後編 7
「…曹長、しかし、時間がありません」
もう一人の歩兵が、初めて口を開いた。
やや小柄だが、上官よりも遥かに落ち着いた物腰である。ちらちらと、まだ半身を起こすことしか出来ない遠藤を気にしている。
「地下は掌握しました。下士官にも召集がかかっております。ここは曹長殿の手を煩わせることもありません」
大柄な上官はゆっくりと部下に向き直った。二人とも防毒面から、表情を窺い知ることは出来ない。そこから急に無言となって。
次の瞬間、拳で部下の頬を打ち据えた。
遠藤では反応しきれぬ素早さだった。
「それは、俺に対する進言か、鈴屋」
身じろぎ一つせず上官の暴力を真正面から受け止めた小柄な歩兵は、堂々と胸を張って返答した。
「いえ!申し訳ありませんでした!」
遠藤は、呆然とした。
何だこのやり取りは。なぜ今、こいつは部下を殴ったのだ。なぜ、この部下はそれを受け入れているのだ。
困惑をよそに、大柄な歩兵は鼻を鳴らす。
「まあいい、確かに貴様の言うことももっともだ。この爺の尋問は貴様に任せる。終わり次第報告しろ。後で、指令室まで来い」
「は!諒解致しました!」
快活に返事して、小柄な歩兵は頭を下げる。鎖国を始めてから軍内では欧米流のしきたりを廃して、帽子のつばに手をやる敬礼すら取りやめたと聞いた。こういうことかと遠藤は納得する。しかしこれではとことん時代劇だ。
足音高く、鼻持ちならない輩が出て行き、遠藤は改めて周囲を見回した。段々と暗闇に目が慣れて、部屋の全景が見えてくる。どうやらここは小さな機械室らしい。金属製のパイプが張り巡らされ、至る所に計器類が取り付けられている。上官が出て行ったことを確認して、残された小柄な歩兵はそっとドアを閉じた。部屋の薄暗さが増し、遠藤は身構える。とは言え、この状況で何ができるはずもない。歩兵が近づいてくる。足音はほとんどない。遠藤考案の軍用草履はいかんなくその静穏性を発揮しているらしい。
「少し、まぶしいぞ」
一言、軽やかな声がした。それが自分に向けられた言葉だと気が付く前に、機械室の照明がついた。
「いつまでも暗いままじゃ話もろくにできんからな。まだ、痛むか?」
スイッチを入れたのは歩兵だった。確か、鈴屋とか呼ばれていただろうか。こちらを気遣っているような素振りである。少なくとも、あの大柄な上官よりはまともな人間であるらしい。
「しかしあんたも大した人だ。普通この状況であんな言動取れないぞ」
親しげな物言い。遠藤は警戒心を強める。こういう手合いの方が、さっきまでの暴力馬鹿よりもよっぽど厄介であると、経験上いやというほど知っていた。
歩兵、鈴屋は遠藤の許まで歩み寄ると、小柄な身を屈めて目線を合わせてきた。
「それで、名前は?」
「…ツラも晒せん輩に名乗る名前は持たんよ、お嬢ちゃん」
憎々し気に言ってやると、鈴屋も又、首を傾げた。それから防毒面を固定するベルトに手を伸ばし、迷いなく留め具を外した。
「それもそうだ。失礼した」
声色から察してはいたが、防毒面の下から若い女性の顔が現れた。目つきは鋭いが、決して悪くない顔立ちだ。
「汗臭いのは我慢してくれ。陸上自衛軍教導団歩兵科所属、鈴屋と言う」
やっぱり、自衛軍の人間なのか。
ではやはりこの一連の出来事は、テロではなくクーデターなのか。
「…遠藤だ」
「遠藤さんか。私の性別が良く分かったな」
「そんなもの背格好ですぐに分かる。それよりあんたら、さっき尋問とか言っていたが、俺みたいな民間人から何を尋問する気だ」
鈴屋の目と、遠藤は正面から対峙する。
若々しい、穢れもろくに知らぬような真っ直ぐで透き通った眼である。こんな眼をした人間が軍服を着こんでいることに、うすら寒さすら感じる。
「嘘を言うな。民間人がこの浮島に、しかも超大国首脳を交えての会談の場にやってくる筈がない。何者だ、あんた」
「だから、民間人だよ。その外国のお偉いさんの集まりの中に昔馴染みがいたから、骨身に鞭打って会いに来たのさ。そしたらこのザマだ」
「ふうん、その恰好でもか」
鈴屋は遠藤の襟首を掴む。拳が飛んでくるかと遠藤は歯を食いしばった。
「こんな西洋の服を着ている人間が日本人でいるものか。女優や俳優も帯を締めている時代だぞ。不審に思われて仕様があるまい」
「これは、俺のポリシーだ」
あまりにもきっぱりとした物言いだった。
「ぽりし?」
鈴屋は鸚鵡返しをして、遠藤を放す。
「そうだ。お前たちがどうしたいかは知らんが、少なくとも俺の知っている日本はTPOさえ守れば誰がどんな服を着ようが自由にしていい国だ。だから、どう言われようと、俺は俺の好きな服を着るんだ」
