第11話 港の見える丘公園、ふたたび
今の気分を何て言えばいいんだろう?
カリナ風に言えば、「ヘドが出る!」かな。
とにかく気分は悪い。
あたしたちはまた港の見える丘公園に来ていた。
公園内を、ロッテンは黙ったままサクサク歩く。あたしはその後をついて、サクサク歩く。
手を繋いではいない。
触りたくもない。
(息子さん家族を捜してたんだ)
シーバスに乗ったのも、マリンタワーにのぼったのも、中華街で食事したのも、元町を歩いたのも、港の見える丘公園を訪れたのも、すべてそのため。
ひとつも報われていない。
ただ、自業自得としか言えない。
(何なのよ? よりによってあのひとと同じ。浮気して、家族を捨てたバカじゃん。それで生活指導? こんなオバサンがこわくて、あたしたちはビクビクお辞儀していたわけ?)
目の前を歩くロッテンの後頭部を叩きたくなってきた。
とにかく自分勝手。息子さんが苦しんだの、わかってない。
ある日突然、家族が減っていただなんて、かなりのショックだと思う。
あたしにはわかる。わかりすぎて、痛い。
もうすぐ、その日が来るから。
本気でロッテンを後ろから殴ってしまいそうになっていた時、ふと前方の空間が開けたのを感じた。
「あ……」
港が一望できる丘に出た。ここが、“港の見える丘公園”たる所以の場所。
思わずあたしはロッテンを追い越して、柵の方に走った。
(キモチイイ!)
自分の目線よりも高くにあるのは、空だけ。マリンタワー展望台からも見えたけれど、このたくさんの空気が心地よかった。
平日の昼下がり。他にはカップルがひと組と、ベビーカーを押した若い女性がいるだけだった。
みんながあたしに無関心な中、背後に立ったロッテンだけがあたしを見ていた。その視線が痛かった。港を見るのをやめて振り返ると、ロッテンは微笑んでいる。
(あ、それも初めて見る顔)
この日、学校では見たことがないロッテンの顔を、たくさん見ることができた。
ああ、ロッテンも笑うんだ、そう思うとあたしもうれしかった。今あたしを見る顔もやさしくて、少しくすぐったくなるけれど、ずっと向けていて欲しい顔で……。
でも、それを向ける相手を間違えている。
「私は息子さんじゃないし、お孫さんでも無いですよ」
自分で驚くほどの冷たい声が出て、それがザックリとロッテンの胸に刺さったのがわかった。ロッテンの顔からは笑みが消えて、ふだんと同じ無表情になった。それからゆっくり近づいて来て、あたしの隣に立ち、海を臨んだ。
「……わかっています」
「本当にわかってます?」
何でこんなに突っかかるのか、自分でもわからない。ロッテンの細い体を、拳で殴っているような感覚。
「どういう意味ですか?」
「なんでこんな所でのんびりしているんですか? 捜しに行かなくていいんですか?」
ロッテンは眉間に皺を寄せて、視線をあたしから海へと向けた。
「……あなたには関係ありません」
はああ?
「関係ないですか? こんな遠くまで私を連れてきておきながら? 十分巻き込んでおいて?」
「それは申し訳ないと」
「そうまでして先生がここに来たのは、息子さんに会いたかったからなんでしょう?」
「……もう……いいのです」
「もういい? もういいって何ですか?」
あたしは自分を止められない。ロッテンに向けて、何度も拳を振り下ろしている。
「何って……」
黙り込んだ。都合が悪いと黙り込むのは、大人の常套手段。次に出てくるのは「子どもは黙っていなさい」かな? けれど、予想外の言葉が続いた。
「まさか……」
ロッテンは私を見て、苦しそうに言った。
「まさか今日、神崎さくらさん、よりによってあなたと会うなんて……」
「え?」
“よりによって”? それってどういうこと?
「あなたにはあの子の気持ちがわかるのかもしれません。ですが、あの子は私を憎んでい……」
「どういうことですか?」
ロッテンの言葉を遮り、大声が出てしまった。
「神崎さ……あっ」
ロッテンも気づいたらしい。
どうして、どうしてロッテンが、あたしの家のコトを知っているの?
