第6話 秋代、第二の死を目撃する

 明くる日。金曜日。

 部室に行くと、ものすごい音量で、聞いたこともない重厚な曲が流れていた。哀しいが土俗的な管弦楽オーケストラ


「やあ、林くん。今日もきみ以外は来ないようだ。皆、実にやる気がない」


 お前が部長だからじゃねえかな、と思ったが、そもそも誰も来ないからこいつが部長になったのであって、順番が逆だった。

 認めるのがしゃくで、言わないことにした。


「この曲、気にならないのかい」

「――部のスピーカー、勝手に使いましたね」

「わたしが部長なんだから勝手も何もなかろう。この曲はドヴォルザークの交響曲シンフォニー第八番の第三楽章さ。なかなか有名だよ」

「興味がないのに語られても――。わたしが聞いたことがないので、有名ではないと思いますよ」

「きみはどうせ、ベートーヴェンの名前だって知らないのだろうよ」

「知ってますよ。あの、ちゃーんちゃちゃーんちゃちゃちゃちゃちゃちゃーでしょ」

「アイネクライネナハトムジークは、モーツァルトだよ。やっぱり何も判ってないじゃないか」


 ほら見たか、と玲子は馬鹿にしたように笑うが、知らなくて当たり前だろうから恥ずかしくもなんともない。


「それはそうと――林くんは、犯人が判ったかい」

「判るわけないでしょ。玲子さんはそんなことも判らないんですか」

「いや――ある程度絞ることはできたよ。すべてをくつがえす新証拠が出てこないと限らないからまだ言わないがね」


 けらけら笑って、玲子は文庫本を取りだした。

 こいつは、発声練習とか、そういうのをする気はないのだろうか。

 何のために玲子は演劇部にいるのだろう。どうせ、くだらない理由だろうが。

 

「あの後、被害者の家――瑞川家に行ったんだが、けんもほろろ。たたき返されたよ。いとおしい娘の死をもてあそびやがって、とか何とか」

「そりゃそうでしょ。わたしだって、家族が犯罪被害にあったとき、探偵ですとかいう高校生が来たら追い返しますよ。ふざけるな、ですよ。叩き出しますよ。殴られたって文句は言えませんよ」

「うん、まあ話が聞けると本気で期待したわけでもなかったんだが、本当にこぶしが飛んでくるとは思わなかったよ。避けたから無傷だがね」


 ぎょっとする。

 殴られたって文句言えないが、それでも殴ろうとしたのか。

 大の大人が、高校生を。

 握りこぶしで、玲子の華奢な顔を、ぶん殴ろうと。

 いや、わたしが小母おばさんになってからでも、こんな珍奇な小娘が会ったら殴りかかってもおかしくない。


「玲子さんの態度が、どうせ悪かったんでしょう。せいぜい反省してください」

「いや、いつになく慇懃いんぎんな態度だったんだが」

「慇懃無礼だったんでしょ」

「否定できないな」


 わはははは、と、しばし笑いあう。


「そうそう、動機を考えてみるとね、一番判りやすいのはあの父親――瀑布なんだよな」

「は? 物取り以外に考えようがないでしょうに、なんで父親が。子を殺す親なんていないでしょ」

「きみはもしかして、ニュースとかまったく見ない? テレビでも新聞でもインターネットでも良いが――親殺しも子殺しも、ありえない話じゃないぜ」

「世も末ですね」

「昔っから在ったがね。アブラハムの宗教の聖典たる創世記の最初の殺人は、兄弟殺しだし。カインとアベルって聞いたことがあるだろう」


 残念ながら、聞いたことがない。なんの話だかまったくついていけない。そもそも、ソーセーキってなんだ? ソーセージの類似品か?

