第6話
「暇だねえ」
「暇ですねえ」
大人二人が川辺でだらける情けない姿を晒しながら、ぼんやりとその暇を少しずつ味わうように消化していた。それは休日を特に何の予定もなくフラフラと街を歩いていた(徘徊していた)ジャックと、紳士らしくシャキシャキとウォーキングしていたベンベック(なお本日は休日なので社長と併記しない)がばったりと街中で合流し、流れでじゃぁ釣り行く? いいですねぇ。とばかりに彼らは街を出ていた。ところでやってることは同じはずなのにどうしてここまで雰囲気に違いが出てしまうのか。普段の行いににじみ出てしまうものなのだろうか。
ところで何故外へ、と言われると。彼らは記者であり、日々の最新の情報に聡く街にいるとその鋭敏なセンサーを発揮させてキャッチしてしまうからだ。そうなってしまうと最早休日など言っていられず、街の喧騒から離れる以外に休む手段が無い。
なので互いに釣り竿と、片手にワインを持って北方外縁部の川で釣りと洒落込んでいるわけだ。このあたりはよくレンパスと呼ばれる魚が釣れる。のんびりとして釣りやすく、塩焼きにすればジューシーと悪くない味の魚だ。ちなみにこの魚はラストルバリトの日常食であるが、怠惰の象徴としても扱われている。のんびりしている姿は間抜けだし、釣りやすいからとこればかり食べては飽きも来るし食センスや品性も欠けているように見られてしまう。
「よっ、2匹めっと」
「お、大きいのが釣れたね」
餌を垂らせば釣れる、と豪語されるだけあって坊主になることは滅多にない。グラスをくぴりと傾けながらのんびりと、針から外されるレンパスを眺めて言う。
「暇だなぁ」
「暇だねぇ」
何かやってるのについ暇、と言ってしまうのはオッサンの常である。ジャックはまだ28歳であるが普段があまりに濃厚な日々を過ごしているだけに相応に人生経験が圧縮されていた。つまりオッサン精神に至ってしまっている。だがそれがオッサンなりの暇の楽しみ方なのだ。暇なら何かやれよ、有意義な行動の一つや二つくらい思い浮かぶだろ? などと言われても。暇とは時間が開いてるのではなく暇というイベントなのであって、決して暇というわけではない。暇がゲシュタルト崩壊しかけて暇ってなんだっけ、と哲学的思想にうっかり飛び込んでしまうのもまた暇が全て悪いせいだ。
「3匹目っ」
「そろそろ十分じゃないかい?」
「そうっすねぇ、やりますか」
のたのたのたのたと普段は俊敏な動作をモットーとしているはずのジャックはガスでも抜けたかのように緩慢な動きを見せる。背後に持ってきていたバーベキューグリルにマッチで火を入れ、熱を持たせる。パチリ、パチリと炭の音が弾ける音を聞きながらベンベックも持参の包丁を用いて器用にレンパスを捌く。
暇じゃなくてただのバーベキューじゃないか!? と君は言うか? いいや違う、暇だからバーベキューするしかないのだ。バーベキューとは特別なイベントではなく日常なのである。
ヒラキにして串を差し、塩をまぶしてじっくりと。遠赤外線によってじっとりと滲み出した肉汁が塩と混じり香ばしい臭いを生み出していく。パタパタと団扇を仰ぎ火を調整し、まだかまだかとよだれを垂らす。その横では小さなフライパンに白ワインとオリーブオイルをレンパスに垂らして蒸し焼きにするベンベックがいた。視線に対してうむ、とうなずくベンベックは実に自信がありそうな顔で親指を立てている。
「そういえばまた野菜が高くなるそうだよ」
「あまり都合のいい水源地が無いですからねえ」
「大河の周りこそ小麦畑があるけど、野菜なんて放っておいたら牛に食べられてしまうからね」
「人間の食生活を支える牛に人間の作った食べ物を食べられるとは本末転倒ですね」
