後編 13

光差さぬ深海で、高層ビル程もありそうな巨艦がじっと身を潜めていた。推進器も動かさず、海流に巨体を任せ、唯々時が過ぎるのを待っていた。

二十一世紀以降、戦闘艦はこぞって隠密性を重視するようになった。次々と開発される強力な攻撃兵器から、艦体を守り得る装甲を施すことは現実的に不可能だった。それ故、超大国で運用される艦船の大半は可潜艦、もしくは半潜水艦となり、自由に水中へその身を隠すようになった。これは艦の大小に関わらず、駆逐艦は元より巡洋艦クラスですら、水中航行が可能な艦が急増している。

しかし潜航可能な航空母艦を建造した国家は、流石にごく限られている。その内の一国がアメリカ合衆国であり、そのご自慢の潜水空母こそ、このバラクであった。

バラクは原子力潜水艦であり、巨大な垂直発射式カプセルサイロを6基搭載している。いずれのサイロにも格納されているのは弾道ミサイルなどではなく、エフ52艦載機を内蔵した格納カプセルである。これが海中より発射されれば、たちまち高高度まで上昇し、設定した高度に達すると同時に中からエフ52が放出される仕組みである。作戦行動を終えたエフ52は敵に体当たりするか、バラクの後部甲板格納庫に着艦、収容される。

エフ52は艦載機と言えど、単機の性能だけで諸外国の制空戦闘機を凌駕する性能である。人工衛星と連携し全機が投入されれば、たった六機でも小国の空を完全に掌握できる。更に極端なステルス設計により、その存在を悟られることもない。

単艦の隠密性、世界中に及ぶ作戦行動範囲、最高の艦載機。バラクは合衆国の有する戦闘艦でも一、二を争う優秀な戦力だった。

ピンガー音が鳴る。絹を裂くような探知音が、仄暗い深海を一変させる。バラクが巨大な二つの噴射口から、真珠のような泡を零れさせる。

そしてその遥か上層の海面で、バラクに負けず劣らぬ巨大な戦闘艦が、無人機を利用し合衆国の威信を焙り出しつつあった。三門のレールガンを蠢かせる艦体には、平仮名で『ながと』の文字が書かれている。夕闇が覆いつつある空に、聳え立つ灰褐色の艦橋からは、東洋の威信を背負うという自負が漂ってくるかのようだった。

対潜哨戒ドローンが光通信を送ってくる。ながとは緩慢とも思える動作で移動を開始する。水爆にも耐える核シェルターの隔壁を、一撃で粉砕可能なレールガンが、一斉に左舷側へ回転した。

再びドローンが光信号を送ってくる。それを受信し、ながとは動きを止めた。やがて、レールガンが牙剥く左舷側の海面に、巨大な黒い影が浮かび上がってくる。

バラクだった。深海から急上昇してきた巨大潜水空母が、白波を蹴立てて浮上してきたのだ。艦首の排出口からバラストの海水を排出する姿は、前世紀の大海獣もかくやである。

 バラクとながとはそのまま同時に、同じ方向へ走り出した。レールガンの砲口は、バラクへ向けられたままだ。

 進路は一路、ボニン・ギガフロートこと小笠原浮島である。


 ※


 扉を開けると、鈴屋がいた。

 どこか清々しい顔で。

 「あいつは、どうした」

 「向こうにいる。追いかけては来ないし、通信機も奪ったから安心してくれ」

 それを聞いて青い顔になった遠藤に、鈴屋は悪戯っぽい笑顔を向けた。

 「大丈夫だ、ちゃんと生きているよ」

 「…そうか」

 遠藤は、ほっとした。ほんの少し前までの鈴屋の放つ冷たさと言ったら、気の弱い奴が近づいたらその場で卒倒しかねないものだったからだ。遠藤の背後から、アリスがにゅっと出てくる。きらきらした目を鈴屋に向けながら。

 「Mr.シュウから聞きました。何だかよく分からないけど、あの人は私に酷いことをしようとしていたの?」

 「ああ、女としては許せないことを」

 またしても、女侍の顔に酷薄さが浮かぶ。アリスが口を閉じ、即座に遠藤の後ろに隠れてしまった。

 「おいよせ、子供の前だぞ」

 「あ、ああ、すまない。悪かった、ウィルソン令嬢。もう怖いことは無い」

 一応は甘い声を出しているつもりなのだろうが、どうしても恐ろしさが拭えない鈴屋の声色。もっとも、これを上手く隠せる器用さがあったら、軍隊になぞ入ってはいなかったのだろうが。

