第16話 光呑む「道」

45・対なす怪物


 近づくブルートに対し、レヴァスは渇きを癒すべく残された左腕を伸ばし掴みかかる。この人間を捉え、この集団より前に戦った者たちのように握り潰して血を浴びれば、また傷は塞がるようになるのだ。そう目論んだレヴァスだったが炎に巻かれたことによる火傷、さらにいまだ変容中で不安定な軸足という悪条件が重なり腕は簡単に避けられる。そして攻撃を外し、体勢を崩して腕を地に着け屈みこんだとき、ブルートの斬撃がレヴァスの首元に叩き込まれた。刃はどんどんめり込み、人の胴体くらいはあろうかというレヴァスの太い首の8割ほどを切り裂いたが、刃はそこで止まってしまう。表面を覆う粘液は失われたが、体内に流れる体液も同様の再生促進効果を持っていたためだ。


「くそっ、さすがに断ち切れんか。このままでは剣が取り込まれるだろうから俺は刃を引く。フレッド!俺が引いたらそこに重ねろ!いくぞ!」


 ブルートは剣を引きながら攻撃を重ねに来るフレッドを見、そして考える。こいつは4発必要だったとしても、一度の機会でこの首より太いかもしれない脚を断ち切った。しかも奴がまだしっかり動き回っているときに。それに対し自分は、もうまともに動けないような相手に最高の手応えを感じる一撃を食らわせたが、ついに断つまでには至らなかった……と。


『ダウラスさんご準備を。これなら一閃で十分です。……名も知れぬ異界の住人よ。御首頂戴する!』


 やや離れてブルートの攻撃を見守っていたフレッドは、自身の一撃のイメージを固めレヴァスに駆け寄る。そして動きを止めぬまま右小脇に抱えた槍ごと転身し、勢いと体重を乗せた左振り下ろしの形でレヴァスの首に追撃を行った。刃が首を叩き落とさんとした瞬間に、フレッドもまた思いを馳せずにはいられなかった。この人はいとも簡単に、自分が条件を整えなければ繰り出せない連刃3発ぶんくらいの威力はある斬撃を扱えるのか……と。二人は自分にはない相手の才を目の当たりにし、それぞれ思いを馳せ、同じ答えに至る。


(この人は怪物だ。父さんや兄さんと同じく戦神に見初められ、人の範疇からは逸脱している生粋の武人なのだ……)

(こいつは怪物だ。その速さや正確さ、集中力は言うに及ばず、危険を顧みず最善を選ぶその合理性は人と思えん。)


 二人はこの時からお互いを強く意識するようになり、「相手に置いて行かれたくないから」と何事にも切磋琢磨する関係となった。そのことが後にラスタリアの勢力図まで塗り替えることとなるが、今の彼らはまだ単なる冒険者の一行であり、異界の怪物を討ち果たさんとするただの戦士であった。


「化け物め!いまここに裁きの時は来たのだ。黄泉返ることなく、迷わず召されるがよいわ!」


 信心の篤い典型的な皇国重装兵団の出身者らしい台詞とともに、ダウラスが落ちた首に最後の一撃を加える。かつては人だったがレヴァス族へ変貌する過程で骨は失われ、粘液に覆われた外骨格で体形を維持していたその体は炎で焼かれたことで耐久性も柔軟性も失われ、頭部は乾いた外皮を持つ果実のようにあっさりと叩き潰された。


「よし、決まったな!これで犠牲になっちまった奴らも浮かばれるだろう。おい協会の!道を塞ぐほうはどうなって……」


 戦いも終わり、あとは道を塞げばここでの用事は終わる。ブルートはその筋の専門家であろう協会員に確認を取るためそちらに目を向けたが、協会員たちもこちらに顔を向けていた。うち一人は彼好みの美人だったがその顔色は青ざめており、恐怖に凍り付いているように見えていたため、ブルートはいつもの通り「せっかくの美人がそんな顔をしていてはいけないな」と声を掛けようと考えたものの、別の声によってその「野心」は打ち砕かれる。


