うきことの多きちまたに身を過ぐとわがはらわたに負荷はかけつつ
【読み】
うきことのおほきちまたにみをすぐとわがはらわたにふかはかけつつ
【語釈】
うし(憂し)――①自分の思うようにならないで、つらい。苦しい。②ある状態をいとわしく、不愉快に思うさま。わずらわしい。気が進まない。③つれない。冷たい。④悩ましい。せつない。心苦しい。⑤動詞の連用形に付いて、……するのがつらい、……するのがいやだ、などの意を添える。[参考:デジタル大辞泉]
はらわた(腸)――①大腸の古称。また、大腸・小腸などの総称。臓腑のことにもいう。②瓜などの内部の、種子とともにある綿のようなやわらかい部分。また、物の内部にあって、表面を別のものでおおわれているもの。③こころ。性根。また、胸中。本心。あるいは、物ごとの神髄。精髄。④すぐれているさま。すばらしい様子。[参考:精選版 日本国語大辞典]
【大意】
つらいことの多い世のなかに身を処せんとして、わが内臓に負担をかけていることである。
【附記】
一定期間を食を絶って過ごせば体調がよくなるだろうと思うのだが「腹が減っては戦ができぬ」ことわりで、思うにまかせない世を渡るにはなかなか思いきったことができない。せいぜいが休肝日をもうけたり夜食を取らずに就寝したりするくらいのものである。余談だが「断食」は本来宗教上の理由でする苦行を言い、「絶食」は医療行為であったり健康増進・美容のために食を絶つことを広く言う語のようである。
「身を過ぐ」は小野小町(生没年不詳)の「わが身世にふる」やことわざの「身過ぎは草の種」(「身過ぎ世過ぎは草の種」とも)のような語句から類推した表現である。
結句は「負荷をかけつつ」と「負荷はかかりつつ」を折衷した表現である。下の句を、百人一首に取られた山部赤人(生没年不詳)の歌の結句「ふじのたかねに雪は降りつつ」に似せた(万葉集では「富士の高嶺に雪は降りける」)。その折衷には字余りと序詞の重複とを避ける意味もある。
【例歌】
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける 山部赤人
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町
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