#11:ブラコン義妹は今すごく絶好調
File: phantom project #E02475
01/31/2047 18:27
Location: 西アフリカK国西部沿岸より800キロ。南大西洋セントヘレナ近郊
『マスコミを使ったのは失敗だった。あの連中を利用したところでいつもロクなことにならないのは分かっていた』
『仕方ないだろう! 三日後には首都は陥落して、その後はアメリカが空爆することはもう分かっていたんだ! のんびりしていたら証拠も何も残らなくなる』
『ジャイナ・クドローか』
『マスコミに情報をリークして、組織の幹部であるジャイナ・クドローに揺さぶりをかけるしかなかった』
『そのジャイナは?』
『とっくに工場で殺されていたよ。感染者たち諸共、遺体も蒸発しただろう』
『後手に回ったな』
『いや、今回はこちらが先に動いた。裏切りがあったんだ』
『何をいっている?』
『情報が漏れている』
『アル……』
『ヤツらは、こちらが工場を叩くのを知っていて、わざと事故を起こさせた。そのあと、戦術気化爆弾を使ってテロの仕業に見せかけたんだ。利用されたのはこっちさ』
『アル、我々はこの戦争に負けようとしている』
『そんなことは分かっている!』
『……』
『そんなことは分かっているさ……』
『だからこそ、今は【サイファー】を守りきらねばならない』
『……』
『恐らく、我々がこの戦いに勝つことはないだろう』
『……何を言って』
『聞くんだ! 誰かにこのあと、我々の戦いを引き継いでもらわねばならん。もはや今はそういう段階だ。そのためには【サイファー】を信用できる何者かに託し、絶対に隠し通さなければならない』
『……』
『どんな汚名を被ろうとも、真実が闇に葬られようと……。これは我々の最後の仕事なのだ。やり遂げねばならん』
『……昨日、成田空港に到着してまもなく、高熱を出すなどの体調不良を訴えていた男性が、国立国際ウイルス研究センターに搬送された件について、同センター長の清水健センター長が記者会見しました。男性が搬送されてまもなく、徹底した検査を行ったところ、男性の体内からゼノウイルスは発見されておらず、まもなく快方に向かっているとのこと。また、一時的に隔離されている男性が乗っていた機内すべての乗客を検査しましたが、誰ひとり体調悪化を訴える人は出ておらず、また検査の結果も陰性であると発表しました。これを受け……』
駅前のロータリー広場のベンチに座って、あたしはスマホの画面をもう三十分ほど見つめ続けていた。あたりはとても静かだ。風の音さえもしない。
目の前の何もかもが白くぼんやりと光っているような、奇妙な感覚があった。
過疎化の進む町ではあるけど、昼間近くになると、それでも多少の活気はある。電車はもちろん、車やバスの音だってするし、人もまばらにいて、どこかで話し声が聞こえたりする。今は夏だから広場に植えられた木々から蝉の鳴き声が五月蝿いはずだった。
なのに今、なんの音もしないような気がして、あたしは少し不安になって空を見上げる。
透き通るような蒼に染まった画用紙に、白いペンキをぶちまけたような空が、どこまでも続いていた。
あの夏真っ盛りを思わせる天高く聳える入道雲の向こうには、きっと凍えるほど冷たい暗黒の宇宙が広がっているのだろう。その静けさが、冷たさが、わずかにこの地上に降り注いでいるかのような錯覚を覚えて、あたしは思わず身震いした。
暑くて暑くて仕方ない夏の午後のことだ。
「……」
スマホの画面上には、一年前のある事件を報道する見出しが載っていた。
『西アフリカK国西部爆破テロ。【リヴィジョン・ハイランダー】らのグループによる犯行声明』
ぼんやりとずっと同じ見出しを見つめながら、頭の中で直樹の言葉を思い返していた。それを繰り返すばかりで、記事の内容は何度読み返してもさっぱり頭に入ってこなかった。何度も、何度も、記事を見返す。いいかげん時間の無駄に思えて、あたしはスマホをスカートのポケットに直し、一息溜息をついた。
それから立ち上がり、ベンチの脇に立てかけていた自転車に足を掛ける。
『あいつの父親はな!
