第3話 ヘルダ村での暮らし
9・ヘルダ村の看板名物娘
片づけを終えた子らを送り出したフレッドは、本日の講義が終了したこととまき小屋を開放してくれた礼を述べるため、この家の息女であるリリアンと一緒に母屋たる[酔いどれ羊亭]に向かう。しかし母屋裏手の出入り口は酒場側の入り口としても使われており、夕食に向けた仕込みで使用人が慌ただしく行き来していたため、母屋表側の宿屋入り口に回ることにする。母屋自体が巨大なため移動には意外な時間を取られることになったが、移動中も時間を持て余すことはなかった。リリアンが積極的に話しかけてきていたからである。
「先生はなんでもご存知で、何でもできるんですね。バカなわたしなんかとは大違いで、尊敬します!」
リリアン=ゴルドーは今年で生誕14周期。赤みがかった長いくせっ毛の髪が印象的な、生徒たちの中では最年長となる女の子だ。普段は宿屋の手伝いや、忙しい時は酒場の給仕も手伝う子で、人と触れ合う経験が多かったからか人怖じしない活発な性格だった。フレッド一家が初めてヘルダ村にやってきた際、最初に声をかけてきたのも彼女であった。
『私は学ぶ機会に恵まれたから、そのぶん知識があるだけだよ。だから学んでいないことは分からないし、興味のないことは学ぼうとも思わないから分からないままさ。学ぶこともなく何かを知り尽くしているとしたら、きっとそれが神ってやつなんだろうね。でも、私はやっぱり人だよ。現に、ここへ来て1周期ほどにもなるのに、いまだこの村の名物料理……なんて名前だったかな。なんとか鳥のほにゃらら風ヘルダうんちゃら?、の正式名も作り方も分からない。』
あまりに適当すぎる料理の名前を出され、くすくすと笑いを堪え切れない様子のリリアンは、とても可愛らしいと思える。もっとも、あくまで教え子として、年の離れた子を見る視点での話ではあるが、このまま育ったなら将来はおそらく美人になるだろう。ただ、家がヘルダ村一の豪商ということもあり、村に住む同世代の男子はなかなか言い寄る覚悟は決まらないようだった。
「お客様、ご注文の品はザイール火鳥のラスタリアセージ風ヘルダスクァーレソース添え……でよろしいでしょうか?」
リリアンは笑いを堪えながら、適当すぎたフレッドの料理名を訂正する。「それだ。そう言おうとしていたんだよ」などと返しつつも、フレッドは考えずにはいられない。先ほど彼女は自分自身のことを「バカなわたし」と言った。しかしそれは違う。学んでもいないことを知らないのと、愚鈍や愚者という意味で使われるバカ者とはまったく別なのだ。この違いを知っておいてもらわなければ、いずれ大きな不幸を呼びかねない。「私はバカだから仕方がない」という思考停止や現実逃避に走るのは、それこそ最大級の愚かな行為なのだから。
『リリアンはたくさんある料理の名前をすべて覚え、客に料理の概要を求められたらしっかり説明し、連続で注文を受けても間違わずに料理人へ伝えられるんだったね。私はそんなことができる人のことをバカとは言わないと思うなあ。』
それゆえにヘルダ村の看板娘のように扱われている彼女だが、ここでそれを褒められると思ってはいなかったのか、リリアンは顔を赤らめながら「毎日のことですし、慣れですし……」などと消え入りそうな声で囁いている。
『でも、仮にみんながリリアンと同じような生活をしたとして、みんなが同じことをできるかな?例えばリリアンとも仲良しの、あのあがり症のマルートがリリアンと同じように接客できるとは思えないけど、リリアンにとってはできて当然のことができないであろうマルートのことをバカだと思うかい?』
親友を侮辱されたと感じたのだろう。ものすごい剣幕で直前の話を否定されたものの、フレッドはさらに話を続ける。これは最後まで聞いてもらわなければならない筋のものだったからだ。
『リリアンが自分と同じことをできないかもしれないマルートをバカとは思わないのと同じで、私も私と同じことが「今は」できないであろうみんなのことをバカだと思ったりはしない。だからリリアンも、私に比べできないことが多い自分のことをバカだと卑下するのは止めてほしいかな。他人と比べて自身を卑下したところで、なんにもならないのだからね。』
(それに実際、この子は私が14周期の頃にやっていたことを思えばよっぽどまともだ。あの頃の私と言えば、対峙した敵を討つための戦技を鍛え、敵を騙し、欺き、陥れて効率よく数を減らすための知識を蓄え、生産的なものといえば政治や経済の話くらいのものだった。しかもそれすら、戦争を続けるために必要不可避な要素として学んだ。そして救いようのないことに、私はそれらを学ぶことが楽しくて仕方がなかった。2周期後に訪れる成人の儀を終え、戦場に立ち国のために敵と戦うことを心待ちにしていたのだ。そんな殺戮のために生きてきたような男が、今では偉そうに教えを説いているというわけだ。まったく、世の中というのは不条理に満ちているな……)
