第29話 流れ者の定位置

79・去り行く者


『それではこれにて。皆様がよき歩みを進められること、陰ながら願っております。ヘルダ近くに用事がある際は、ぜひお立ち寄りください。』


 フレッドは父とリリアンら「ヘルダ村への帰郷希望者」をまとめてザイラスを出発する。ザイール解放軍が領主代理として州の政治を取り仕切るようになって20日あまりが過ぎ、各種の通達が渡されるとザイール中は歓喜に包まれた。新たな検地に基づく新税制を固め終わるまで、おそらくは今周期限りだが税はすべて免除とし各町村の振興に充てることとする……というものが含まれていたからだ。一方で、各町村が独自に抱えた戦力はすべて州軍の管理下に入ることとし、再編州軍として再配置されることになった。これは力のある都市が力のない町村を軍事力で脅し、富を奪うようなことがあってはならないとの判断から行われたのだった。


「解放軍の幹部がヘルダにいた者ばかりなのは事実ゆえ、それらが政治を担うのも仕方がない。だが軍事までヘルダ村の出身者ばかりで担うというのでは、どう考えても公平性に欠くのではないか?そもそも政治を行う領主の下に軍事担当の州軍がいたから、ザイールに混乱がもたらされたのではないか!」


 ゆえに軍事はヘルダと距離のある人物を中心に据え、政治と軍事はお互い道を踏み外さぬよう監視すべきであろう……という意見が多く出た。フレッドが危惧した主導権争いは起こらず、政治的にはブルート一行がほぼすべてを任されることになったが、ザイラス正門前で見せた戦いはフレッドの予測以上に敵対する可能性のある人々の心に影響を与えた。彼らは、フレッドとブルートが共にあることを恐れたのだ。


「お前には貧乏くじを引かせちまったな。だが彼らの言い分そのものに間違いはないゆえ、今は彼らの希望を叶えることしかできんのだ。しかし、いずれは……」


 ブルートはフレッドを政治担当として残そうと努力したが、有力者の多くは反対した。彼らは「あれほどの力を見せつけた男がいては、軍事担当の者が顔色を窺い委縮する」と、フレッドの政治参加を許さなかったのだ。


『以前にもお話しましたが……私の仕事は叛乱を成功させることで、その先についてはお約束もしていなかったはずです。ヘルダ村でまた教師でもしながら、のんびり暮らすことにしますよ。ただ、いずれユージェが本格的に私どもの命を狙ってくるでしょう。その時には私も一兵卒として戦わせていただきますが、それまでにこの地の安定を成し遂げて下さい。あと、もし何か迷うようなことがありましたら、先日お渡しした巻物をご覧あれ。何かの手助けになるかもしれませんから。』


 帰郷に先立ち、フレッドはユージェ時代の経験を記した書をブルートに託した。ユージェと皇国とで個別具体的なことは違いがあるため、それは指南書というよりは思想書に近いものであったが、以降のブルートには大きく影響を与えることとなった。


「さようならフレッドさん。頂いた剣は大事にしますね。リリアンも、また遊びに行くから……元気でいてね。」


 半泣き状態のフォンティカはリリアンに肩を抱かれているが、すぐには立ち直れそうにはなかった。しかし彼女にはザイール中の監視を行い、不正などを発見するという重要な仕事が待っている。ここで歩みを止めるわけにはいかないのだ。


「結局、アナタの治療はすることなくお別れネ。治療師としては喜ぶべきコトだけれど、個人的にはとっても残念だワ。いろいろと反応を見たかったのだけれどねェ。」


 マレッドは心底残念そうに語ったが、フレッドとしてはお世話にならず僥倖というものだろう。今回の一連の戦いでは、彼のおかげで命をつないだものは多い。だが、もしフレッドまで重傷を負っていたら治療を優先されることは間違いなく、それにより助からない命もあったのだから。


「私やウォルツァー団長、フェルミ団長も現場指揮官として軍に携わる。上の連中の好きにはさせんし、安心なされよ。いずれあなたには必ず出番が来るだろう。その時に、また。」


 このような見送りの場にも「鍛錬になる」といって鎧を付けて現れたダウラスは、解放軍の主力となった二つの傭兵団と共に再編州軍に加わることになっている。彼らまで遠ざけては実働部隊の質に大きな問題を抱えてしまう以上、解放軍の幹部を軍事で使いたくなくとも使うしかなかったのだ。


「いくら畑を耕し作物を育てても、それを収穫して口に入れるのは他人ばかり。なぜ、フレッドさんにはかような運命ばかり待ち受けているのでしょうね。いつか運命を司る者に会って、文句の一つでも言ってやりませんと治まりませんわ……」


 姿も形もなく存在しているかも分からない相手に、テアは不満をぶつけていた。彼女の目的であった民衆の解放と「逃げ出さない自分自身の確認」は達成されたが、ユージェには戻らないことを決めたのだという。戦争のための知識こそフレッドには及ばなかったが、平時に役立つ知識はフレッドと同等以上の彼女が残るとなれば、この地の政治的安定に大きく寄与するはずである。エノーレ族である、ということが不利に働きすぎなければ……であるが。


