第24話 ユージェの未来を担う者たち

69・輝く魂の残光


 ザイール辺境州でミツカの惨劇が起こった頃、ユージェ軍の皇国先遣隊すべてが帰還する。ヘルダでの作戦が失敗した後、指揮官のペルゼ=クストは約定を果たすべくいち早くユージェに戻ったが、皇国の対応を見極めるために皇国内部にまで入り込んだ部隊の帰還が遅れたため、かなり時間が空いての作戦終了となった。ユージェに帰還して後、ペルゼはハゼルの伝言と自身の心中を明かして義父プロキオを説得し、翻意させることに成功する。そして今、作戦の完了を報告するためフォーナーの邸宅を訪れていた。


「報告は以上となります。私見を申さば……やはり皇国本領の備えは迅速かつ的確で、攻め取れるとしても辺境州が関の山でしょう。しかし攻め取ったところで、恒久的にユージェ領とするのはまず不可能であります。領内に報酬として与えられる土地がなくなってきたことは理解できますが、皇国領を奪うのはいささか無理ですな。方針を根本から転換されるべきでありましょう。」


 フォーナーはハイディン無き後のユージェで主導権を握るため、宰相だったマイアー=ベルトランを失脚させるべく多数派工作に乗り出す。そして自身が宰相に就いた際は気前よく報酬を出すとの条件で多くを味方につけ、堅実な政権運営を行っていたマイアーを言われなき罪で失脚させた。そういった手法を繰り返した結果、ユージェ領内には見返りとして与えられる土地がなくなってしまい、皇国への侵攻という暴挙が計画されることとなった。しかしこれはペルゼらの軍務担当が猛反発し、どうにか最初は皇国の動向を窺うべく流言による反応を見るだけ、というところに落とし込んだのだ。


「それは分かっておるが、見返りを約束した手前どうにかせねばならんでな。まったく、盟主がハイディンめの領地をご下賜くだされば……悩まずとも済むものを!」


 フォーナー=ダルトンの言いっぷりを聞けば、彼がハイディンにいい感情を抱いていないことは誰にでも分かるだろう。しかしペルゼには身近にこの男と同じような人がいて、残念ながらフォーナーもクラッサス=ハイディンやクロト=ハイディンとは役者が違うというレベルで及ばない。自分の義父のように、翻意するきっかけでもあればいいのだが……と思わずにはいられないペルゼだった。


「では、私は執務に戻ります。……と、その前に次期代理当主に帰還のご挨拶をしてよろしいですかな?今後も御当家とはよき協力関係を維持したいと思いますゆえ。」


 フォーナーとしてもダルトンが苦手とする軍事面に長け、しかもまだ若いペルゼに期待するところは大きい。彼の申し出を無碍にできない立場のフォーナーは、娘の部屋に立ち寄ることを許可する。ペルゼが妻帯者で、しかも愛妻家として名が通っていることに安心していた面もあったのだろう。



「先遣隊の全軍撤収完了の報はお聞きしました。ペルゼ将軍もいろいろとご苦労様でしたが、本音を申さばこのような浪費は避けていただきたかったものですわ。」


 ダルトン家の次期代理当主・フィーリア=ダルトンは政治や経済に通じ、男系のダルトンに生まれなければ家を継ぐに相応しい才の女性だった。若いころから才気煥発で名高く、美人と言い切れる顔立ちに美しい金髪を蓄え、黙ってさえいればまさに深窓の令嬢……のように見えたが、子供のころに二人っきりの家族となってしまった父親以外に対してはかなりはっきりとものを言う傾向にあり、理路整然と容赦のない正論で押し切る姿から「女傑」などという渾名を付けられたこともあった。それは今も変わらず、皇国に行き反応を見て帰るだけの出兵に多大な資金や資源、兵の命が費やされたことに、文句の一つも言わねば気が済まなかったのだ。


「これはまことに、耳が痛とうございますな。実は私自身も捕縛の憂き目に合い、こうしていられるのもひとえに幸運の為せる業。以降はもう少し慎重に動こうと考えております。」


 ペルゼのこの言葉に、特定の人物の前以外では剛毅な女傑たるフィーリアも驚く。彼女は先遣隊が小競合いに巻き込まれたとの報告は受けていたが、ペルゼまでもが一時的にとはいえ捕縛されたなどという報告は受けていない。それに指揮官が捕縛されるような戦いを小競合いというはずはなく、自分に何か隠されているのは確実だった。しかし彼女はそれを表には出さず、予想以上の辛酸を舐めたペルゼを労わった。


「それは存じませんでしたわ。マイアー様があのようなことになられた以上、将軍はただ一人ユージェの将来を担いうるお方。幸運でも何でも、とにかく無事に戻られたことは何よりでございます。」


