第25話「遭遇」


「おや? あなた方は!」

 込み合う道を避けながら進んでいたとき、すれ違いかけた老人がハッと振り向き、足を止めた。

「あ、この間の……。お怪我は大丈夫ですか?」

 そう珪成が声をかけたのは、春麗の店の老板てんしゅである。

 老板は後頭部をさすりながらそれは人の良さげな笑みを浮かべ、

「まだコブやら擦り傷やらは残っていますがね、まあ年寄りですから治りが遅くって困ります。坊ちゃんだったらとっくに元通りですわ」

 そう言って、小柄な身体に似合わずガハハと豪快に笑った。

「さすが客商売、愛想いいな」

 二人の遣り取りを揃って見守っていた琉樹が、そう自分を振り返ってきたので、

「そうね」

 楓花はできるだけさりげなく、普段と同じようにさらっと同意してみせた。

「ところで」

 老板はぐるりと三人を見渡し、

「お揃いでどちらへお出かけですか」

「いやな、昼飯を食おうと思っていたんだが出足が遅かったからかどこも混んでいてな。空いている店を探しているところだ」

琉樹がそう言うと、「でしたら!」と老板は周囲が振り返るくらいの大声を上げ、

「でしたら是非、ウチの店へ! 本日から新しい菜単メニューに入りましたので! 今ならお試し価格ですが、お三方には先日お店を助けていただいたお礼として、ぜひともお味見いただきたく!」

「……さりげなく宣伝してるな」

「さすが商売人」

「ええ、いいんですか! 嬉しいなあ、先日いただいたのも全部美味しかったですし!  

 春の新菜単なんて、楽しみです!!」

 兄妹のやりとりをかき消すように、珪成は声を張って笑顔を見せた。

「それはよかった、さあさあ」

「はい!」

 祖父と孫かと思うほどに、老板と珪成はたわいない話をしながらにこにこ並び歩いていく。琉樹と楓花はその後に並び、「さすがだな、普段、賊禿を相手にしているだけある」「真似できないわ」などと言い合った。


「さあどうぞ」

案内されたのは店の奥の奥。そこには階段があり、言われるまま上ると、そこにも座席があった。だが一階とは違い席はゆったりとしていて、敷かれた筵や屏風は明らかに上物。見るからに上席である。

 「ちょっとお待ち下さいね」と老板が姿を消したのを見計らい、並んで座った珪成と楓花は揃って辺りをきょろきょろ見回す。

 背後と片面は窓になっていて、賑わう南市が見下ろせる。隣の席は空いていて、通路を挟んだその向こうに座っているのはどうやら官吏の様子。南市には三品以上の官吏は入れないが、堂々と食事をしているところをみると、そう大層なご身分ではないようだが。

 とはいえ庶民の、しかも總角の未成年と、成人したばかりの男女二人が来るには少々場違いな感じではあった。今は奥まった席なので周囲の目は気にならないが、ここまで来るのに通り抜けた幾つもの席から、無遠慮な視線が相当数投げかけられた。

「なんか……立派な席ですね」

「うん。ちょっと緊張する……」

 顔を強張らせる二人の正面で、

「いーんだよ老板がいうんだから。それより何を食わしてくれるのかな、楽しみだぜ」

 琉樹は、周囲のことなど意にも介していない様子。 

 ほどなく、老板が女童を伴って次々と皿を運んで来た。だがつくえに並んだのは予想に反し、茶や菓子、麺類などの軽食ではない、野菜や肉や魚をふんだんに使った、それは手の込んだ品々。

 多種多様な料理に、三人は目を見張る。

「よほど銀を多く払わせたらしいな。俺は隠遁生活が長くて、世間の尺度ってのが分からなくてな。いやはや、あいつには気の毒なことをした」

 全然気の毒そうではない声でそう言うと、琉樹は早速、筷子はしを取り上げ料理をつまみ出した。咀嚼しながら何度も頷き「やっぱ上席の連中にはこういうのも出るんだな。うん、美味い」などと独りごちてる。

「こっちの粉骨魚(鯉の姿煮)もいい味してるぞ。骨もしっかり食える。ほら」

「この蛋湯たまごスープ、いい匂い! さあ珪成、いっぱい食べて!」

大層な料理を前にただただ驚き、どうしていいか分からない様子の珪成の前に、兄妹は争うように料理を取り分けた小皿を並べまくった。そこへ、

「いやあ見事な食べっぷりですなあ、やはり若者はこうでなければ。これ、こちらの皿、お代わりをお持ちして。こっちの肉もだ」

 老板の言葉に、奥からさらに料理が運ばれてくる。姿形と言い、平気で肉魚を貪る様といい、この二人が沙弥と行者だなんて誰も思わないだろうな――楓花はひそかに笑ったのだった。