その首謀者、
走り出す直前、再び直樹の言葉が頭に響いた。それをかき消すようにして、あたしはペダルを漕ぐ。
けれど、いつもの農道を駆け抜けていく頃、今度は今朝話した学校のコたちの声が頭にこびりついてきた。
『うん、あたしも聞いた。でもなんか怖いし。関わりたくないし。ソアラいなかったからさー。言う必要もないし? このまま来なくなってくれたら、あたしらもそれ以上関わらなくていいっていうか』
あたしは知らなかった。それに、知ろうともしてこなかった。日乃宮アガナが、どうして不登校になったかなんて、これまで気にしたことがなかった。
ただなんとなく、忘れられていくあいつのことが少し気になっただけだ。
机の引き出しに無造作にゴミのように捨てられていく、あいつがいたという記憶の残滓が、あたしの心の奥に眠る嫌な記憶をちくりとさせる。
ダンボールいっぱいに雑に詰め込まれた父の写真が、ゴミの日に捨てられた時の記憶と奇妙に重なって、なぜだか妙に切なかった。
誰かがあいつを少しは気にしていると、なんとなく伝えたかった。幼い頃、あたしが父にそうして欲しかったように。
あの日、入学式を終えて間もない頃、あたしは季節はずれのインフルエンザで苦しんでいた。一週間の自宅療養を言い渡されて、うんざりしながらベッドで無駄な時間を過ごしていた。
その頃、警察官の父を持つ直樹は、父親が町の区長と話しているのを偶然聞いたらしい。東京から一人引っ越してきて、こちらの高校に通うことになったアガナが、実は国際テロリスト、リヴィジョン・ハイランダーの息子であるということを。
東京ではマスコミの餌食になるため、親族が祖父のいるこの深桜町に引っ越しさせたのだ。もっとも、彼の身を考えてというよりは、体のいい厄介払いだったらしく、誰も引き取ろうとしたなかった親族を見かねて、祖父が引き取ったらしい。
けれど、結局、祖母が彼と一緒に住むことを嫌がって、彼は一人暮らしをすることになった。それでも、地元の名士である工藤家と彼の祖父が懇意にしていたこともあってか、彼がリヴィジョン・ハイランダーの息子であるという事実は、これまで極力、秘密が保たれていたという。けれど、不動産業者は彼を拒絶した。
彼はどんな粗末なアパートなどにも住むことが許されず、最終的に山奥の打ち捨てられた廃ビルが住居としてあてがわれた。
あのスクラップ廃工場は、まさに彼を捨てた大人たちの意思の表れだったのだ。
山奥のゴミ捨て場に捨てて、彼のことを忘れてしまいたい大人たちの願望そのものだったのだろう。
実際、それは叶ったのだ。
アガナは、山奥の廃ビルからほとんど出ることなく、どうしても町に行かなければならないとき、いつも誰かの目を気にして隠れるようにしていた。
あたしが彼のところに行くようになるまでは、雪音先輩以外、誰も彼を訪ねたりもしない。ほとんどずっとAIだけが話し相手で……。
あいつの父親が、国際テロリスト事件の首謀者だという事実が、あたしの中でショックではなかったと言えばウソになる。
でも、今のあたしはあいつを知っている。あいつのダメさも、あいつのいいところも、あいつが何を想い、何を願っているのかも。
あいつは絶対、人を傷つけたりなんかしない。
「……」
ようやく出来た備蓄食糧を前に、少しだけ泣いていたあいつの横顔を思い出す。
バカみたいだけど、あんなに純粋に誰かを想って一生懸命だったあいつを、どうして誰も、もっと分かってあげようとしないんだろう。
(あいつは何も悪くないのに……)
――僕の机なんて……まだあったんだ。
あの時、あいつはいったいどんな気持ちだったんだろう。何を思っていただろう。
たった一人で、この捨てられたビルで暮らして、理不尽な大人たちの仕打ちに耐え、忘れられていくことを日々実感しながら。
「……」
胸の奥がなんだかきゅっと締め付けられていくのを感じた。自転車を漕ぐ手や足や身体全体が、震えていくのを感じる。あいつの顔が、声が、頭の中いっぱいに広がっていく。
目の奥が熱かった。