「最近は野良化してしまうのも問題になってるし、そろそろ広告も入れようかって話になってるよ。なんでも牛肉祭か高級肉の競りでもしようって話らしくてね。国中の料理店を集めて盛大に消費したいらしい」
「あぁいいっすねぇそれ。牛肉食いたくなってきましたわ」
何の話してても牛の話になるのはラストルバリトの日常会話だ。それだけ牛はポピュラーで印象強く、ラストルバリトの生活基盤を支える柱になっている。頭数が多いのがまた相応に問題になっているが無くてはならない存在だ。クーラーボックスからビール瓶を片手に取り、カシュッと炭酸の抜けるいい音を響かせる。グラスにタパタパと注ぎぐいっと一口。ぅんまい! かーっ! と切れ味を堪能する。完全にオッサンである。
「おや、ジャック君」
「なんでしょぉベンさん」
ほれ、あれあれとベンベックが指差した先には土煙を起こす何かがいた。ぶもーっ! と甲高く鳴き首を左右にブンブンと揺らしながら爆走する生き物。それはラストルバリト名物である暴れ牛だ。野良化したものが、あるいは稀であるが飼いならされた畜産牛が突然走り出し暴走する現象。よだれを垂らし体力など無視して走り続けるその様は何かの病気にでもかかったかのように思えるが、肉をさばいても特に問題のある点は無いらしく普通に殺して食べられる。しかもかの牛は所有権が存在しないため、見かけたら一狩りしようぜとばかりにハンティングされてしまう運命にあった。
なお、味の方は上質らしく普通の畜産牛より美味いらしい、不思議な事に。そして畜産牛であったものが暴れ牛になった場合も他の個体とは一線を画すようになるとか。この国の神秘である。
「噂をしてたら自分から来ちゃいましたね」
「あれを狩っても解体しないといけないから今ここじゃできないよねえ」
「まぁ、そうですけどどうします? 放っておくとここに突っ込んできますよ?」
そうだねぇ、とのんびりした会話が続く。牛一匹程度で何するものぞ、という感じでバリト市民はだいたいこんな感じで緩かった。それにここにはジャックがいるし、とベンベックも彼を信頼してるのか大して不安はない。
「じゃあやっちゃってくれる? 解体は誰か呼べれば良いんだけどねえ」
「了解です、バスンといきますか」
そう言いボールダー197のセレクターをスタンモードにして構える。よいしょっと、と片手で投げやりに狙いをつけ、ワンショット。気の抜けたような発射音が響いた。スタンモードでの硬化弾頭は薄いが、衝撃を与えるには十分なため暴れ牛の頭部に当たって思いっきりのけぞらせる。彼はこうして暴れ牛を気絶させて処理するのだが、何故か普通の銃弾では止まらないのにボールダーを使うとあれはあっさり気絶する。
衝撃に弱いのかどうか知らないが、殴りつけても止まることはないのにこれならいいという不条理極まりない現象に同系の銃を求める人間がいるのも事実。というか鉛で殺したら食えなくなるし、そんな勿体無い事する人はあまりいないのだが。
「お見事」と拍手が飛んで来る。「恐縮です」と言いつつも自慢げな顔でボールダーを仕舞うに褒められる事自体は嬉しいようだ。
「それで、あれどうしよっか」
「気絶してても1、2時間が関の山ですよ。血抜きでもしてたらいいんじゃ?」
「といっても私たちは解体の知識はないでしょ」
「そうなんですよねえ」
さてどうしたものか。男二人がまるで進展のない検討を続けていると遠くから声をかける人間がいた。
「お〜い君たち。ワシも仲間に入れとくれよ」
「おや、プッシュ・マダムの先代じゃないですか」
長い髭の生えた老人は手提げ袋を引っさげてこちらに歩いてきていた。
「街から出る君たちの姿を見たのでな。どうせこの辺にいるだろうとあたりをつけていたのだよ。それにしてもいい肉が転がっておるな」
「暴れ牛ですよ。丁度いいので先代、これ買い取ってくれません?」
