第9話
ある程度自分たちの目的は達したが、カウェルはむしろここからである。集積所に預けた物資を使って自分の顔を売らねばならないからだ。ジャック達も密着取材という形で居残ることを決定し、3人は広場で簡素な食事を摂っていた。
「簡素と言っても、肉は食べられるんですね」
「多すぎるくらいだからな。むしろどんどん消費すべきだ」
ミニグリルで持ってきていたステーキをじっと焼く。本来なら鉄板でしたいところだが、そんなものは無いので直火でじっくりとするしかない。マイアラークは既に胡椒と唐辛子を自分のものにふりかけていた。味覚大丈夫かこいつ、と思わなくもないが別に壊れているわけではないらしい。単なる辛党である。
野菜は牛に食べられない南瓜やピーマンが主で、キャベツなどは高価なので少なめ。後は適当に持ってきたパンだ。最悪密着取材を続けるなら食事は車で都市まで戻って買い付ければいいだけの話なので大して問題にはならない。どちらかと言えばマイアラークが風呂に困るくらいだろう。
虫や鳥の細い鳴き声を背景に火を囲んでいるのはどことなく落ち着いた雰囲気になる。その光景一つが絵になるような静寂の美しさというものをジャックは気に入っている。普段ドタバタしすぎだからだろうか。先日も川でのんびりしていたと言うのに、続けてやっても苦にならないのはいい。
パチパチ炭が爆ぜる音もこの光景の音楽を支えるベースの一つだ。誰もが黙っているのに和やかに時間が過ぎていくのは、言葉の代わりにその音楽があるからだろう。
ふと気づいたかのように肉を裏返しては焼き色を確認する。肉に柔らかさを求めるジャックの好みは半生だ。これくらいでいいか、と誰よりも先に肉を皿に盛る。マイアラークは中までしっかり火に通ったのが好みで、もうしばらくかかるために野菜を取った。やはり同じように調味料を振っている。カウェルはそもそも好みに気づくほど食べてないので、どのぐらいで取るべきか悩んでいた。
「ホルモンは焼くか?」
「そんなものまで持ってきてたんですか? 味付は?」
「ニューベジントン産のタレ漬け」
「なら食べます」
耐水性の紙袋に包まれたホルモンを投下すると、滴る脂で一気に火の強さが増す。これは焦げるとカウェルは慌ててステーキを引き上げた。焼き加減による細かな違いというものはわからないが、食べると口で溢れる肉汁は素晴らしいものだといつも思う。これがパンより食べれるなど天国か。ウェイトルセルではきっと貴族しか口にできない値段に変身してしまうだろうと思えるほど美味い。
「ホルモンってなんです?」
「腸だ。臓物肉だな」
「そんなところまで食べれるんですか!?」
「脂っ濃いけどな。ニューベジントンの大豆ダレを使ってるから美味いぞ」
「あれのおかげで牛肉はさらなる進化を遂げましたよね。とはいえ私は牛肉は飽きが来てるので最近は離れてましたけど。味は格別なんですよねえ……」
「最近豚ばっかり食ってるだろ。食費嵩んでるんじゃないか?」
「よく見てますね……その通りうっかり食費を予算オーバーしてしまいました……」
お手上げとばかりに両手が上がる。そろそろバリト市民らしく牛に戻るとしますかとマイアラークは諦めの境地だ。背に腹は代えられないのである。
「鶏はどうなのですか?」
「この国じゃ一番食べないんじゃないかな。それを食べるくらいなら牛を食え、って言われるし。卵を産んでもらわないといけないからな」
「ウェイトルセルでは一番の平民が食せる肉ですけど、国が変わると大きな違いが出るものですね。そういえばさっきウェイトルセルの商人からそば玉貰ったのですけど」
「お、いいじゃないか。ホルモンに混ぜよう」
「はぁぁ、匂いがたまらなくなってきた……」
ホルモンの爆発的な香りが広がる。近場にいる兵士は警備が終わったらオレも肉を買いに行くか、と食欲を増進させていた。ついでに加えられたそばも混ぜられて野菜も一緒に焼けばカンタン焼きそばの完成である。
「うむ、美味い!」
「すごいですね、このホルモンとやらは。クニュクニュしてて、柔らかさと弾力の硬さが同居してるようで……噛めば噛むほど味が出て……。そういえば昔、テッタリアというものを腹が減った時に噛んでたことがあるんですが、あれとは全く別物です」
