第5話
「いらっしゃいませ
不審感が沸き出してしまい、思わず「…何で僕の名前を知ってるんですか?」と顔を歪めて聞いてしまった。
さすがに初対面で名前呼ばれちゃ…ねぇ?
「これはこれは…。
政治犯、
わたし、そんなにニュースに疎く見えますでしょうか?」
「あ、そういうことですか…」
「警戒させてしまい申し訳ありません。
わたし、少し気分が高揚してしまったようです。
遅いかもしれませんが、ここはただのお店ですので、ゆっくりくつろいでください」
「はい、ありがとうございます」
親友を『政治犯』と呼ばれるのには抵抗があったけれど、それを言い出しても始まらない。
僕の目的はこの人好きのするおじいさんマスターに食って掛かることではないからね。
ともあれ、案内されたのはカウンター。
年季の入った動作でカップを磨く様子は、こんな心境でなければ感動してしまいそうだ。
席に着き「ご注文は?」と促される頃には、心に静けさが広がっていた。
「あ、おすすめのコーヒーを」
「承りました」
普通の喫茶店。
数ある
久々にゆっくりとした時間が流れる中、コポコポとお湯が沸騰する音が聞こえる。
初めて来た店なのにすごく落ち着く…寝不足も相まって眠ってしまいたい衝動に駆られる。
「お待たせいたしました。
砂糖とミルクはこちらをお使いください」
「ありがとう」
けれどまだ寝るわけにはいかない。
ともかく一口、二口と出されたコーヒーに口をつける。
香りと深い味わいにしっかりとした苦味が頭をすっきりさせる。
このまま飲んでしまってもいいけれど、口当たりを良くするために少し砂糖とミルクを少し入れて一口つけ、またも周囲を見渡した。
調べ上げた協力者はここに居るはずなのだから…って、まぁ、店には誰も居ないんだけどね。
はぁ、失敗したなぁ…余り時間掛けたくないんだけど。
「どうかされましたかな」
「実は人を探してまして…」
「人、ですか?」
「友人が熱心に調べていた小説家なのですが、こちらを懇意にしているとお聞きしたので足を運んだのです」
「なるほど…であれば颯太様は運がいい」
この状況で運がいい?
まさか会わない方がってこと…?
そんなにとんがった変人だったりするのかな…。
確かにネット上にあんな書き込みして世間を騒がせた人だしなぁ。
というか自演ってことなら『アーカディア氏』が居ないと…あ、まさか間を取り持つ人が居るのかな?
たっぷりとマスターが間を開けたのに、僕のよくない頭だと考えられるのはこの程度。
結局答えが出ないので、ちゃんと教えてもらおう。
「どういうことですか?」
「わたしがお探しの物書きですよ」
「…その証拠は?」
「『三千万円で貴方だけの物語を紡ぎます』」
ただそれだけで雷に打たれたかのような感動を覚える。
どれだけ金を積んででも叶えたい願いがあるのに、どうしても立ちはだかる親友の壁。
現状を引っ繰り返すのは、自分には無理だと分かっていても、やっぱり無理なのか、と打ちひしがれていた。
そこへ探し求めた『物書き』が現れた。
僕に真偽を確かめる力はない。
それはいつも鏡耶がやってくれていたことだから。
だけど今は僕だけ。
「お願いします」
カウンターに乗せたカバンには現金が入っている。
出した金は最後の手段として残しておいた全財産…額はぴったり三千万。
それ以外はすべて使ってしまっていた。
僕の願いが叶うなら、こんなはした金に興味は無い。
「おや…もっと疑ってくださってもかまわないのですよ?
過去に書かせていただいた中には根掘り葉掘り聞かれた方もいらっしゃいましたし」
「いりません。
望むものは決まっていますし」
「承知しました。
貴方様の望む物語をお聞かせください」
僕はにこやかに笑って口を開いた。
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