第22話 戦い終わって遺る者
63・死後の世界にて
その場にいたヘルダ側の人間はその男の死の宣告を聞いた時、すべてが凍り付いていたのかもしれない。グア=ローク襲来という災難を乗り越え、やっと一息ついたところに暗殺者が現れたのだ。完全に不意を突かれ、男の行動をただ見送るしかなかった。しかしただ一人、命を狙われた当人だけが動き得た。ハゼルは持っていた酒瓶を正確に、かつ持ち前の怪力で投げつける。その暗殺者ユージェの将ペルゼは剣で斬り落として防ぐも、飛び散った中身までは防げず顔に浴び悶絶した。しっかりと目を見開き高速で飛来する酒瓶を斬り落としたほどの集中力が仇となり、酒による目つぶしを受けた形になってしまったのだ。
『その者を取り押さえよ!それとまだ刺客が潜んでいるかもしれません。各員は警戒を厳に!』
フレッドも虚を突かれてしまったが、暗殺の当事者たちを除いて最も早く反応したのは彼だった。その指示に従い兵たちが悶絶するペルゼを捕縛し、ハゼルを囲んで警戒態勢を取る。だが当のハゼルといえば、砕けて散った酒瓶に名残惜しそうな目を向けてからペルゼと向かい合った。
「お久しいな、ペルゼ殿。ユージェに不利な状況でも敢えて仕掛けてくることを不思議に思っとったが、お主が指揮官となれば合点がゆく。お義父上はどうしてもワシを亡き者にしたいのかのぅ。」
顔を拭かれて目に入った酒が拭えたのか、ペルゼは薄目を開きながらハゼルを見やる。その目にはすでに殺意はなく、すべてを賭しても悲願を成就できなかった男の諦観だけが広がっていた。そして力なく口を開いた。
「私の武運も、最早これまで。いや、グア=ロークを利用するなどという鬼道を選んだ時点で私に運を授ける者などいなかったのでしょうな。かくなる上は、御自ら斬首に処していただきたい。クラッサス殿に討たれたとあらば、天への土産話くらいにはなるゆえ。」
すでに死を覚悟し、抵抗する様子もない姿は確かに潔いものだったが、ハゼルにその気はなかった。酒瓶をすべて開けてしまった彼は革袋を手に取り、一口飲んでからペルゼに語り掛ける。
「いや、そう卑下するものでもないわ。あの時ワシの手にあったのが酒瓶ではなくこの革袋であったなら、お主は剣で斬り落とさず手で払ったろう。そうなれば、丸腰のワシもタダでは済まなかったろうて。惜しむらくはワシが酒瓶を空にするまでいま少し待てなかったことと、死ぬのは一人で良いと考え部下と一緒に仕掛けてこなかったことじゃな。」
命を狙われたにもかかわらず冷静に状況を分析し、説明するハゼルの言葉を耳にしペルゼは己の詰めの甘さを悔いたが、今さら何を言ったところで敗者の戯言でしかないと考えたのか、返事はなかった。ハゼルも返事があるとは考えていなかったようで、さらに話を進める。
「それにのう、グア=ロークが出た際に息子が注意喚起してくれたんじゃよ。混乱に乗じる相手なら事が成った直後が危険であり、そこに注意しろ……とな。おかげでこうして永らえたわぃ。もし墓碑に「クラッサス=ハイディン改めハゼル=アーヴィン、数多の戦場を駆け功を成すも、飢えと渇きにより倒れたところを討たれ逝去す……」などと刻まれたのでは、情けのうてご先祖様に合わせる顔もないでの。」
チラとフレッドのほうを見て不敵な笑みを浮かべるハゼルの姿を見て、フレッドは恥じ入ることとなった。何しろ、油断するなと注意した側がうかつにも気を抜いてしまったのだから。しかしそれも長くは続かなかった。ペルゼが早く斬首の執行を進めろと言い出し、場の空気が一気に張り詰めたからである。一同の視線は、その権利があるハゼルに集まった。
「……すでにクロヴィスが世を去り、クロトもユージェを去った。聞けばマイアー殿は罷免され、半ば幽閉状態であるという。そのような状況下でお主まで消えたら、いったい誰がユージェの未来を担うのだ?よいか、誰に何と言われようともワシはお主を殺さんからな!」
