第6話
いつの間に眠っていたんだろう?
私は薄暗い中で目を覚ます。床で寝たため、少し体がギシギシ言うところもあるが、こんなのは訓練で慣れている。少しストレッチングをして、体のコリをほぐす。
ふぅとため息をつくと、私は荷物をまとめ始めた。
マクシミリアン公爵との一番最初の出会いは即答で断られたんだ。今回は四か月近くも持ったと思えばいい。
ただ、次の公爵に近づく案が浮かばないだけで……
私は頭をぶんっと振り、荷物に手を掛けようとして駆けてくる足音に気づく。
ドアがバンと開けられた。おい、ノックはどうした。
はぁはぁと息をついているのはカレン。その後からベスとフローラも来る。
「そんなに急がなくても、すでに荷物はまとめ始めているよ」
「……っはぁはぁ。そ、じゃなくて、出て行ったの!」
「ん?」
「リリアンが追い出されたの!」
「うちらは不問! ではないけど、お小言で終わった!」
カレン、フローラ、ベスが答えるけど、頭がちょっと自分に都合よく考えているようだ。
「誰が出て、誰が追い出されたと?」
「リリアンが出て行ったのよ! 正確には旦那さまが追い出したようなものでしょう?」
「なぜ?」
「知らない」
彼女たちは顔を見合わせて首を傾げる。
いや、カレンたちが分からなければ、私はもっと分からないよ?
「私がトビアスのことをばらしたから?」
「まさかぁ。そのこと聞いたら、他に三人はいるって旦那さまも言ってたよ」
目を瞬く。四人とってことは、公爵入れたら五股ですか……。
公爵は知っていたのか。私はばらしたことにもなっていなかったってことか。
そんな私にはお小言もなかった。
となると、残りは……
「とうとう、私の美しさに気づかれたのね!」
「ないないない」
「そうだよ、それはないね。メス猫のほうがずっと可愛かったよ」
「うんうん、可愛さではメス猫に負けてるよね、マリーは」
おい、一人くらい私の味方はいないのか?
その後、数日経っても、公爵の口からリリアンに関することは一切出なかった。
ただ、お菓子をお出しすると「おまえが作る菓子はうまいな」と言われた。
あれ? 君からおまえに格下げ? これが私への罰でしょうか?
それでも、お菓子の腕を褒められたんだ。明日からも、もっと頑張ろう!
マリーはお菓子作りを頑張るために体力を磨こうと、朝の走り込みのタイム上げを始めたのだった。
カレンたちは「マクシミリアン公爵ご乱心の巻」と噂して回っていたが、その名言もすぐに忘れ去られた。
名言すら忘れ去られたけれど、私は公爵の言われた「おまえが作る菓子はうまい」の言葉は忘れない。
たぶんだけど、私の作る菓子は公爵の家族の思い出の味なんだと思うから。
学園を卒業後、すぐに公爵家で働けず、公爵のお母さまの実家であったミラー伯爵家で九カ月間下働きをした。下働きは平民のする仕事という観念の元、私は貴族の子女であったことがばれて、辞めさせられた。その後とある侯爵家にスティルルームメイドの試用期間に公爵家に空きが出ると聞いて移って来れた。
そのミラー家での下働きというのは、キッチンメイドの下、スカラリーメイドのことだ。
薪をくべたり、煙突掃除や灰のかき出し、食器洗いなどをしながら、料理人がお菓子を作るのを横目で見ていた。ミラー伯爵家にはスティルルームメイドはいない。そこまで多くのメイド職に分かれていなかった。
料理長は気のいいお爺ちゃんで、私がお菓子作りに詳しいと知って、色々教えてくれた。一つには、重いものは私が代わりに担当したからというのも大きいとは思うが。百キロの小麦袋を担いだら、驚かれた。
ミラー伯爵家はザラメを隠し味で使うことが多いとか、ブランデーなら、どこの産地のものをお菓子には好まれるとか、そんなたわい無い話だ。
ナッツならクルミとかより、ピスタチオやカシューナッツを好まれるとか、そんな小さなことだったのだけど、それがきっと「おまえの菓子はうまい」の理由なんだと思うんだ。
――懐かしい味だから。
ミラー伯爵家の娘たちは結構活発な女性が多いらしく、お菓子作りなどもしていたようだ。公爵のお母さまにも自分が教えたんだと自慢げに料理長が語っていたから。
だから、その材料が公爵家では使わないような最高級品ではなかったけれど、私はこっそり仕入れてそれをお菓子作りに使った。
インパクトはなかったかもしれないけれど、懐かしさは感じてくれていたようだ。
その「おまえが作る菓子はうまいな」を聞いたとき、嬉しすぎて少し足がもつれた。
とたんに閃く頭脳。ぴかぁ~。……悪知恵とも言うか。
「あらぁ~」と自分の耳で聞いてもわざとらしさ全開な声が出たけど、構うもんか。私はそのまま倒れ込むふりをして、公爵のがっしりとした腰に抱きついた!
やった! 初めて触った! と思ったのも一瞬のこと。
さっと払われてしまい、どさっと本当に倒れ落ちた。
こちとらまだ令嬢なんだけどな?
きっぃと思わず睨みながら見上げると、見下ろす切れ長の目はお怒りの色が見えていて、すぐに尻尾を巻く。
うん、この思い出は封印しよう。
忘れないのは、私をおいしいと言ってくれたこと。
……あれ? なんか違うような、気もするが。きっと、こまかいことを気にしすぎなんだ。
私は楽しくお菓子を作りながら、平穏な日常を送っていた。
そこに不穏な影を感じるようになったのは夏も終わり、朝の走り込みに涼しさを感じるころだった。
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