事務所ビルに到着したとき、入り口前で雪音先輩に会った。冷蔵庫から引っ張りだしてきたビニール袋の野菜を手に、サンシェード下のテーブルに向かおうとしていた。先輩はあの日以来、料理に目覚めたらしく、今日も忙しなく備蓄食糧を進んで作ってくれている。備蓄食糧作りはけっこう大変で、みんなでやることになっていたんだけど、あらかじめ野菜を細かく刻んだり(熱を通しやすいように)、コンテナに瓶を配置したりする準備作業を彼女はよく進んでやってくれていた。
今も、その作業に没頭しているようだ。
「あ、先輩、こんにちは……」
「こんにちは、ソアラちゃん」
「あの……」
あたしは彼女に、ずっとアガナの近くにいた彼女に、何かを問いかけようとした。
「ん?」
まるで小さいコに話しかけるように、先輩は小首を傾げてあたしを見つめる。
「えと……」
けれど結局、うまく言葉が出せず、どう切り出していいか分からなかった。
あたしなんかが、話していいことかどうかさえ分からなかったのだ。最初、つい押し黙ってしまったあたしを不思議そうに先輩は見つめている。でも、なんとなくだけど、この人は本当は何もかも分かっているのかもしれない、今はそう思う。
「あの、あたしも手伝います!」
思わずそう言ったあたしに、先輩はただにっこりと微笑んだ。
「ありがとう。でも、そろそろお昼の時間だから、先にアガナくんを呼んで来てくれない? 作業が終わったらでいいから、少し話したいことがあるのって」
「分かりました!」
そう言って事務所ビルの入り口に向かおうとしたあたしの背に、先輩が言う。
「アガナくんなら、今、畑の方にいるわ」
「はい!」
僕はシェルターの裏手に作ったジャガイモ畑の横に、トマトやきゅうりなどの小さな畑の畝を作った。
【シェルクラフター】で土地をならし、土壌の成分についてはパラメータを【ここな】の方である程度調節してもらうことは充分可能だった。もっとも、ある程度であって完全というわけじゃない。
肥料を蒔き、石灰を蒔き、土を耕して支柱を立てる。毎日、水をやって、虫や病気にやられていないかを確かめる。植物の成長に合わせて、それらはすべて人間がしてあげる必要があった。
4月の末に植えたそれらは、今はもう立派に成長している。いろいろ野菜の本を読んで勉強したんだ。
失敗も多くあったけど、なんとか実をつけるまでには至った。初めてにしては大したものなんじゃないか、なんてことを所々、虫に食われている実を見つけながら思う。
『ジャガイモ畑はほとんど手がかからなくていいですけど、トマトは大変ですね』
支柱にぶら下げたipadから【ここな】の声が聞こえた。
「でも、なかなか面白いよ。植物を育てるって」
『土で手が汚れます。あとで、ちゃんと手を洗ってください』
「はいはい」
『熱中症に注意してください』
「分かってるよ」
『水分をよく取って。帽子はかぶってますか?』
「まったく、最近の【ここな】は嫁っていうより、オカンだな」
『わたしは優秀なので、たまにオカンもやります』
「……」
今年は雨がよく降ったせいか、少しだけ実が硬いかもしれないけど、きっとおいしいものができるような気がした。
いくつかもう食べれそうなものを選んで篭に入れ、脇芽なんかの処理をしていると、ふいに足元を何かが這いずり回っているのを見つけた。
茶色いフサフサの毛を生やし、縦に薄い縞のような柄をした毛玉みたいな物体が、僕の足に擦り寄っている。ウリ坊だ。
『アガナ、いつものケダモノです』
「トンカツだよ。ちゃんと名前で呼んでやってよ」
そういって、僕は足元のそれを両手で持ち上げた。まだものすごく小さくて、両手で持つとすっぽり収まるんじゃないかと思ったけど、これでもずいぶん成長したのだ。最初はもっと小さく、ひ弱だった。
「おまえ、大きくなったなぁ。前よりちょっと重くなってない?」
と、その時、背後から人の気配がして振り返る。そこには、呆気に取られた表情をして僕の手の中のコレを見つめるソアラがいた。少し短めの白のレーススカートから伸びる足が眩しい。
そんな彼女は、こいつが何なのか分からなくてじっと見つめているようだったけど、そのうち、まるで小学生みたいに大きく見開いた瞳が、うるうるとしだして、
「き、きゃぁぁぁぁー! なにコレなにコレ!? すっごいかわいいっ」
「お、おい……」
「これなに!? このコどうしたの!?」
「ち、ちょっと」
