第2話

 こいつぁ泥沼になるなぁ、と事態の解決に時間がかかる事を察したジャックは足早に当初の目的を済ませるためハンバーガーショップのダネルに寄った。先の一件はつまるところ、ジャックが昼食を買うために横切ろうとした場所で起こったものだから無視せずにはいられなかったのである。お給料的な意味で。


 実況中継などは放送局の連中にまかせてしまえばいい、取れ高としては十分だろう。後は結果さえ帰りがけに聞けば記事としては十分上げられる。しかし今はそんなことよりもペコペコになった腹を満たすほうが先なのだ。何よりこれを忘れてしまっては我らが敬愛するスナップ・ベンサムの社長であられるベンベック・ベンサム氏の貴族ひげも天に伸び上がってしまうというものだ。

 氏は大のダネルバーガー好きであり、焼きたての香ばしい牛肉の香りを共にワインを楽しむのが嗜みである。無論仕事中に。

 元々情報収集が趣味だが動くのが面倒、という物臭な理由で人材をスカウトし新聞社を始めた御仁だ。よって当人は基本会社にいても情報を読み解くばかりであり、膨大な情報と酒に酔っているのは日常風景なのだ。それをわざわざ注意するものはいない。元々国民気質的に他人が何してようが気にしないのが多いのだ。自身の裁量でどうにかなっているのなら注意するだけ無粋というもの。かつ氏の仕事はそのスカウト能力にこそあるので一応ちゃんと仕事はしているのだ。


 そんなこんなでハンバーガーを買い、再びジャンブル銀行前の三叉路に入った時には既に事は済んでいた。肉を焼いている間にほどよく時間が過ぎたのに自画自賛したジャックは、既に後処理に入っている現場で聞き込みをした。結果はノーストン宝石店の勝利といったところ。重傷を負ったものは一人いたそうだが、聴衆から味方した多勢によって押切り現金を支店長の個人資産から回収したらしい。では敗北した銀行側はどうかというと、支店長は逃亡して行方不明、彼以外はほとんど重軽傷でジャンブル銀行はもはや機能しなくなるだろう。ではその後は? というとこの国に治安組織が無いので病院に送られた後はほったらかしである。逮捕こそされないが、舐めたら痛い目を見る、という報復行為こそが最大の罰になり、退院後の生活が保証されてない事はそれ自体が刑に近いものになった。生き残った人員で経営しても悪評だった銀行に寄る者は誰もいないだろう。


 情報をくれた人々に気前よくチップを払い、ジャックはスノック街から新聞社のあるエレクス街に入った。ここは淡いレンガ調の柔らかな彩りの小ビルが立ち並ぶちょっと小洒落た感じのオフィス街だ。道行く人々もスーツだったりジャケットを着こなしていたりと身だしなみが整っていて統一感がある。バイクや丸みのある車が通り過ぎるのを横目にスイングドアを肩で押し開け、金属製のステップをガンガン足音を立てながら昇る。折り返して2階の扉がジャックが働くスナップ・ベンサム新聞社だ。


「お〜い、今帰った! 開けてくれ、手が塞がってるんだ!」

「はいはーい、お待ちくださいませ―」


 つま先でゴンゴンとノックを入れ、両手で抱えた紙袋を支え直す。向こうも昼食を待ち望んでいたのか勢いよく扉が開いた。


「おかえりなさい先輩! そして遅かったですねこの野郎と罵ってあげるだけの私に感謝しなさい」

「へいへいそりゃどーも。途中で面白そうなネタに出くわしちまったからな、取材してたんだよ」

「あー……もしやして先輩にしか取材出来ないようなドンパチでしたか」


 そう、そのドンパチ。と適当に返して中に入る。


「遅くなりました社長」


 社内の隅に大きな机で陣取っているのがベンベック・ベンサム社長だ。資産家のくせに狭いところが好きで外を眺められる窓際でキセルを加えている。貴族然とした態度でうむ、ご苦労と頷くと椅子をクルッと回してこちらを向いた。


「なにか面白いことがあったようだね、聞こうか?」

「ノーストン宝石店がジャンブル銀行に報復しかけたんですよ。詳しいことはまとめてから渡しますから、まずはこれを」

「おお、そうだったな」


 ダネルで買ったバーガーセットを社長に渡し他の社員にも渡していく。ベンベックは袋の中身を丁寧に取り出し机に並べた後、うむとうなずいてからグラスにワインを注ぐ。そして意外なことに、バーガーの包み紙を剥がしそのまま手に持って食べ始めた。