「先生のお話、その全部が分かったわけではないですけど……できないことがあることを恥ずかしいとは、思わないようにするところからやってみますね!」
『そうだね。そうできたら、君はもっと魅力的な女性になれるんじゃないかな。やっぱり前向きに生きている人のほうが、生気というか……活力みたいな、外見の良し悪しなどとは別の魅力があるからね。』
フレッドは、強く意識していないと本音を隠さずに話してしまうタイプである。この場合も単純に「今より前向きに生き生きとしていたらもっと魅力的だ」と本音を漏らしたに過ぎないが、成人が近づきつつある女の子にかける声としてはあまり適切ではなかっただろう。リリアンは顔を真っ赤にし、うつむいて黙ってしまう。ただ、気まずい時間は長くは続かなかった。程なく宿屋側の入り口に到着したからだ。
10・豪商バスティン=ゴルドー
[酔いどれ羊亭]は表側入り口を入ると宿屋の受付と待合所があり、その奥が食堂を兼ねた酒場と調理場がある。宿屋部分は2階と3階という、村一番の建物となっていた。ゴルドー家は裏手のまき小屋の隣に、一家3人と使用人で住むには余るほどの家を持ってはいたが、冒険者などの旅人が多く宿泊しない限りは3階部分までもが客で埋まることはないため、空いた部屋に泊まってしまうこともしばしばだった。
『バスティンさん、まき小屋を開放していただきありがとうございました。本日の講義は終わりましたので、ご報告に参りました次第です。』
「おう先生、おつかれさんでした。うちのを含めて村の子たちはどうでしょうかね。ちゃんと話を聞いていましたか?田舎なもんで、せわしないのが多くってねぇ。」
『みんな真面目でいい子たちでしたよ。私が教えられることなんてすぐになくなるでしょうから専門の教師を招聘し、本格的に学びを考えられてはいかがでしょうか。』
「そうでさぁなぁ。近頃じゃユージェも一つの国になり、いずれ戦争になるなんて話もありますが、ワシら庶民にとっちゃあ交易なんかで儲ける絶好の機会ですから、騙されねぇくらいの知恵は着けとかなきゃってもんですし。」
フレッドはユージェという名が出て、さらにそれが敵として扱われていることを聞き、改めて自身が異邦の地へ流れてきたのだと痛感したが、さすがにそれを顔に出すことはなかった。両親も待っていることだろうし、そろそろ家に帰ると告げると、バスティンが声をかけてくる。
「そういや先生、今日はちょうどザイール火鳥のいいのが入ったんでさぁ。よかったら一羽、持っていきますかい?」
その名を聞いて思わず先ほどの話を思い出し、フレッドは笑ってしまう。まだ宿の手伝いをする時間ではないため近くにいたリリアンもそうなのだろう、やはり笑い出した。怪訝そうな顔をするバスティンに対し、フレッドは断りの言葉を口にする。
『私の家にはその鳥をラスタリアセージ風味のヘルダスクァーレソースで味付けできるものはいませんから、いずれ一家でこちらにお伺いしますよ。』
「お、先生も分かってるねぇ~」と言いつつ、バスティンも笑い出す。だが彼と自分たちとでは笑う理由は別なのだが、それをいちいち説明する必要もない。これ以上の大笑いで醜態をさらす前に、フレッドは[酔いどれ羊亭]を退散した。
11・ハイディン家の人々
家路を急ぐフレッドは、空気が湿気を増していくのを感じた。この感じでは夜あたりに雨となるのだろう。両親は移住してこの地に落ち着いてからは、畑仕事をするようになっている。今は休眠期ただ中のためフレッドが手伝うような作業もなく、子供らに講義をする時間なども容易に捻出できるが、農作業が本格的になる開墾期になればそうもいかなくなる。先ほど、バスティンに専門の教師を招聘すべきと進言したのはそれも理由の一つであった。
『父さん、母さん。ただいま戻りました。いきなりですが、外の空気から察するに今夜あたり雨になりそうですので、乾いた木を割っておきたいと思います。結構な数がありますから、父さんにもお手伝いいただいてよろしいでしょうか?』
「そうか。では夕食前に体を動かして、より美味しく母さんの料理をいただくとするかね。鍛錬も兼ね、一気に片付けてしまおうかの。」
そう言いながら腰を上げたのはハゼル=アーヴィン。齢47周期となったフレッドの父で、フレッドと同じく銀髪黄眼だが、体格は息子に勝っている。ユージェにいたころはクラッサス=ハイディンと名乗っており、かつては多いに名を挙げ[ユージェの闘神][無弓の射手]などと呼ばれた彼も、今では「やたら体格のいいおじさん農夫」扱いされている。彼の年齢を聞いた大半の者は、まずそれを信じない。それくらいには、いまだに力がみなぎっていた。
「ではまき割が終わりましたらすぐに夕食としましょうか。今日はザイール火鳥のいいのがあったから、それを焼きますね。」
