第20話 ヘルダ村の決戦
57・破滅の凶風
『離れた敵を投擲という極めて不安定な手段で仕留めるような人が、近くで戦って弱くなるはずはないでしょう?』
これはかつてフレッドが父の戦法について聞かれた際に答えた言葉だが、これを証明するかのように、接近戦に持ち込んだところでユージェ軍の戦況が好転することはなかった。とにかく近づきさえすれば……と期待を抱いたユージェ兵は次々と薙ぎ払われ、手槍からの盾となっていた者は岩ごと貫かれ、その時になって初めて見通しの甘さを後悔したが、すでに手遅れであった。手槍による攻撃とは比較にならない力の籠った攻撃により、多くの者は血風となって散華する。その様は、竜巻が人を飲み込み舞い上げるようにも見えるほどだったのだ。
「ふぃ~……さすがにここまで暴れるのは久方ぶりじゃからな。歳のせいか、やはりまず腰に来るわい……」
そう言いつつ、あまりの惨劇に色を失うユージェ兵の前で悠然と革袋の酒を飲み干す。赤い果実酒は人の血を連想させ、口元からこぼれた酒を拭うさまはまさに人の血肉を喰らう羅刹に見えたのだろう。ユージェ兵は脇目も振らず逃げ出したが、ハゼルは追撃を掛けることはしなかった。逃げる相手の背を討つというのを誇る気にはならず、何より恐怖が伝播しユージェに逃げ帰ってくれるならそれが一番だったからだ。そして彼は潰走するユージェ軍を見送りながら、革袋に少しでも酒が残っていないかと頭上に掲げ覗き込むと、その奥の空に天高く舞う影があることに気付く。
「あれは、グア=ローク?かような人里に出てくるとはめずらしいこともあるもんじゃのう。戦の臭いに惹かれたわけでもあるまいとは思うが……」
空に舞う影の正体は巨鳥グア=ローク。大の大人をも軽々と掴み運び去るほどの大きさもある巨大な猛禽で、ラスタリア固有の種としては食物連鎖の最上位に位置する。かつては人を襲うこともあったが、人間は大して食い応えがあるわけでもないのに襲えば集団で攻め寄せ手痛い報復を受けることが多々あり、そういった歴史を長く積み重ねた結果グア=ローク種は人の生活圏から離れるという選択をし今に至る。人の立ち入りが困難な高山などの極圏にのみ生きるこの巨鳥が、標高が高めとはいえ平地のヘルダ村の空にいるのは異質なことだった。
「まあ、よいわ。とりあえず役目は果たしたしの。イーグ!酒と食事の用意じゃ。彼らが再び押しかけてくるにしても、幾ばくかの猶予はあろう。」
こうして西門を巡る攻防も、一旦の終息を見る。入り組んだ通路による機会射撃の高効率化と門に立ちふさがる凶風の化身により、ユージェ軍はヘルダ側の誰一人を討つことなく50名もの兵が失われる。これはユージェ先遣隊のほぼ一割に相当する損害であった。
58・鬼道の采配
『土地勘のない遠い異国で、しかも攻城戦装備もなく要害を攻めるのだ……敵将の苦労は察するに余りあるが、だからといって私たちも負けてやるわけにはいかない。敵が引くまでは徹底的に戦いますが、今は一時の休みを取りましょう。奇数班から、交代で休憩に入ってください。』
そう指示を受けた射撃隊は、一班と三班が食事休憩のために土手のふもとに設けられた救護所に向かう。ここには治療師も数人ばかりが待機していたが、西門を巡る攻防で彼らの出番はなかった。一方的に攻撃できるような仕掛けを用意し、ユージェ先遣隊はそれを打ち破るための投石機や堀に橋を架ける架橋具などを持ち込めないとはいえ、ここまで一方的な展開は満足できる戦果と言えた。しかし、それゆえ敵の指揮官ペルゼに非道な決断を強いてしまったのは運命の皮肉だろう。
「やはり人の手で羅刹を討とうなどと考えたのが誤りだったか。仕方がない、川の上流で待機している部隊に作戦開始だと伝令を送れ。目的を達したら、ヘタに欲は抱かず速やかに離脱するのを忘れるなとも伝えるのだぞ!」
(仮にこれで事が成就しても、私の名は恥辱にまみれた外道として歴史に残るか。だが私は義父上のため、そしてその悲願のために散った兵たちの犠牲を無にしないためにも、汚名は承知であえて鬼となろう。羅刹を討つために……!)
