第3話 玲子、聞き込む(その一)
夕陽で空が橙に染まりつつあるころ、わたしたちは目的ににたどり着いた。
糸浪硝子の店は、小さかった。右隣は空き店舗で、左隣はうらぶれたスナックバー。
扉の上に店名が書いてあるが、日本語でも英語でもないらしく、意味も読みもさっぱり判らない。
「何語なんでしょうう、あれ」
「ドイツ語かな。店主がカフカのファンなんじゃないかね。ガラスの城ってところかな」
わたしの疑問の声に、あっさりと玲子は答えた。
知彁がうなずいているので、正しいらしい。
この流れで、カフカって誰ですか、とは訊きづらかった。
柚雨が、扉を開けた。
外観から想像されるより、随分洒落た内装だった。雑貨やアクセサリー、その材料が、品よく並べられている。手書きの宣伝文句までも可愛らしい。
店主の性格が可愛い人なのだろう。店主の容姿は知らないが、この内装だけで玲子をはるかに上回る高評価をわたしの中で得た。
「なんだか、わたしより優れた人間を見つけたような顔をしているね」
「よく判りましたね」
「林くんは顔に出やすいからね」
BGMは、なんだか物悲しい曲調だった。クラシックだろうか。
「この曲は、わが祖国、だね。ブルダバ。カフカといい、店主はチェコが好きなのかね」
「そんな風にさも、みんな知ってることみたいに言われても」
「モルダウの流れって聞いたことがないかい」
「ないですね」
「きみは、義務教育でどんな音楽教育を受けたんだい?」
「発表する歌の練習以外に、音楽でやることってあるんですか」
やれやれ、とばかりに偉そうに玲子は首を振った。馬鹿にされた気がして、目をそらした。
テグスが目に入る。玲子の話を聞いたせいだろうか。
太さや素材がいろいろと書いてあるがよく判らない。ナイロン製が多いようだ。ポリエステルのもある。
「さて、関係者諸君はもう集まっているようだね」
「え?」
「ほら、店の奥。この店は横幅は狭いが、奥行きはあるらしい」
玲子が失礼にも指さしたほうに目をやると、三人の人物がいた。
三十くらいの女性が一人、捷玉高校の制服の少女が二人。
「やあ、お集まりいただきありがとう。わたしは曾根玲子という。話を聞かせてもらっても、よろしいだろうか」
芝居がかったしぐさで、玲子は言った。
それを受けて、制服の少女の片割れが、口を開いた。
「あなたが探偵さん?」
「いかにも。わたしこそ現代日本最高の探偵だ。むろん、興信所と一緒にしてもらっては困るぜ。探偵というか、探偵役さ」
「なにか解決した事件とかあるの」
「どんな探偵も、最初は実績はないよ。ジョン・クレイマーが死ぬまでは、ドルリー・レーンもただの名俳優さ」
柚雨は、話のわけが判らないという顔で、それはわたしも同じだった。だが、少女はどこか呆れたように、しかし楽しそうに笑って見せた。
少女にとっては、琴線に触れるものがあったのかもしれない。
玲子の同類でないことを祈るばかりだ。
「わたし、杜樅といいます。中矢間杜樅」
「そうかい、名前だけは聞いたことがあるよ。では、そちらが馴子かい」
杜樅じゃない方の少女は、突然名前を呼ばれてびくっとした。
馴子は硝子の姪だと聞いていたからかもしれないが、どこか三十くらいの女性と雰囲気が似ている。
「はい――そうです」
「なるほどね。で、あなたが、この店の店主にして、第一発見者――糸浪硝子だね」
年上相手でも敬語とか使わないのが曾根玲子である。
女性はうなずいた。
「ええ。警察にはもう、知ってることは全部話したけど――」
「要約で結構なので、ここで、もう一度話してくれたまえ。何も知らない林くんがいることだし。ただし、わたしが質問した場合、詳細に答えてくれたまえ」
