第7話
それは住民が寝静まったある夜の事だ。
一仕事終えてジャックはいつもの肉盛りの食事を終えて、ベッドで爆睡していた。これと言って変わったことのないささやなか日常(ジャック比)を謳歌し、そして再び新しい変わらない明日が来るのだと考えていた。ところが日の出もまだ早い時間に、唐突に彼は目が覚めた。
予感というものがあるのか、それは天からの声なのか経験則に基づく危機感か。得体の知れない何かに駆られてベッドからのそのそと立ち上がる。
「何だ……?」
気味の悪い痺れが肌を走り、身体が浮くような感覚になったと思ったその時だ。
「お、お……おおぉ? おぁぁぁあぁ!?」
連鎖的な轟音と、家屋を揺るがすほどの巨大な振動が起こる。それは故郷でも久しくないほどに味わう地震だった! さながら野生動物の大移動を数十、数百倍にしたようなビリビリ来る揺れが大陸中に響き渡っているように感じる。ほんの僅かなラグを挟んだ後、そこかしこで建造物が崩れる音が聞こえた。場所によっては石造りの家だって残っている、恐らくはそれが倒壊したのだろう。続いて人々の叫び声が響き事態は次々と深刻さを増していった。
「ぬぉぉ!? なんじゃ何が起こった!?」
二階のダンドルトの大声が自室の屋根裏部屋にまで響いた。全く地震に負けてないとは驚きだ。
「うるさいって事は無事だな爺!」
「うるさいとはなんじゃうるさいとは! ちったぁ心配の一つでもせんかい!」
「建物の下敷きになったってその筋肉がありゃ生き延びれるだろ!」
そんなわけあるかアホが! という文句を流して、揺れが収まり始めたのを機に2階へ飛び降りる。未だにギチギチと家屋が音を立てているが、気にしている場合ではないだろう。ダンドルトは右手にカンテラを抱えてふざけた居候を鼻息荒く睨みつける。
「結局なんじゃいこれは」
「地震だよ地震、オレもこんなデカイのは初めてだぜ」
「前に経験したことがあるのか?」
「ウェイトルセルの北方に火山があるから、たまにな」
じゃあこんな時はどうすればいいんじゃ? と問う。頭がはっきりしてきたのか、ラストルバリト人らしい明瞭さと論理性が蘇ってきているようだ。
「普通ならテーブルの下なんかに隠れたりもするが、もう収まり始めてるしそれについては次が来たら程度に考えときな。あとは棚とか倒れやすいものを固定するか、外に出て安全なところに避難しておくべきだろう」
「……鉄筋の家屋で良かったのう。お前さんはどうする?」
「決まってるだろ、まずは会社の状態を見に行って、そのまま取材だ」
ついでに被災者がいればできるだけ救助してくる、と言い放ちジャックは駆け出していった。
「やれやれ、いくつになってもきかん坊な気質は変わらんわい。というよりあいつ幼児帰りでもしとるんじゃないかのぅ」
ぶつくさ言いながら散らかった工具を片付け始める。朝日が昇るまではまだかかるだろう。だがラストルバリト人にとっての長い1日は既に始まろうとしていた。
「ほっ、……はっは。おぉ、なんだ無事じゃないか」
新聞社のビルは古臭いなりをしていながら全く崩れた様子がなかった。レンガ調と聞いていただけに心配だったのだが……。
「んん? レンガ調?」
壁をさらりと撫でてもレンガの凹凸が感じられない。つまりこれは……
「塗装かよ……。ちゃっかりしてるなぁ、なんで今まで気づかなかったのか」
果たしてどういう意図で社長はこのようにしたのか、理解は出来ないが無事ならいいか、と考える。ここは自身の拠り所の一つなのだ、壊れてしまうほど虚しいことはない。
「あ、先輩先輩せーんぱーい! 先輩も来てたんですね!」
「連呼しなくても聞こえるから、恥ずかしいからやめなさい」
「今この状況でそんな事気にしてる人なんていませんよっ」
「オレが恥ずかしいの」
どうやらマイアラークも無事のようだ。あとは社長とその他大勢の社員であるが、堅牢な豪邸に住む社長はともかく他の社員の安否も確かめねばなるまい。