ペルゼの決意の下、ユージェ軍は次の作戦を開始する。それはヘルダ村の南を流れる川の上流から工作員数名を送り込み、ヘルダ村内部に潜入させるものであった。本来であれば西門を巡る攻防の最中に、もしこの手段を用いるなら使う予定の作戦であったが、西門の戦いが予想よりも早く終わってしまったため「川流れ」が単独決行となったのだ。工作員は数名と数が少なく、もちろん戦力として送り込まれたわけではない。彼らの目的は、ヘルダ村に「ある荷物」を届けることであった。
「よいか!これより後、あの村は混乱を極める事態に陥るだろう。だが敵は強大で、その混乱すら収めるに違いない。しかし困難を乗り越えた直後には必ずスキも生まれよう。我らはその刹那にすべてを賭ける……!」
村の南と東の渡河を警戒していた兵は、まず頭にあったものが「渡河する可能性がある敵部隊の警戒」であった。そのため、数人で水中を接近する工作員を完全に見逃してしまう。しかし川から出て村に近づけば発見される確率が上がるのは当然で、工作員は数人がかりで荷物を運んでいたこともあり、ついに監視の目に留まった。
「敵だ!南側から接近する敵がいるぞ!」「奴らは数人だ、とっ捕まえて捕虜にしてしまえ!」
などの声が広がり、その報せは西門の防衛を担当しているフレッドやハゼルの耳にも届いた。しかし「軍隊規模」ではないあたりに不安を感じたフレッドは、すぐに父の様子を確認しに向かう。この場合、数人で成し遂げられる最大の戦果はハゼルの暗殺と考えたからだった。
『私は様子を見てきます。射撃隊は引き続き、敵が接近するようなら通路で射かけて下さい。大丈夫、私が不在でも先ほどのようにやっていただければ十分ですから。』
指揮を任せたフレッドは騎竜に跨り、西門へと向かう。その途上、南の敵は川に飛び込んで逃げたという話が聞こえてきたため、とりあえず暗殺者の心配はなくなったかと胸をなでおろすものの、より深刻な事態になろうとは考えてもいなかった。そうこうしているうちに父やイーグらが輪になって休んでいるところに駆け寄る。
「おうフレッド。門に来た者らは一掃してやったわ。お前の隊も、なかなかの働きぶりのようじゃな。すでに寄せ集めの志願兵と思えんあたりは、さすがだわい。」
周囲を見回しながら「父さんの武働きも相変わらずのようですね……」と親子がやり取りしていると、南を警戒していた部隊の兵が報告にやってくる。彼らが数人がかりで運んできた革袋は、敵が持ち込もうとしていたものらしい。術師の見立てでは術的な要素はなく、毒物のような危険物でもないとの回答を得ているが、それだけにこれをどうしたらいいかの見解を伺いたいとのことであった。もしブルートがこの場にいたら「絶対に開けるなよ?そういうのは危険と相場が決まっているんだ。頼むから絶対に開けるなよ!?」とでも忠告したことだろうが、真面目青年のフレッドには「中身が分からなければ対処のしようもない」という思いが先に立ってしまった。
『そうですね。危険物ではないとの確証が得られているなら、中身を確認しますか。どうでもいいものなら、改めて廃棄すればいいですし。』
こうして禁断の袋が開かれ、ヘルダ村に大いなる災いが訪れる。後にこの件を振り返ったフレッドは、赤面しつつ「あの頃はまだ人生経験が足りなかったせいか、本当に迂闊でした……」と語ったというが、結果だけを見るならば、ヘルダ村の名を高めることにもなるのである。
59・憤怒の巨鳥
「これは鶏肉……でしょうか。ずいぶんと大きなものですが、当地の固有種ですかな?しかし連中は、なんだってこんなものを?」
