第4話 流れ者の旅立ち
13・夫妻の苦悩
「あの子は……悩んでいるようですわね。私たちはあの子の重荷になってはいないでしょうか。それが心配で。」
食事が終わり、ハゼルとフォーディは寝室に移り就寝の準備をしていたが、二人きりになったこともありフォーディが話し始める。ハゼルとフレッドはユージェからの訪問者が現れたことをフォーディに隠していたが、何か悩んでいることはあっさり見抜かれていた。
「もしワシらだけユージェに残れば、必ずクロト=ハイディンを利用するための道具にされておったろう。あの子は自分が虚像の英雄だったことを十分に理解していた。そして、それをとことん利用しようとする輩が多いことも。あの子がフレッド=アーヴィンとして生きるためには、ワシらも共に行くしかなかったのだ。それを重荷と考える子ではないよ。」
寝床に寝そべりながら、ハゼルは妻の質問に答える。彼自身も、息子からユージェを出るとの決意を聞いたときは驚愕し、すぐには返答もできなかった。しかし何度か議論するうち、息子の意見を是としたのだった。
「ワシは、あの子たちを武人として育てた。いや、今となっては育ててしまった……になるか。あの時ユージェはいまだ戦乱の中にあり、力なきものはただ敗れ去るのみの世の中で、あの子たちが己の力のなさを嘆きながら不幸になっていく姿を見たくはなかった。ゆえに武人としての道を歩ませたのに、戦いが終わるのが早すぎたのだ。ああなると分かっていたなら、特にクロトは武人になどさせなかったものを。」
ハゼル=アーヴィン……旧名クラッサス=ハイディンはユージェが大陸南西部を統一する前、統一連合ではないユージェ王国だった頃から活躍した宿将だった。彼だけでなく、ハイディンの家はユージェ王国建国時から武の頭領として国を支えたが、統一連合の設立を機に軍改革を断行したクロト=ハイディンの代で家は断絶している。
「クロヴィスを失い、途方に暮れていたワシらを励ますためクロトはあえて虚像になることを選んだ。だがその虚像は見る側が虚像と思っていただけで、珠玉の出来の実像だったのだ。皮肉なことにあの子は、あの子自身の才によって自分が最も輝ける道を閉ざしてしまった。ワシはいい。ワシはもう十分に戦った。だがあの子は……。」
今でもはっきり覚えている光景がある。クロトより7周期上の兄クロヴィスが、降伏の意思を示した相手の要請で停戦交渉に出向き、会談場所であるウルスの森で騙し討ちに遭い敵将と刺し違える形で討死した。その報を受けた際、失意に沈む両親を前にクロトはこう言った。
『僕が兄さんに代わってハイディンの家を継ぎます。そして戦いはさっさと終わらせて、こんな悲しみが繰り返されない世にします。』
将来を嘱望された名うての武人たるクロヴィスを失った両親にとって、クロトは最後の希望だった。それゆえに、悲しみから逃れるため縋ってしまった。齢16周期を迎え形式的には成人となったものの、まだ若く様々な可能性があった子の未来を限定してしまったのだ。そしてクロトは約束通り戦いを終わらせ、ユージェは統一連合としてかつての競合相手をも取り込む大国として新たな歴史を始める。しかし統一連合の歴史にハイディンの名が刻まれることはなかった。
『私がいると、色々うまくいかないようなんです。権力目当てで利用しようとする者、妬みなどから排除しようとする者、かつての仇と歩む気はないと敵意を向ける者……敵役としてあえて残り憎しみを一身に引き受けるのが真の愛国者なのかもしれませんが、さすがにそこまで図太くはないので国を去ろうと考えています。命を狙われるのはもう嫌ですし。』