奥の台所から、フレッドの母であるフォーディ=アーヴィンの声が聞こえる。夫より5周期ほど若く年齢相応の外見だが、シロエ=ハイディンとしてユージェにいたころは貴婦人的な生活をしていたためか、所帯じみたところは一切感じさせない。そんな彼女もこの1周期は自分で家事をするようになり、料理も作るようになった。もっとも当初は色々と問題も多く、それゆえにフレッドもハゼルもすっかり料理というものに関心を持たなくなっていたのだが、ここのところの彼女はコツをつかんだようで、腕を上達させている。
またその名が出るか。もしやザイール火鳥は乱獲でもされているのでは……と一瞬だけ考えもしたが、フレッドは気を取り直し槍を手にする。父が「鍛錬も兼ねて」といった以上、気が抜けないまき割になることは必至なのだ。
12・ユージェの剛き武人たち
二人はまき置き場にやってくると、すぐに作業を始める。ここは村はずれで、しかも夕暮れが迫っているため人通りもなかったが、もし誰かが見ていたらさぞ驚いたことだろう。父が絶え間なく連続で投げつけた木を、息子が槍で両断し続けるという常識とはかけ離れたまき割を行っていたのだから。
「相変わらずの集中力じゃな。武人たるもの、世に事はなしといっても気を緩めてはいかんからのう。」
『父さんこそ、見事なまでに狙いを外しませんね。おそらく私たちは、大道芸人としても生きていけそうです。』
フレッドが昼間に見せたナタでの一閃は、あくまで朽ちかけたナタを使った一回限りのもの。刃物として、あるいは武器としていまだ健在の装備品であればまき程度を両断することなど造作もない。あの時、あえて朽ちかけたものを使ったのは子供たちへの印象を強めるためもあったが、この動きは武器の耐久性に少なくない負担があるため、貴重な魔道具たる[永遠継続の閃光]はもちろん、他人の家にある廃棄物同然のもの以外で使うのは躊躇われるのだった。
「しかし、わざわざご指名があったのだ。まさかまきを割ることだけが目的ではないのじゃろう?」
『はい。実は昼に懇願者が現れました。どうやらもう割れてしまったようです。』
この二人の間では、懇願者は友好的な、陳情者は敵対的な人物の暗喩として使われている。辺境とはいえ敵国勢力内であるからには、うかつにユージェからの訪問者などとは口にしないほうが身のためなのだ。
「そうか。まだ1周期ほどだというのに、ずいぶん早いのう。それでどうする。やはりここは出ていくべきか?」
『正直、迷っております。お二人ともここの暮らしは楽しそうですし、私もそうですから。しかし村にも迷惑はかけたくありません。どうしたものでしょうか……』
(どうやら息子は迷っているらしい。だが出ていくにせよ残るにせよ、どちらを選んだところで必ず何らかの問題は出てくるし、未来のことが分かる力でもない限りはここで確実な正解を選ぶことはできない。息子もそんなことくらいは分かっているはずであろうから、別にこの問いは答えを求めているわけではないのだろう。)
「ワシらはお前の……当主の決定に従うのみよ。家督を譲ったその時から、決めるのはお前の役目になったのだ。案ずることはない。今までお前が決めたことに取り返しがつかないほどの過ちがあったことなどないではないか。我らは現にこうして、楽しく暮らせておる。その過程はどうあれ……な。」
そう言いながら、ハゼルはまさかりを振り下ろし次々とまきを割っている。本来であれば両手で大上段に構え振り下ろす大型のものだが、まさかりは片手で、ナタを扱うように軽々と振り下ろされる。こと筋力という点に関しては、齢20を過ぎたばかりという現役最盛期のフレッドよりも父がはるかに勝っていたのだ。小気味よいテンポで量産されていくまきを眺めながら、フレッドは思案する。そしてハゼルが残り全てを割り終えた頃、ようやく答えをまとめた。
『これ以降に訪問者が現れなければ、あえてここより移動する必要はないですからね。もうしばらく様子を見ましょう。ただ、もしもに備え私はこの国のことをもう少し知っておきたいと思います。村外へ出ることも増えようかと思いますが、よろしいでしょうか?』
「お前はお前の思うように生きればよいのだ。そしてワシらはお前の生き様を見届ながら、先に逝く。一族というのはそういうものであろう?……さて、まき割も話もこれで終いじゃ。さっさと夕食にするぞ。動いたら腹が空いてきたわい。」
(そうだな。せめて自分だけは両親より先に死ぬことは許されない。兄さんの謀殺を防げなかったことへの、罪滅ぼしという意味でも両親を見送らなければならない。その障害になるというなら例え誰だろうと、それが祖国であっても許しはしない。どんなことをしても、必ずや安寧を掴んでみせる。)
フレッドは決意も新たに、その鋭さを増した眼光を空に向ければすでに夜の帳は落ち、同時に雨粒も落ちてきていた。L1024休眠期も80日が過ぎ、いよいよL1025周期も近づこうという晩であった。
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