鑑賞7 正しく越えられない者へ投げる声(矢野絢子「一人の歌」)
深夜。人は眠っている。水田の水の面に、光影を落として立つ、街灯の一列がある。それは巨大な山影に、平野部を割いて真っ直ぐ突き刺さって、それから湾曲して杉林に見えなくなった。
人の眠った農村を、高速バスのカーテンのすき間から覗いていた。街灯は無休で無人を照らしていた。
あなたがどんなに悲しくても
僕にそれは伝わらない
矢野絢子の歌は孤独を知る。孤独は他人のなかにある孤独を見る。でも、ひとは自分の孤独のことはほったらかして、楽しい乾杯に明け暮れている。ある時、ひとりの時間に、蓋をしていた孤独のふきこぼれるのに翻弄される。ほったらかしているから、そのわけを知らない。
あなたの視界が歪んでも
それはあなたの世界だもの
人は価値を共有する生き物。言葉を繰って価値を補正する。価値の均衡点が大切なことのように扱われていく。重ならないその人ひとりの価値はないがしろにされて、現実に合わないからと暗い方へ沈められる。
ぼくはここで立っていて
前を向いて立っていて
それだけで精一杯
微笑むことで精一杯
事態のなかで、過去に採取された事態のサンプルを並べて、いまここの事態と関連付いたサンプルを結んで、行動の材料にしている。いま、ここにある事態は不本意に軽くなる。ぼくがここに立っていることは、あなたがそこに立っていることと同じではないのに、同じこととして扱う。ほんとうはトートロジーだけがあるんじゃないか。つまり、ぼくがここに立っていることは、ぼくがここに立っていることそれ以外ではないんじゃないか。
悲しい 悲しい 悲しいんだね
寂しい 寂しい 寂しいよね
こんなにどんなに泣いても
消えることない悲しみさ
トートロジーの自己に出会うことは、孤独を知ることだ。自らの孤独を知るとき、他人にも孤独があるのを見つける。トートロジーは砕けない。いま、ここを占有しているのは、いまここのこの私。
「一人の歌」はそういう歌だ。均衡点のない孤独は誰の存在にもあって、しかし普遍化できない。誰にも見られるものでありながら。
彼女は孤独を孤独として、他者を正しく他者の位置に置き直す。間違えて踏み込ましてしまった自己の足を引っ込め、届かない者としての他者へと正しく置き直し、他者に触れられない自己に触った幻想の他者の手を煙にして掻き消す。
そして、正しく越えられない他者を再設定した地点から、正しく孤独する自己に初めて呼ぶことを許す。
おーい
おーい
おーい
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