それまで、僕の手の中で、なんとなく暢気にまどろんでいたトンカツが、急に周囲が騒がしくなって警戒しだしたのか、しきりにブヒブヒと悲鳴のような声をあげて暴れ出す。
仕方ないので、地面にそっと下ろしてやると、短い足で慌てて山林の彼方へと逃げていった。
「あ、あーあー……いっちゃった……」
切なそうに呟いたソアラは、少し恨めしそうに僕の方に向き直る。
「し、しょうがないだろ。嫌がってたんだから……」
「あれいったい何?」
「ウリ坊だよ。見たことないの?」
「え? あれがウリ坊っていうの!?」
驚いたような感心したような、よく分からない反応をしながらソアラがもう一度、逃げたトンカツの方を見る。やっぱりもういないけど。
僕はトマトの収穫作業に戻った。
「ねぇ、あたし前にテレビで見たんだけど、ウリ坊を山で見かけたら、すぐその場から離れたほうがいいんでしょう? 親イノシシが必ずすぐ傍にいて危ないから」
珍しくソアラが神妙な顔でそっと僕のそばに来て、周囲を警戒するかのように見回しながら耳元で囁いた。近い近い……。こいつ、本当に無防備だな。
なんかやっぱりいい匂いするし……。
「だ、だいじょうぶだよ。あいつ、親いないから」
「え? そうなの?」
「うん、初めてあいつを見つけたとき、ほんっと小さくてさ。たぶん、あんまり小さいから発育不全で親に見捨てられたんだよ。たまにあるんだ」
「マジで? 自然きびしー」
「ここの畑を荒らしてたから、追っ払おうと思ったんだけど、なんだか可哀想でさ。小さいトマトとかやってたら、意外と元気になって、ああしてたまに来るんだよ」
「へぇ……」
なんてことを話していたら、そのうち、ソアラは少し黙って、じっと僕の作業を眺めだす。僕はそのまま脇芽を取ったり、収穫したり、雑草を取ったりしながら作業を進める。
そのうち、少し疲れたのか支柱にかけていた麦わら帽子の予備を掴んで自分の頭にかぶせると、畑の脇にしゃがみこんで膝に肘をついて僕の作業を見つめ続けていた。
(そ、その姿勢、パンツ見えてますよ……?)
言ったほうがいいのか? それとも気付かないフリをしたままの方がいいのか。延々と悩みながら僕はトマトを収穫した。
落ち着かなくて、つい、ちらっとソアラの方を見てみた。や、やっぱり見えてるよ……と思ったんだけど、なんとなくその時、僕を見るソアラの目が気になった。
ぼうっとしたような顔で僕を見ている。それでいて時々、何かを言いたそうな顔で僕を見つめていた。瞳がぼんやりとしていて、ほんの少し顔が赤いような気がする。
熱中症か? なんて少し心配になる。
おもむろに、僕は反対側の脇に歩み寄った。この間【シェルクラフター】で畑を作る際に、水路を作ったが、それとは別に小さな貯水地も作っていた。
普段は水路の一部になっているが、水門を閉ざすことで貯水池にもなる。今は水が流れていくようになっていて、すごく澄んでいて綺麗だった。それに冷たい。
天然の冷蔵庫だ。
収穫したトマトの幾つかをプラスティックのカゴに入れて、沈ませておいたものを2つ取り、一つをソアラに投げ渡す。
ぼんやりしていた彼女は、少し反応が遅れたものの、はっとしながら慌ててなんとか両手で受け止めた。
「ちょ、ちょっと、びっくりするじゃない!?」
「食べてみてよ。冷たいし、水分も豊富だよ」
彼女の抗議もおかまいなしにそう言うと、僕は自分が持っているそれを齧り、手近にあったビール箱に腰を下ろした。
口いっぱいに冷たくて瑞々しいトマトの味が広がる。思っていた通り、今年は雨が多かったせいか、皮の部分が少し硬かった。
それでも、初心者にしては上出来だと言えるだろう。そう思いながらビール箱に座り、目の前のトマトの成木を満足気に見つめる。
そんな僕の隣に、いつの間にかトマトを持ったままのソアラが、ぼんやりと立っていて、僕を見下ろしていた。やっぱり少し熱に浮かされたような顔を見て、熱中症なのかなと本気で心配しそうになったけど、突然、そんなソアラは僕の隣に無理に座ろうとしゃがみこんできた。ビール箱の裏なんて、二人で座れるものじゃないのに。
「ち、ちょっと!?」
「もうちょっとそっち寄ってよ」
「そんな無茶な」
「だいじょうぶよ。二人で座れるってば」