それは誰であってもペルゼの命を奪うことは断固として認めないという、ハゼルの意思表明だった。説得はおそらく不可能で、実力行使による翻意は確実に不可能と悟っている周囲の者は、フレッドも含め誰一人としてその意見に異は唱えなかった。
「じゃがお主の武人としての矜持が、このまま放免されることを許さぬというのも分かる。ゆえに、お主に一つ取引を持ち掛けるとしよう。今から述べるワシの言葉を、ユージェにいる義父上にお伝えしてほしい。それでどうじゃ?」
思わぬ方向に話が進み困惑気味のペルゼだったが、ここで自分が斃れればユージェがさらに悪いほうへ暴走するであろうことは察しが付く。義父にしても、妻(になる予定の女性)を奪われ、さらに養子まで討たれれば怒りに我を忘れて自ら復讐に来るかもしれず、来るとすればもう引き返すことのできない規模の軍と手段を用いることは確実だった。そしてそれを防げるであろう才覚の持ち主は今、ユージェに2人しかいない。だがそのうちの一人は幽閉状態、もう一人に至っては敵地で捕縛されているという有様なのだ。
「まずはお言葉を賜り、それを聞いて後に義父へ伝えるか否かの判断をさせていただきたい。よろしいだろうか?」
ハゼルは「それで構わぬよ」といって酒で喉を潤し、頭の中で伝える言葉の推敲を始める。やがて大きく息を吸い、口上を述べ始めた。それは己の命を狙い続けてきた敵に対するものではなく、長年の友人に語り掛けるようなものであった。
「思い返せば我らの遺恨も30周期ほど。お互い家族を得、そして失い、怒りや憎しみ、悲しみばかりが募っていったが、我らの生はそれだけではなかったはず。我らは共に将来を託すにあたる後継者も得て、心安らかに天へ還る時を待つばかりである。互いに老境へと達し、住む場所も遠く離れた現状を鑑みるに、我らが今生で相まみえることはもうないであろう。ゆえに、我らの決着は天にて決すべし。どちらが先に逝くかは分からねども、天にて相まみえるまで互いを待つとしようではないか。だが必ず果し合いには応じるゆえ……これ以上、我らの遺恨に無関係の者を巻き込むのは止めにせぬか。現にお主の後継者もそれで命を落としかけた。このことの意味を、どうかよくお考えいただきたい。ではいずれ、天にて。」
それは互いの半生を振り返るものであった。かつてハゼルに婚約者を奪われたと思い込んだプロキオはハゼルを恨み、裏でウルスに情報を流しクロヴィス暗殺を手引きしたのは彼である。その事実を耳にしたとき、ハゼルの怒りは天をも衝かんばかりのものであったが、妻に「あの子の死を理由に戦うのはお止め下さい」と諭されいったんは矛を収めた。しかし以降は互いに憎み合い、いつか落とし前をつけさせるとの思いを抱きこれまでを生きてきた。しかしもう死期もそう遠くはない老境に達し、直に戦って決着をつけることはできず二人の憎しみは死ぬまで消えないとしても、互いの人生に怒りや憎しみしかなかったわけではなく、その最たるものである子供や若者を巻き込むのは間違っている。自分たちの遺恨で後を継ぐ者たちに迷惑をかけるのだけは止めようという呼びかけであった。
「……義父上がそのお言葉を聞き入れて下さるかの約定は致しかねまするが、お言葉を届けることは約束いたします。それと……私怨に駆られ道を見誤った我が義父に成り代わり、そのご配慮に御礼申し上げます。」
そう言ってペルゼは頭を下げる。このクラッサス=ハイディンという武人は、到底義父などが及ぶ人物ではなかったのだ。肉体の差から力が及ばないのは仕方がないとしても、人として差はないはずの心すらも劣っていたのだから。しかし、そんな義父でも自分にとって恩人であることに変わりはない。本来ならここで死ぬはずだったこの身は、義父がこれ以上の外道に堕ちることがないようにするために使おう。いつの日か、晴れた心で決戦に赴いてもらうために。
「しかし、クロヴィス殿が常々自慢していた通り……やはりクロト=ハイディンはただ運がいいだけの将ではなかったな。そうならないことを願うが、もし次に戦うようなことあらば万全の準備をしてから臨ませてもらおう。」
