第8話 失われた夢の盃

24・叛旗を翻さんとする者たち


「そうか。あの子からは予想以上にいい話が聞けたのだな。こちらも、少しだがあいつのことは知れた。」


 昼食が終わり男女それぞれに分かれたグループが合流した後、フレッドたちとブルートらは分かれた。明日にはザイラスを発つため、その準備も必要だったからだ。そして準備が一段落し休憩の時間を取っている際に、成果を報告し合っていた。


「ご配慮いただいたおかげで彼との交渉がしやすくなりました。分からないことはまだ多いですが、もう考えても仕方がありませんから。」


 情報収集の機会を与えてもらえたことに感謝するテア。ザイラスを発ち、4日目にはブルートの隊とヘルダ村の一行は分かれることになっているため、フレッドとの交渉は3日目の夜ということが決まった。


「両親も一緒だと言っていたそうだな。監視や連絡を行うための偽物ではなく、テアの知識にある限りではどうやら本物らしいという。となると、あいつが来たのはやはり失脚がらみだろうか?」


 もしフレッドが潜入調査の類……つまりユージェの仕事で来ていたなら実の両親を伴うことなど考えられない。偽物が来ることはあり得るが、それはフレッドが裏切る可能性もあるならの話である。だが裏切る可能性があるなら別の人選をすればよく、そもそも国の重鎮を間者として送り込むこと自体が尋常ではないことなのだ。いくら考えても答えは出ないが、それでも考えずにはいられない。自分たちの未来にも関わる可能性があったからだ。


「俺たちの準備はもう大詰めを迎えつつある。あとは時期を見て決行するのみだが、ここであいつの問題が出てきた。もしあいつがユージェの手先としてここにいるなら、俺たちはあいつを討たねばならん。」


 ブルートたちの準備とは、ザイール辺境州の各地にいる領主へ不満を持つ者たちを糾合すること。彼らは叛乱を画策する叛乱軍の指導部で、ブルートはそのリーダーだった。もしユージェが皇国侵攻の初手としてこの地を狙っているなら競合相手となるため、排除する必要があった。


「だがそうではないなら、あいつは協力者にできるかもしれない。あいつは出稼ぎの家族にまで思いを馳せ、武器を向けられてもあえて斬ろうとはしなかった。うちの領主様には欠片もない感情を持っていたんだ。同士に足り得る男だと俺は思う。」


 ブルートの考えは他のメンバーも同様だった。何より、叛乱が成就した暁には辺境州を取りまとめていくことになるが、メンバーに政治経験があるものは少ない。まだ若いとはいえ国の中枢にいた経験がある男は、是非とも仲間に迎えたいところなのだ。そのためにも、彼がここにいる真意を確かめなければならない。


「現状で打てる手はすべて打った。あとはテアに任せることになるが、皆もあいつに気取られぬよう……できるだけ自然に接してくれ。」



25・明かされた心の奔流


 復路の旅路も順調そのものであった。ザイラスで購入した品は積んでいるが、税金という現物ではないため襲撃対象としての価値が低いこと、そして隊商の規模が大きくリスクに対してのリターンが見合わないからだ。この点ではバスティンら有力者側の作戦勝ちといえる。そして3日目の夜、荷車を円形に並べ方円陣を取り、内側には有力者らと休む者、走竜らを置き、外側3方に2名ずつの見張りを交代でおくこととなった。戦技担当と援護担当で組むというブルートの振り分けにより、ブルートはマレッド、ダウラスとフォンティカ、そしてフレッドとテアのチームで見張りを務めることとなる。そのこと自体は極めて妥当だったため、フレッドも疑う余地はなかった。そして夜半が過ぎ、円陣の中央はすでに寝静まっていると思われたその時、ついにテアが口を開く。


「このような異郷の地で、クロト=ハイディン殿にお会いすることとなろうとは。まったく、人の運命とは計り知れないものですわ。」


 挨拶の時すらまともに口も開かず、もしや声を失っている人なのかとすら思っていた相手に、予想もしていないことを言われさすがのフレッドも眉を顰めるだけだった。別人であると押し通すか、と考えていたところにさらなる言葉が続く。