「もう大変だったんですよ! ベッドから落ちるしカメラは落ちそうになるしお腹にボルちゃんは降ってくるし!」
「落下物ばかりじゃねえか、それとボルちゃんってなんだ」
「私が飼ってるにゃんこちゃんです! 鳴き声が渋くて可愛いんです!」
「はいはい、気が向いたら取材してあげるから、許可とっといてね」
「にゃんこちゃんにどうやって許可なんてとるんですかー!?」
「気合気合。さーて、んじゃ救助活動その他もろもろに励むとしますかねえ」
やる気を上げているジャックをマイアラークは不思議そうに見つめた。
「どうしてそんな気合入ってるんです? 皆自分でどうにかするでしょう?」
「バリト市民の気質ならそう思うのもわからんでもないがな。それでも瓦礫に潰されて出られなくなったりする身動きの取れない人だっているだろよ。だったら手助けくらいはしてやらにゃーなるまい。それに、祖国で執行官の職についてた時は、割りとやってたもんだ」
「向こうでは地震がそんな頻度で起こるんですか?」
「細かいのがな。それでも建築の発展具合がここより数段劣ってるから、その程度でも崩れる場所があったりしたんだ。国に仕えてる身分からすれば、人民を助けるのは義務でもあったからな。その感覚が抜けないんだろ」
ふーん、とマイアラークの感想はシンプルだ。ドライだったり割り切りがいいのが美徳だが、なんとなくこういう時は薄情に見えてしまう。
「ほら、さっさと行くぞ。ちゃんと写真も残しとけ、後々の教訓にもなるからな」
「はいほーい」
被害統計を取りつつ都市一帯を練り歩いた。被害を受けたのはほとんどが旧市街に集中していて鉄筋に入れ替わった家屋のほとんどは無事だった。そのためジャックの救助活動も大した手間にならなかったのだが、ふとこういう時に軍隊のようなものがあれば捗るんだろうが、と思わなくもない。とはいえさすがは自力で何とかすることに定評のあるラストルバリト人、ほとんどの人間が精強であり初めてに近いだろう地震にも取り乱すこと無くテキパキと対処していた。
そこそこの時間が経ち会社に戻ると社員が全員来ていた。見回しても特に怪我をした者はおらずサンダリーがこけてこぶを作った程度らしい。他と比較するとつくづく運のない男である。
「ふぁあ、ねむ。これから仕事もとは、やってられんな」
「そうだね、私が働きたくないのだから君がそうでも不思議ではない」
「社長が働いてないのはいつもでしょうに」
それを言われたら返せないな、などと笑う社長は少しの間仮眠をとるといい、と言うとさっさと自分の椅子に座り本を読み出した。釣られて他の面子も徐々に仕事を始める。スナップ・ベンサムはいつも通りの日常を取り戻しつつあった。
仮眠をとってから再び取材へ、とフィールドワークを始めると少ししてから見たことのある青年がいた。パーマがかった髪を歩くたびにふわふわ揺らしながら、荷物を馬車に運んでいるカウェル・ベインズだ。あの日彼の失態を説明し国の文化を教え、慌てて飛び出していってから知れなかったが、きちんと仕事を回せているようだ。よぉ、と片手を上げて呼びかけるとかウェルはぱっと明るい顔を作って寄ってくる。
「こんにちはジャックさん! 以前はありがとうございました!」
「ちゃんと仕事はできてるようだな」
「はい、ちゃんと謝罪したら皆許してくれましたので、今では色々と教えてもらっています」
一度混乱から立ち直れば、元々人懐っこそうな愛嬌を振りまいているカウェルはあれやこれやと世話を焼いてもらったようだ。他国人がラストルバリトの文化を受け入れた、というのは市民たちにとって嬉しいことのようで、彼が独り立ちするための手段をにこやかに教授してくれるらしい。件のボードゲームも売れて小金持ちになっているようだ。
「お前さんはラストルバリトでは赤子みたいなものだからな。自力大好きな彼らでも何も出来ない子を放置するような人でなしじゃないからな」
「はは、そうみたいです。おかげで毎日楽しいですよ」