なんで、こいつはわたしを理由に使うんだ。
こいつが林だ、とわたしを指さす玲子に向かって、硝子は語り始めた。
柚雨のように、玲子を信頼しきっているのではなく、高校生どもに付き合ってやっているという感があった。
「といっても、わたしが言えるのは、犬の散歩をしていたら、姪の友人の亡骸をみつけてしまったということぐらい。要約してしまえば、それだけよ」
「ふむ、では、現場の状況を聞かせてもらおう。典那の傷は、頭部だけだったのかね」
「ええ。私からはそれしか見えなかった――ちょっと待って、でも、警察が何か言っていたような――」
「ほかにも傷があったんだね?」
「ええと――たしか、手足に内出血の痕があったとかなんとか。死に至るよりも前に負った傷らしいわ。凶器も違って、素手によるものかもしれないって」
「なるほどね。わたしから付け足すと、後頭部にある一発分は明らかに生前の傷だと、警察関係者から聞いたよ」
玲子はこっちを見て、メモしたまえと言った。自分でやれ、とは思ったがやらないと後で面倒になりそうなので仕方なく、ルーズリーフを取り出しメモを取る。
「現場に不審なものはなかったかね」
「ビーズ」
「ビーズねえ。なぜ現場にあったか、あなたの見解は」
「典那のものよ。典那の左手首からブレスレットはなくなっていた。たぶん、取っ組み合いになっとき、ちぎれたんじゃないかしら。事件に関係ないなら、あんなに血が付かないでしょうし」
「血が付いていたんだね」
「ええ。飛び散っている全部に」
「ともかく、被害者は、ビーズのアクセサリーを身に着けていたんだね」
そうだ、と柚雨が言った。
「あたしたちは、みんなこの店に来たことがあったから、全員何か買ってたよ。典那はたしか――」
「ブレスレット」
柚雨を、知彁が引き継いだ。
硝子の言ったブレスレットとは、この店の物らしい。
「典那が持っていたのはブレスレットです。あのブレスレットは、硝子さんが輸入したビーズで、硝子さんが作ったものなので、世界にほんの少ししかないものです」
「へえ。ほかには誰が」
玲子の疑問に答えたのは、硝子だった。
「そもそも、私が作ったのは五つだけで、売れたのは四つ。買ったのは、典那自身と、杜樅と、あとは、お得意さんが二人。そんなに人気がなくって」
「つまり、そのブレスレットを所有しているのはその四人だけだと?」
「いいえ。素材のビーズ自体は、この店で売っているから、作り方さえ判れば誰でも作れるわ。まあ、これを知りたがる人も少なくて、教えたのは柚雨さんと知彁さんだけ」
「その二人が作り方を別の人に教えておらず、だれにも贈っていないなら、持っているのは六人だけ、と」
その会話を聞いて、杜樅はちょっと驚いたような顔をした。柚雨も、そーなのか、とか言っている。
なぜか楽しそうに、玲子は笑った。
「そのブレスレットでは判りにくいね。何か商品名はないかい」
「格好つけて、
「ははは、プラハの時計が由来か。オルロイと同じビーズの組み合わせの商品は」
「ないわ」
「もう一つ、例のお得意さん二人は、典那と面識はあったと思うかい?」
「私の知る限り、ないわ。この中であるとしたら、馴子くらい」
馴子は、再びびくっとした。少し可哀そうだ。
だからといって、何かしてやれるわけでもないが。
「二人とも、作り方をさらに誰かに教えたことは」
「あたしはないよ。作り終わったらすぐ忘れたし。知彁は?」
「わたしも――誰にも、教えてません。硝子さんほど教えるのがうまくないから、教えたって無駄でしょうし」
「なるほどね、では次の質問――被害者の服装は」
柚雨と知彁の返答を聞いた玲子は、矢継ぎ早に硝子に質問を投げつけた。