革袋からその物体を引きずり出した兵が疑問を口にし、フレッドにもそれはただ大きいだけの鶏肉にしか見えなかった。頭こそ血抜きのためか落とされていたが、羽はすべてきれいに毟られ血抜きも完璧に行われている。気になる点と言えば、ザイール火鳥などの食肉とくらべかなり逞しい脚や爪を持っていたことだった。あまりに不可解なことだったため、兵たちは「差し入れか?」「負けそうなんで和睦の品でも送ってきたのだろう」などと談笑しており、笑い声に釣られて歩み寄ってきたハゼルはその光景を見て顔を引き攣らせ、声を張り上げた。
「こりゃまずいぞ!それはグア=ロークの雛じゃ!先ほど大きいのが飛んでいて平地ではめずらしいと思ったが、さてはこの子を探しておったのか!……いかん、言ってる側から来おったわぃ!!」
そう言うや、ハゼルはフレッドを突き飛ばし自身も飛び退く。見るも無残な雛を抱えていた兵はグア=ロークの成鳥に攫われ、体に複数の爪が食い込み即死していた。しかし問題は、これで終わりではないということだった。グア=ロークは家族単位の群れで暮らす習性で、群れの一員が襲われれば報復も辞さないほど家族愛の強い生物である。別の成鳥もやってくる可能性は高かったのだ。
『あまり考えたくはありませんが、ユージェの軍はこのような手段を用いるまでの外道集団に堕ちたということですか。それともこれは、そこまで追い込んでしまった私の咎なのか……?』
人とグア=ロークは住む場所を違えることで争いを避ける……というのはこの世界に住む人類にとっては不文律となった常識である。それを破り敵にグア=ロークをけしかけるなど、ヘタをすれば母国でも戦争犯罪人とされる可能性があり、まともな精神状態にある人間が採り得る方法とは言えない。ユージェが国としてそれを認めるようになったのか、それとも追い込まれた現場の指揮官が暴走したのか。いずれにしてもフレッドにとっては衝撃的な事象であった。
「呆けとる場合ではないぞ、フレッド!この村を犠牲にしないため、我らにはグア=ロークを討ち果たすほか道はない。人の手により人へ害を加える猛禽となった以上、我ら人はその責任を取らねばならん。よいな!?」
外道はそれになり得るものも含め断じて討つべし……というフレッドの主義は、この父から来ているものだということがよく分かる𠮟咤激励だが、これによりフレッドも気を取り直す。
「私はフェルミ団長のところで対応について協議して参ります。父さんは西門と、あと動いた後の休憩時にご留意ください。この騒動の混乱に乗じてくる可能性が高こうございますゆえ……」
そう告げるとフレッドは騎竜に駆け乗り、村の中央を目指す。羊亭の横の空き地にこのほど建築された傭兵団用の宿舎に向かうためである。その途中に空へと目をやると、すでに一羽が増えていた。数が揃ってから報復を始めるつもりなのだろうか、いまだに空高く舞い上がっている。この自由に飛べるという利点をどうにかしない限り、人類に勝機はないのだ。
「グア=ロークね……狩りをする際は地表に来るから、そこを抑えて逃げられる前に羽を斬り落とすなりして空に帰さない以外に勝つ道が思いつかないわ。」
そのフェルミ団長の意見にはフレッドも賛成だった。射撃隊は基本的にほぼ同高度の対象に向けて放つ訓練しかしておらず、大型のクロスボウも支えを地面に立てその上に置いて撃つように訓練している。つまり、人との戦い以外に用いることはまったく想定しておらず、いくら巨大だといっても空を自由に舞う鳥を撃ち落とせる可能性はなかったのである。