 その言を聞き、ペルゼは思わず大笑いしてしまう。それはつい最近、死に急ぐ自身を同じような言葉で叱った人物がいたからだ。なぜか笑い出したペルゼを見てさすがのフィーリアも呆気に取られていたが、笑い終えたペルゼにその理由を聞き、今度は別の意味で言葉を失う。


「これはとんだご無礼を。実は先日、私を捕らえた敵将にも同じことを言われた記憶が蘇りまして。敗軍の将となり斬首を望む私をそのように叱咤し、ユージェを託されこうして戻ったという次第です。しかし……ユージェの闘神とそのご子息を慣れぬ地で討とうなど、私には荷が勝ち過ぎましたな。仮に互角の条件で戦ったとしても、容易に勝ち得る相手ではありませぬ。武人としても指揮官としても及ばず、完敗でしたよ。」


 それを聞いたフィーリアには、自分に作戦の詳細を知らされなかった理由がすぐに理解できた。今回の遠征はハイディンに恨みを持つ者の私怨を晴らすためのものであり、そのために国力を浪費したのだということも。国の中枢にある者はその権限が強大だからこそ、誰よりも厳しく自己を律さなければならない。彼女が愛した人は武門の頭領で統一の英雄ともなり、誰もが望む形で政治面でも強大な権限を託されそうになった時、権力の集中を避けるため自らを犠牲にして家も解体した。彼なら大丈夫、失敗するはずがないという周囲の勝手な期待と、強大過ぎる権限の誘惑にいつまでも耐えきれるのかという恐怖が織り交ざり、失敗して国を破滅させるくらいならと全てを捨てる決断をした。本来、権力とはそうした自己批判と共に在らねばならない。それをなくしたとき、私怨を晴らすためという些細なことに公権力を使うようになってしまうのだ。


「今はまだ、あの人が夢見た世界には程遠いですが……いずれ私たちが立たねばならない時代がやってきます。時が訪れましたら、将軍にもぜひお力添えをいただきとうございますわ。」


 まだしばらくは、古い世代の人々が権力を握るのだろう。しかし彼らとて不老不死というわけではなく、いずれ世代交代の時が来る。だがその時にはすでに破滅が目前というのでは、もう打つ手もなくなってしまう。それまでは国を支え、自分たちの時代が来たら悪しき慣習の類は一掃する。それがここまでの道を作り、未来の形を示してくれた人への、せめてもの礼だと彼女は考えていた。


「私はあの時、あの村で死んでいたはずの身。それを、ユージェのより良い未来のためにと生かされたのです。ユージェのためになることなら協力は惜しまぬこと、お誓い申し上げよう。」


(より良い未来……彼は口癖のようにその言葉を使ったものだわ。判断に迷ったとき、彼は私情を捨て去るために「より良い未来につながる方法」を選ぶことで公平性を保ってきた。でも、それがユージェのより良い未来につながるからと、ついには自分自身すらもユージェから追放してしまった。彼のことだから今もどこかで、より良い未来を求めて戦っているのでしょうね。今度こそ、居場所が見つかるといいのだけれど……)


「ところでご令嬢、彼に文などを届けたいとあらば承ることもできるが……いかがなさる?お伝えしたきこともあろうかと思うが。」


 それが公式の立場でのやり取りでないことは、フィーリアのことを「ご令嬢」と呼んだ時点で明らかである。二人が頑なに実名を出さないのは、どこに聞き耳を立てている輩がいるか分かったものではないからだが、ここで言う「彼」が誰を指すかを理解できない者は、この場にはいなかった。


「私はもう、彼に宝物を授けてもらいました。それだけでも十分ですけれど、もし彼がそのことを知れば心の片隅に重しとして残り、きっと思うように駆け回れなくなってしまう。でも今の彼はもう自由で、ここにいた時のような束縛を受けることなく生きてもらいたいの。ですから、ご厚意にだけ感謝させていただきますわ。」


 フィーリアがそう言い終えるとほぼ同時に、奥の寝室から幼子の泣き声が聞こえた。大人の話し合いの声が耳障りだったのか、昼寝の妨害をしてしまったのだ。その声にやや苦笑いをしたペルゼが退出を申し出て部屋から出ると、残った女傑はごく普通の母親に変わった。


「はいはい、怖い夢でも見ちゃったの?。いますぐお母さんが行きますから、グロゥリィもグローリアも泣かないで!もう、本当に声が大きいのね。いったいどちらに似たのかしら……」