『私もこの決断が正しいと思いますし、こういうことは初めてではないのでお気になさらず。道を作り終えた私はしばし休み、道を歩む皆様の背を見送るとしましょう。進む気になったら竜に乗って行くので、すぐに追いつき追い越しますから。』


 最後の挨拶を済ませると、フレッドはリリアンを乗せ先に出発したハゼルの隊を追う。それを見送るブルート一行の心中にあるのは、いずれ「必ず彼を表舞台に呼び戻す」というものだった。もっとも、それは思わぬ早さと思わぬ形で成し遂げられることになるが、それは別の物語である。



80・少女の決意


「実はわたし、お二人に聞いていただきたい話がございまして……お時間をいただいてよろしいでしょうか?」


 フレッドが家を出てすぐに扉が開く音がしたため、忘れ物でもしたのかと暢気に声を掛けたハゼルの前にいたのはリリアンであった。これまで何度かザイール火鳥を差し入れてくれたりした仲だが、このように相談を持ち掛けられたことはなかった。ハゼルとフォーディは思わず顔を見合わせるも、すぐに彼女を家に招き入れた。


「フレッドは家を出ておるし、使用人たちも収穫の準備で倉庫に行っておる。ここにいるのは我々のみゆえ、何なりと話してみなさい。」


 促されたリリアンは、かつてザイラスから帰る途中にフレッドとテアの話を偶然とはいえ立ち聞きしてしまったこと、フレッドやハゼルがユージェの重要人物であること、そしてフレッドは両親の余生が穏やかであることにしか夢を抱かず、自身をガラクタから生まれた人形と評していることなどをすべて話す。話の後半、フレッドのことになる頃には涙声となっていた。


「わたし、そんなのは間違ってるって思うんです。先生がお二人を大切にお考えになるのと、先生自身の夢や幸せを求めるのは、どちらかしか選べないものじゃないって……でも先生は、ご自分のことには目を向けてくれないんです。この前ザイラスから追い出されるような形で帰る時も「こんなことは初めてじゃないから大丈夫」って。本当は何か思うところはあるはずなのに、自分が黙っていれば問題は起こらずお二人の暮らしも安泰だろうって、そう考えてしまうんだと思います。」


 ハゼルとフォーディが話を聞いてまず驚いたのは、この子がユージェのことを知っていて隠し通してくれたことだった。民間人の犠牲が少なかったとはいえ、ユージェの襲来とそれに関わるグア=ロークの件を考えれば、秘密を暴露し非難されてもおかしくはなかったのだ。そしてさらに驚いたのは、本当に息子のことを想ってくれているということが伝わってきたことだった。


「君の申す通りじゃ。あの子の幸せとワシらの幸せは、共に追求できるはず。ワシらがあの子を縛る鎖となっておるなら、それを取り除かなければなるまいて……」


「あの子のことを……よく見ていてくれてありがとう。あなたに出会えたという一点だけを取っても、わたくしたちがここへ来た価値があるというものですわ。」


 それからも話を続け二人が自分と同じ考えである事を知り、リリアンはフレッドへの想いも伝えて家を後にした。あまり長居をすると、別の町村から毎日のようにやってくる仕官の誘いの使者に断りを入れているフレッドと鉢合わせしてしまうからだ。


「フレッドの心には、もしかしたら未だフィーリア嬢がいるかもしれん。だが、それはおそらく届かぬ想いであろう。それよりは今を……周りを見てほしいと、ワシは思う。母さんはどうじゃ?」


 フォーディもそれには同意見だった。ただフレッドはフィーリアと最後に会った時のことを両親には話しておらず、血統上では孫にあたる子がいるかもしれないということもハゼルらは知らない。ゆえにフレッドが他の女性にあまり関わろうとしないのは、フィーリアに未練があるからかもしれないと考えていたのだ。後にフレッドからそのことを告白されると、フォーナーが執拗に命を狙ってくるのもうなずけると妙に納得してしまうも、今の二人はフレッドを想ってくれる子と息子の仲を取り持つことで頭がいっぱいになっていた。



「戻ったかフレッド。ところでワシら一家がヘルダに来て、そろそろ4周期目に入ろうとしておる。暴君も打倒され、世は事もなしと言ったところじゃな。」


 大量に押しかけてきた仕官要請の使者に対し、申し出を丁重に断り続け帰宅したフレッドにハゼルが話を振る。フレッドは腰から龍ノ稲光を外しながら、やや怪訝そうな表情を一瞬だけ見せたがすぐに答えた。


『そうですね。ただ、こう毎日のように押しかけられたのでは平和と呼べるか怪しいものですが。私を取り込むことで主導権を握ろうとする人たちが多すぎて、正直のところ困っております……』


 ザイラスから戻って数日は平穏そのものだったが、解放軍を指揮し勝利に導いた手腕やザイラス正門前での戦いぶり、そしてヘルダを城砦化し安心して暮らせる村づくりを行ったことが評判となり、フレッドの下には「次は我が町、我が村を!」という誘いがひっきりなしに舞い込んでいた。しかしそれらは基本的に表向きの話で、真の目的は「あのフレッドがいる」ということの優位性を他に見せつけることである。仮に両親のことがなかったとしても、そのような話に乗れるはずもなかった。