「いいことじゃないか。それで、今は何をしてるんだ?」
よいしょと木箱を馬車に積むカウェルに問うと「災害支援です」と答えた。
「ここは復旧が早かったですけど、他の場所はどうなってるかわかりませんからね。ウェイトルセルの北部は結構頻繁に起こっていたので、似たように困ってる人がいるかもしれません。そのための準備です」
「それって儲からないんじゃないか?」
「商売は何も金銭を得ることだけじゃないですよ。顔を売っておくのも商売のうちですから、そのためにお金は惜しみません。イメージがいいと同業者がいても自分を選んでもらえる可能性が増えますから……それもまた合理だって都市の商人さんが言ってました」
「なるほどな、しかし外回りをするなら馬だと間に合わんだろ」
「うーん、そうなんですよね。時々走ってる車を僕も使えたらいいんですけど、値段を見て飛び上がりましたよ。とてもじゃないけど手がつけられそうにありません」
「そりゃそうだ。ウェイトルセルじゃ当然売ってないし、ああいうのが利用されだしたのも割りと最近だからな。裕福層ぐらいしか持ってるのはいないぜ。だが馬でとろとろ移動してたら何のための支援かわからんしなぁ……お、そうだ」
「なんです?」
「いい考えがある。ひとつ乗ってみる気はないか?」
「おぉぉぉ! これは速いですねジャックさん!」
「そうだろそうだろ。もっと褒めるが良いぜ」
いい考え、とはダンドルト工房から荷を運べるだけのトラックを持ち出す事であった。ダンドルト工房はそこそこに大きく資産もあり、ジャックの働きも加えれば車の一台や二台くらいならなんてことはない。荷台に荷を載せ直した彼らはマイアラークを回収し西にあるウィーパ大橋の手前、サブソルン市へと足を進めていた。勿論タダで運ぶ、なんてことは無く対価として今後の取材を受けてもらうことを条件に入れている。
「ところでこれ、どうやって走ってるんですか?」
「ゴルダーと呼ばれる液体だ。とてつもないエネルギーを誇る液体でエンジンに積んだ装置で電気を取り出せるらしい。詳しいことはオレも知らないが、この土地の明かりを維持できるのはこれのおかげだ」
それはウィーパ大橋が出来る前後に発見された物質だった。見た目は水のようで透過率が高いが、揺らめく虹のような光沢を持っているため違いはわかりやすい。飲んでも害はないが、この液体は不思議な事に質量に見合わぬエネルギーを持ち特殊装置を使うことで電気を取り出せる。あるいは他に使いみちがあるのかもしれないが現状での利用手段は大体はこれだ。大橋が出来る頃までそれの存在が知られていなかったのは、単純に今まで「存在しなかった」ためだと言える。もしかしたらあったのかもしれないが、その頃になってゴルダーが地表に滲むように溢れ出してきたのだ。
「他国と比べて技術革新が進んだのはこれのおかげらしい。何故か川向うの国では出ないそうだからな。抽出手段こそ出来上がったが輸出するほどあるわけじゃないそうだ」
「残念です。それがあれば利便性が上がりそうなものですが……」
「まぁな」
車が進む先では多くの牛が放牧されている。左を見ても牛、右を見ても牛、たまに前を見ても牛がいる。畜産が盛んなラストルバリトの平原にはうんざりするほど溢れかえっている。
「来るときも思いましたが、本当に牛が多いですね。僕、牛肉がパンより安いとか初めて聞きました」
「宿屋の話か?」
「はい、ビーフシチューもステーキも堪能しました。パンや野菜を注文しなければ安い値段でお腹いっぱい食べれたんです。正直あまりお金を持っていない時は助かりました……」
「その分栄養は偏るけどな。とはいえ牛を食わないと知らないうちに手に負えない数に増えているからなぁ……。あとたまに出てくる暴れ牛とか……」
「畜産牛ですよね? 闘牛みたいなものが出るんですか?」
「いつの間にか野生化してパンプアップしたようなのが走り回ってる時があるんだよ。牛の数が増えすぎた時に出るらしいが、ありゃ悪夢だな」