「うむ、ええじゃろ。ちょっと待ちなさい」
ポケットから取り出した信号弾を上空へ打ち上げる。こうすると手の空いている運び屋がやってきてオーダー通りに運んでくれるそうだ。
「一度気絶した暴れ牛はおとなしくなるでな。多少運び屋が遅れてもどうとでもなるわい」
「そうだったんですか。いやはやちょうどいい時に来てくれましたよ」
手提げ袋に入っていたのは案の定牛肉の包みだった。タレも入って至れり尽くせりである。よっこいせと折りたたみ椅子に座るプッシュ・マダムの先代。そして自分の料理に熱心なベンベック。自動的に肉を焼くのはジャックに決定した。年功序列みたいになるのは結構久しぶりだな、と故郷を思うが、そういえば家ではいつも自分が料理しているのを考えると普段と大差がない。
魚を焼いている横で滴る肉脂の匂いも追加される。とうとう小さな個人用グリルは肉類でいっぱいになりバーベキューらしい様相を見出していた。本来ならまかない程度の量をちびちびと食べるはずだったのだが、いつの間にか事は大きくなっている。
「うむ、うまい」と自分が作った料理片手にベンベックが唸る。開いたフライパンからはぶわりと香ばしい香りが広がりオッサン共の鼻を刺激する。こっちもそろそろいいかと塩焼きも皿に移し、肉をトングでクルっと回しながら塩焼きをつまむ。
「先代もどうぞ」
「おお、悪いな。代金は肉に替えてくれ」
「あいよ、といっても十分過ぎるほど貰ってるからもう少し釣らないとな」
「なぁに、気にしすぎよ」
がっつく様子もなくマイペースに進むオッサン達の寄り合いはのんびりとした空気が流れる。無言でいても気まずくなることなく、ただ無心にちびちびと食を喰んでいく。
「ジャックは結婚は考えておらんのかね?」
「余計な詮索をするバリト市民は嫌われるのでは?」
「年寄りの世話焼きよ。それとも内緒にする理由でもあるんかの? お主も子供っぽいな」
先代の挑発に違う違うと手を振る。
「時々色街で発散くらいはしますけどね。そもそもオレはまともな恋愛というものを経験しとらんのですわ」
「というと?」
「知っての通りオレはウェイトルセルで独り立ちするためと、親から逃げるために法学にかじりついてました。つまり勉学の虫になってたってことです。おかげで学生時代は楽しむという発想がなく味気ない人生を送ってました。なので恋愛と言われてもピンと来るものがないのですよ」
大の男同士集まればこんな話も出る。ベンベックはマイアラーク君はどうかね? と聞くとジャックは口元を捻ったような顔をしてこう言う。
「あいつ、ちびっこいからなんとも子供っぽく見えるんですよねぇ」
「でも君、結構胸見てない?」
マイアラークは童顔巨乳にわずかにカールしたショートヘアの大人っぽさで年齢がごちゃまぜになった容姿をしている。人によっては好みな人間もいるだろう。
「性的欲求があるのは否定しませんけど。でも考えてみて下さい。世の中男と女がいて、女が貧乳と巨乳のカテゴリに分かれてるなら雑な計算でも世の中の7割以上は胸が出てないわけです」
「ふむ、そうだな」
「白い紙に黒いインクを落したら小さくても目立つでしょう? なので少数の巨乳に目が行ってしまうのは極自然な反応なわけです」
「そんな理屈こねとるからまだ結婚しとらんのじゃないんかい」
呆れたわ、と先代が言う。でも理屈屋なんてのは大体こんなもんだろとジャックも開き直っている。
「モテてる事はモテてるのじゃないかね? あれだけ有名になれば寄ってくる人間もおるだろう。サヴィー・ノアなどは随分と熱を上げているのがラジオから聞こえるが」
「ありゃぁただのファン心理じゃないですか? あっちも仕事のパフォーマンスとしてやってる気がありますし」
ほんとかなぁ、と周りが思うも本人がこの調子であればなかなか進展はないだろう。