言伝を引き受ける代わりに放免となったペルゼは、帰り際にフレッドにそう声を掛けた。父同士の仲の悪さからは想像できないほどクロヴィスとペルゼは仲が良く、共に戦うことも少なくない間柄だった。彼が義父の企みを知った時は全力で再考を促したが聞き入れられず、義父への恩と戦友の命で板挟みになり、思い悩んだ末ハイディンに暗殺情報をリークするも間に合わなかった。出所不明の情報を鵜呑みにしてまとまりかけた和平をご破算にするなど出来ようはずもなかったのだが、後に出所がペルゼであったことを知り、フレッドは深く後悔したこともある。
『私に才があったなら、あなたのもたらした情報を確認し別の手段を用いて和平を成し……兄は討たれず歴史も大きく変わったことでしょう。結局、私は眼前の事象に流され偶然いい場所に流れついただけですよ。変わりませんよね。今も、昔も、ただ流されるだけで……』
そして手を差し出しながら「我々とユージェが戦うことはもう二度とない……と私も願っております。」と話し、ペルゼもその手を取った瞬間にこの戦いは終わりを告げる。形式的には和睦となるため戦後賠償などはなく、ユージェの即時撤退のみが条件となった。しかし戦闘で死亡したユージェ兵の埋葬を請け負う代金代わりに、ユージェ先遣隊の余剰装備や物資をヘルダ村に置いていくことになり、村や叛乱軍にとってはこれが思わぬ恩恵となった。
「諸々の片づけが一段落したら戦勝会を兼ねて鎮魂会でもやるか。グア=ロークの羽や爪あたりを売りゃあいい金になるだろうし、とびっきり盛大なやつをな!」
こうしてL1025収穫期25日に行われたザイール南部会戦は、グア=ロークの襲来という事態も乗り越えたヘルダ側の実質勝利で幕を閉じる。グア=ローク三羽を討ち、領主が見捨てた州南部を守ったという実績が人々の信頼を勝ち得、これ以降は叛乱軍の協力者が増えていくことになるのである。
64・魂の還る場所
『命あるものがその生を終えたとき、たとえ身は果てるとも魂は天へ還ります。ですが魂には敵も味方も、人も獣もありません。私たちは同じ時を生きた一つの魂として、この戦いで散り天に還る遍く魂が迷わず向かえるよう……彼らを楽しく送り出しましょう。大切な人を失った方も、今宵だけは湿っぽい話はなしです。彼らがこちらの世界に引っ張られてしまいますからね。では、始めましょう!』
戦闘の終結から三日後の夜に、ブルートの望み通り戦勝会が開かれることになった。総指揮官として戦勝の挨拶を求められたフレッドは、およそ武人らしからぬ話をして会の開始を宣言する。それと同時に各所で酒樽の蓋が打ち破られ、山のように積まれた料理の早食い対決をする者や音楽に合わせた踊りを舞う者などが続出し、ヘルダ村は瞬く間に歓声に包まれた。
(私はどうも、こういうのが苦手だな。ユージェにいた頃もよく誘われはしたが、断っていたものだっけ……)
挨拶を終えたフレッドは人目につかぬようそそくさと退散し、今は先の戦いに於いて命を預けあった騎竜の厩舎に来ている。ここは人がおらず村の喧騒が嘘のように静かで心地よく、何よりこんな日には騎竜にもいい食事を与えようと考えたからだが、やはりそれは名目上の事だったかもしれない。
『今日くらいは硬い、筋張ったいつもの葉ではなく今期収穫予定の特産穀物ですよ。グア=ロークは天敵も同然というのに、恐れずよくやってくれました。ご苦労様……』
ご馳走に喜び無我夢中で餌箱に頭を突っ込んでいる騎竜の首を撫でながら、フレッドは声を掛ける。残念ながら騎竜は人語を介さず、動きを操るのは各種の動作に頼るほかないが、いつかは通じ合えるのではないかと信じていた。心通えば、命持たぬ道具とも通じ合えるのだから。一しきり撫で終えるとフレッドは厩舎を後にし、村の北西部でブルート一行がグア=ロークを討った広場に向かう。ここはテアの術で大きな窪地が出来ており、あの戦い以降はちょっとした観光スポットになっていたが、さすがに今は人影がない。