『参りましたね。かの者は首がなくても生きていられるようです。残念ですが、お相手は女性ではなく怪物のほうですよ。』


 やれやれ……とボヤキながら振り返ったブルートの目に入ってきたのは、首から吹き出す体液で頭部のようなものを再生しようとするレヴァスの姿だった。しかしそのぶん下半身は徐々に萎み、それが腰を超えたあたりで頭部はかつてあったそれを大きく超える巨大なものとなり、先端から二つに裂けて巨大な口となった。人型の上半身に、口だけがある巨大な頭部。吐き気を催すには十分すぎるほどの異形変異体とでも言うべき存在となったのだ。


「くそったれが!こうなりゃ道を塞いで逃げるしかねえ。お嬢さん方、どうすりゃいいのかだけ教えろ。あとはこっちで何とかする!」


 まだ再生直後で活発に動けないのか、レヴァスのほうも頭を左右に振るばかりで移動する様子はない。その間に道を塞ぐ算段を付けなければならなかったが、協会員によれば広場の奥にある祭壇の水晶を使う必要があるのだという。しかし今でこそレヴァスに動きはないものの、変容したレヴァスがどのような存在かも分らぬまま奥に飛び込むのはそれはあまりに危険だった。そしてブルートが打つべき手に悩むうちに、レヴァスが動きを見せる。レヴァスの上空を通り過ぎた大型の羽虫に、残った両腕で跳び食らいついたのである。


『直前まで顔を向けていませんから、視覚で獲物を追ったのではないことだけは確かです。となると音か臭い、一定範囲内の対象に反応……あたりですかね。とりあえず試してみますか。』


 フレッドは地面に転がる小石をレヴァスの側面を通過するように槍の石突で弾き飛ばす。しかしレヴァスはそれに反応することはなかった。それを見たテアは即座に風の精霊に頼み、空気の流れを調整し自分たちを風下に変える。これにより、臭いが伝わり襲われるまでいくらかの時間稼ぎにはなるだろうとの判断だった。


「最悪、あの水晶を破壊さえすればいいらしい。ただそれだとかなり乱暴な塞がり方をするんだとさ。だが贅沢も言ってられないからな。誰か妙案はないか?」


 身軽なフォンティカなら水晶への接近は容易だが、術を起動している水晶を破壊するには力不足であった。テアはかなり消耗し大掛かりな術を使うのはしばらく不可能で、フレッドの矢は当てられるが破壊には至らないだろうとの結論に至る。結局ブルートが「仕方がないから突っ込むか!」という意見を出したところで、フレッドが発言を求めた。


『ここはあの者自身に決着をつけていただきましょう。お互い在るべき場所へ還るのが道理というものですしね。』



46・光り輝く支柱


 フレッドの案は叩き潰したレヴァスの「元頭部」を水晶に浴びせ、その臭いにつられたレヴァスに水晶を破壊させるというものだった。そのこと自体は特に問題ないが、一同はそれを行うのは身軽だが非力なフォンティカと考えていた。合理的だが非情な決断をする男……というのは羊亭での会談でも分かってはいたことだが、若くして大事を成し遂げるにはそれくらいはする必要があるのだろうとそれぞれ自身を納得させていた。ゆえに、続くフレッドの話を聞いた際には驚きを隠さなかった。


『私が三射を以ってかの者を水晶に食いつかせて御覧に入れます。つきましては、不快な作業となりますがその残骸を革袋に詰めていただきたく……』


 一射目はレヴァスの残骸を塗った矢を水晶に撃ち込み、水晶のほうに気を向かせる。二射目は残骸を詰めた袋を結び付けた矢を高角の曲射で放ち、三射目でその袋を水晶の直近で射貫き残骸を水晶に浴びせる。それがフレッドの案だった。ブルートはやや無理のある案という気もしたが、それでも承諾したのは仮に失敗してもレヴァスの注意が袋に向いているうちに水晶を破壊できれば十分と考えたからだった。準備が整い、一射目を番えんとするフレッドに「風を止めますか?」と聞かれたフレッドは「どうかそのままで」と答え、弓を引き絞る。


(一切の迷いなく、一切の恐れもない。幾百幾千と引いたこの弓を変わらず引き、変わらず放つ。そして結果もまた、変わりはしない。不変常在の射、これにあり!)