 恐る恐る、アリスは老人から顔を出す。

 「さ、流石サムライね。とっても強そう」

 「有難う」

 おっかなびっくりだが、アリスが小さな手を鈴屋に差し出した。

「こちらこそ、ありがとう」

鈴屋は意味が分からなかった。遠藤に目をやる。この老人はこの行為の意味がきっと分かっているはずである。だが、遠藤は早くやれとばかりに目配せでこちらに何かを促すばかりだった。

 そう言われても、何をすれば良いのか、そもそも分からないのだ。鈴屋はとにかく、意味もなく指を突き出して、アリスの小さな掌を突っついてみる。

 「…こう、か?」

 「違う。そうか、握手を知らんのか。握って振ればいいんだ、その手を」

 「それが西洋の挨拶なのか?」

 とにかく、言われた通りにしてみた。するとアリスは遠藤の影から出てきて、両手で鈴屋の手を握った。

 手袋越しだが、日本人の子供と変わらない、小さくて柔らかい手だと鈴屋には感じた。

 「私は、アリス・リデル。貴女は?」

 「鈴屋奈々だ。よろしく頼む」

 名前を聞いて、ぷっと遠藤が吹き出した。

 「お前さん、名前、ナナっていうのか」

 「…そうだ、だからどうした」

 「いや、その、ガタイに比べて可愛い名前だなと思っちまって」

 口元を筋張った手で押さえてもごもご言っている老人を、鈴屋はうらめしく睨んだ。子供のころから言われ慣れてはいるが、流石に面と向かって言われると腹が立つものである。

 「失礼よ、Mr.シュウ。とっても素敵な名前だと思うわ、ナナさん!」

 「重ねて有難う、アリス嬢。そこの爺さんよりもよほど人間が出来ているな、貴女は」

 「何をう」

 反論しかけた遠藤だったが、未だに手を握り合っている二人を見て、固まった。

 「ところで、この握手はどこでやめればいいんだ」

 そう言われて、遠藤は再び吹き出した。あとからまたきっちり、アリスに叱られた。

 暫くしてから、三人は連れたって下層へ向かうことにした。アリスと合流できた以上、一刻も早く両親のもとへ送り届けなければならない。元々そのつもりだった鈴屋も快諾し、まずはエレベーターを探した。

 「作業用の昇降機がさっきの通路ににある。離れた場所ではないが、ゆっくり行こう」

 「構わん、急ごう。早いとこアリスを安心させてやらにゃならん」

 「そうはいかない、子供と老人が私の足に着いてこられるか。私が殿になるから、とにかくゆっくり行ってくれ」

 やはり老体の消耗を鈴屋は見抜いていた。何となく屈辱的ではあったが、言う通りにしてやることにした。そのお陰か、非常灯が点いた通路まで戻ってきた時点でも、まだ遠藤には考え事をする余裕があった。

 アリスを送り届けた後どうやって、鈴屋たちの親玉、つまりはこの叛乱の首謀者に会いに行くか。

 恐らく、アリスの両親のいる所、つまりは捕虜収容所にしてある場所へ着いてしまえば、遠藤もそこの住人にされてしまうのだろう。さっきはアリスの救出に協力してくれたが、この鈴屋が叛乱軍兵士であることに変わりはない。必ず、遠藤の行動を阻止しようとするだろう。だが、そうは行かない。

 こんな馬鹿げたことをしでかした奴、それから、そこにいるであろう神薙。言いたいことは山ほどある。この胸の中の靄を、ぶちまけてやらねば気が済まない。それでこの状況がどうにかなる訳でもないだろう。だが、このまま一民間人として、暴力にいいようにされるのは何とも鼻持ちならない。

 どうせ若い頃から、激しやすい気性なのだ。これで馬鹿な老人が一人くたばったとて、別段構うまい。

それに、何よりも。

遠藤は、アリスと歓談しながらついてくる鈴屋の、その軍服に目をやった。

 やはり自分には責任がある。

 あとはどうやって、鈴屋を撒くかだ。

 「聞いているか、遠藤さん」

 呼び止められて、遠藤は間抜けな声を出してしまった。思索に没頭しすぎて、鈴屋の声が全く耳に入っていなかった。

 「すまん、何だ」

 「まだ、あんたの言う親玉に会う気でいるのか」

 思わず、遠藤は口を閉ざしてしまった。自衛軍では読心術でも習うのだろうか。

 「ふうん、そうか」

 沈黙は雄弁とはよく言ったものである。返答を聞かずして、遠藤の思惑を察してしまったらしい鈴屋は、予想外の提案をした。

 「連れて行ってやろうか」

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