 わたしが尋ねる前に、玲子は先に進んでしまう。


「無差別な快楽殺人とか、純粋な金目当てならともかく、その人物でなければならないのなら、身近な人間が犯人というのはある話だよ。身近だからこそ、恨みがつのることもある。瀑布には、少額ながら保険金が入るらしいし」

「保険金が入る程度で犯人扱いされちゃあたまったもんじゃないですね」

「動機が判りやすいと言っただけだよ。判りにくい動機を持った奴がほかにいてもおかしくないし。ホワイダニットものミステリは、少々苦手でね。読んでいて正解した試しがない」

「現実と小説を混ぜないでもらえますか? そんなだから最近の若いのはゲーム脳だとか言われるんですよ」

「最近はゲームなんて逆転裁判シリーズしかやってないんだがなぁ」


 絶妙に話が嚙み合っていない気がする。


「まあ、今日はずっと推理を練るつもりだから、きみに何か頼む予定もない。もちろん、演劇の練習をする気もないので、林くんは好きにするが良いよ」

「勝手ですね」

「練習したければ、お好きにどうぞ。邪魔はしないよ」


 わたしも、文庫本を読みながら唸っている奴の横で演劇の練習ができるほど真面目な人間ではない。

 よって、部室を飛び出し泡沫うたかたの自由を堪能すると決めた。


 廊下の窓から校庭を見下ろすと、園芸部が作業にいそしんでいた。具体的には、丘沙木知彁だけだったが。

 知彁はたったの一人で、花壇をいじっている。あの花は、パンジーかヴィオラだろう。

 園芸部も、演劇部同様、真面目に活動する人間が不足しているらしい。

 名前が似てるからかな、そんなわけねぇか。

 大して親しくもない級友だが、玲子のせいで変な関りを持ってしまったせいなのか、気づくとストーカーが如く長時間見つめてしまっていた。

 まともな部員のいない部活で頑張っている姿に、共感してしまった。親しくもないのに、仲間意識が芽生える。

 しばらくして、知彁は移植ごてを置いて、満足そうに微笑んだ。作業が終わったのだろう。それから、どこかへ行ってしまう。当然、帰宅したのだろうが。

 


 いつまでも呆けていても仕方ないので、学校を出ると、いきなり予想外の人物と出くわした。


「あら――たしか、林さんでしたっけ」

「え――はい。たしかに林でございます」


 時代がかった言い回しで応じながら、名前を脳内で検索する。顔は記憶にあるが、名前がなかなか浮かばない。

 あの、硝子の店で会った、捷玉高校の――そう、


「中矢間杜樅さん――ですね」

「ご明察」


 杜樅も、大概古風に言った。


「あなたはさながら、グッドウィンでしょうね。で、彼女がネロ・ウルフ」

「はぁ? いや、何のことやら」


 こっちの話、と杜樅はくすくす笑った。

 間違いなく、玲子の同類だ。こちらに通じないことを言って悦に入るあたり、性根の腐り加減がそっくりである。


「まあ、立ち話もアレだし、わたしと来ない? 知彁の家に行く約束をしているの。もし暇なら、どう?」

「いえいえ、わたし如きがそんな、ご迷惑をかけてばかりで、お招きいただくような身分ではござらぬ」


 断ろうとするあまり、だいぶ素っ頓狂な言い回しになってしまった。わたし以外がこんな口調だったら、常識を疑うところである。

 知彁が帰っていったのは、杜樅との約束があったからでもあったのだろう。わたしより先に出たのだし、迎えるのに充分間に合う計算だ。


「良いの良いの。わたし、『Xの悲劇』ネタを会話に放り込む人に初めて会ったし、その人のお友達にも興味がある。知彁だって、拒むような子じゃない」

「はあ、なるほど」


 いい迷惑だ、とは言いづらかった。

 ずるずると、ひきずられるように知彁の家に向かわされる。


「林さんは、どんなミステリが好き?」


 道すがら、杜樅は言った。もちろん、歩きながら。立ち話もアレだと、ついさっき言ったのに、それに。

 ミステリ好きである前提で話さないでほしい。


「いや、人が死ぬ話は苦手で」

「北村薫とか、古典部シリーズとか、凄惨な殺人事件がないのもいっぱいあるのに」


 杜樅は、ちょっとふくれっ面をした。

 この話題に付き合うのが面倒で、話をそらそうと試みる。


「それはさておき。昨日ブレスレット――オルロイとか言いましたっけ――の話をしたときに、少し驚いた顔をしてませんでしたか」

「お。ワトソン役らしい観察眼」


 杜樅は楽しそうだが、わたしはげんなりする。

 どうしてこいつらは、なんでもかんでもミステリに結びつけようとするんだ。


「あの時――硝子さんが、誰があのブレスレットを買ったのかを言った時の反応だよね。まぁ大した理由でもなくって、そのとき初めて知ったからだよ」

「知ったって、何を」

「何をってそれは、典那があのブレスレットを買っていたことだよ」

「知らなかったんですか?」

「まあ、お揃いだと騒ぐほどの仲でもないから。わたしも買ったは良いけど典那の前ではあんまりつけてなかったし、典那は長袖をてのひらを覆うくらい余らせて着ることがよくあったから、着けていても見えなかったと思う」