「まずはわたくしから、本名を名乗らせていただきます。わたくしはティルアリア=ウルス=リム。かつてクロヴィス将軍を謀殺したティルエレオの姉にございます。」


(顔を見せようとしなかったのはエノーレ族だからか、それとも私だったからか。ただ私はこの人と面識はないし、おそらくウルス氏族が降伏する際にあらかじめ逃れたのだろう。問題はなぜ今ここでそれを明かしたかだが……皆目見当がつかない。)


『なるほど。私はフレッド・アーヴィンだ、と嘯いたところで意味はなさそうですね。して、ウルス氏族の方が何か御用がおありですか?』


 テアが交渉に用意していた秘密の手段は功を奏し、フレッドはクロトであることを認める。だがこれは、非常に危険な賭けでもあった。兄の仇の姉、と名乗れば逆上して武器を手に取る可能性もあるのだから。しかしテアはかつてのウルス氏族に対しての寛大な処置と、リリアンから聞いた話を総合し襲われることはないと読んでいた。そして今のところはテアの読みが完全に当たっているが、勝負はここからなのだ。


「わたくしが仇の姉であると聞いても、顔色一つ変えられないのですね。わたくしはいきなり貫かれても仕方がない立場ですのに。」


 なぜここにいるのか……という本題に最初から切り込むというのも難しいと思われたので、テアはまずクロトの為人を知るところから始める。早々に変わり者であることを痛感することとなったが。


『私たちは共に、自身の兄弟が相手の兄弟を討っていますから……もし私に貴方を討つ資格があるなら貴方にも私を討つ資格がありますね。まったく、こんなことはもう無くなるといいですなあ。』


 飄々とそう答えたクロトを見てテアがまず確信したのは、おそらくこの男が挑発に乗ったりすることはないのだろうということだった。しかし、そういう相手だからこそ使える手段もある。怒りに任せて行動することはないと踏まえ、本題に近づける。


「わたくしはてっきり、ユージェがまとまり次は憎き仇の一族を滅ぼそうと……そうしてわたくしの前に立たれたのかと考えておりました。なにしろユージェの重鎮たる将軍がこんな辺境にいるのですから。」


 血の気が強い相手なら「では望み通りにしてやろう!」といきり立つかもしれないが、そうならない自信はあった。しかしまたも、質問はうまくかわされてしまう。


『貴方は統一連合設立時の式典はご覧にならなかったのですね。まあ、4周期ほど前にはすでに南西部を出ておられたのかもしれませんから、そうだとしても不思議はありませんが。』


 どうやら、ウルス氏族が降伏する際に怨恨から処刑されることを恐れ、ティルアリアだけは落ち延びさせたことを見抜かれているようだった。もっとも、クロトにそのことを非難するつもりはないらしい。おそらく「統一連合設立の式典」が重要な点なのだろう……とテアが考えを巡らせていると、クロトが答えを教えてくれた。


『私は、統一連合の設立を以って全役職を返上し、野に下ったのです。皆さんが憎んだ……いや、今も憎んでいるかな?とにかくハイディンの家も私の代で断絶し、今はフレッド・アーヴィンとしてここにいるというわけです。そういうことですから、もし帰りたければウルスの森に帰ることもできるはずですよ。別にあの時、逃げなくても処断するつもりはありませんでしたけどね。』


 クロトとして答えることはもうない。今の自分はフレッドなのだから、という宣言に等しい答えだった。なぜ野に下る決断をしたのかは大いに興味にあるところだが、現段階で重要なのはフレッドとしてここにいるのはユージェの仕事のためではないということを聞けた点だ。もっとも、彼が本当のことを言っているという確証はどこにもない。もう少し探りを入れる必要があった。


「将軍のお慈悲を持ちまして、親戚縁者みな許されたことは存じております。しかし森を出てかれこれ5周期。確かに家族の安否は気になるところですが、将軍もお一人でこの異郷の地に?」


 下手に両親のことに触れれば情報源がリリアンであることが発覚してしまう。自分たちを疑うことなく話をしてくれた恋する少女の、夢と希望を打ち砕くことだけはどうにか避けようと考えたが、やや強引に話を繋げてしまった感はテア自身にもあった。しかしフレッドに戻った、あるいは成った男は意に介した様子はなかった。