イタズラっぽく笑いながら、彼女は僕の隣に座った。さっきよりもだいぶ近くて、僕はドキドキと心臓が高鳴るのを感じた。彼女の細い腕や肩が僕のそれに当たる。
すごく柔らかくて、華奢な細い身体だ。不思議と汗ひとつかいていない彼女の腕は、さらっとしていて少しひんやりしている気がした。
甘い香りが漂い、ほんの少し吹く風が、彼女の茶色い髪をさらって、白いうなじが覗いた。
(首、あんな細いのか……。あ、鎖骨……)
僕はそんな彼女の姿に思わず顔中に血が集まっていくのを感じる。
頭の奥が、甘くまどろみ、麻痺していくようだった。
こうしてみると、本当に綺麗なコだ。学校内カースト最上位という噂も納得できる。
こんなコが今、僕の隣に座っていて、一緒にトマトを齧りながら笑いあっているのかと思うと不思議でならなかった。
「これ、アガナが育てたトマトなのよね」
「うん……」
「おいしいね」
「……そ、そういえば、なんか用でもあったの? こんなところにわざわざ」
「ん? ああ、雪音先輩が作業終わったらちょっと話があるって」
「ふーん。なに? それだけ?」
「うん」
そう言って、狭いビール箱に寄り添って座る彼女は、白いミニスカートから覗く細く長い足を真っ直ぐに揃え、両腕を天高くかざして伸びをする。
上半身を思いっきり反らせて伸びをすることで、ほんのちょっと彼女の胸の膨らみが見えて、目のやり場に困った。
やがて彼女は満足したのか。再びトマトをしゃりしゃりと齧った。本当においしそうに齧りながら、美少女というには少し幼いような無邪気さで笑っていた。
「うん、やっぱりおいしい!」
――初めて食べたあいつのトマトは、少し外側が硬くて、味は少し酸っぱくて、でも
ほのかに甘い……あいつの優しさの味だった。
「……にみんなで行きたいなって思うの」
事務所ビルの3階にある僕の部屋で、紅茶の用意をしながら雪音先輩が何か言っていた。
しかし、そうした先輩の一言は、すぐに目の前の状況を前にしてかき消される。
僕とソアラは、このとき、お互いに持っているipadにインストールしている【シェルクラフター】で地下書庫となる空間を作っていた。けっこう広大なスペースが必要出し、作り付けの書架や、カフェっぽくして、ちょっとオシャレなカウンターなんかも作ろうという話になって、だんだん作業量が多くなってきたので、二人がかりでプレイしていたのだ。
林檎と真綾ちゃんは、二人でその地下書庫に保管すべき書籍をネット通販で大量に購入する作業に没頭している。
要するにお買い物だ。
もちろん、資金はじいちゃんの莫大な遺産の一部を使うんだけど、こういう投資なら有意義だといえるだろう。
ちなみにテーマは『文明崩壊後を生き抜くのに必要な知識、及び未来に遺すべき名著の収集』だ。人類文明の遺産とも言うべき大切な作業だ。林檎も真綾ちゃんも任せろーとばかりにアマゾネスで、ガンガン買い物カゴをいっぱいにしていく。
彼女たちの豊富な読書経験(主にラノベらしい……)とサバイバーとしての経験から、猛烈な勢いで、崩壊後の未来に遺すべき名著が厳選されていった。
そんな彼女たちの様子をなんとなく、横目で見てみたのだ。
まず、林檎の方を見てみる。
真剣にパソコンに向き合い、凄まじい集中力で彼女が厳選した書物のタイトルが、買い物カゴに並んでいた。
そのタイトルは……。
『兄と妹のイケナイ関係』、『兄に妹のお風呂を覗かせる方法』、『妹だけどお兄ちゃんに夜這い突入します』、『冴えない義妹の育て方』、『妹がお兄ちゃんと異世界でラブラブな生活を送る件』等など……。
これアカンやつや……。
「お、おい……林檎……」
「……(ぐっ)」
そっと肩に手を置く僕に少し照れたような林檎は、至ってマジメに、ばっちりです! と言わんばかりにサムズアップする。僕はそんな林檎が、この世で最も頭の悪い生き物に見えた気がして、思わず不憫になりがっくり肩を落とす。
そうだ。この変態中二病ロリサバイバーは、最近、ブラコンという新たな属性を得て、今、さらなる変態としての高みを目指そうとしているんだった。
「キモ……あんたの『文明崩壊後に必要な知識』ってそういうのなわけ……?」
ち、ちがうよ!?