「やめろ……あれの話はするな」
泣きたくなるじゃないか。とジャックはトラウマをえぐられた渋い顔をした。気になるマイアラークは何ですそれと当然聞くが、ジャックは答える気がないようなのでカウェルが答えた。
「感触がこれに似た植物です。口寂しい時に噛むものなんですけど、あまり味気がなくて……ここまで肉汁がすごいものを食べてると自分がどれだけひもじい思いをしていたかが思い出されてみじめになります」
「そんなものを……先輩貴族の家だったんですよね、何で食べたことあるんです?」
「オレが親にモノを強請れるような人間だと思うか? 厳しいのもあったし自分から家から遠ざかってたからな。晩飯以外はああいったもので凌いでたんだ」
「壮絶過ぎる先輩の過去話に泣きそうですね、もっと食べても良いんですよ?」
「今思いっきり食べてるだろ」
ヨヨヨ、と泣き真似して同情するマイアラークに据わった目で睨む。
「とはいえ、今考えれば自室で食事を取ればあんな思いせずに済んだのだろうな。何でそんな事すら思いつかなかったのか……」
「それほど家が嫌いだったんですね」
「厳しすぎて会えば口うるさいし、目の前で何かしらミスをすればすぐ殴られたからな。厳格というより横暴だったよ、まるで自分こそが法だと威張ってるようでな」
「レイリー家は法務を牛耳ってますから、そういうこともあるのでしょうか……」
「そもそも何でそこまで扱いが悪かったんです? 先輩普通に頭いいですよね、というか前期待されてたって言ってませんでしたっけ」
「期待の裏返しってやつだよ。長姉が優秀過ぎたからオレもそうじゃないかってな。唯我独尊すぎるからどこの派閥にもつかなかったせいでオレにお鉢が回ってきたんだよ。ところが蓋を開けてみれば姉ほど優秀でないオレは毎日怯えて暮らさざるをえないハメになったってわけ」
「家格が高いことが幸せだとは限らないんですね。今こうして肉をかじってるとなおさらそう思います」
「ひどいなぁ……先輩、今から家潰しに行きません?」
「やっぱ物騒だねお前さん」
今なら車をアクセル全開で走らせて家にぶつければ大爆発起こして消えてなくなるのでは? と不意に思ってしまうジャックも結構物騒である。人のことは言えたものではない。
「この話はとりあえず置いとこうぜ。メシが不味くなる」
「新聞に掲載したらファンが大勢ウェイトルセルになだれ込みそうですね」
「だからやめろって」
そんな感じで雑談をしながら食事が終わった。テキパキと後片付けをするとこのような片田舎では特にやることがない。せいぜいがカウェルの持つボードゲームをすることぐらいだろうか。
「ふぅ、お腹いっぱいで動けません……」
「デザートが欲しいです……口の中の脂が消えません……」
「せめて果物くらいは持ってきておくんだったな。失敗した……」
男の杜撰さはケアも怠るのか。やっちまったと後悔するが後の祭りだ。
「寝る時はどうする? オレが荷台にいってもいいが」
「ほう、先輩は私に付き合いの短い男の隣で寝ろというのですか?」
「さ、さすがに襲うような非道はしませんよ?」
「ちげぇよ。素振りでも見せたらむしろ襲われるんだよ。銃で」
「ですねぇ、軟弱そうなカウェル君なんて一捻りです」
「き、危険すぎる……僕が荷台に行きましょう」
ちょっとでも触れたら脳天に穴が空くかもしれない。そんなデンジャラスは御免こうむると席を譲る。
「とりあえず僕は少し風にあたってきます。食休憩が必要です……」
「あいよ、迷子にならないようにな」
「うわ、すごい」
カンテラを持ってカウェルは平原へと向かっていた。
肉の熱によって火照った身体が、大河を撫でた風によって冷やされるのを感じる。美味しい空気でも味わうかのように深呼吸をしたカウェルは改めてこの夜景を眺めた。
広い平原には放牧されて好き勝手に転がっている牛達がいる。その周囲には淡い光を放つ虫らしき何かが飛んでキラキラと輝いている。牧歌的でありながらどこか神秘を纏い、神の住処と錯覚して祈りを捧げそうになる。というか捧げた。この国からでは国神ユークスには届かないだろうが、せずにはいられなかった。
ゆっくり歩いて眺めていると時々亀裂に引っかかりそうになる。地震の爪痕は夜闇に隠されまるで今日の出来事がなかったかのように見えるが、こうしてこけそうになることで不意に現実を思い出す。