クロトの物言いは間違いなく図太いもので、とても深刻な話には聞こえなかった。しかし事あるごとに命を狙われたり、当事者の意思は無視した縁談の申し込みを断っただけで悪評を広められるなど、クロトには非常に生きにくい場所となっていたことは両親も悩んでいた。ゆえに地位も名誉も財もすべてを捨て、一家で国を出る決断をしたのだった。
「クロトはいつも自分を犠牲にしてきた。あの子は自分で決めたことをやっているだけと言うが、そう決める道しか示さなかったのは周囲の大人なのだ。ワシらはあの子が余計な心配をしないで済むよう、あの子の近くで楽しく生きよう。そしていつか、あの子が真に自分で決めた道に進むところを見届けようではないか。」
14・引き継いだ光輝
「しかしのう。我らは斥候のような野外活動は専門でなかろう。冒険者というのは、ちと不向きというか……畑違いではないか?」
昨晩は「あの子の決めた道を見届ける」と話していたハゼルだが、フレッドに「冒険者家業をやりつつ皇国の内情を探りたい」と持ち掛けられた際はさすがに渋った。何しろ合戦中に野営することはあっても一人ということはなく、武門の頭領という立場から一人旅など許されたこともないため、単独行動もあり得る冒険者というのは心配だったのだ。
『私もこの1周期ほどここで暮らし、ずいぶん普通の生活に触れました。それに情報収集が目的ですから、主に街を行き来する隊商の護衛なんかを受けようと考えています。これなら一人ではないですし、いざというときは戦技も活かせて言うことなしじゃないですか。』
戦技ではまだ勝っているとの自負があるハザルも、弁舌では不利を認めざるを得なかった。結局フレッドを論破できず、意思を尊重するよりほかなくなってしまう。
「ところで、長槍で旅をするというのは不便であろう。冒険者ともなれば森や洞窟、屋内などで戦うこともあろうしな。それとも弓を使うか?」
フレッドが最も得意にしている得物は長槍だが、これはハザルが指摘した通り主に戦場で使うものだった。それ以外では騎乗戦技で使う小ぶりの短弓も扱いには長けているが、徒歩で弓を扱う場合はより威力を増した合成弓や長弓を使うのが基本とされており、短弓は小動物などを狩る際のものというのが一般的である。つまり、扱いに長けた得物に関してはまったく冒険者向きではなかったのだ。
『弓は、戦場のように遠くの対象を狙うことばかりでもないでしょうから大丈夫だと思いますが、長槍は確かに不向きですね。ただ、持ち手を自由に変えられる長柄の武器でないと槍戦技の応用が利きませんし、この槍を少し切り詰めますか……』
「まったく、そんなことで大丈夫かのう……」と愚痴をこぼしながら寝室に入ったハゼルが、しばらくして戻ってきた際にはその手に一本の短槍が握られていた。
「お前もこれには見覚えあろう?クロヴィスが愛用していた剛短槍のうちの一振り[龍ノ煌キ]じゃ。こいつを持っていくがよかろう。クロヴィスは片手で扱っておったが、お前なら両手でちょうどいい塩梅だろうて。」
通常の短槍に比べ太く、耐久性にも優れた魔導合成金属製のその槍は、かつて兄が愛用していた品である。幼いクロトは7周期上の兄が光り輝くこの槍を手に出陣し、戦功を挙げて帰ってくるのを幾度も目にして、その雄姿に憧れたものであった。片手で扱うには重すぎるその槍を兄は片手で軽々と扱い、投げれば百発百中という腕前だった。そんな前所有者と比べ、自分が扱うのはあまりに烏滸がましいと感じたフレッドは受け取りを拒否するが、ハゼルは意に介さない。
「いまこの槍には主がおらんのだ。それにもし、クロヴィスがこの場にいたら必ずやお前に同行すると申し出ただろう。代わりにこいつを連れて行ってくれぬか?」
槍を受け取ってみて、フレッドは改めてその重さに驚く。しかしそれ以上に、手入れが行き届き万全の状態にあることに驚いた。兄が亡くなってかれこれ5周期も近くなり、その間には流浪の時期もあったというのに、槍の輝きは昔の記憶にあるものと遜色がない。両親の、この槍に対する想いが十分すぎるほどに伝わってくるというものだった。
