第20話「依頼話」

 促すと、女は小さく頷いた。

「――話というのは、婚約者のことでございます」

 聞き覚えのある言葉に楓花はハッとする。よく見れば年の頃も近い。ぐっと親近感が増して、まじまじと彼女を見つめてしまう。

 春麗と名乗る女は続けた。

「彼はお父様の代から磨鏡を生業としています。馴染みのお客様もいて、糊口を凌ぐには十分な生活を送っているのですが――」

 この頃の鏡は銅鏡である。時とともに錆びつくそれを、姿を映すまでに磨くには多少の腕を必要とする。腕のいい職人が磨き上げると、新品のごとき輝きを取り戻したという。

「でもタチの悪い金櫃かねかしに騙されたワケ?」

 琉樹の言葉に、春麗は一層顔を曇らせ、

「彼は昨年の秋、知人の方の保役(保証人)を引き受けたのです。長いお得意様だったらしく、断り切れなかったと彼は申しておりました。その方が姿を消してしまって――」

「まあ、ひどい」

「よくある話だって」

 両手で押さえた口元から思わずとばかり声を漏らした楓花に、身を寄せて囁き返すのは琉樹だ。

「それが昨年末のことでした。ですから当然、彼に支払いが求められているのですが、彼では到底背負えない額が一月ひとつき分の返済額で――彼も心が塞ぐのか仕事が捗りません。このままでは更に返済が滞り、一層取り立てが激しくなるのは目に見えています。私も何とかしてあげたいのですが、私の給金ではとても……」

「まあ、筋は通ってるけどな」

「そういうもの? だって返せない額だなんて」

「そこは若干、引っかかるところだよな」

 兄妹のやりとりに、春麗は何度も頷き、

「一月の返済額を減らしてほしいと申し入れているのですが、証文には署名があるからと聞き入れてもらえないのです」

「そう言われればその通りではあるが」

「ええ。でももう少し融通が利いてもよさそうなものですね」

「だよな」

 珪成を挟んで、志均と琉樹が言葉を交わす。それを横目に、楓花は傍らの春麗に身を寄せる。胸を強く押さえて伏し目がちの彼女は、今にも倒れるのではないかと言うくらい思いつめた表情で、傍から見ているだけで胸が痛い。

「亡くなった彼のお父様は名の通った磨鏡でしたから、そこそこ貯め込んであるはずと思い込まれているのかもしれません」

「彼のお父様をご存じなの?」

 楓花が問いかけると、春麗はこちらを向いて一つ頷き、

「はい。私たち、幼馴染みでしたから」

 その返答に楓花は口元を綻ばせて、「まあ素敵、幼馴染で婚約者だなんて」

 「楓花、場を弁えなさい」静かな声。

 やってしまった。身体がかっと熱くなる。とても声の主は見られない……どうにか春麗に目を向けて、「ごめんなさい」と小さく告げると、彼女は「いいえ」と優しく笑いかけてくれた。彼女を安心させるために呼ばれてるのに、私が安心させてもらってるなんて――なんて情けない。

 そこへ琉樹が声を上げた。

「でもまだ年が明けて間もないのに、突然取り立てが厳しくなるってのも変な話だ」

「確かに。まずは逃げた方を探すのが先だと思うのですが。春麗さんは、その知人の方のこと、何かご存じないのですか?」

「私には面識がない方のようなのです。彼に聞いても余り答えてくれません。信頼してた方に裏切られたわけですから、思い出したくないのだと思いますが――」

 そこで琉樹と志均がちらっと目を合わせた。意味は分からないが、おそらくあんまりよくない感想を抱いたのだろう――楓花と珪成は揃って眉が寄せる。一気に変わった場の空気は、春麗にも伝わったらしい。彼女はにわかに地にひれ伏し、

「お願いです、彼を助けて下さい。彼は騙されているんです。知人の方の借銭は、殆ど手付かずになってると相手は言うのですが、それは法外な利子のせいなのです。このままでは借銭が増えることはあっても減ることはありません。それでは彼がどうにかなってしまいます。一般的な返済額にさえなれば、その差額で依頼料をお支払いできます。お願いです、どうか」

 そう、涙声で訴えるではないか。その必死な様に、楓花の目も潤む。泣き崩れてしまった春麗の背を何度も撫でながら、「お願いです、なんとか助けてあげてください」必死に志均を見上げてそう言った。

「ところで、婚約者は誰に借りてるワケ?」

 そう尋ねる琉樹の声は、いつも通りだ。

 春麗はしゃくりあげながらもどうにか顔をあげ、涙に濡れた目を声の主に向ける。

「――温楽坊の柳と聞きました」

 温楽坊は北街の坊である。王に徳があると楽水が温くなるという故事にちなんだ由緒ある坊名ながら、楽南を二分する楽水の畔にあるため居住地としてあまり適していなかったらしく、同じく水添いに並ぶ他の坊とともに住むものの少ないところである。よって新参者やらにわか小金持ちやらが住み着きやすい坊だと言えた。

「名うての賭徒だな。羽振りのいいことだ」

「ええ。となると、ありえない話ではなさそうですけどね」

 そのやりとりに、春麗の目に僅かながらも希望の光が灯った。よかった――楓花は安堵して、自分の手絹ハンカチを渡す。「ありがとう」春麗は新たな涙を流しながらそれを受け取り、目元を拭う。婚約者の人が本当に大好きなんだな……そんなふうに思い、楓花の口元は知らず綻ぶ。

「じゃあ騙されてるって証拠を上げて、婚約者の借銭を、少なくとも常識的な額にすればいいってことだな」

「そうして頂ければ、どんなにか――。お礼は、できるだけのことは致しますから」

「どうしますか、琉樹」

 志均が琉樹に目を向けて聞く。琉樹は、

「引き受ける前に、婚約者の話も聞きたい。どうせ内緒でここに来てるんだろうから、今晩説得して、明日にでも連れて来てくれ。それから考える」

 その言葉に、春麗は事実を見透かされた驚きに目を見開いた。だがすぐ表情を改め、

「分かりました、明日必ず連れて参ります」

「では明日のこの時間に。お待ちしてます」

 志均はそう言って手を叩いた。たちまち現れた鈴々に、客人の見送りを命じる。


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