「やはりダネルのバーガーが一番だな。きめ細かく挽いたジューシーな肉、厚みのあるパンに新鮮な野菜、何より作りたてであることが評価できる」

「社長、毎日聞いてますよそれ」

「何度でも言いたくなるのだよ。特に素晴らしいのがこの携帯性だな、片手に持ちながら雑誌が読める」


 モシャモシャと食べ始めたのを横目にジャックは自分の席についてタイプライターに向かった。待ち時間中に食べていたのでさっさと今日のネタをまとめて上がりたいのだ。さて、ジャックは現場で多くの報道陣にネタを売りさばいたわけで、どこでも同じ情報が出回るわけだが彼の優位性が下がるわけではない。ジャックは内部で起こったことや行動を詳細に書き記す事で他社との差別化を図っている。これが最早ニュースというより小説、あるいはコラムのようになっておりベンサム新聞の人気の秘訣となっている。意外なことに彼には文才があり天職であった。

 味気ない文章より緊張孕んだ踊るような文章を、それを心がけてキーを叩く。


「はい、コーヒーどうぞ」

「サンキュー、マイ」


 マイアラーク・セクペトラ、20歳になったばかりの新聞社の新人である。勤続二年目なのだが新入社員がいなかったせいで未だに新人と呼ばれる不憫な女性だ。ジャックと同様の社会担当で彼の助手としてつけられている。

 普段はジャックと共に行動をしてネタ探しをし、そのたびに巻き込まれる事件のまとめや編集を行っている。のだが、今日はついていかなかったために手持ち無沙汰なようで……綴られていく文面を下部のみを支えるフレームの眼鏡を通して覗き込みながら、ふむふむと頷いている。


「ジャンブル銀行も下手を打ったものですね。甘い汁を吸いたいなら適切な範囲でやればいいでしょうに」

「不勉強だったってのもあるだろうが、無政府地帯のこの国を野蛮と罵ってたからなぁ。何を言っても無駄なタイプだ、ありゃ」

「うちでは何やったって自業自得ですから、説得する人のほうが少ないでしょ。加えて自分にも甘そうなのが文面からプンプンしてます」

「全身をシロップで塗りたくったようなやつだからな」

「それって食べられます?」

「腐ってるから無理」

「ですよねぇ」


 打ち終わったテキストをライターから取り出すと校正課に回しといて―、とフィルムと一緒にマイアラークに渡す。


「どうせまた写真ぶれてるんじゃないです?」

「見ずに言わないでくれるそういうこと。結果で判断してくれないと」

「そう言っていつも同じ事になってるじゃないですか」

「やはりジャック君にはマイアラーク君がついてないと駄目なのかね?」

「そりゃ無いでしょ社長〜」


 文才と比較してジャックにカメラの才能はない。勤続してそれなりに経つというのに彼の腕は一向に上がらなかった。それもこれも動き回って写真を撮ることになる場合が多いからなのだが、言ったところで動かなきゃ死ぬのでどうしようもない。結局静止状態でカメラを撮ることも少なくなり、彼の修行費用も経費から落ちないので腕が上がることがなかった。そこに手を差し伸べる形になったのが新人のマイアラークで、彼女はカメラが得意でいい写真を持ってくる。とはいえジャックほど突っ込みすぎた行動はしないので大抵の場合はサポートだ。


「ま、オレにはこの腕っ節があるから出来ることをやりますよ。面倒なことはマイに任せる!」

「ちょっ! それって私いつ独り立ちできるんですか!?」

「オレと同じくらい生存率が上がったらかな」

「先輩と同等なのはコノボ猿くらいのもんですよ」

「あぁ!? オレをあんなのと一緒にするな!」

「君たち仲がいいのは結構だがもう少し優雅にできないかね?」


 ベンサム新聞社はいつもこのように騒がしく自由だ。ジャックはこの雰囲気をいたく気に入っていた。しかし多くの人は気になっている。あれほど銃に長けて騒動の中を軽々と渡り歩くジャック・レイリーという人物は、果たして何者なのか? 何故新聞社というその身体能力と不釣り合いな場所で働いているのか。仮に彼がそこを気に入っているだけだと理由があったとしても、違和感があれば人は興味を持ってしまう。そんな彼のことを世間が知りたがってしまい実際に動きが起こるまで、そう先のことではない。