「サラーナ君はどうかね?」
「美人ですが唯我独尊すぎてとっつきづらいとこありますわ」
何よりバリト市民って比較的理性的に過ぎてわかりづらいんですよね、と続ける。いわゆるキレる事を恥とするラストルバリトの文化では感情の抑制は優先すべき項目となっている。どれだけ暴力的でも理知を持って制せよという教えを親から子へと受け継がれており、染み付いたそれはなかなか感情に振り回されるような恋愛に発展しない。
そういう意味ではジャックもかなり自己を殺して生きてきたようなところがあるが、今はむしろ反動からはっちゃけたりしてるのでバリト市民から見ればちょっと馬鹿っぽく思えるところもある。実際突撃インタビューと称して馬鹿なことを命がけでやっているが。
「君の春はしばらく来そうにないね」
「そのようです。今はこの焼肉が恋人ですから」
「食べたら終わるようなものを恋人とは言わんよ」
やれやれと呆れながらそれでも雑談は続く。オッサン達の会合は終始特に大した発展も盛り上がりもなく淡々と日が暮れるまで終わらないのであった。
「ぶえっくっしょい! げふ」
陽気にくすぐられた鼻のせいで目をさましてしまった。やば、鼻水がと慌ててタオルで擦りながらベッド横のブラインドを引っ張って開ける。
「ん〜……今何時だろ……」
本日は無心に睡眠を貪る予定だったマイアラークは目覚めの悪さに反対の手を頭向こうの棚に伸ばして乱暴に懐中時計を取る。時刻は11時過ぎ、空きっ腹に昼飯がちょうどいい時間だ。
「ふぁぁ、眼鏡眼鏡……」
下フチフレームの眼鏡をかけずり落ちるようにベッドから下りる。ベキベキと身体を鳴らし腹をくすぐり、まるで淑女とは思えない所作で脳を活性化させる。もとより淑女と言えるような性格はしていないが。
とはいえこの街では人前でこんな行動したとしても注意する人なんていないだろうけど。自由すぎて細かいことなぞいちいち気にしないのだ。
ぱちぱちとオレンジ色のパジャマのボタンを外して脱ぎ、白いシャツに裾の短いジャケット、ミニスカートにタイツを履いて行動のし易いロングブーツを履いて外に……出ようとして化粧をするのを忘れてたので慌てて戻る。というか顔も洗ってないって、どれだけ寝ぼけているのだろうか。
改めて外出したらどこで食事を摂るか考える。ここは牛の街でどこもかしこも焼肉の匂いで溢れている。バリト市民にとっては日常食だが、それ故にマイアラークは飽きが生じていた。今は食べるなら豚肉が良い。豚は牛と比べると量こそ少ないが一定数は畜産されているのでウィンナー類などもそこそこ食べられる量がある。
「おじさん、1本。マスタード山盛りで」
「あいよぉ!」
路上販売しているホットドッグを買って小気味よい音を立ててちぎりながら、特に何かしようと考えずに歩く。ぼんやり世界を俯瞰しながら、ベストな光景が見えたと思ったらシャッターを切る。仕事をしておらずとも、カメラを扱うのは元から趣味だった。いつからこうしているのか、気づいたらこうなっていたという他ない。父親に誕生日にプレゼントされたのがきっかけだったか、とかつての自分を振り返る。
しかしなんだ、最早これが自然でマイアラーク・セクペトラという女の生態である。気にしたところで無駄というやつだ。
それにしても街はにぎやかで、情念あふれるカメラ映りのいい景観だが、撮りすぎてもう飽きてしまった。今のトレンドは静かな世界に違和感があるくらい輝きを持った何かを撮影することだ。なかなか出会えるものではないが、そういうものを目標にしておかないとモチベーションが保てない。先輩たるジャック・レイリーは輝きすぎてていつも滅茶苦茶するシーンを撮影する事になるが、ちょっとそれとはベクトルが違うのではないかと考えている。
ならやはり、街の外にそれを求めるべきだろうか?