「先生、どうして知っているんですか? どうしてあたしの親のコトを知ってるんですか?」
「“私”と仰いなさ……」
「ごまかさないで!」
言葉の終わりの方には、怒りも混じっていた。ロッテンは少しだけ怖じ気づいたように見えたけれど、すぐにいつもの毅然とした雰囲気に戻った。
「……先日、あなたのお母様が学校にいらして、家庭の事情でお母様が離れて暮らすとお話しになりました」
「は?」
「それであなたが情緒不安定になる可能性があるから、あなたの担任の田代先生や教頭、校長に注意していて欲しいと……」
――何、それ。
あのひとが家を出る? いつ?
「あ、あたしはまだ、何も聞いていない!」
そう思ったことが、そのまま口から出ていたらしい。しかも取り乱して、怒鳴りながら。ロッテンは見開いた目で、そんなあたしを見ていた。
「何も……伺っていない?」
「あたしが知らないのに、何で先生が知ってるんですか!」
考えてみれば、そういった留意事項は先生たちの間で周知されるから、ロッテンが知っていて当たり前なのかもしれない。
それでもあたしは「ズルイ」と思った。別にロッテンたちは悪くない。悪いのはあたしに何も話さないで決めるウチの親たちなのに、あたしは目の前のロッテンに怒りをぶつけるしかなかった。
「信じられない! あたしのコトいつもシカトして! あたしはまだ何も聞いてない!」
とにかく腹が立って仕方なかった。
「神崎さん!」
そう呼ばれると同時に、ロッテンが真正面からあたしの両手それぞれを握った。まさかそうされるとは思っていなかったあたしは、ビクッと体を震わせて止まった。
「落ち着いて、神崎さん。落ち着きなさい」
明瞭に、だけどやさしくあたしにそう言うロッテンは、泣きそうな顔をしているようにも見えた。
「ご両親は、あなたをなおざりにしているわけじゃないのですよ。決して」
「うそ! 子どもだからって、服を買う時も、中学受験も、いっつもいっつもあたしに何も言わないで、勝手に決めちゃうんだから!」
「神崎さん、それはきっと良かれと思って……今回のことは、あなたを傷つけたくなかったから、言えなかったんですよ」
ロッテンの、あたしの手を掴む両手のそれぞれに力がキュッと籠もる。
「……そ、そんなこと、何で先生がわかるんですか?」
そう聞いておいて、あたしにはわかった。
ロッテンもそうだったからだ。
家庭を壊して出て行くこと、それを正直に話して、お子さんを傷つけたくなかったんだ。
その黙っていることが、お子さんを別の意味で傷つけるのに。
返答は無い。ロッテンは手を握ったまま、無言であたしを見つめていた。あたしは握られているところの熱さが気持ち悪くなり、ロッテンの手を振り払った。
「ば、バカみたい!」
怒りが涙になって、下瞼に溜まる。それがこぼれないように、あたしは憎まれ口をきくことでごまかした。
遠くから船の汽笛の音が聞こえた。途端にあたしはロッテンに八つ当たりしたことが、ばかばかしくなってきた。
「……そうですね」
ロッテンは海を見ながら、ポツリと話し出した。
「いつ言おうが、結局は傷つけてしまうのですから……ごめんなさい」
その「ごめんなさい」はあたしに向けての言葉だったのか、息子さんに向けての言葉だったのか。
だけどあたしの中の怒りは、シュルシュルと小さくしぼんでしまった。
怒りの代わりに沸き上がってきたのは、不安。
これから自分に起こる出来事に気持ちがざわめくのを抑えていると、また汽笛が聞こえた。
そばのベビーカーから赤ちゃんがぐずる声が聞こえてきた。若いお母さんは、赤ちゃんを抱き上げてあやし始めた。
その光景はあたしの気持ちを甘酸っぱくさせた。
やはり親子を見ていたロッテンも、きっと同じ気持ち。何となくそう思った。
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