「見たことがあるんですか?」
「おう、つい最近と……牧場主をロデオしながら乗ってるバイクに突っ込んできた時はマジで死ぬかと思ったぜ」
「どういう状況なんですかソレ!?」
眠れる遺伝子を叩き起こされたんじゃないか? と言うが、笑い話ではすまないことが時々起きている。この国の牛たちはなかなかにパワフルで畜産牛はおとなしいが一度野生化するとまるで性格が反転したかのように荒くなる。元々持っているパワフルさから出産回数も多く、とにかく食べなければ平原の草が駆逐される勢いらしい。おかげで牛肉はとにかく安く他国へ向けた輸出品としても使われている。どうでもいい話だが、牛自体を輸出すると何故かそのパワフルさは影も形もなくなるらしい。ラストルバリトはもしかしたら魔境なのだろうか。
「そういえば、マイアラークさんは荷台に乗ってますけど大丈夫なんでしょうか?」
「どうせ写真でも撮ってるんだろ。ほっときゃいいさ」
「そ、そうですか。……僕、少しだけマイアラークさんに苦手意識持ってたんですけど、なんか今日は怒ってる感じなくて、普通に話してくれました」
「お前さんが果たすべき責務をきちんと果たしたからだろ。ここの人たちは殆どが、やるべき事やってきちんと精算したなら、それ以上の報復や怨恨等は過度としてキレイに忘れるのさ。怒り続けるのもカロリー使って疲れるから、解消させた方が楽なんだろ」
「聞けば聞くほどこの国の人達は合理的、と言えばいいでしょうか? 個人個人で動いてるのに、ソツがないというか、無駄がないというか」
「そういう人柄だからな」
「……それで気になったことがあるんです。ラストルバリトの人達って自助努力を旨とするんですよね? だから国民の取りまとめをして、物事を勝手に決める政府を置こうとしない」
「おう、あってるぜ。国民投票みたいな事をしてる記録はあるから出来ないことはないはずだがな」
「ですが、それなら何故仕事などは分業してるんでしょう? 極端に自助努力を推奨しているのなら全て自分でやるのがここの普通では?」
まともな質問にジャックはあー、と唸った。確かにここの文化を聞いた限りだとそのように思うことはおかしくない。
「ざっくり言うとだな、結局のところこの国の民も人間なんだよ」
「……ソレ以外の何があるのです? 神様だとでも?」
「んなわけあるかい。オレの考えでよければ話すぜ」
「よろしくお願いします」
「あぁ、つまりな、自助努力だけではまかないきれなかったんだろ。人一人が全て賄う、つまり家も作って服も作って、薪も切って水も汲んで、食料を調達する。その上でやっと日々を過ごすことが出来るわけだ。そんなの、時間が足りるわけ無いだろ? 要は妥協したってことだ」
「それは彼らからすれば許せないことなのでは?」
「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。だが少なくとも利益はあったはずだ。分業するってことはその職を専門にするってことで、確実に技術力は増す。何より一つのことに専念するほうが楽になるんだよ。自分が出来ない部分を誰かが代替してくるってのはな」
「……それもそうですね。ならなおのこと政府を置かないのはおかしいではないですか」
「結局そこに戻るのね……多分だが、ここの人々はある意味閉鎖的なところもあったんじゃないかねえ」
「閉鎖的、ですか」
「そ。個人主義な点から見ても、ここでは同調性って概念が欠けているように見える。自分が伸ばせる手の範囲で満足して、他者を侵害しない。それで政府ってのは、権力を持つんだ。権力ってのはつまり、時と場合によっては個人が持つ自由に干渉する事がある。なら、各個人ごとでしっかりしてれば、わざわざそのようなものを持つ必要がないってスタンスだろう」
ハンドルを回して通りがかりの牛を避けながら続ける。