と言っても外は外で平原が続き、牧歌的で地平の向こうまで牛が見えてしまいそうな代わり映えしない景色が続いている。日常というのは実に厄介で緩慢で目まぐるしく変わるような出来事というのはそうそう起こらない。自分から起こすのは趣味ではない。カメラマンたる自分は外から俯瞰するのが丁度いいのだ。
「よぉ、姉ちゃん。暇なら俺たちとデートしないか?」
「そうそう、いいとこ行こうぜ」
思考に埋没していると声をかけてくる輩がいた。軽薄で、空気の読めなさそうなあたりバリト市民ではないのだろうと当たりをつける。思考の邪魔をされた苛立ちを表に出さず、「あなた達、どこから来たのかしら?」と聞く。
「俺達? 俺達はニューベジントンの都会から来た学生さ。長期休暇に入ったからちょーっとここまで足を伸ばしたわけ」
「そうそう、俺たち神から祝福されたエッリートだから。すごいから講義もある程度免除されてるの」
(うわ、うっざー……)
返事をしてくれた事に調子に乗ったのかべらべらと語彙の薄い喋り方で同様に薄っぺらい自慢話をされる。どうでもいいし、ニューベジントンの都会ってこの首都たるフォービスタイトと比べるとどれだけ進んでないか、自慢できるものではないだろうに。だが彼らからすると神から祝福された、その一点だけで他者を見下す事が出来るのだろう。それだけ祝福というのは珍しいものだ。使える能力かどうかは人によるが。
マイアラークもマイアラークで、声をかけられたのには理由があった。彼女が美人なのは言うにおよばず、首から下げたカメラの紐が巨乳に食い込んでY字スラッシュを成し遂げていた。より強調された胸は馬鹿な男たちを呼び寄せる誘蛾灯を果たしてしまったわけだ。
「どうでもいい事ばかりベラベラ喋って。私、忙しいからそれ以上聞いてる暇ないの。それじゃあね」
「はぁ? つけあがっちゃって何言ってんの? 女は黙ってついてくりゃいいんだよ」
「そうそう。そのでけー胸は俺達に揉まれりゃいいんだっつーの」
面倒な彼らは想定以上に面倒くさく、マイアラークの言い分に腹を立てたのかナイフまで持ち出してきた。
「たしかここには法がないんだから何やってもいいんだよなぁ?」
「そうそう、好き放題じゃん?」
「おら、脅されたくなかったらついてこいよコラ」
まずい、こんな会話聞き続けてたら頭が悪くなりそうだ。インテリ揃いの同僚に囲まれて鍛え上げられた彼女の脳はこのような単細胞みたいな会話はアレルギー反応を起こしてしまうようだ。うっかり自分も頭痛が痛いなどと言ってしまわないかどうか心配になる。
「あら、脅すの? それなら反撃されても構わないわよね?」
「んだこら、非力な女が調子乗ってんじゃねぇぞぉ!」
「そうそうぅぅ!」
ナイフを振り上げて襲い掛かってくるその姿に、素人だなぁとぼやきつつその脇下に掌底を差し込む。男が仰け反った瞬間を狙ってナイフを持つ手首を掴み、足を払い、伸ばした手を軸に投げ飛ばした。地面はしっかりとコンクリブロックが敷き詰められており背部に甚大なダメージを与え、おまけに仰向けになった胸元に踏みつける。
「ぐげぇ!?」
絞めた鶏みたいな声を聞きびびって動きが止まったもう一人の腹部によく捻ったフックを繰り出す。
「ふん!」
「ぐへぇ!」
小さな体でも捻って回転速度を加えれば女でもダメージを与えられる。母からの教えは偉大だった。前かがみに落ちた頭をポケットから取り出した物体で叩きつけてその男も地面に転がす。
しかし、これで終わりではない。
バン、バンと2発、銃声が響いた。男を叩きつけたのは銃床であり、マイアラークはこの攻撃の一連の流れに初めから銃撃を込みにしていた。太ももを撃ち抜かれた二人は先のとは比にならない痛みに悶絶する。キレイ過ぎる動作はあまりに暴力に慣れすぎていて、果たして誰が非力なのかと目を疑う。
「ぐぁあああああぁ、嘘だろこん女……撃ちやがったぁあぁぁあ!?」
「オレの足がぁっぁ!?」
その行為をやりすぎと咎めるものはいない。むしろ賞賛と喝采まで送られる始末で、男二人は周囲が気でも違っているのかと奇異の目で見始める。
「ひとーつ、武器を取り出したなら反撃されて当たり前。ましてや自分達が想定外なダメージを負うくらいの覚悟はするべき」
因果応報がしっかりしているこの国では民間人の誰もが強く、脅威に対して反射的に行動できるよう訓練されている。保証も庇護もないこの国では自分自身が強くあるしか無い。
「ふたーつ、ここはあなた達の国じゃない。女性蔑視と信仰による差別をしているようだけど、そんなものどうでもいいし、信仰に価値も感じていないから私達も卑下しない。貴方達の承認欲求を満たすこともできないわね、悪いけど」
神が実在しないこの国では信仰が無いゆえにその関連のものは総じて価値が無い。隣国はそれらが高いステータスとなっているだけあって、ラストルバリトを見下す目は多い。こんなのに祝福を与えるとは、神というのは一体何を考えているのだろうか。
「みっつ、無法だからこそ私達には覚悟と矜持が求められる。無体な振る舞いは自身の品格を落とすわよ。ま、撃ち込んだ弾の口径は小さいから、大したダメージにはならないわよ。ポケットガンだし、さっさと治療してもらいなさい。その足で病院に行けたらね」
これもまたよく語られるラストルバリトのお国柄というやつだ。見事に洗礼を浴びてしまった彼らはもうこの国では増長して歩くことなど出来はしないだろう。
「お〜い、ここに急患か! 急患がいるのか!」
「あら、ドクター・ガレリオでないですか。こんなとこで何をしてらっしゃるのです?」
「昼飯に決まってるじゃないか。ま、それよりももっと美味しそうなのが転がってるわけだが」
「な……なんだ、美味しそうなとは!?」
ドクター・ガレリオ。その呼び名の通り医者である。都市の第一病院に勤めている名医だ。しかし彼は怪我しないことが一番! などという善性を持った発言をしない残念な医者だった!
