第8話
次の日、マクシミリアン公爵は珍しく午前中の出勤をされなかった。
刺客が送られたんだから、当たり前かもしれないが。
いつもは八時前には出勤されるのだが、さすが筆頭魔術師というべきか。家から直接宮廷へ転移される。転移魔法陣で宮廷に繋がっている屋敷。そうそうないだろう。その魔法陣も公爵がいないと使えないように細工してあるそうだ。
出勤されなかった理由は、お茶の時間に理解した。
「吐いたぞ。リンドウ侯爵家からの刺客だったようだ」
お茶とお菓子を給仕していたら、唐突に言われた。いえ、分かりますけど。昨日の男の身元ですね。
「簡単に吐きましたね」
「私が直接尋問したんだから当たり前だ」
「え? まさかご主人さまは拷問でもされるんですか?」
思わず顔がひきつるよ。
「拷問は趣味じゃない。精神に作用する魔術を使ったんだ」
おまけに、公爵の返答は変だ。拷問が趣味な人なんてそうそういませんよ、たぶん。
精神に作用する魔術……何それ、こわっ
私なんて、昨日の土を少し掘るっていうあれで精一杯の魔法なんだ。
それを精神に干渉してしまう魔法を使うなんて……、まさか考えを読まれている? 私は思わず後ずさりしていた。
「おい、精神への魔法はするほうも大変なんだ。そうそうできないものだ」
「ほっ、それを聞いて安心しました。それで、その侯爵家はお家とり潰しですか?」
「証言したのはいいんだが、いかれちまった。たぶんだが、吐いたら自殺するくらいの魔術をかけられていたようだな。自殺はなんとか止めたが、精神がやられた。身元も調べているがたぶん証拠は見つからないだろうな」
「証拠不十分ですか」
「以上だ。このことは口外するなよ。昨日の手柄があったから話したが、本来、知らないほうがいいからな。それより、本当に昨日はあの時間体力作りをしていただけだったのか?」
「何かを感じてあの時間運動していたなら、それは、女の勘でしょうか。お慕いする気持ちの表れと言いますか」
自分でも、は? と思うような回答をしていた。
公爵と長く話せたことで脳内にお花が咲いたんだと思う。
エンドルフィンとかエンドルフィンとかエンドルフィンとか。……脳内快楽ホルモンなんてそれしか知らない。
今までで一番おしゃべりをしたとウキウキしていたのだが、よく考えると同僚たちに話の内容を言えない以上、自慢もできない。
ぐぬぬ。かえってフラストレーションが溜まってしまった。
ウキウキとジレンマの波が終わりを告げた。それは唐突に。
カレンたちが休憩に入ろうとする私の腕を引っ張って空き部屋に連れ込んだ。
「マリー、聞いたぁ⁉ 旦那さまが婚約なさるって話ー」
「旦那様って誰」
「公爵! マクシミリアン公爵、もっと言うならブルータス・マクシミリアン公爵。ミドルネームは忘れた」
「いや、ミドルネームないから」
「分かってんじゃん!」
私は突然の悲報にも突っ込みをした自分を褒めたたえたい。吉報を悲報と捉えるのもどうかと思うが、私視点ではそうなるのだ。
きっと、いつかはこんな日が来ると覚悟がどこかでできていたのだろうか。
「相手は誰?」
「花の名前のような侯爵家だったんだけど……」
「リンドウ侯爵でしょ?」
「は?」
「そうそう、そのリンドウ侯爵家の令嬢だってよ。うちらと違って奇麗で優秀で金持ちのご令嬢だってよ」
ベスが言うリンドウと言えば、先日の刺客を放った家じゃないか!
なぜだ。
「ベスはその令嬢を知ってるの?」
「ベスが知ってるわけないでしょ。私が教えたの」
フローラが答える。確か歴史の長い子爵家だったか。
「フローラ、婚約話はどちらから出たものか分かる?」
「ふふん。私の情報網はもちろん、ばっちりよ。リンドウ家が送ってきた似顔絵を見て旦那さまが了承して、昨日両家で会ったようよ。ま、昨日は顔合わせね」
私はふらつきそうになる足を踏ん張る。
「マリー、どうするの? 愛人……はムリだと思うけど。相手は社交界でも有名な麗しい美少女だって話よ」
「少女なの?」
「マリーより二つ上の十九歳なんだけど、楚々として儚い感じがマリーより若く見えるかも」
「マリーは私より老けて見えるからねぇ」
「……カレン、私と一つしか違わないよ?」
「十代の一歳は大きいのよー」
確かに名前の通り、可憐だけど、今それを言って、人の傷口に塩を塗りたくるのはどうかと思うが。
それより、気になるのはなぜ婚約と言う話になるのかってことだ。
公爵が相手に何か弱みでも掴まれたのでなければいいが。数日刺客は見張っていたようだし、他に私が気づかない仲間がいたのだろうか。あの騒ぎに隠れて屋敷の中から何かを持っていかれたとか? いや、公爵に限って不正などしないだろうけれど。
それとも、弱みを掴むために婚約を?
私が難しい顔で考え込んだからだろうか、カレンが焦ったように言う。
「で、でもほら、マリーにもいいところがいっぱいあるっていうか……うん! お菓子をおいしく作れるしさー」
「それ、仕事」
「うちらより力持ち!」
「ベス、それ女としては男性に人気ないらしい」
「マリーが冷静で安心したよ。昼を食べにいこうか」
「そだね、フローラ」
なんでもおいしいはずのご飯に味がしないと感じたのは生まれて初めてで、なかなかにない体験をしたと思う。
それを言ったらフローラから「全然冷静じゃなかったか。ごめん」と謝られてしまった。
私は冷静じゃないのか。
確かに、公爵の身が危ないかもしれない状況に、冷静でいられないのかもしれない。
そうだ。これは公爵にとって本当にいい婚約なのか、おいしいと言われた私が確かめなくてどうするよ!
沸々とたぎる血潮を感じる!
私はガタンと椅子をならして立ち上がり「リンドウ家を確かめる」とカレンたちに言い放ち、スタスタと歩く――
――マリーは歩きながら、はて? どうしたら、どこに行ったら、確かめることができるだろうか、と思案にふけり過ぎ、その思案と行動は壁に激突することで止ったのだった。
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