 こうして放たれたフレッドの三射は、想定通りの軌道を描く。一連の光景を見守ったその場の者すべてが見惚れるほどの、流れるような美しい射撃だった。そしてレヴァスは水晶に纏わりついた「かつての自分」に飛びつき、水晶ごと貪り喰らう。だがそれと同時に、激しい地響きが起こり始めたのだった。


「乱暴な塞がり方ってこれか?ロクでもないことになりそうだしさっさと逃げるぞ!しんがりは俺が務めるから、皆は前だけ見て走れ。身軽なフォンティカとフレッドは、すまんが先行し場合によっては露払いを頼む!」


 パーティで最も遅いのは重装備のダウラスだが、ブルートは敢えてその後ろ最後尾を行くという。指揮官が率先して危険を担うことを戒める教えもあるが、ブルート自身はそれが自分に命を預け指示に従ってくれる仲間への最低限の礼儀だと本気で考えていたため、パーティでは他の誰よりも命の危険に曝されている。しかしそれだからこそ、メンバーは彼に信頼を寄せるのだ。


『ではフォンティカさん、あなたにこれを。柄の宝石に光が宿っていれば、鞘から剣を抜くと刃が発光します。速く抜けば強く、遅く抜けば弱く。もし目で獲物を追う敵が出ましたら、敵の眼前で速く抜き目くらましをしてください。あとは私が始末します。連続使用はできないので、宝石が光を宿しているか……そこにだけご留意を。』


 フレッドは使い方を説明しつつ、フォンティカに[永遠継続の閃光]を手渡す。身軽な彼女のほうが敵の眼前にまで肉薄しやすいことと、彼女の主な攻撃手段が死角からの不意打ちで直線的な道では攻撃手段が限られることを考え、いざ戦うとなっても補助的な動きができるようにとの配慮からだった。この選択は見事に当たり、フレッドは目くらましをされた複数の虫や生物を簡単に仕留めることができ、退避は順調に進む。しかし先頭を行くフォンティカが出口に差し掛かり、フレッドも出口が見えたというところで異変が起こってしまう。


「フレッドさん!木が倒れてしまいそうなんですね!これが倒れたらみんなの逃げ道が塞がれて……!」


 確かに巨木が根元から折れかけ、道を塞ぐように倒れようとしている。出口側に抜けロープを渡すという選択肢もあるにはあるが、先行組のフレッドとフォンティカは身軽さ優先ということで荷はマレッドが持っていく算段になっていたため、ロープをかけるにも作るところから始めなければならない。しかも、それを登ってこちら側に来るまで道が存続しているかも分からないのだ。それまでのフレッドならとりあえず出口側に抜け、対処法を考えるという合理的な判断を下しただろうが、今は違った。


(あの人は率先して死地に残った。そうしなくても、誰かに責められるわけでもないのに。ここで自分の保身だけを考えたら、私は永遠に及ばなくなってしまう……)


 フレッドは巨木の根元近くに立ち、折れかけた部分に槍を突き立てる。槍を支点にし、倒れた巨木の根元側に槍の長さぶんくらいの隙間を作ろうというのだ。倒れる木の角度に合わせて向きを変え、受ける力を流しつつ支えようとするも、質量の差を考えればどだい無理な話であった。しかしフレッドは諦めない。仲間のためにも、自身の意地のためにも逃げ出すわけにはいかなかったのだ。


(兄さん……そして龍ノ煌キよ。どうか皆を救う力を。私はここで、もう逃げ出すわけにはいかない!)