「それでも問題ってのは起こる。起こるが、ラストルバリトでは明確な基準を作らない。基準を作ってしまえば遵守しなければならないからな。仮に昔は違法でも現代では合法だったりすると、それを変えるにも長い年月と手続きがかかる。なら当事者同士で解決したほうが楽だ、とこんなふうになったんじゃないか?」
「そんなものでしょうか?」
「良し悪しなんてのは計れるもんじゃないが、少なくともここの人達はそういう生き方をすることにしたってことだな。ウェイトルセルとニューベジントンの緩衝地帯みたいになっちゃいるが、大河に囲まれて攻めにくいここは意外と空気がゆったりとしている。お前さんもウェイトルセル人なら、あの堅苦しい雰囲気はわからないでもないだろ?」
「そう、ですね。法を遵守せよっていつも訴えていて抑圧された気分にはなります。ってそうですよ! 僕も新聞買いましたけど、ジャックさん法務執行官だったそうじゃないですか!」
「お買上げどーも。お前さんの言うとおりオレも堅物の朴念仁だったわけだが」
「す、すいませんすいません! 悪気はあったわけじゃないんですが!」
大慌てするカウェルを見ながらジャックはカラカラと笑った。
「オレも同じこと考えてるから気にすんなよ。実際ウェイトルセルってのは面倒な国だったからな。こっちに来てせいせいしてるくらいだ」
「そうだったんですか、僕も結構好きですよ、この空気。……ところで、何の話してたんでしたっけ?」
「さぁ? ま、難しい話はこれくらいにして頭空っぽにした方が気分転換にぃ――うぉっと!?」
「うわっ! ゆ、揺れ……!」
突然車がガクンと揺れつんのめった。慌ててブレーキを踏み込んだ車がギギっと音を立てて止まる。ついでに「きゃぁ!」と後ろから可愛らしい叫び声もセットで。
「ちょっと先輩何するんですか!? 私の可愛い顔が傷ついたらどうするんですか!」
「いやーすまんすまん、無事か? 荷物倒れてない?」
「それは大丈夫ですけど」
「いてて……一体何が……」
ドアを開けて外に出てみると、そこには大きく段差の付いた亀裂が走っていた。どうやらここを車がまたいでしまって揺れたらしい。恐らくは先の地震によって出来たのだろうと当たりをつける。
「なんとまぁ……」
「こういうところが他にもあるんでしょうか……だとしたら結構まずい状態のところもあるのかもしれませんね」
「通れなきゃそもそもどうにもならんな。写真とっとけよマイ」
「了解です」
パシパシとシャッターを切るマイを横目にジャックはその亀裂を目で追った。どうやらこの亀裂はこのあたりまでで終点らしく。もっと大きく裂けているのは北東の草原地帯らしい。
「あん? おい、あっちに人がいるぞ?」
「え、どこです? 見えませんけど」
「先輩目はメチャクチャいいですからね。その視力を私に分けてくれません?」
「誰が譲るかいまったく……とりあえずあそこまで行ってみるか」
再び車に乗り直して草原を走り出す。目印は亀裂を目にして何やら飛び跳ねてる人むけて。
少しばかり進むと目的の光景が大きくなってくる。それにつれて彼らの口元は歪んでいった。何故なら白衣を纏った瓶底眼鏡のロン毛長身の男が狂喜乱舞とばかりに雄叫びをあげているからだ。どうしよう、切実に帰りたい。ジャックにはその奇天烈な行動をする男に見覚えが有りすぎるのだ。あれに絡まれたら最後、面倒なことになるのは間違いない。
「んひゃはあはははは! いひははあはは!」
「落ち着いて下さい博士!」
「そうですよ、落ちたらどうするんです?」
「こーれが落ち着いていられますかねぇ!? 世紀の大発見ですよこれは! んん!? あれも世紀の大発見ですか!?」
「博士、あれはただの車です」
「むむ、むむむむむ? おや、あれに乗ってるのは我が友じゃぁァアックではありませんかぁ!」
やばい、ロックオンされた。この場合はどうすればいいのか。
「…………よし、帰ろう」
「今更遅いと思いますよ? その、こちらを見て手を振られているようですし」
「そうだよなぁ、車だもんなぁ……」