「え? 不思議なことを訊くのね。ううん――よく覚えてなくって、早朝で、まだそんなに明るくなかったし」
「色なんかは結構。大雑把な形状で構わない。半袖だったか、長袖だったか。スカートだったかズボンだったか」
「それに沿って言うなら、長袖で、ズボンだったわ」
そう聞いた玲子は薄気味悪い笑みを浮かべてから、周りに向かって疑問を告げる。
「普段の格好はどうだったんだい」
「私服は大体そんな感じ。露出が少ねーヤツだった、よな?」
「――うん」
柚雨、知彁はうなずき合った。
「見る限り、捷玉の制服はスカートのようだが、制服の時は――何か変わったことは」
「いいえ――特に気になることはなかった。中学の頃は、冬服から夏服に代わるのが遅かったけれど、まあ目立つほどでもなかったし」
「寒がりだって、言ってたし、ね」
今度は、典那と同じ高校の杜樅、馴子がうなずき合う。
それを見てから、「そうだ」と言って柚雨がスマートフォンを取り出し、いじくりだした。何か思いついたらしい。
ろくでもないことでなければ良いが。
「ほら、前撮った写真があるよ。この間の、三月に撮った写真。これで、普段の服装が判るだろ」
ほれほれ、と柚雨は、探偵曾根玲子にスマートフォンの画面を見せつける。わたしも、画面をのぞき込んだ。
興味がないわけでも、なかったから。
彼女らの、出身中学校の近くだろうか。
まだ咲かぬ桜の木を背景に、少女が五人映っている。
左から、柚雨、知彁、典那、馴子、杜樅。背の並びが、右の短いVの字にも見える。柚雨は体格がよく、知彁と杜樅が平均的、典那と馴子は小さめだ。
どいつもこいつも、楽しそうに笑っていた。
数か月後の残酷な別れなど、もちろん想像していない。
それどころか、進む高校が二つに分かれたというのに、それで疎遠になる危険性を一顧だにしないような、無邪気な笑み。
知彁は少し気が引けるような表情だし、杜樅は皮肉っぽさを演じてはいるが、楽しさを隠しきれてはいない。
典那なんて、カメラに右の
「うん――たしかに、典那は特に肌を見せていないね。まあ、これは三月の写真だが」
「いやほら、これ夏休みに撮った写真。どう?」
「夏にしては肌が出ていないね。寒がりだから、で納得できる範囲ではあるが」
柚雨と玲子の会話を聞いて、はっとした。服にまったく注目していなかった。
玲子はもう結構と柚雨に言って、硝子にまた質問する。
「被害者の
「うーん――まず、ビーズのアクセサリーを手作りする場合、ビーズをつなぐのには、テグスっていう、一種の
「ふむ」
「ブレスレットが壊れるとしたら、テグスが切れたからね。そうでなければ、あんなに飛び散らない」
「そうだろうね」
「問題はテグスが簡単に切れるか。テグスは、本来は
「なるほど」
蛾。
予想外の原料だった。
コチニール色素は虫から取ると知った時以来の衝撃。
「一番多いのはナイロン。あとはフロロカーボンとか、ポリエステルとか。釣り糸と一緒ね。で、強度はねえ――どれも、手で引っ張ったくらいじゃ、普通は切れない。すごい筋肉の大男が、取っ組み合いになれば切れない保証はないけど」
「劣化はどうだね」
「どれも多少は仕方ないわね。特にナイロンは、紫外線に弱いわ。それに、ナイロンもフロロカーボンも、細かな傷ができるとどうしても強度は落ちる」
「劣化したなら大男でなくとも」
「切れるでしょうね」
玲子は満足そうに、鷹揚にうなずいた。
「で、
「私は、ナイロンで作って売ったわ。作り方を教えた二人も、ポリエステルやフロロカーボンを買ったことはない」
それは重畳だ、と玲子は芝居ががった態度で言った。
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