「ふふふ、良い怪我だ。きちんと治せば治療費がふんだくれるぞ! おい、暇な君! チップあげるからバイトしないか! 払いはこいつのポケットからだけど! ガハハハ!」
お、いいっすねえ。オレもやります。オレもー。とさっと4人ほど集まり怪我した彼らの両手足を抱え始める。
「いだだだあだだだ!? ふざけんな担架は!? くそが、狂ってやがるこいつら!?」
「そぉぉっぉぉぉぉう!?」
「なぁに、よりひどくなれば治療費も増える。手間はかかるが俺が儲けられる。俺のための礎となるがいい。さぁ、運ぶのだただ一時の手下たちよ!」
「ほいさっさ! かーねのためならゆっさっさ!」
「ポッケにないないへそくりを!」
「やめろぉぉぉぉ揺らすなぁあぁぁぁ!」
男たちの叫び声が狂乱と混じりながら遠くに消えていく。せめて彼らに私に関わらない度に幸あらんことを、とピシっと聞きかじったニューベジントン軍隊式の敬礼で見送る。
「それにしても、最近はガラの悪いのが増えましたね……」
それぞれの隣国につながる大橋が建設されて30年、人民の流入が始まり、早いものは気づけば既に新世代が大人になっている。マイアラークは生粋のバリト市民であるが、同世代であるが故に比較対象として他国人と血の混じった、あるいは他国人そのものの子供を見る機会は多かった。
その差はやはりある。学校ではいくつかの集団ごとに分類が出来ていた。バリト市民は理知的で自立精神旺盛な子供、ハーフは父母どちらがバリト市民かで決まるが、主に母系の方が理知的だった。どちらでもない子供はわんぱくで横暴が目立ち、目を光らせたバリト市民に反撃を食らっていた気がする。
ある意味では自由を標榜するはずのバリト市民のほうが抑圧的で、そうでない者のほうが無法者のように見受けられた。極まった個人主義も全員が同じならそれは一つの全体主義のように見える。
親の教えを素直に受け取って反映させるために、子供の行動は顕著で極端だ。長子を怒ると、長子が弟妹を怒る時親とそっくりな怒り方をするように。その後ゆっくりと自我を芽吹かせながらバランスを学び人は大人になっていく。
個人主義はメリットもデメリットも大きいが、それを実行するには根幹たる教育が重視されなければならない。だからこそ有志の資産家がスポンサーとして学校を経営してくれている。大元は始祖カラミスの教えによるものだが、現在はそこから発展した理想形が生まれつつあった。
だが現在は想像以上に生まれの違いによる諍いが多く、新聞社に入社してからはその多さを肌で知ることになった。実のところジャックが巻き込まれる(飛び込んでいく)事件の数々も端緒がそこにある事件が少なくないのだ。そしてその傾向は年々上り坂になっている。
もう少し穏やかな取材がしたいと思うのはマイアラークのわがままだろうか。どうにも彼についていくとトラブルに巻き込まれる率が高い。だからといってジャックの隣という絶好のポジションだけは譲る気などしない彼女なのだが。
彼女がスナップ・ベンサム新聞社に入社したのは趣味で撮影に乗り出している時に、社長にスカウトされたからだ。好奇心赴くままに面白いものに対してシャッターを切る事が大事であり、普通に日常を過ごしていては面白いものに出会えないのではないかという焦燥感もあった。そんなところにスカウトなんて来たものだから、調べてみるといるではないか、大物が。
それこそがジャック・レイリー。スーパーゴシップマンと呼ばれる奇跡の男。いや、奇跡と呼ばれるほどの行為を苦もなく生み出してしまう男と言ったほうがいいか。写真に没頭し新聞というものをあまり読まなかった彼女は、これを機に読みはじめてジャックの記事に釘付けになった。