車で爆音上げながら移動してるので当然相手にも見つかる。仕方なしとばかりに降りると3人ほどの人間が近づいてきた。
「やぁやぁジャック君! 御機嫌如何かな、吾輩はとても元気です!」
「低学年の挨拶じゃねーんだから。相変わらずだねお前さん」
「先輩、まさかこの奇天烈なのと知り合いですか?」
「そのまさかなのよねこれが」
ハイテンションな男、彼の名はカワスキー・ガガリクス。またの名を「大学のアクセント・ブラック」、キャンパスの白に異様に目立つ存在という意味で付けられたらしい。ラストルバリトの科学技術を数十年進めたと言われる現代きっての大天才だそうだ。と、ジャックは紹介した。
彼とは以前取材を通じて知り合い以降、たまの酒飲み仲間としてつるんでいる。
「この人と、酒飲み仲間? よく付き合えますね先輩」
「んん! そもそもからして我らはダンドルトさんの作る芸術的な玩具に心惹かれた同士である! 故に、彼との付き合いが始まるのは必然であったということ! そして吾輩はジャックという生物学的にも謎なパゥアを発揮する彼自身にも興味がある故に!」
「あぁ、それについてはわからなくもないですけど。先輩超人ですもんね」
「わかるぅぅぅぅ!?」
「変なところで共感しないでくれないお前ら。あとカワスキーはとっとと眼鏡をとれ」
眼鏡をとったところで何が変わるというのだ。正直あの瓶底の奥にある目ときたらきっと彼の強烈な変人性をより強調するだけでないかと思う。目線でジャックを睨むがこいつらなら大丈夫だから、と言うと「えぇ、ほんとかなぁ……」と疑いながらメガネを外した。瞬間衝撃が二人を襲う。
「は、はぁぁ!?」
「うわ、眩しいほどの超絶美形っ……!?」
眼鏡の奥に隠された瞳を露わにしたカワスキーは多くの女子が昏倒してしまいそうになるほどの美形だったのだ。それはまるで歌劇から飛び出してきたような、夢に見るフィクションのような存在だった。細い目つきに長いまつげ、少し面長な部分は男らしさよりも美しさを強調していた。それは黄金比とでも言うべきか、人間の持つ顔の最上級の理想で形作られている。
嘘だ、絶対嘘だ。あんなまごうことなき変人が持つべき顔ではない。こんなのは詐欺ではないか。嫉妬するよりも先に突き抜けすぎた美貌に思うことはまず「ありえない、勿体無い」であろう。性格が全てを台無しにしてしまっている。まるで生かされていないその容姿にマイアラークは落胆以外の言葉が思いつかない。
「絶対写真写りいいのにぃぃ、蓋を開ければ……いや蓋を閉めればあんなのだなんてぇえ」
「まぁそう思わなくもないのはわかるがな。とりあえず話を聞け」
ジャックがそうなだめた時、「ふん」とカワスキーは先の態度とは一転した雰囲気をまとった。
「あれは寄ってくる女どもが鬱陶しいからああして奇人を偽っているだけだ。本来なら、お前のような女がいる場所で顔をさらけ出すなどありえることではない。口を開くたびに皆顔、顔、顔、顔と鬱陶しすぎて研究に集中できんからな。特に最近はウェイトルセルのバカ女どもが鬱陶しくて手に負えん」
眼鏡を取ったら普通に言動はイケメンだった。少し高飛車なところがありそうだが確かに顔で帳消しになりそうな程度のマイナスである。
「あ、私別に面食いじゃないんで。代わりに写真撮ってもいいですかカワスキーさん?」
「アホか貴様は。何のために顔を隠していると思っている。それと今の私はカワスキーではなくガガリクスと呼べ」
「それに何の意味が……」
「詐称するのであれば呼び方も切り替えたほうが混乱せずにすむ」
「なんというか、不思議な人ですね」
「こういうやつなんだよ。さすがにあの変人モードのままだったらオレも付き合わん」
大の研究好きだが生まれ持った美貌は彼の爆進の邪魔にしかならない。加えて今までの開発で装飾された功績によってより彼は輝いてしまった。ラストルバリトは女も男同様に強いのでがっついてくる相手は本当にシャレにならないのだ。なのでそれを避けるべく彼はああいう格好で詐称するようになったらしい。普段からそれを心がけておけば実は中身の残念なイケメンなのでは? と無難に評価も下がると考えている。