「わたくしたちは二人で話し合い、このヘルダで生を終えようと決めました。でもあなたの人生は、わたくしたちが天に還ってもまだまだ続くのよ?わたくしたちのことだけでなく……あなた自身の未来にも目を向けてほしいというのがわたくしたちの唯一の願いだわ。」


 やや痛いところを突かれ、たまらず水を取りに行くフレッドだったが、母の言うことは十分に理解できる。今のところ両親を見送る以外に叶えたい願いはなく、その願いが叶えば皇国を見て回り、中央山脈の魔導士ギルドにも行ってラスタリアの踏破でもするかという漠然とした計画しか立てていなかったが、それでは両親が安心して天に還れるはずもない。


「母さんの話にはワシも同意じゃ。ただ付け加えるなら、孫の顔を見てから天に還りたいとは思うのぅ。家の跡継ぎとかではなく、単に一人の親として……の。」


 水を口に含んでいたフレッドはその言葉に、思わず咳込んでしまう。まさかどこからかフィーリアさんとのことが伝わり、一度ユージェに帰るなどと無茶を言い出すのではないだろうかと身構えてしまうも、続く言葉でそれは杞憂であると悟った。もっとも、追い込まれた状況に変わりはなかったが。


「この地にもいい娘は数多いと思うが、誰ぞ琴線に触れるような者はおらんか?ここに来てもう4周期ともなれば、一人としておらんということもなかろう?」


 フレッドの言い分としては、まずこの地に落ち着くまではそれどころではなかったという理由がある。次に、ようやく落ち着いたと思ったら叛乱軍に参加することとなり、やはりそれどころではないという理由もある。では今はどうかといえば、そういったことに目を向けない理由がない。少なくとも、自身でそれを避けない限りは。強いて挙げれば義理の問題だが、それを言うわけにはいかないのだ。


『確かに、私も次で23周期です。所帯を持つには適齢かもしれませんが、なにぶん周囲に目を遣っていなかったもので心当たりもございません。誰か私に似つかわしい方はいるでしょうか?』


 適当にそう答えておけば、両親のことだから「そういうことは自身で見出すもの」とでも叱ってこの話題もそこでおしまい……と考えていたフレッドだったが、両親による執拗な追撃に辟易することとなる。二人はかなり長い前置きでフレッドも知るテアやフォンティカ、フェルミ団長やその部下らの女性を誉めつつ、最終的にリリアンを薦めてきたのだ。


『あの……お言葉ですが彼女と私とでは6周期ほども離れております。それに彼女とは教師と教え子という関係でありまして、その教え子に手を出したなどと噂されましては今後この地で生きていくにも様々な支障が生ずると思うのですが……』


 両親の意外な人選に驚いたフレッドは即座に反論するも、両親はそれを理由に挙げることを予測していたらしく、芝居がかった口調になり露骨に落ち込んで見せた。


「母さんや、愛する息子は歳の差のある夫婦は認められないらしい。ワシらも5周期差、息子から見たら外道の範疇なのかも知れぬ。悲しいのう、悲しいのぅ……」


「本当に悲しいことですわね。まさか息子にそのような目で見られていたなんて、今すぐにでも天に還ってしまいたいくらいですわ……」


 フレッドは正直「うわ面倒くさい」と思わずにはいられなかったものの、口では「そのようなことは考えておりません」と取り繕うしかなかった。後にリリアンが訪れたことでこの三文芝居が生まれたのだと知ったフレッドは、やや憮然とした表情で「なるほど。城壁はすでに細工されていて、脆くなっていたわけだ」と語ったと、リリアンの日記には記される。


「歳の差が理由にならぬならよいではないか。それにお前が挙げた理由の中には、あの子のことを嫌ったり避けたがるものがない。周囲の評判などではなく、お前自身の心の内にあるあの子のことを見つめてみるのじゃ。よいな?」


 芝居がかった口調とあまりに嘘くさい落胆ぶりはどこへやら、急に真剣な表情で核心を突いてきたハゼルの言葉にフレッドは反論もできなかった。確かに自分が挙げた理由の中には「纏わりついてきて鬱陶しい」「あの明るい性格が気に食わない」というような、悪い感情はいっさいなかった。嫌う理由も避ける理由もなく、それでいてどうでもいい存在なのかといえば、そうではない気もする。


『分かりました。年齢の差や周囲の目といったことは除外し、私自身の心の内に問いかけてみます。私にとって彼女が、どういう人なのかを。』


 こうして、フレッドとその一族に多大なる影響を与えることとなる家族会議は終わった。彼の両親とリリアンはフレッドの心を取り戻すべく、彼が「自分以外の何か」を理由にするのではなく「自分の内にある何か」を理由に考えさせることを画策し、ついにそれを成し遂げる。しかし若き日にささやかな夢を打ち砕かれ、その欠片に縋り自身の心を封じることでしか生きる理由を見いだせなかった青年フレッドにとって、この考えをまとめるには相当な苦労をすることになるのである。

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