 声の部分に関して、父親と母親のどちらがより大声かと質問されれば、大差をつけて母親に軍配が上がったことだろう。母親が近くに来たのに気づき泣き止んだ男女の双子は、父とも母とも違う白金の髪が印象的な3周期になる子供たちだった。クロトが王都を去り1周期近くかけてユージェを出た頃、彼女は双子を生む。懐妊を知ったフォーナーは激怒するも、フィーリアは命の危険がある時期に入るまで親戚や従者と謀り隠し通していたため堕胎させることもできず、しぶしぶ出産を認めた。最初は養子にでも出そうと考えたのだが、二人がダルトン家の血を引いていることは確かで、しかも初孫とくれば可愛くないわけがなかった。それはもう娘も驚くほどの甘やかしっぷりだったが、それに反比例するかのごとく血統上の父親への憎しみは高まっていったのだ。


「あなた達のお爺様も、いつかプロキオ様のように考えを改めて下さるといいのにね。少なくとも私たちには、これほどの幸せをくれた人なのだから……」


 しかし彼女には分かっていた。おそらくその日が来ることはなく、父は深い憎しみを抱いたまま天に還るという悲しい結末が待っているであろうことを。ならばせめて、その日が来るまでは唯一の肉親として3人で父を支えよう。私怨に駆られ国をないがしろにするような人でも、彼女にとってフォーナーはやはり父親なのだから。



70・かの者が夢見た世界


「彼が夢見た世界にはまだほど遠い……と。もしやあのヘルダという村が置かれた状況こそが、英雄殿の夢見た世界の形であったのだろうか。」


 フィーリアとの会見から数日後、ペルゼは彼女の言葉を思い起こして思案に暮れていた。あの村で見た光景は、ユージェにいた人間なら誰でも驚くであろうものだった。かの闘神クラッサスはただの怪力おじさん扱いで、さすがにグア=ロークを撃ち落としたことには誰もが度肝を抜かれたようだったが、それでもユージェにいた頃のような神を崇めるようには扱われていなかった。そして統一の英雄クロトもまた、軍の指揮権を持ってはいたようだがそこまでだった。彼がユージェにいた頃といえば誰もが彼の指示を待ち、その指示さえ聞いていればすべてうまくいくと考えられている節があった。しかしあの村ではクロトに相談し意見を聞くことはあっても、万事において彼が決めているわけではなかったのだ。


(一人の英雄が導く国は、その英雄が斃れれば破滅に向かう。英雄にすべて頼り切っていた残されし者どもに、他者を導く力などありはしないからだ。そうなる未来を恐れ、英雄殿は国を出るという決断をしたのだろうな。そして自分も、偉大な父も一己の人としてただそこに在り、己の意思で国にも携わるような生き方をしたかったわけか。確かにユージェでそれは不可能だ。ユージェの人々は、彼を頼ることに慣れ過ぎてしまった……)


 だが今はもう、その頼るべき英雄はいない。彼の知識面における師匠で、その方面だけを見れば上を行くであろう智者マイアー=ベルトランも、あまりに志が低すぎる者の低俗な意思を読み切れず一時退場と相成ったが、まだ30周期になったばかりの彼にはいずれ再起の目もあるはず。差し当たってはマイアーの復帰まで国を持たせることが目標となるが、それには皇国に手を出したという事実がどうにも厄介だった。


「では、皇国本領から部隊が移動を開始したのだな。それが直接ユージェに向けてのものなのか、ザイール辺境州を警戒するためなのかはまだ分からん……か。追加情報を待つほかないな。」


 執務室で部下の報告を聞き、ペルゼはそう返す。先の遠征で皇国内部に入り込んだ諜報員の大部隊も撤収が完了し、今は国境地帯に配置した部隊から数人が商人に紛れ皇国内の調査をする程度に留めている。それは数が増えれば捕縛される可能性が上がり、ユージェの間者が捕まれば皇国の反感を買ってしまうからだ。そのため情報の質も、伝達速度も満足できるものではなかったが、世代交代まで皇国の大侵攻は招きたくない以上そのことは諦めるしかなかった。


(しかしザイール辺境州の混乱具合と、それにあのヘルダの、村にしてはあまりに出来過ぎた備え……もしや英雄殿たちには何か遠大な計画でもあるのやもしれんな。仮に事が思惑通りに進んだなら、皇国もユージェだけに気を向けているわけにもいかなくなり、我らとしても絶好の時間稼ぎとなるが……)


 さすがに甘すぎるか……との自己評価を下したペルゼだったが、およそ10日後に届いた報せに思わず口元が緩む。彼の予測は正しく、ユージェにとっても当面は利益になるであろうものだったからだ。


「ザイール辺境州にてザイール解放軍を名乗る組織の叛乱が発生。初戦にて州軍を撃破し、州都ザイラスに向かっているとのこと。彼らは民衆の支持を受け、その数は日増しに増えているようです!」

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