『両親も今はヘルダの住人です。ところで、貴方がこれからどうなさるかは存じませんが、もしユージェに帰られた後に要らぬことをペラペラ話した挙句、私たち一家に害が及ぶようであれば……』


 両親も共にあるという情報はつかんでいたため、少なくともこの点についてウソは言っていないことは確かだ。話し方も終始一貫しているし、最初からすべて本音で話してもらえているのかもしれない……と交渉がいい方向に進んでいると考えていたテアだが、続く言葉に込められた殺気には背筋が凍る思いをさせられた。


『必ず殺す。ユージェだろうと、皇国の中央部だろうと、どこに逃れようとも必ず見つけ出して討つ。そのことだけはお忘れなきよう。』


(これがあの子の言っていた、清流が奔流になる瞬間というものなのね。でも今の発言でユージェの手が回っていないと確信が持てた。あとはこちらに対しての信用を得なければ……)


「わたくしはユージェに帰るつもりはございません。少なくとも、望みを果たすまでは。ですから、その点についてはご安心いただいて大丈夫だと断言できますわ。」


 あとは信用を得て、叛乱軍への参加を要請すれば交渉は大成功なのだが、テアはそう急がなくてもいいかもしれないと考えていた。とりあえず最大の懸念だったフレッドの立ち位置は確認できたからだ。残る諸問題のうち、早めに知っておきたいことといえば「民衆のために起つ気があるか」ということだが、いきなり「叛乱軍に加わってほしい」と持ち掛けるわけにもいかない。テアとしても悩みどころであった。


「しかしユージェがどう変わったかは、わたくしも興味があるところではございます。戦いの日々が終わり、民の多くは平和を享受しているのだと思いますが……」


 フレッドはただ一言『統一ですべての者が幸せになれたわけではないけどね。』と、普段と変わらぬ調子で答える。その「すべての者」の中に、彼自身や両親も含まれているというのかしら……と考えつつ、別の言葉を繋げる。


「でも、戦いが続く世の中よりは幸せになれる者が多いはずですわ。為政者がより多くの者の幸せを考えて決断できた。それはとても立派なことと存じます。」


 テアは心底そう思う。この地では戦乱があるわけでもないのに飢餓や貧困に喘ぐものが絶えず、その一方で為政者が己の私腹を肥やすために日々の悪行三昧。同じ為政者に、どうしてここまでの違いがあるのだろうというのは日頃から考え、そして未だに答えが出せていない。それゆえ、叛乱という道を選ぶしかないのだ。


『私が立派……か。ユージェでもよくそう言われたものですが、本当にそう思われますか。私が立派な男だと?』


 それまでは微妙に話をずらす感じの答えばかりで、直接的な問いかけが返ってこなかったが、この話し合いが始まってから初めてフレッドのほうから問いかけが出た。うかつな返答は避けなければならないと考えたテアは無難であろう答えを選んだ。


「あなたが己の欲望のために生きる人なら、ユージェを出ていく必要はなかったはず。すべてを捨てたとしてもそれが最善の手段ならば躊躇しない……というのは誰にでもできることではありません。」


 立派かどうか、という問いにこの答えはやや的外れであった。しかしこんな質問が出るということは、察するに自身のことを周囲ほどに評価はしていないのだろう。ゆえに「立派です」と答えるのはおそらく間違いで、だからといって「立派なんかじゃありません」と面と向かって言うのも憚られる。テアとしてはこのあたりが落としどころであったのだ。その答えが気に入ったのか、フレッドは少し笑ったように見えたが、続く言葉は予想外のものだった。


『私は、ユージェ王国もその民も……他国も何もかもがどうでもよかったんですよ。私には幼い日から抱いた夢がありました。ハイディンの家を継ぐにふさわしい兄さんをお支えし、その後を継ぐであろう甥や姪にものを教え、いずれ逝く両親を見送り、そして兄さんと弔いの盃を交わしながら「お互い歳を食ったな」と笑い合う。そんな、ハイディンのご先祖様が繰り返してきた生き方ができれば、それでよかった。』