「とはいえ、あの姿はそれはそれで気に入ってるのだがな。日常の抑圧された自分から開放されストレスを発散できる。奇声をあげるには丁度いい」
「すいません先輩。やっぱりこの人変な人です」
「まぁ……こういうやつだよ」
彼のそばにいた助手達も同様に繰り返し頷いている。これさえ無ければな、とばかりに同意するくらい気苦労をかけられているようだ。
「で、お前さんは結局何を調べていたんだ」
「ふむ、この亀裂の中を見てみろ、……ここだ」
「お? 底に光沢がある?」
大きく割れた大地の中から銀色の光沢が姿を見せていた。まとまった銀としては大きすぎ、かつ人工的なツヤがある。
「少しここを掘ってみてくれ。傷つけるなよ」
「はい、先生」
慎重に刃を立ててスコップで土を削り取っていく。すると亀裂から中身が徐々に姿を現してきた。それはどうやら何らかの構造物らしく直線的な銀色が続いている。
「こりゃぁ、まるでドア周りのフチみたいな形してやがるな」
「そのようだな。1m以上下の土中に埋まっていることを考えれば、恐らくは古代文明の遺跡だろうと考えている」
「古代文明ですか、なかなかに夢がありますね。しかしこの地にそういったものがあるとは聞いたことがないのですが」
ラストルバリトはある程度自身が満足できる生活が出来れば良い人間が多いため、あまりに過去に目を向けることもなく歴史を残してきた人間が少ないらしい。そのためこの地に根付いていたはずの古代文明について調べようとしても、その資料が出てこないのでお手上げになるそうだ。
「とはいえ古代文明ならこの加工技術は異様だ。旋盤でもかけたかのようなきめ細かさと研磨された金属模様……順当な進歩の流れに沿うものではない。実に不可解だ」
「そのあたりは専門外だからお前さんに任せるが。とりあえずオレが出来るのはこれを報道することだけだ」
「今はまだやめておけ。あまり考えられないが、いたずらで埋められた現代製品という可能性も無くはないからな。その場合どうやって1メートル以上したの地層に埋めたかということになってしまうが。詳細が判明したら正式に頼らせてもらおう」
「おう、任しておけ」
「……」
マイアラークが黙り込んでいるのでジャックはどうした、と聞いた。
「いや、やっぱり不思議なものですねと。どうしてこのようか方と交友を持てるようになったのかと」
「取材がきっかけなのは確かだし、こいつがダンドルトさんとこの作品に惚れ込んだのも事実だ。後はそうだな、オレの身体能力について研究してもらってたりしたら……」
「それってつまり自身の異常性に気づいてたってことですよね? 鍛えたらなんて大嘘じゃないですか!」
「あ、しまった」
ばれてしまっては仕方ない、とペロと舌を出すが、男がやってもかわいくないですと一蹴されてしまった。
「……病気なんですか? だから心配させまいとそういうことを?」
「ちげぇよ。どうしたらそういう反応になるんだ」
「確かに筋肥大の異常、というものは存在する。だが此奴の場合はそういうものではなかった」
「というと、どういうことでしょう」
「おい、お前もいちいち話さなくていいだろ」
「何、心配されている内が花というやつだ。何より私に色目を使わない女だ、これくらい味方はしてやるとも」
「実はこの方、意外といい方なのではないでしょうか?」
但し研究の邪魔さえしなければな、という言葉がつくが概ね間違っていない。
「ジャックの身体能力は肉体の物理的な作用によって生み出されているものではないらしい。例えるなら強度そのままに質だけが良くなった材質、といったところか」
「それって、ウェイトルセル流で言うならば神の祝福のようなものではないでしょうか? 似たような事を聞いたことが有ります」