僕のチョイスじゃないよ!?
僕に向き合ってタブレット上の【シェルクラフター】を操作していたソアラも、僕の視線に気付いたのか、テーブルの林檎の画面を見て呟く。本気で引くかのように、顔に青筋の入ったソアラが、いつものようにはっきり言うのではなく、ぼそっという呟きは、本気で汚物でも見るかのような心に響くものがあった。
そんな中、僕とソアラは救いを求めるかのように隣の真綾ちゃんの画面に注目した。先ほどから、マジメにド変態なタイトルを選んでいる林檎と違って、彼女は少し楽しそうにニコニコと商品を選んでいた。やっぱり女の子って買い物好きだよね。
可愛く鼻歌なんて歌いながらマウスを操作している様子なんて、とても微笑ましかった。こんな妹がいるソアラがちょっと羨ましかったり。
デスゾアラな姉を持ちながら、林檎の中二病言語を分かりやすく解説してくれたり、林檎の不穏な発言を控えさせてくれたり、優しい良識的な……。
『俺と兄貴の熱い初夜』……。
――えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ………………。
僕らはほとんど同時に青筋まみれの表情で、心の中で叫んでいた。よく見ると他の買い物カゴに入っている本もひどい……。
『武装要塞ホモゲーサークル』、『兄貴と羅武羅武異世界生活』、『猛漢たちの愛の巣』、『ガチホモ先生』等など。
「……」
「……」
僕もソアラも、思わずがっくりと床に手をついて
――ど、どぉするよ!? これ!? どぉすんの!?
人類文明の最後の遺産として遺す本棚なんですよ……!?
そんな僕らの絶望など気付く様子もなく、二人は意気揚々と買い物カゴをいっぱいにさせていった。あくまで二人にとっては、人類滅亡後に遺すべき名著として、厳選された……も、もう一度言おう……。
厳選されたチョイスがそこに並んでいるらしい……。
僕に言わせれば、悪魔チョイスと呼ぶべき魔導の書たちである。
「血か……」
涙目の僕は、思わずぼそっと呟いた。すると、ソアラが素早く反応する。
「なに? 今、血かって言った!? あたしはこんな趣味ないわよ!?」
力任せに僕の襟元を掴みあげるソアラの顔は、羞恥と怒りで震えている。
「……」
「ちょっと、目、
「……そうか……」
「あたしはね! こんな変態趣味なんてないんだからね!?」
「おまえがそう思うんならそうなんだろう。おまえの中ではな……」
僕は、先日の『コールオブダーティ』でのソアラのビッチプレイを思い返し、心底汚れきった汚物を見るかのような死んだ目で見下ろした。
「くっ、こ、こいつ……」
この時だった。
ずっと僕らのやりとりを黙って聞いていた先輩が、ここにきて始めて今まで見たこともないような濃い影を映した顔で、突然、僕らの前に仁王立ちし、腰に両手を当てて、さも怒ったぞというポーズをして見せると、
「聞きなさぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!」
その場にいた全員が、思わずびくっとするほどの大声で叫ぶ。思わずみんなが先輩に注目する中、先輩はびしっと僕らを指差し、こう言った。
「海に行くわよ!」
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