(ここなら素振りをしても目立たないかな。体を動かしながら、少し考えをまとめよう……)
フレッドは自身の腰の背中側に、ほぼ一文字になる形で佩いている龍ノ稲光を抜き、まずは長柄の剣として扱う鍛錬を行う。鞘を組み合わせた槍の状態にしている場合はもう自由に扱えたが、長柄剣としての扱いはまだまだであった。武器を収めている状態で戦いになればまずはこの形態で戦うことになり、戦いながらスキを見て鞘を連結する必要もある。この武器を完全に把握するにはまだ時間が必要だった。
(プロキオ殿が父さんの伝言やペルゼ殿の説得により翻意すれば、ユージェが私たちを狙う理由の一端はなくなる。残るはフォーナー殿の恨みということになるが、確かに統一前はダルトンのお株を奪うようなことはしたが私もハイディンもユージェから消えた今、なお恨まれ続けている理由が分からない。……いや、厳密にいうなら恨まれる理由が皆無というわけではないが、もしそれが理由だとしたら彼女の望みは叶ったということだろうか。)
クロヴィスが生存してハイディン家を継げば、次男のクロトは男児がないダルトン家に婿入りする予定であった。その相手はクロトより1周期上のフィーリア=ダルトン。かつて父や兄との決定的すぎる武人の才の差に絶望し、それでも武人ではなく将としてなら並び立てると意を決し智のベルトランや政のダルトンで学ぶ決意をした幼きクロトの、数少ない理解者である。実力をつけ頭角を現すクロトには妬みや嫉みからくる嫌がらせも絶えなかったが、年下ということもあったのか、フィーリアはいつもクロトの側に立ち守ってくれたのだ。
(フォーナー殿にこうまで憎まれるなら、いっそのことフィーリアさんも連れてユージェから逃げるんだった。彼女は家を気にしたろうけど、誘拐同然でもいい。あの時そうしていれば、きっと……。私はあそこでも選択を誤ったのだな。)
ダルトン家は男児もいたが、当主フォーナーは事故で長子と妻を失った。後添えを得るも男子は授からず、フォーナー自身も子を得られる歳ではなくなったこともあり、ダルトン存続のため他家の有望な若者を長女フィーリアに迎えようという話になったのだが、普段から仲の良かったクロトが選ばれたのはごく自然の流れであった。しかしクロトは家を継ぎ婿入りはなくなり、ついにはユージェを出る道を選ぶ。
(父さんや母さんが兄さんを失った時の、あの落胆ぶり。あれを目にしてしまったら……妻と息子を失い、さらに娘まで攫われ一人になってしまうのではフォーナー殿があまりに哀れだ。彼は万人が認める人格者というわけではなかったけれど、そこまで惨い運命を背負わされるほどの罪人でもなかった。だからあの時、彼女を連れだすことができなかった……)
クロトがフィーリアにユージェを去る話をしたとき、反応は淡白なものだった。後にそれは虚勢であったことを知るが、クロトがユージェに残っても明るい未来が待っていると思えなかったのは彼女も同様であり、それだけに引き留めるようなことはしなかった。クロトのほうもこれで最後だと思えばこそ「連れていきたい思いはあるが、フォーナーの事を考えるとそれはできない」と心中を明かし、それを聞いた彼女がこういったのは3周期が過ぎた今でもはっきりと覚えている。
「私はダルトン家を存続させるためだけの道具なのよ。少なくともお父様は、そうとしか見て下さらないわ。そしておそらく、ダルトンに入り込んで権力に近づきたがる人たちもね。でも私はこの家に生を享けた以上、それが私の定めなのだと思うの。この家に生まれてよかったと思えることも沢山あったし、さんざんいい思いをした挙句に自分勝手を押し通すなんてできない。だから私……あなたとは行けないわ。」
そういう答えが返ってくることは予想の範疇だったので、クロトの反応も淡白なものだった。これはいわゆる失恋という奴なのだろうか……と、自身の心に沸く感情に戸惑いを感じていたこともあるが、続くフィーリアの言葉に生返事で応じてしまう。