 統一の立役者と呼ばれた男からの、思わぬ心情吐露にテアも言葉を失う。彼女だけではなく、クロトという男の話を聞いたことがある者すべてが、統一を成すという志を持っていたからこそ偉業を成し遂げ得たのだろうと考えていたからだ。


『しかしその夢も、ある日に打ち砕かれた。兄は討たれ、両親は落胆し後を追うのではないかと思えるほどに憔悴しきった。そこから這い上がるには、より大きな目標を作り目を背けるしかなかった。ゆえに私は、ここ20周期ほど停滞していたユージェの南西部制覇という目標に邁進したんです。』


 テアにとっても辛い記憶の一端となる事件の話が出てきたが、フレッドは夢を打ち砕いた者の姉に対して恨みや憎しみを向けてはいない。しかしどう声を掛けていいかは分からず、黙っているしかなかった。


『貴方は先ほど、温情でウルス氏族が許されたと言いました。でも、そんなのじゃあないんです。前当主を討ったウルス氏族すら許されたという事実を鑑みて、降伏する勢力も出てくるだろうと考えたからです。そして実際、そうなりました。小勢力はこぞってユージェの支配下に入り、大勢力も数度の交戦で不利になれば即座に交渉を持ち掛けてきました。私はウルス氏族も、兄の死もすべて利用したにすぎません。』


 この人が新当主になったのは16周期を迎え、成人になってから間もなくだったと聞く。そんな年頃にこの戦略眼、いったいどういうことなのかと戦慄を覚えるテア。だが、さすがに驚いてばかりもいられない。考えをまとめる時間を稼ぐために、自分からその後の展開を述べた。


「そしてあなたはその目標を達成されました。南西部は統一連合として新たな道を歩み始めたのです。そこに何の問題があって、あなたはユージェを去らなければならなかったのですか?」


 先ほどは聞くのを躊躇われたが、自身のことを話し始めた今なら答えてくれるかもしれない。そう考え、テアは思い切ってユージェを去ったいきさつを聞いてみた。もはや隠す必要もないのだろう、フレッドはさらに話を続ける。


『統一が成された国で私が見たのは、既得権益を守ろうとするかつての権力者と、連合設立を機に成り上がろうとする者たちの激しい対立でした。誰も彼もが自分のことだけを考え、どんな手を使ってでも他者を蹴落とそうとする。その時になって、私は初めて気が付いたんです。先人たちは統一できなかったんじゃない。こうなることを見越し、あえて統一しなかったんだってね。』


 長らくユージェを離れているテアには衝撃的な話であった。戦乱が終わり、統一連合ができれば幸せになる者が増えるだろう。短絡的にそう考えてしまったが、人の世はそれほど甘くない。直接的な戦いがなくなっても、利益というものが存在する限り間接的な戦いが起こるのだ。


『でも皇国が辺境州まで栄えれば、いずれ南西部にも押し寄せてくるのは自明の理です。そうなったとき、南西部も一つになっていなければ対抗できるはずもない。だから私は、連合を一つにするため手を打ちました。武門も豪族も関係なく、統一連合に住まう者すべてが同じ民であるとし、手始めに我がハイディンを潰して範としたんです。民衆は拍手喝采でしたよ。既得権者には命を狙われるようになりましたが。』


 きっかけは悲しみから目を背けるためだったとしても、この人は自分で掲げた統一という目標を達成した。それは完全に納得できる結果をもたらすものではなかったが、それでもより良い未来のためにとすべてを投げ打ったのだ。しかし悲しみから目を背けるための目標が達成されてしまったのなら、その後は……?


『ユージェは私を無責任な、裏切者にして放蕩者と記すでしょうね。そしてその評価が覆るとしたら、皇国と戦争が起こりどんな形であれユージェが残れたときでしょうか。あの男の言った通り、一致団結したからこそ残れた……とね。まあ皇国との戦争なんてものは起こらないのが最善なので、評価が変わるより無責任な流れ者のままでいいんです。できれば永遠に。』


 この人は手にあった地位や名誉、財産を手放しただけではない。自身の未来の評価までも差し出して、それでもユージェの未来を想っている。命の危険があるからと落ち延びることを勧められ、結果的にはそれを受け入れ国を出た自分とは比べるべくもない高潔さだ。しかし、このまま彼を無責任な流れ者のままで終わらせるわけにはいかない。それでは誰も救われないのだ。彼自身も、周囲の人間も。


