれを勝手に解釈したようだ。


「うん、嫌ではないようだね。では行こうか」


 玲子は、わたしを後部座席に押し込み、隣に腰掛けた。

 曾根警視が運転席に座り、がたがたと車が走り出した。


「言いにくいんだが――わたしが林くんを巻き込まなければきみが投身を目撃することもなかったろうから、その、悪いとは思っている」

「――それはどうも」

「存外へこんでるね。意外と仲が良かったのかい。まぁ、仲が悪い相手であろうと、落下する場面を見たらショックだとは思うが」

「本当に、悪いと思ってますか」


 わたしの声は、思ったよりもずっと低く、恨めし気に響いた。

 実際には一分に満たないであろう、長い長い沈黙ののち、玲子は口を開く。


「――思ってるよ。それで、だ。わたしがやっているのは、たわけた推理ごっこだと思うかね。なら、もう協力しろとは言わないよ。林くんが、わたしのせいで傷つくとは思ってなかったんだ」

「普段から、迷惑ではありますけど」

「軽口が出る程度には元気だね。大変よろしいことだ。で、どうだい。わたしの行為は推理ごっこか、それとも、本当に真相に近づいているのか、林くんはどう思っている?」


 要するに、玲子はこう聞いているのだ。

 協力をやめるか、続けるのか。


 わたしは。

 

「――玲子さんは、どう思いますか。自殺か事故か、事件なのか」

「はたしてこのタイミングで、たまたまヴェランダから転落するだろうか。事故はいささか不自然だ。この説はないとは思うが、厳密には棄却できないだろうな」


 わたしは、続ける。

 ちょっとした仲間意識を抱いた、知彁の死の真実を、知りたい。

 玲子が真実にたどり着くとも限らないが、藁にもすがる心境だった。


「では自殺だろうか。落ち方は、飛び降りたとも、突き落とされたともとれる微妙な落ち方だった。ただし遺書は見つかっていない」

「それに、知彁は今日、園芸部で花を世話していました。自殺する人が、そんなことをするでしょうか。園芸部員は、知彁を除いて活発でないから、今日植えても枯れてしまうかもしれない。それをあえて、するでしょうか」

「衝動的な自殺であったかもしれない。よって、自殺説も排除はできない。次に事件説」


 曾根警視は何も言わない。娘の邪魔をする気はないようだ。


「林くんの証言によれば、丘沙木家の扉には鍵がかかっており、下や左右のヴェランダに移るのは困難。事件であるなら、密室ということになる。きみの見たカーテンの揺れやシルエットは、知彁本人や風ではなく第三者で、そいつが犯人だというわけだ」

「密室――」


 テグスを使ったトリックでもあるのだろうか? 

 外からカギをかけたか、カギを室内に入れたか――。


「誰かが突き落としている場面は見えなかったようだが、たとえば背の低い人物が下から押し上げるように落とせば、ヴェランダの壁面が覆いとなり、きみからは見えなかったろうね」

「密室だとすると、合鍵とかはなかったんですか」


 わたしの問いかけに、玲子はあっさりと応じる。


「マスターキーは管理人が持っていたが、突き落としたあと一階まで降りて煙草をふかす時間はなかったね。両親はもちろん鍵を持っているが、二人とも職場から長時間離れたことはなく、アリバイは鉄壁と言えよう」


 合鍵で密室を作った可能性は否定された。

 なら、なにが起きたのだろう?


「ところで、実はわたしも警察に話をしたんだよ。死の直前、わたしのスマートフォンに、知彁からメッセージが届いたんだ」

「え――それは、いわゆるダイイングメッセージですか」

「まぁ、見てみたまえ。これもあるから、事故説はとても不自然になる」


 玲子はスマートフォンの画面をわたしに見せつける。玲子がIDをばらまいていたSNSが表示されていた。


「 太陽は月より大きく遠い。

  日出ずる国の原器を移動せよ。」


 そんな謎めいた文章の後、二種類の絵文字がずらずらと並んでいる。

 太陽と、三日月の絵文字。


 太陽、月、月、月。太陽、太陽、太陽、月。月、太陽、月、月。太陽、太陽、太陽、太陽。

 太陽、月、月、太陽。月、月、月、月。月、太陽、月、月。月、太陽、太陽、月。

 太陽、太陽、太陽、月。月、太陽、月、月。太陽、月、太陽、太陽。太陽、太陽、太陽、太陽。


「暗号――ですか」

「うん、そうだ。一見面白そうな暗号だが、多分つまらないパターンだな。知彁もまったく、難解な辞世の句を残したものだ。なにか、迂遠に伝えたいことがあったと見える」


 頭をひねってはみるが、見当もつかない。

 太陽が大きいなんて当たり前ではないか。原器とはなんだ、何かの比喩か? このずらずらと並べられた絵文字は何なんだ。

 縦読みの余地はないし、絵文字が二種類だけでは何を言いたいのか見当もつかない。

 しかし、これが知彁の最後のメッセージなのだ。


「二種類の記号からなるということは、おそらく、ある種の二進数のようなものだろう。一晩考えれば答えは出そうだ」

「そんなにすぐ判るんですか」


 これがハッタリなら、協力はやめよう。

 本当に解いてみせたら、いくらでも協力しよう。


 すべては、明日決めよう。


「そうそう、できればで良いのだが、頼みがある。今日、杜樅と話した内容を、メモか何かにまとめておいて欲しい」

「――はい」


 曾根親子によって、無事に自宅に送り届けられたわたしは、何も考えずに寝転がる。

 両親への説明は、曾根親子が上手いことやってくれたらしい。


 すべては、明日に。

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