「それで、典那さんもオルロイを買ったと硝子さんの発言まで知らなかった、と」

「そういうこと。それに、柚雨が作ったあのブレスレットが、わたしは買ったのと同じだということを知らなかったのもある。柚雨は不器用だから、判らなかった」


 出来が悪くて、同じ作り方に見えなかった、ということか。

 違うと思っていたアクセサリーが同じものだと言われたら、それは驚くだろう。


「柚雨が、ということは。知彁さんのは同じだと知ってたんですか?」

「知彁が作ったのがわたしの物と同じだとは知っていた。知彁は小学生のころも、ビーズ細工をやっていたらしくて、流石に上手いから。最近、硝子さんから教わるようになるまで、しばらくやっていなかったらしいけど」

「以前もやっていたのは知彁さんだけなんですか?」

「わたしも一時期やっていたけど。知彁ほどは上手くない。柚雨は最近やり始めて、下手。馴子なんて、硝子さんの姪だけど、全然、自分で作るのには興味がないらしい。典那も、最近興味を持ってはいたみたいなんだけど――」


 杜樅は言ってから、首を振って、背の高い建造物を指さす。

 なんてことのない、五階建てのマンション。

 

「もう目の前まで来た。あのマンションの五階に、知彁の部屋がある」

「ああ、あそこが――ん?」

「あれ?」


 なにか、おかしい。


 指さされた先の、窓。


 窓の向こう、カーテンが妖しく揺れて。


 シルエットが揺らめいて。


 五階の窓が、開いて。


 ヴェランダから。


 少女が、落ちてきた。


 刹那、その光景は幻想的でさえあって。


 ぐしゃっ――と。


 直後、少女の肢体は少女の死体へと変貌する。


 脈を調べてもいない、瞳孔を見ていない、脳波を計測していない、それでも。


 はっきりと、その死が、理解できた。理解できてしまった。


 丘沙木知彁は、息絶え――


 いや、まだ、誰かはっきりとは見えていない。確認、しなければ。


「き――救急車、呼んでくださいっ!」


 わたしは叫んだ。

 目撃してから、たっぷり一分以上は立っていたと思う。

 杜樅がどう対応したかも見ずに、マンションへ向かう。

 煙草タバコを吹かしてのんきな顔をしている管理人に怒鳴り散らして、一緒に五階へ駆ける。

 丘沙木家の部屋を見つける。

 どんどん。

 乱暴に扉をたたく。

 返事はない。

 ドアノブをひねる。

 扉は開かない。

 押しても引いても開かない。

 


「密室――?」

 思わず呟く。

 管理人に頼んで、一緒に管理人室に行き、マスターキーを持ってくる。

 カギを挿す。

 開いた。


 テグス。


 空っぽの、人の気配の消え去った部屋に、テグスがあった。

 長く長く伸びて、玄関から奥の部屋に伸びている。

 靴は一人分だけ、玄関に放ってあった。

 奥の部屋、南の部屋、ヴェランダ側の一室へと。

 カギは、ダイニングの机に、無造作に置いてあった。

 わたしは管理人に先んじて、南の部屋を開ける。

 人はおらず、テグスはヴェランダの方に伸びていた。

 遺書などは、何もない。

 ヴェランダに出る。

 隣の部屋のヴェランダとは距離があって、飛び移るのは不可能だった。

 下の階のヴェランダに降りるのも、安全に行うのは到底無理。

 四階から、さらに、大地に、落下した場所に、目を向ける。

 後悔した。

 たかが五階の高さなのに、知彁は壊れてしまっていた。

 吐き気に襲われるが、他人ひとの家だと思い、押さえ込む。

 救急車のサイレンが聞こえてきた。

 ついでに、パトカーのものも。

 

 こうして、丘沙木知彁は亡くなった。

 この忌まわしき事件の、二人目の死者となったのである。

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