 かなりの量が準備されたのだが、三人はあっというまにそれを平らげた。

「あー食った食った」

「本当に。人生で二番目の御馳走です」

 三人が筷子を置くのを見計らっていたかのように、絶妙な間合いで老板が茶を運んで来た。

「老板、結構な料理だったぜ」

「本当に、ごちそうさまです」

「もう本当にに、幸せです!」

「いえいえお粗末さまでした、さ、どうぞ」

 几に置かれた茶碗は何故か四つ。「?」楓花が眉を寄せると、自らの斜め前、琉樹の隣に老板が腰を下ろしたことで理由が分かった。話し込むつもりなのだ。見れば、店内少し落ち着いたようである。

「先日は本当にありがとうございました。あなたがたが居なければ、店にはもっと損害が――いや、ああいった輩が調子に乗ってもっと出入りするようになったことでしょう。また過分な銀子を頂き、お蔭様でこれまでの損害も埋め合わせることができました」

「これまでの損害?」

 琉樹に対し深々と頭を下げる老板に、珪成が小首を傾げ、訊く。

 その問いに、よくぞ聞いてくれましたとばかりに老板は身を乗り出して、

「いえね、実は最近続いていたのです。ほんとうにあの子はよくやってくれるけれど、ああもちょっかいをかけられ、騒ぎになるようでは、考えねばと思っていたところです」

「あの子って、春麗さんですか?」

「おやご存じで。今はちょっと使いに出してるんですがね。あの通り、あの子は器量がよく心立ちもいい。お蔭で客が増えているところもあるが、最近は悪い客も増えてね。この前のように、『相手をしろ』と言われ、あの子が断ると騒ぎだすという――」

「そんなに続いているんですか?」

「ええ、それはもう。今年に入って何故かそういうのが増えてねえ。あの子が泣いて謝るものだから、いやあの子は何も悪くはないんだから、変わらず働いてもらってはいるんですが……。身内といえばしがない磨鏡の婚約者一人だし、気の毒だとは思うんですよ」

 そうは言いながらもクビを考えていることは明白な様子。そんな! 思わず目を向けると、琉樹は茶を啜りながら、眉間に皺を刻んでいた。これは――考えている顔だ。じゃあもっと話を聞き出さないと!

「その迷惑な客って同じ人なのかしら?」

「いや、その都度違っているようですけどねえ。永寧みやこ言葉だったり、南の方言だったり、いろいろですわ」

「迷惑な話ですね。春麗さん悪くないのに」

「いや本当に。器量のよさが災いするってのもおかしな話で。しかし最近どうかしてますなあ。信心深い娘が殺されるわ――」

「何ですか、それ」

 老板の言葉尻を楓花が捉えると、老板は驚いた! とばかり大げさに目をみはり、

「おやご存じない? 娘が攫われて渠水に捨てられるって話ですよ。小姐おじょうさんのようなお綺麗な方は気をつけないと」

「え、そんな……」

 照れ笑いを浮かべた楓花の目の前で、琉樹は興味をひかれたとばかり隣の老板に身を寄せ、

「ああ、あれ。でも信心深いって話は初めて聞いた。さっすが人気店の老板は情報が早い!」

 琉樹の言葉に、老板は少しばかり鼻の穴を膨らませ、

「殺された中に、ちょっと知った者がおりましてね。大層見目のいい娘でした。心だても良く、足しげく寺に通ってしておりましてね」

「へえ。何しに行くんだろうな、寺なんか」

 その発言に珪成が鋭い目を向けたが、琉樹は素知らぬ顔だ。

「悩みがあるんでしょう。彼女は父親の病気が思わしくなくてねえ……。その寺は随分と御利益があるそうで、長年不妊に悩んでいた知り合いに子が授かったと、あの子嬉しそうに言ってましたよ。えっと北市の近くの、何て寺だったか――。しかし人が羨む佳人でも、やはりままならぬことはあるものですなあ」

 やりきれぬ、とばかり老板は首を振る。

「全く。ままならないことばかりだ」

「いやまあ本当に」

 琉樹の言葉に、老板はしみじみと頷いた。

「――さ、そろそろ行くか。今日は世話になった。次回からはただの客として扱ってくれ」

 そう立ち上がった琉樹に、老板は深々と頭を下げながら、

「ありがたいことです、恩義は終生忘れませんが、恩人としての扱いは本日までと――」

 実に商売上手なことである。

 その言葉に、琉樹はにっこり笑うと、

「じゃ今日までってことで、礼物おみやげもらえる?」

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