「あなたもご存知のように、この地の領主は人の上に立つべき資質を備えておりません。皇国はユージェと違い戦乱の世というわけではないのに、飢餓や貧困に喘ぐ者たちが後を絶たないのです。わたくしは国を出て皇国に流れ着いた際、始めは平和な国だと思いました。しかし、現実はそうではなかったのです。」


 次は自分のことを知ってもらおうと、テアは自身の想いを話し始める。このことを打ち明けるのはパーティメンバーでも古参のブルートとマレッドくらいだが、相手が本心を語ってくれた以上はそれに応えるべきと思ったのだ。


「わたくしも、すぐにユージェへ帰ろうと考えておりました。こちらではエノーレや亜人種の扱いはよろしくないですし。でもこの地で様々なものを見、そして考えた結果、残ることを決めました。かつて困難から逃れたわたくしが、今度も見て見ぬふりをして逃れたら……もう逃げ続ける生き方しかできなくなるのではないかと感じたからです。」


 人間である自分と両親は、この地に流れてきても差別的な扱いはされなかった。もし亜人種であっても、ヘルダ村の人々なら受け入れてくれたかもしれないが、それはごく稀な話なのだ。自分には理解のできぬ苦労もあったのだろう。でなければ、普段からあんな目深にフードを被り顔を隠す必要もないのだから。フレッドがそう考えている間にも、テアの話は続く。


「わたくしがティルアリアとしてユージェに戻る日が来るとしたら、それはこの地の人々を救ってからです。わたくしはこの地に来て新たな望みを見つけました。あなたには、そのようなものはありませんか?」


 新たな目標を探し出し、願わくば永遠の流れ者から脱却してほしい。味方にできれば申し分がない有為な存在ということではなく、こうまで誰かの、何かのために傷ついた若者がただ腐っていくのを見たくはなかった。それゆえにお節介と分かっていても、テアは問わずにはいられなかったのだ。


『今の私にあるのは夢の欠片だけ。幼き日から見続けた夢の、今も残る唯一の部分。私は両親が生を全うしてくれたら、もうそれだけでいいんです。』


 ではその両親を見送ったらどうなさるのですか……という思いはあったが、それを口にはできなかった。それにどういう返答があるかの予想もできた。おそらく彼は「次は一人で、どこかに流れていきますよ」と答えるのだろう。テアはこれ以上に踏み込むことは避け、今回はここまでにしておこうと考えた。


『私の盃は砕け、ひび割れ……いくら酒を注いでも、けっして満たされることはないガラクタ。そしてそのガラクタから産まれた傀儡人形がここにある。そうお考えいただければ。』


 自分はもう夢を抱くこともない人形のような男だ、というあまりに悲しい独白だった。だがそれだけに、テアの決意もより強固になる。かつてユージェにいた者の一人として、ユージェの発展と幸せを誰よりも強く願ったこの人を、必ずや救うと。


 こうしてこの夜に行われた二人の会談は終わり、お互いは見張りを続ける。だが実は話を聞いていた者がいた。寒い夜に見張りに立つフレッドを気遣い、差し入れにと少量の酒を持ってきたリリアンである。彼女は二人が何やら話し始めた場面を目撃し、とっさに身を隠し聞き耳を立ててしまう。もしや恋愛話になっていたりしないだろうかとの心配があったためだが、内容は想像を超えて重いものであった。それゆえすべてを理解できなかったが、ある一点だけがどうしても心に引っかかる。


(先生の夢の話……もうすべてが叶うことのない夢の、せめて一部でも叶えようというのよね。でも新しい夢を見ることが、そんなに罪なことなの?自分の心まで壊して、人形になってしまっても、最初の夢にこだわらなければいけないの?)


 この夜に抱いたこの疑問が後に彼女や周囲の人間に大きな変化をもたらすきっかけになるとは、彼女自身も考えてはいなかった。いずれにせよ彼女は聞いた話を心の奥底にしまい、もとから真相を知る者以外には口外することはなかったため、フレッドの正体はまだしばらく露見しないで済むのである。

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