「異国の神の力か……。ラストルバリトは科学技術を旨として発展してきた土地である故にいささか信じがたい部分はあるが、あるいはそういう人の手の及ばないものを扱えるのが神という存在か。いずれどのような存在か確かめてみたいものだ」
「それはいささか不敬が過ぎると思われます。何より信仰してる民が良く思わないでしょう」
「そういうお主は落ち着いてるな? ん、確認してなかったが、そもそもお主はウェイトルセルの人間か?」
「はい、商人のカウェル・ベインズです。僕はこの国の空気にそれなりに慣れましたから、あまり異国で押し付けがましいことをする気はありませんよ」
「慎ましいことだな。話を戻すが、結果テストをして数値としてわかったとしても、肉体的にはよく鍛えた人間と大差がなかったということだな」
科学者であろうものが情けない話だ、と嘆息する。
「先輩はいつからそういうふうに?」
「いつからと言われたら明確にわかるのは、この国に来てからだな」
「つまり神の祝福そのものは原因にならないということですか。ラストルバリトにはそもそも神が存在しませんものね。でも別に入った瞬間にそうなった、ってわけじゃないんでしょう? それならカウェルもパワーアップしてなきゃおかしいですし」
「パ、パワーアップてそんな安直な」
それでまとめていいのだろうか。マイアラークのざっくりすぎる感想に苦笑いする面々。
「はは、確かにそのとおりだがな。思い当たることこそあるが……」
「あるが?」
すっと一度深呼吸をしてジャックはこう言い放った。
「恥ずかしいから言いたくない」
ふぃっといじけた子供のように顔を背けてしまった彼を見て一同は唖然と、カワスキーはやれやれこれだ、と首を振った。そもそもその原因がわからなければ話にならないというのに彼はそれを拒むのだ。
「ば、ばばばばバカじゃないですか先輩! それ言わなくて何がわかるっていうんですか!?」
「うるせぇ、こちとらあれは一生の恥なんだよ。正確に言えば、その時の記憶がオレにはない。だが後から聞かされた限りだとその時のオレはとんでもない奇行をやらかしてしまったらしい」
「そこのカワスキー博士のようにですか?」
「だまりなさい。それとガガリクスと呼ぶように」
「いや、多分あれより……って言わすんじゃねえよ! この話は終わりだ終わり!」
「えぇー」
「えーじゃありません!」
普段はひょうひょうとしているジャックが大慌てしている。こんな珍しい姿になんとなくマイアラークは嬉しくなった。ちょっとかわいらしいと思った瞬間にシャッターを切っていたほどだ。
「あ、撮っちゃった」
「撮っちゃったじゃねぇ! フィルム没収するぞ全く!」
わかった、これ絶対渡さないな。付き合いが短いカウェルでもわかる。彼女はジャックの弱みを握ったと言える。
「たく、もう用は無いだろ。さっさと行くぞ!」
「ここに来ることを選んだのは先輩じゃないですか」
「あーあー聞こえなーい! 余計な恥を晒しただけじゃねえか畜生!」
「あー、えっと、それじゃあまた。機会があれば……お二人とも、待って下さーい!」
三人は各々のペースで遠ざかっていくと、車に乗り込んで移動を再開した。それをどこか達観した目で見届けると、カワスキーは再び眼鏡をかける。
「さぁ発掘を再開しますよ助手の諸君! 丁寧に勝つ迅速に狂気的に掘り進めなさい!」
「あぁ、また眼鏡をかけてしまわれた。本当はその姿結構好きでしょう」
「ああなると話しかけづらいのがなぁ、どうにかならないかなあ」
助手二人が呟くも知ったことではないとカワスキーはスコップを振りかぶった。恐らくは彼の知識欲が満たされるまでは止まらないだろう。不遇な彼らの幸運を祈りたいところだ。なお結局この作業は夜までデスマーチのように続いたが、一応は途中で中断された。それでもまだまだ堀足らないのだから明日も過酷労働なのは変わらないのだろうが……。
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