「私たちは魔道具[鋼糸の格子]をいくつか持っているから、これで連中を絡め捕ってみるわ。あとはブルートさんとこのテアちゃんに頑張ってもらうしかないかもね。彼らのほうには私から伝令を出すから、大将さんは村人に外へ出ないようにと伝えてちょうだい。」
フレッドは踵を返し「分かりました、ご武運を」と伝え宿舎を後にする。戦闘に関わらない村人は羊亭に避難していたので、彼らに外へ出ないことを念入りに注意し、フレッドも今は危険地帯となった村に赴く。避難しているリリアンや教え子たちとも目は合ったが、長い会話をしている時間はない。ただ一言、告げたのみだった。
『私たちが村を守って見せますよ。みんなはこの戦いが終わったら、色々と手伝ってくださいね。』
60・人の叡智と結集の力
「ワーナー!あんたの出番だよ!あの鳥どもを鋼糸の格子で絡め捕る。仕掛ける場所はあんたに任せるから、いい場所を探してちょうだい!」
ワーナーと呼ばれたその男は魔道具を活用したトラップを仕掛けることに長け、くせ者が集まる野鶲の傭兵団でも有数の抜け目ない男だった。その特技の性質上、大規模の合戦になると出番が少なくなるが、思わぬ形で出番が回ってきたことになる。発動させると垂直方向に鋼糸を伸ばす魔道具[鋼糸の格子]は主に攻城戦で城壁を超えたり、野戦の場合は崖や谷を越えるのに多用される皇国産の魔道具である。もしペルゼの手にこれがあったなら、戦いの流れも変わっていたかもしれない。
「おまかせくだせえ。ここは家々もありますから罠を立体的に組み合わせ、雁字搦めにしてやりまさぁ。」
こうしてワーナー謹製の鋼糸トラップは完成する。地面から伸びる垂直方向と、家の壁から垂直に伸びる横方向の格子が交わり強度の高い部分でグア=ロークを絡めるというそれは、罠の場所に対象を誘い出す必要がある点を除けば完璧だった。グア=ロークの比較的若い成長がそれに掛かったのは、思うように誘導できず団員に少なくない犠牲が出た後だった。
「今だ、総員かかれぇ!狙いは風切り羽と尾羽!奴を空に返すんじゃないよ!」
振りほどこうにも切れない鋼糸の格子に絡め捕られたグア=ロークに、多数の兵が一斉に群がる。羽ばたいて逃げようとすればするほど鋼糸は絡まり、グア=ローク自身を傷つけた。仲間の窮地に若いもう一羽が糸を切ろうと嘴でついばむも切ることはできず、殺到する人間に巻き込まれることを恐れ上空に逃れてしまった。
「あいつの仇だ、くたばりやがれ!」
「よし、私は右の羽を斬ったわ!」
「左も斬り落とした。これでもう飛べねぇだろう、ざまあ見やがれ!」
「尾羽もこれで終わりね。化け物め、覚悟しなさい!」
絡め捕られたグア=ロークは生きたまま解体されていき、ついには鳥としての存在意義も失いただの肉塊となる。もしグア=ロークが人語を理解し話せたなら「子を攫って殺し、仲間を生きたまま解体するお前ら人間こそが化け物だ」と非難したことだろうが、人とグア=ロークは意思の疎通ができない。どちらかが矛を収めるまで、争う運命にあるのだ。
「よくやったわ!ワーナーたちが次の仕掛けを設置するまで、各員は屋内に退避し情勢を見守る。各自散開!」
羽を失い地表でもがくグア=ロークは同時に数十の刃を突き立てられ、ついには斃れる。もっと抵抗しようと思えば出来たのだが、飛ぶことも叶わなくなった自身に絶望し生を諦めたのだった。上空にいる大小の二羽は同族の死を悼んだのか、甲高い鳴き声を上げながら旋回を繰り返している。ヘルダ村を襲ったグア=ローク三羽のうち、まず[野鶲の傭兵団]が人の叡智と数の力を用いて一羽を退治するに至ったが、いまだ脅威は去る気配を見せなかった。
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