「でも、道具にだって心はあるし想いも抱くわ。これを[人器同心]のあなたに言うなんておこがましいけれど、例え道具としてしか見られていなくとも、私にだって意地ってものがあるの。だから、意地を貫くために協力して頂戴ね?」
クロトはこの言葉にうっかりいつもの調子で「私にできることであれば、何でもしますよ」と答えてしまい、その協力内容を知らされた時にはさんざん悩み頭を抱えることとなる。
「そう、協力してもらえるようでよかった。それでは2日……いや、3日かな。3日後、私に少し時間を割いてくれると助かるわ。」
3日後、約束通りフィーリアの下に「最後の挨拶」をしに訪れたクロトは、彼女に連れられ郊外に騎竜での遠乗りをすることとなった。王都から離れ、人影もない草原でフィーリアの計画を聞いたクロトは絶句し、言葉が出てくるまでしばらくの時間が必要だった。
『本気でそんなこと言ってるんですか?どう考えてもそんなこと正気の沙汰じゃないでしょう!それ以外には、意地の通しようが本当にないって……!?』
普段の言葉遣いもどこへやら、クロトは完全に取り乱していた。フィーリアの計画とは「ダルトンの跡継ぎさえ得られれば道具としての役目は果たしたことになるのだから、せめて心の通い合った人の子が欲しい」というものだった。そしてそのために今日この時、一度でいいから自分に機会を与えてほしいとも。
「これ以外だと、意地を貫いて自ら命を絶つ方法もあるかしら。でも私だってそれは選びたくはないから……ね。もし授からなかったらそれが運命だったと思って諦めるから。それに私への協力は惜しまないんでしょう?」
相手が引くつもりのないことを悟ったクロトは完全に消沈し、どうにか説得を試みるもすべて受け流され、ついには計画を受け入れる。「自分のことは道具と思ってくれればいいから」と目にうっすらと涙を浮かべ懇願する彼女を、不覚にもいつも以上に愛おしく思ってしまい、これ以上の恥をかかせたくなかったからだ。そしてこの後、クロトは「貴女を道具としてではなく、一己の人としてお相手いたします」とフィーリアの耳元でささやき、そして一瞬だけだが二人の魂は確かに重なり合った。しかしクロトはユージェを離れフレッドとなり、計画がその後どうなったかを知る術は、彼自身がユージェに戻る日が来るまで存在しない。つまり天に還るまで知ることができない可能性のほうが高いのだが、仮説を立てることはできる。フィーリアの願いが叶い、心の通った人との子を授かったとしたら……仮にフィーリアが無言を貫いたとしてもフォーナーの怒りがクロトに向けられるであろうことは容易に想像でき、それなら深い恨みを抱かれるのも無理はない。
『もしそうなら喜ぶべきことではあるのかな。それにしても、私にプロキオ殿のことをどうこう言う資格などありはしないか。まったく、彼も私も未練がましいことで……』
長柄剣の状態で敵を突き、腰から引き抜いた鞘を連結する力も利用して刃をより食い込ませ、連結完了と同時に引き抜きつつ刃を滑らせ追撃する。龍ノ稲光と[連刃一対の法]を組み合わせた新規の動きを空想の敵相手に確認しつつ、フレッドは思わずそう呟く。実際はお互いの意思で結ばれたハゼルとフォーディに横恋慕するプロキオ、という図式であったのだからまったく別物だが、届かず叶わぬ想いを抱き続けるという点においてフレッドとプロキオは同様なのだ。
(私は、私の愛する人たちに幸せになってほしかったから力を求めた。私は皆のためならいつでも犠牲になるつもりだったけれど、実際に犠牲となったのはいつも私以外の誰かだった。フィーリアさんも、幽閉されているマイアー先生も、兄さんも、父さん母さんも……みんなで楽しく幸せになれる道が、例え獣道のように見つけにくいものだったとしても、どこかにあったはずなのに!すべて私が至らなかったからこんなことになった!!)
先ほどの一連の動きは徐々に速度を増し、洗練されていくのが一目で分かるほどに磨かれる。だがフレッドの感情の昂ぶりに応じて力強さこそ増したが、正確性は低下してしまう。心が乱れた状態で鍛錬を積んだところで無意味と感じたフレッドは剣を鞘に納め、満天の星が輝く天を見上げた。
『私に誰かを幸せな未来へ導くことが、本当にできるのだろうか。私のやり様は、身近な人を供物に捧げることで目的を叶える、邪な神霊術のようなものなのかもしれない。だとすれば私の目的を叶えるのは……神か精霊か、それともより邪悪な存在なのだろうか……』
フレッドの胸には重苦しい空気が漂う。供物がなければ目的が果たされず、しかしそれを支払うのは自分以外の何者かである。そのような身勝手が許されるはずがなく、いつかとてつもない罰が与えられるに違いない。その時が来た際、自分はその罰を笑って受けられるほどの結果を残せるのだろうか。それとも、より多くの供物を捧げ続け罰が来るのを先延ばしにしようとするのか。同じ闇でもこの星空とは違う、先は見えない漆黒の闇の中であった。
「あ~っ!こんなところにいた!!……んですね。主役の一人が消えたとブルート様たちが大騒ぎです。それにリリアンたちもフレッドさんを探していたんですよ!」
まだ酒を飲ませてもらえない年齢のフォンティカは、素面であることを理由にフレッドの探索および連行を命じられたのだという。フレッドは今しばらく一人で考え事をしていたかったが、友人との時間を切り捨ててまで探しに来てくれた彼女のことを立て、素直に連行されることにする。
「主役という自覚が足りないぞ若大将!親父殿を見習って、ホレお前も酒樽の一つくらい飲み干して皆を沸かせてくれや!」
すでに出来上がっていると思しきブルートの頼みを「さすがにそれは無理ですから……」と断りつつ、フレッドは宴の輪に加わった。周囲を見回せば、幾つめになるかは不明の酒樽ごと大酒を喰らっている父がいて、それを呆れたように見やる母がいて、勝てぬと分かっている飲み比べに挑み敗れたイーグらがいて、それを見て大笑いしているブルートらがいる。今回の戦いで、グア=ロークにより最大の犠牲を出したフェルミ団長は静かに弔いの盃を傾けていて、夜明けの星傭兵団の団員らは酒樽運びに駆り出されていた。そして、フレッドの下に料理を運んできたリリアンがいる。
「ちょうど、ザイール火鳥のラスタリアセージ風ヘルダスクァーレソース添えが出来上がったんですよ。先生は運がいいですね!」
今、フレッドの周りには新たに幸せになってほしくなった人たちが大勢いる。そして彼らが幸せを手にできるかどうかは、その多くが自身の手に委ねられているのだ。
『仮に供物を要求する神的な者がいるのなら、その者を騙し結果だけを受け取るとしますか。別にこちらから恩恵を授けてくれと頼んだわけじゃないんですし、これは言わば戦い。戦いでは騙されるほうが悪いってもんです。』
フレッドの静かな決意表明にリリアンは「なんですか~?」と聞き返すも、フレッドは「ただの独り言です」と切り返し料理にも手を付ける。L1025収穫期28日の夜はこうして騒がしく暮れていき、いまだ現世に留まる者たちが魂となり天へ還る者たちを楽しく送り出す。宴はこの場に居合わせた多くの者にとって忘れ得ぬ、貴重な思い出となるのであった。
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