『では謹んで、兄さんをお借りします。道が定まりましたその暁には、必ずこの手でお返しすることをここに宣誓いたします。』
逸品を手にし心躍る思いはもちろんあったが、それ以上に両親の心遣いに胸が熱くなるフレッドだった。もっとも、後に振り返ってみれば、この時の宣誓は完全には守られなかったのだが。
15・旅立ちの日
隊商護衛の募集はすぐに見つかった。今は休眠期で、この時期は畑仕事がない農夫の一部が「出稼ぎ」で収入を得ようとするため、他の期間より隊商や旅人が襲われる可能性が上がるのがその理由だ。さらに今周期の税は新周期の開墾期終了までに州都へ納める必要があり、農作業が本格化する前に済ませるのが慣例というのも理由の一端である。出稼ぎする側として納税者代表の有力者は絶好の狙い目で、出稼ぎされる側としては時期をずらしたくても時間がないため危険は承知でこの時期に済ませる必要があった。そこで頼りにされるのが、腕の立つ護衛というわけだ。
「先生が護衛に名乗り出るとは、予想もしませんでしたぜ。賊に襲われる可能性はありますが、本当によろしいんで?」
ヘルダ村の納税者代表は、村一番の富豪バスティン=ゴルドーだった。財を成した者なら、村に残した財産を捨ててまでして納税金を持ち逃げする可能性はないという理由からの、皇国では一般的とされる人選である。バスティン以外には納める税金を積んだ荷車1輌とそれを引く走竜2頭、さらに使用人が2人、そしてリリアン=ゴルドーがフレッドの腕に託された護衛対象であった。
『もう少し大規模になるかと考えていましたが、荷車1輌なら目も届きやすくていいですね。これで、州都ザイラスまで5日ほどでしたか?』
フレッドは自身が駆る騎竜の鞍を確認しながら、バスティンに行程を確認する。今回は街道沿いを移動するだけの仕事であるため、フレッドも竜に乗っての行動となる。ユージェにいた頃はよく乗っていたものの、村に移住してからここ1周期はあまり乗ることもなかったが、少しの試乗ですぐに勘を取り戻していた。
「予定としてはその通りでさぁ。ただ、明日の晩には街道の宿場街に入り、他の村の有力者と合流いたしやす。そこから州都まではやや治安が悪いもんで、徒党を組み皆で乗り切ろうって訳ですわ。近場は顔見知りも多いぃんで襲われることはねぇと思いますが、合流後は十分にお気を付け下せえ。」
なるほど、問題は村から離れこちらに遠慮の必要もない出稼ぎが増える遠方か。しかし危険があるなら、なぜ令嬢を連れて行くのだろうかと思い、フレッドはその疑問をぶつけてみた。
「あの子も来周期は15になりやす。州都に出て、いろいろと知っておいてもらわなきゃいけないと思いましてねぇ。危険は承知なんですが、こんな時じゃないと村から出る必要もないもんで……つい億劫になっちまうんでさぁ。」
確かにこの村は居心地がいいですからね、と返しつつフレッドは準備を進める。鞍の右側には穂先を包んだ短槍を差し、左側には短弓を掛け止紐で縛る。矢筒は背中側の腰に止め、短剣は正面側の腰に下げてあるのも確認する。武装面の準備はこれで整ったので、準備完了の旨をバスティンに伝えた。
「それでは先生、出発するといたしやしょう。道中、よろしくお願ぇしますわ。」
こうして、フレッドの新たな道を探す旅が始まる。周囲の大人に進むべき道を限定され続けた青年が初めて、数多の選択肢の中から選んだ些細な一歩だった。しかしこれが、彼はもちろんその他多くの人々、そして国家の運命をも左右する道につながろうとは当人も含め、誰一人として考えてはいなかったのである。
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