銃弾を軽々躱す反射神経と目の良さ、身体全身がバネのような驚異的な身体能力、銃を用いた際の命中精度の高さ、彼の書く躍動感ある文章。そしてそれだけの能力を使ってやることがヒーローじみた独善ではなく、ただただ取材のためだけというのが琴線に触れた。彼がウェイトルセル人だというのはその数多くの記事の中でちょろっとだけ匂わせていた部分で気づいた。つまり彼は他国人にしてラストルバリト人の理想像を体現していたのである。
彼の隣にいることが出来れば確実に面白いものが撮影できる。それを確信したマイアラークはスカウトを受け、見事スッポリとはまり込んだように彼の助手という立場に収まった。何より彼がカメラの扱いが苦手だという点が大きかったと思える。
なのでちゃっかり彼女は自称ファン一号を名乗っていた。最もファンクラブは存在しないし、きっと自分より先にファンになった人なんて何人もいるだろうが取ったもん勝ちである。所詮記事やラジオの向こう側の人間など全く関係ない赤の他人なのだ。勝ち取ったこのポジションこそがマイアラークを真のファンである事を現しているようで一時期は有頂天になった。
それもすぐに気苦労と同行に伴う困難が目立ち萎れたが。面白いものを撮るための努力と研鑽はすべきだが、過剰に押し寄せてくるものが立ち回りの難易度を大きく上昇させる。
なのでたまには癒やしがほしい。ドロップアウトしないのは偏に自分がワガママである事を自覚しているからだ。手に入る物はガンガン手に入れるが、それを表に出さないことが女としての手並みなのだ。
それはそれとして猫ちゃんがいる喫茶店でも取材しようかしら、と思う彼女。だが今日は休日である故に仕事をする気はない。オンオフしっかりつけるべし。なので取材についてはまた今度考えることとして。
「今は、とりあえず外に出てみようかしら。確か近所に自転車のレンタルがあったわよね」
給与もいいから、そろそろ先輩と同じようにバイクも買おうかな、とも思う。自動車系統は生み出されて日が浅くまだまだブルジョアな乗り物だ。だが新聞社はジャックというお抱えもあって売れ行きが非常にいい。ついでに社長は資産家で元から払いがいいので、マイアラークは同世代とは比較にならない給与を頂いている。そろそろ自分だけの乗り物があってもいいだろう。
「おじさん、1台借りるわ」
「ほいよ、1時間500ウェイスね」
青色が眩しいピカピカに磨かれた自転車を押して、郊外まで歩く。都市から出たらどちらに行こう。川を渡って西へ行くか。それとも東の路上をぶらぶらするか。考えてさて乗ろうと思った時に、川の方向を見るとそこそこの人影があった。遠目にじっくりと見ているとその中に知った人影があるのに気づく。バッグに入っている双眼鏡を取り出して見ると、よく知った顔だった。それは3人のグループでバーベキューをしているらしいが、なんだか気が抜けたような緩慢さで食事をしていた。横には何故か牛も転がっており果たしてどういう状況なのだろうかと考えるが、あまり近寄りたくない。
それは仕事中のキビキビした所作を見ているせいだろうか、あそこまで脱力されると幻想が崩れるような気がして嫌なのだ。逆にそれをカメラで撮るのも平和的で面白いのかもしれないが、あいにくと望遠レンズを持ってきていないので断念した。
じっと見ていると遠くにいるジャックが手を振っていた。望遠でないと判別出来ない距離にいる自分に気づいて振ってくれたらしい。なんだか嬉しくなって、頬が緩んで手を振り返していた。
「悪くないね、こういう日も」
先の不機嫌さが払拭されたマイアラークは自転車に跨って川から離れるようにして、駆け出していた。今日は何かいい写真が撮れると良い、そんな事を考えながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます