第9話 流れ者の信念

26・分岐点


 夜が明け、見張りに立った者たちが荷車で眠りながらの旅路を往く。そして4日目の昼、ついに別離の時が来た。ヘルダ村へ向かうフレッド一行と、そのまま街道を進むブルート一行の道がここで別れるのだ。


「色々と面白いことのある旅だった。お前とは、また近いうちに会いたいものだな。」


 そう言いながらブルートが手を差し出す。彼はまだテアから報告は聞いていないが、少なくとも大失敗だったわけではないことは二人の雰囲気から察することができた。なにしろ、人と積極的に接しようとはしないテアが自分からフレッドに別れの挨拶をしたのだから、そのあたりからも推して知るべしというものなのだ。


『私にとっても貴重な経験となりました。近くに来る機会あらば、ぜひヘルダ村にお立ち寄りください。ザイラスに劣らぬ料理も口にできますから。』


 すっかり村人らしく売り込みを掛けるフレッドに、ブルートは「そいつは楽しみだ。いずれ伺うとしよう!」と返し、隊商に戻っていく。そしてその中にはあの女性の姿もあった。彼女は「この地の民を救う」と言っていたが、それはとても独力で叶えられる願いではなく、だとすればこの男も同じ志なのだろうか。


『まあ、どちらでも今の私には関わりのないことか。残り一昼夜、みなを無事に村へ送り届けるのが今やるべきことなのだから。』


 別れの挨拶を済ませ、また護衛一人の行程に戻るフレッド。村はもう近く、近いゆえに襲われる可能性も低いというが、まだ油断はできない。そしてその危惧は現実のものとなってしまうが、それは新たな問題の呼び水となってしまうのである。



27・ジェンダ集落の出稼ぎたち


 ブルートの隊と分かれた日の夕刻、最後の野営も間近という時刻にそれは起こった。まだ完全に日は落ちていないが、仄かに薄暗くなった街道の左右から3人ずつ、武装しているであろうと思われる音を立てながら接近してくる者たちが出たのだ。それが旅人などではないことは、顔を布で隠していることから容易に判断できた。


『ついにこうなってしまいましたか。ここは荒地ゆえあまり速度も上げられませんから、もう戦うしかないでしょう。まず左側の3人を止めますので、右側の3人がどう動くかを見ておいてください。』


 そうバスティンに告げ、バスティンは承諾しリリアンに荷車へ隠れるよう指示する。フレッドは弓を左手に持ち、腰の矢筒からまず3本を引き抜いた。一本を弦に番えて引き絞り、狙いを定める。狙いは先頭を切って駆け寄る男の脚だ。男たちは弓を構えていることは分かっていたはずだが、初撃から当たるわけがないと思ったのだろう。怯まずに突進を続ける。


(殺しはしない。だがせいぜい、泣き叫び助けを乞うがいい。他の者の戦意を失わせるほどにな!)


 その決意と共に放たれた矢は、先頭を行く男の大腿部に突き刺さる。初撃が命中したこと、そして先頭の男がもんどりうって倒れ悲鳴を上げたことで、残りの二名も怯んでしまう。ここは戦場ではない。命を捨てて突撃を掛ける命令を受けたわけでもなく、逃走する自由もあるのだ。二射目は動きが止まった男の腕を射貫き、三射目を番えたところで、男たちは脚を射貫かれた男を抱えながら岩陰に飛び込むようにして隠れる。これで脚を射貫かれた男の処置が済むまで、大きく動くことはないだろう。見捨てるつもりなら岩陰に連れていくはずはないのだから。こうして、片側の3人を止めるという約定は一瞬にして果たされた。


「目の前で見てたってぇのに、とてもじゃねぇが信じられねぇ。先生アンタ、一体どういうお方なんで?」


 私ごときで驚いていたら、父さんの技を見たら泡を吹いて倒れるだろうな……そうフレッドが思うほど、彼の父は投擲に長けている。およそ手に持てる物なら何でも、武器だろうと石だろうと盾だろうと、あらゆるものを正確に投げつけることができた。それを類まれな怪力で行うゆえに[無弓の射手]などとも呼ばれるのだ。そして兄はその素養の一部を受け継ぎ、槍に限ってだが正確な投擲を行えた。父と同じく剛力を備え、しかも左右どちらの腕からでも。フレッドは投擲の才を受け継ぐことはなかったが、自らの手で放たれた矢がどのように飛ぶかのイメージが頭に浮かぶという、狙いを定める部分に特化する形で才を受け継いだのだ。


『それより右側の敵はどうですか。まだ完全に詰められていないなら射貫きます。』


 しかしフレッドの弓技にも、大きな弱点がある。しっかり目標に集中して放てば外すことは皆無だが、それだけに視野が大きく狭まってしまう。乱戦で使うにはやや危険が大きい代物なのだ。「2名はまだ遠いが、1名は物陰に隠れたようで見失った」と使用人から聞き、まずはその2名を狙う。3本の矢の最後が放たれ、下肢に命中する。ここで矢筒から新たに矢を引き抜く必要に迫られたが、この動きが5人目の男には死が差し迫っているように感じられたのだろう。その場で命乞いを始めた。


『そこの倒れた男も連れ、この場は立ち去れ。だがもし次に襲ってきたなら、その時は生命を射貫く。よく覚えておかれよ。』


 よし、これで残るは1名。私が警戒監視の担当であったら見失うこともなかっただろうが、そういった訓練をしたことのない人にそれを求めるのは酷か……と考えつつ、フレッドも周囲を見回す。こちら側は岩が点在しており、確かに隠れる側にとっては都合がいい。それゆえに開けた左側の3人から対処したのだが、過ちだったかとの思いがこみ上げたとき、荷車の後方から悲鳴が聞こえる。急ぎ駆けつけたフレッドが見たのは、首元に短剣を突き付けられ人質にされたリリアンの姿であった。


「そこのお前!竜を降りて武器を捨てろ!さもなくば娘の命はないぞ!」


 なんという失態か、と思いつつ竜を降りるフレッド。そして弓を遠くに投げ捨て、矢筒も腰から外し地面に落として後方に蹴る。今は相手の言うことを聞き、スキを窺うしかなかった。


「まだ腰に短剣があるだろうが!さっさとしねぇとこいつぶっ殺すぞ!そっちのお前らは金品を用意するんだ。早くしろ!」


(そうか。これがあったか。しかしリリアンは、あの日のことをまだ覚えていてくれるだろうか。もし忘れていたら、かえって危険なことになってしまうかもしれない……)


 フレッドはゆっくりと短剣を鞘ごと腰から引き抜いたが、すぐに投げ捨てようとはしない。拵えの良い鞘から察するにいい品なのだろうが、今はそのようなことを気にしている場合ではないだろうとバスティンが気を揉む中、普段のフレッドを知っている者なら明らかに違和感がある話し方でフレッドが口を開いた。


『俺がこの大事な短剣!を捨てたら本当にその娘を解放してくれるのか?この貴重な短剣!を捨てさえすれば……本当に解放すると約束できるんだな?』


 ヘルダの住人たちは明らかにおかしいと感じたが、出稼ぎは「それほどまでに短剣が惜しいのか」くらいにしか感じなかったのだろう。いいから捨てろというだけで、微妙な空気の変化は読めなかった。そして引き金となる台詞を口にしてしまう。


「可哀想にこのお嬢ちゃん、震えて目も閉じちまってるぜ。このまま喉を裂かれて死んじまうなんてついてねぇなあ。」


 短剣を持っていたフレッドが目を閉じたまま、鞘から剣を引き抜いたのはその言葉が出た瞬間だった。しかし出稼ぎもバスティンらも強烈な閃光を受け、視界が遮られ悶え苦しむ。悲鳴やうめき声が響く中、フレッドはリリアンに向かって指示をした。


『今ですリリアン!すぐにその男から離れて下さい。武器を振り回していて危険です!』


 魔道具[永遠継続の閃光]による目くらましがフレッドの策だった。リリアンはかつての講義でこの短剣が閃光を放つことを教わり、調整によっては目に悪影響があるほどの光にできることも聞いている。フレッドが変に「短剣」の部分を強調して話をしたのを聞き、それを使うつもりということを悟って目を閉じたのだ。


『どうやら目を閉じたまま喉を裂かれるのはお前の役割だったようだな。因果応報という奴だ、覚悟していただく!』


 引き抜いた短剣を構え、フレッドは猛然と出稼ぎに突進する。目を閉じたまま短剣を振り回す出稼ぎの斬撃を避け、喉元に刃を突き立て一気に切り裂く。男は最後に一言二言なにかを言ったようだが聞き取れず、そのまま死亡した。捕らえようと思えば捕らえることはできたが、身を隠す技能に長け子供を人質に取ることも厭わないやり口から察するに、この者はかなり慣れた出稼ぎか、雇われの冒険者だったのかもしれない。生かしておけば被害が広がるばかりとの判断だった。


『人質を取るような卑怯者は、それにふさわしい最期を遂げた!この場にはまだ死にたい者がいるか!いれば出てくるがいい!』


 これは左側から出てきた3人に対して向けられた言葉だが、すでに逃げたのか反応はなかった。フレッドは刃についた血を拭い去って鞘に納めると、荷車の近くで座り込んでいるリリアンに近づき声を掛けた。


『私の落ち度で怖い思いをさせてしまって済まなかったね。でも、もう大丈夫だよ。それにこの短剣のことも覚えていてくれてありがとう。おかげで事なきを得ることができた。すべて君のおかげだ。』


 放心状態のリリアンを抱きしめると、やはり震えていた。暴漢に刃物を喉元に突き付けられるなどという経験をしたのだから無理もないが、それでも彼女は窮地にあって最善に近い行動を取れた。芯の強い子なんだということを思い知らされるフレッドだった。


「先生……わたし、怖かった。でも先生ならどうにかしてくれるって信じてて、短剣短剣って変な感じだったから、それでもしやと思って……」


 うん、どうやら自分には芝居の才能がないらしい。確かに短剣のことを仄めかそうと普段とは違う話し方にはしたが、変と言われるとは思わなかった……と考えつつも、フレッドはリリアンに囁いた。


『もう大丈夫だよね。ちょっと後片付けがあるから、荷車で待っていてください。あと、バスティンさんを呼んでもらえるかな。』


 そう言い終わると、フレッドはリリアンから離れる。リリアンも、よくよく考えたらフレッドと抱き合っていたことに顔から火の出る思いだったが、それを抑えつつ荷車へと向かう。


『バスティンさん。この男の顔に見覚えはあるでしょうか。まだそれほどの歳ではなく、働き盛りの頃と見受けられますが。』


 口元を隠していた布を取り去り、男の両眼を閉じつつ顔を検分するフレッド。喉を裂かれほぼ即死だったこともあり、苦悶の表情は浮かべていないが未だに流血は続いていた。


「こいつはジェンダのラトゥですぜ。以前、冒険者になるとか抜かして集落を出たんですが戻ってやがったんですなぁ。」


 では、身を隠す技に長けていたのはそういう集団で教えでも受けたのか。しかし大都市では特に芽も出ず、故郷に帰ってきたといったところなのだろう。見逃した5人は特別な訓練を受けた者という感じではなかったから、おそらくは集落の若い衆を誘った訳か。しかし、いま気になるのは……


『そのジェンダという集落は、ここから遠いのでしょうか。近いならこの亡骸を返してやることもできると思いますが。』


 一行に神官はいないため、亡骸はヘルダに持ち帰るかジェンダに届ける他ない。往路の時は隊商が大きく人を呼びに遣ることもできたが、この人数では分散して動くわけにもいかないのだ。幸い寒い季節のため、ヘルダに着く明日までに亡骸が損壊することもないが、近いなら届けてしまうほうがいいと考えたのである。


「ヘルダとは方向こそ違いますが、明日中には行き着くと思いますぜ。しかし、そこまでしてやる義理ぁねえでしょう?」


 娘を殺されかけたのだから、バスティンの怒りは当然だ。しかしフレッドにはある思いがあった。かつて彼が語ったこともある、残された者たちのことだ。


『そうなんですけどね。ただ、もしこの者に家族がいたら外道に堕ちる前に私が手を下す必要があると考えまして。独り身だと余計な手間がなくていいのですが。』


「つまり集落に乗り込んで、遺族がいたら皆殺しにするってことですかい!?先生、それ本気で言ってるんですか!」


 怒りで焼き切れそうになっていたバスティンも、一瞬で凍り付くほどの狂気。あまりに淡々と狂った発言をするフレッドに対し、完全に言葉を失ったバスティンを尻目にフレッドは言葉を続けた。


『そうなるかどうかは、まだ何とも。とりあえず明日はそのジェンダという集落に向かいましょう。いずれにしてもこの件の決着は付けなければなりませんからね。』

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