「帰ったぜー爺さん」

「おう、またバカしてたんだってな。ラジオで聞いたぜ」

「そりゃあんなの逃すわけがないでしょ」

「ふん、でお目当てのものはあったか?」

「いーや、残念ながら……と言って良いのかはわかんねーけど、普通の事件だったよ」


 夕暮れを背に受けながら、ジャックはエレクス街を南下したニムタラ街のダンドルト工房に帰宅した。ここは彼が居候させてもらっている場所で既に十年は経つ。従業員は既に皆退社しているようでここに残っているのは彼と、家主兼工房主のダンドルト・クロスロッジその人だけだ。


「おめーもいつまでも昔のこと引きずってねぇで腰を据えたらどうだ?」

「あいにくと知らない事は気になる性質でね、やめられそうもない」

「……婆さんに義理立ててるわけじゃねーんだな?」

「同じ事を何度も聞くなよ。ボケでも始まったか?」

「たわけが、ワシは生涯現役よぉ……そういや晩飯は買ってきたか?」


 おうとも、と手に下げた袋を掲げてみせる。


「プッシュ・マダムご自慢のロース肉だ」

「結構、野菜は」

「とうもろこしだな。こそいでバター焼きでいいか?」

「冷蔵庫の中身を足せば形にゃぁなるか。いいだろ、ステーキにしな。それと銃を渡せ、メンテしといてやる」

「おう、まかせるぜ」


 手持ちの銃をポンと渡すとジャックは工房から住居へ続く階段を登っていった。ダンドルトの手に収まった灰褐色の銃、ボールダー197。火薬式の銃とは毛色の違うダンドルトの作品だ。これが通常の銃と違う点は粘性インクと硬化薬液を用いて内部で弾丸を生成するという点だろう。リロードするとカートリッジからインクを流し、それに薬液が触れると薬液を回り込んで閉じ込めるように硬化して弾頭を形成する。いわばパテ剤のようなものだ。後はトリガーを引くと通常の拳銃のハンマーに該当する部分に付けられた石と銃弾が反発することによってはじき出される。

 正直なところ、作ったダンドルトでさえこれらの反応が起こる理由は知らない。10年ほど前にそれぞれの反応を組み合わせていくと銃になったという、ある意味ではガラクタ同然の代物である。長所としてインクの充填量をセレクターで設定でき、増やすことで形成される弾頭の性質が変わることだ。少ないと着弾した段階で破裂するスタンバレットに、中量だと普通の拳銃同様の破壊力を持ち体内で破裂し、多量だと貫通弾になる。また火薬を用いないので純粋なサイレンサー銃であることも大きい。

 しかしそれらのメリットを打ち消すほどのデメリットもあり、インクの充填を単発ごとに行うため連射間隔が長いこと、カートリッジのインクづまりが起こると非常にメンテが大変だったりと手間な点も多い。

 それと比べたら通常の火薬式の方が生産性も整備性も遥かに優れていると言えよう。デイバー・ノーストンが玩具と揶揄してしまうのも納得の性能である。


 とはいえこういったものを欲しがる人間もいるので、売れるものは売るというスタンスのダンドルトはそれなりの数を出荷している。メンテ費用込みで火薬式よりはるかに値段を釣り上げているので買っているのはジャックのファンかただの道楽だろうと当たりをつけていた。まぁ誰がどのように使おうとしているかなんてダンドルトには関係ないのだからいちいち気にしても仕方がないが。


 今分解しながら整備をしているのはほぼ初期に作ったダンドルトの妻の遺品でもある。彼女が死んでからは訳ありの居候、ジャックが使っている。彼が銃を使うならこんな玩具よりもっとまともなものがあるだろう、そう考えているのだが何故かジャックはこれにこだわった。彼は別に不殺主義を貫くために持っているのではない、この国ではそんな甘ったれた思想でいたらあっという間におっ死んでしまう。今でこそ取材するために殺さないでいいのは便利だ、飯の種が減るのはごめんだ、などと言うがジャックがこれを持ち始めたのは新聞社に就職する前で二次的な要因でしかない。


 では何故か? 詳しい理由をダンドルトは知らない。ある意味験担ぎのようなものか。一つ言えるのは、この銃が彼のトラウマになっているということだけだった。

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