 光り輝く槍は巨木と地面に深く刺さりながらもそれを支え、重さに歪む様子もない。奇跡的な光景とでも呼べるその隙間をテアや協会員たち、マレッド、ダウラスと続いて抜けていく。だが、ブルートの姿は未だに見えない。フレッドは龍ノ煌キが完全に安定しているのを確かめると、弓矢を手に奥へと戻る。しばらくして、異界の生物を率いるかの如く追いすがられているブルートの姿を発見した。


『こちらです!槍がいつまで持つか不明ですし、どうかお急ぎを!』


 フレッドは地を這う虫の脚や宙を舞う羽虫の羽を射貫いて足止めを図るも、数が多くすべてを止めるには至らない。それでも落ちた羽虫に別の虫が喰らい付くなどの同士討ちも始まり、若干の時間稼ぎにはなった。ブルートはしつこく付きまとう残り数匹を両断し、二人は混戦から抜け出した。


「途中で地形が変わっちまってな。どう進むか迷ったんだが、あの光のしるべのおかげでどうにか戻ってくることができた。誰かは分からんが命拾いしたぜ。」


 光のしるべ?何のことだろうか……とブルートが見やったほうに視線を向けると、そこには確かに天まで貫かんとする一筋の光柱が延びている。そしてその光を見た瞬間に、フレッドは発生源を悟った。


(そうか……みんなを救うために全力を尽くしてくれたのか。ありがとう。そして、さようなら。)


 すでに龍ノ煌キは総身が光の束となっており、巨木に押し潰され消え去ろうとしていた。ブルートが抜け、最後にフレッドが抜ける際には滑り込む必要があったほどに隙間も狭まっていたのだ。そうしてすれ違うように龍ノ煌キと最後の邂逅を果たしたフレッドに、龍ノ煌キの意識が伝わってくる。


(新しき主との共闘は興深きものなれど、やはり我の在るべき場は旧主の下なり。我、これより旧主の下に向かいお伝えしよう。その心配は憂慮であったと。……刻限である。これよりは永久にお傍で……)


 最後の一条の光も消え、龍ノ煌キは塵となり消滅した。フレッドはそれを見届け、追悼の念を抱いたが、これ以上ここに踏みとどまるわけにもいかないと、踵を返して出口へ向かう。出口から出た元の世界には、すでに仲間や協会員たちが退避を完了していた。


「あの光、お前の槍だったんだってな。どうやら回収は出来なかったようだが、済まなかったな。大切なものだったんだろう?」


 道から離れつつ、そうブルートが声を掛けてくる。武人にとって優れた武具は何物にも代えがたいものであることは彼自身もよく知るところであり、それを失ったことによるフレッドの落胆を気にかけてのことだが、さすがに兄の遺品であったことは知らなかった。


『人の命には代えられませんし、どうぞお気になさらず。それにあの槍は……本来の主の下へ赴いたのです。祝福してあげましょう。』


 ブルートにはフレッドの言う「本来の主」が誰の事かを知る術はなかったが、槍がもともとフレッドのものではなかったことと、大事に想っていた故人の品であったことは理解できた。ここで同情して見せるのは簡単だが、故人を知らぬブルートにはそうする意味も、その資格も持ち合わせてはいない。ゆえにそれ以上の話はせず、感謝を伝えるだけで済ませることにした。


「俺たちがお前に命を救われたことは忘れん。いつか利子までつけてしっかり返させてもらうから、楽しみにしておいてくれ。……おっと、そろそろ道が閉じるな。岩陰に隠れろ!」


 世界の境界に異変があるためか、道の入り口付近は不安定な歪みが生じており、小規模の爆発や稲光の発生も見受けられる。巨木をやり過ごし、ロープを掛けるという選択をしていたら助かったのはフレッドとフォンティカのみだっただろう。成人直後にハイディンの当主として軍を率いて以来、徹底的な合理主義を貫き若くして大事を成したフレッドが、大して長くもない人生で初めて「負けたくない」という合理性の欠片もない感情を優先させた結果は、生存者全員の脱出という満足のいくものとなる。感情よりも結果を優先しなければ生きていけなかった青年にとって、このことは予想以上に大きな衝撃となるのだった。


「みんなよくやってくれた。これでひとまずこの仕事は終わりだ。しばらく周囲の経過観察は必要だろうが、それは別の者に任せよう。さて、ヘルダに帰るか!」


 こうしてヘルダ村の近くに開いた道の一件は終息に向かった。しかしこの時に救った協会員からの情報により、一同は叛乱の準備を急ぐこととなる。世間ではL1025開墾期が終わり、作物の実りをより促進する育成期に入ろうとしていた。

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