「本当に、大変な1日だった」
ラストルバリトに馴染むというのは本当に大変だ。流されずに、自分で決めて、責任を持つ。親元では理解できなかったことを教えられる。しかしそれは大人になれば当たり前に覚えることだが、ここではそれが顕著で実行するに難しい。
今回の一件だってそうだ。地震という災難にあった人がいて、困窮している人がいる。それを自身の利益のために利用するために支援を決行した。要するに偽善だ。誰かの役に立つためなどとおためごかして未来の投資として保身に利用した。他人の感情を利用して騙すような行為は故郷では嫌悪されることだろう。
――困っている人がいるのにそんな事考えてるだなんて。
――人間の風上にも置けない。
多分、こんな感じで責められるはずだ。だが、それは自分で決めたことで、それについて堂々と言ったところでジャックや市民から責められることはなかった。理論武装して平静を装って衝撃に備えていたのに、とんだ肩透かしになった。
どうして責めないんですか? と聞きたかったが、自分の心の中では恐らく理解できているから言わなかった。結局はどれだけ取り繕ったところで、自分がすることが変わらないのであれば言葉をいくら替えたところで根本的な部分は何も変わっていない。
つまり、カウェルは自身が生きるためにどのような形であっても商売する事は避けられない。
だから意味など無いのだ。僕は僕の利益のために貴方達の不幸を利用してしまいました、すいません――個人のそんな罪悪感による感傷など気にされることもない。
この状況になってみると、責められた方が実は楽だったのではないかと気づく。その方が罪悪感の解消につながる気がする。背負い込んだ自身の行動の責任というのは本当に重い。
「何だか犯罪者になった気分だ……まさか罰せられた方が楽だなんて考えもしなかった」
この国では犯罪件数はゼロだ。法がなく、裁く者もおらず、犯罪と定義されないためにそういった概念が存在しない。何か問題があれば大抵の場合は当事者同士で片がつくのがこの国の暗黙のルールだ。報復してケジメをつければそれで終わり。
だからこそウェイトルセルの一般的な感性を持つカウェルは、一見楽なように見えるシステムのその重さを理解できる。例えば不意に理由もなく人を殺してしまったら、当事者はずっとそれを抱えて生きなければならない。贖罪の機会も与えられず、許しも乞えない。そんなのどうすればいいのだろう。
そう思ってしまうのは弱いからだ。バリト市民を見ろ、いつも誇りを持って堂々としてるじゃないか。あれこそが自分が持つ責務に対する付き合い方なのだ。
そしてそれはカッコイイ生き方であった。
ああいう風になりたいと思わせる生き方をバリト市民は男も女も関係なく皆していた。それぞれの誇りの衝突がたまにとんでもない事態も巻き起こしてるそうだが、終わったら水に流して笑って暮らせるいい街だ。
それを考えればウェイトルセルはなんとがんじがらめで卑屈なことか。考え方が誰も彼も閉鎖的で、屁理屈をかまして他人のせいにする事ばかり考えている。罪を負うと執行官が裁きに来る、そういう風に教えられた。子供の頃の寝物語の一つなのかもしれないが、トラウマを植え付けられたのは間違いない。そのせいで自分が、自分だけは悪くないと自己擁護する者たちも多かった。
「ここにこられて、本当に良かった」
生き様というものを見せつけられた。自分や同国の情けなさを知った。博打のように駆け出してここに来てしまったが得られるものがあった。
「ずっとこっちで商売するのもいいかもしれないな」
そう思わせるだけの魅力を、カウェルは感じていた。
さて、物思いに耽るのは辞めてそろそろ帰ろう。そうして振り返った時、ふいに視線に入った何かがあった。
「なんだろ、あれ、……光?」
そこにあったのは小さな亀裂だった。その亀裂からは白い光がにじみ出て波打っている。
誘われるようにカウェルはその光に寄っていく。そして一体中で何が光っているのだろうかと覗き込んだ時、
――そこでカウェルの意識は途切れた。
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