遠藤は堂々と、あまりに堂々と言い放った。自分でも驚くほどの潔さであった。だが、この信条を曲げるわけにはいかなかった。年寄りの意地だと笑わば笑え。しかし、かつて涼子と共に並んで歩いたこの洋服を、今更脱ぐ気にはならなかった。
どうせ老い先短いのだ。
しかし、鈴屋の次なる問いかけは、全く予想外のものであった。
「すまない。ぽりし、とかてーぴーおーと言うのは、一体どういう意味なのだろうか」
遠藤は、驚くよりも呆れた。
鈴屋は真面目な表情であった。遠藤の放った横文字の意味が、本当に分かっていないのだ。
遠藤の世代は、少なくともまだ外国文化を受け入れていた時代を経験している。だが昨今の若年層、即ち国風復古の潮流が巻き起こって以降の世代は、身も心も日本独自の、或いは日本独自と思い込まされている文化しか知らないのだ。教科書の表記がアラビア数字から、漢数字に切り替えられた後の世代なのだ。
ポリシーやTPOと言った、かつてはちょっとしたことで使っていた外来語を知らなくても、無理はないのだ。
「…つまり、俺の、信条なんだ」
遠藤は、自分と鈴屋が本当に同じ国に暮らす人間なのか、不安に思い始めていた。
「信条、なるほど。そう言われれば理解できる。あんたたちの世代は、欧米文化にどっぷりだったと聞いているからな」
「まあ、だから、と言うわけでもないが」
「じゃあ、自由とやらの為か?あんたは活動家か何かなのか?」
「いいや、単なるデザイナー…」
言いかけて、その単語が通用しないと遠藤は気が付いた。
「服屋だ。正確に言えば、服の形とか柄とかを考えるのを生業にしている」
「ふうん。表現を仕事にする者には往々にして変わり者が多いと聞くが、その通りだな」
「俺からも聞いていいか」
鈴屋は「本当に命知らずだな」とばかりに肩をすくめた。それでも遠藤の質問を許すあたり、気は良い奴なのだろう。
「あんたが自衛軍なら、一体なんでこんなことを始めたんだ。鎖国に反対なのか」
「まあ、そうだ」
鈴屋は淡々としていた。自分が行っていることが、当たり前の任務であるといわんばかりの態度だった。
「鎖国は打ち払う。だがそれは過程に過ぎない。我々は、日本国の生存権を向こう百年確保したいだけだ」
「それなら、今のままでも足りるだろう」
現在の日本の経済状況、それから海底資源の埋蔵量を考えれば、百年以上は優に暮らしていける計算だったはずである。だからこそ神薙は鎖国政策を推し進めたのだ。
「いや、正確に言おう。我々は東洋文明を長期的に存続させたいんだ」
遠藤の皺面が、凍り付いた。
※
「東洋同盟?」
怪訝な顔をしているのは神薙だけではない。
歩兵に連行されて、有事対策室に雁首を揃えたウィルソン、ベアー、黄も、全員が次に言うべき言葉を失っていた。
黒の紋付き羽織袴、そして陣笠と軍配。赤穂浪士の討ち入りにしか見えない恰好をした長身の男は、穏やかな表情を浮かべていた。巨躯の重装歩兵らをずらりと並べ、列国の首脳を相手にしても物おじ一つしない。
「自衛軍水陸機動教導団所属、村上です」
教導団の名を聞いて、神薙には得心が行った。自衛軍における装備の試運転、或いは各部隊への教育係を任される組織、それが教導団である。その任務は広範囲に渡り、歩兵科、砲科、機甲科のみならず、航空、水陸機動部隊と陸海空の幅を超える。更に他部隊への教育係となるべく、集められるのは選りすぐりの精鋭ばかりだ。
彼らなら、これ程の作戦を神薙に悟られず遂行することも可能であろう。
「本日はご歴々の皆様に失礼をば働き、誠に申し訳ない。今のところ死傷者は出ていないようで、幸いであります」
その精鋭の急先鋒たる男の態度は、慇懃無礼を絵に描いたようであった。恭しく頭を垂れている筈なのに、何故か敬意の欠片も感じられらない所作と、仕草。神薙はこの村上とやらに嫌悪しか感じられなかった。
「君が、首謀者かね」
「その質問にはお答えし兼ねます首相閣下。しかし、この小笠原浮島における作戦行動の責任者であることは申し上げます」
「勿体ぶった言い方をずらずら並べるな。それで、さっき言っていた東洋同盟とかいうのは一体何なんだ。それを作ることが、君らの目的なのか」
「はい、左様です」
当然、と言わんばかりに村上は頷く。
「その為にはこの軍事行動が、必要なものだったのか」
「各国首脳陣、特に黄閣下を交渉の卓につかせる為には必要な措置でした。よろしければ、これより詳しく説明を致します」
「良いだろう話してみろ。だがその前に、銃を下して私たちを座らせてはくれんかね」
「ご不便と存じますが、ご了承願います」
いつ撃ち殺されてもおかしくない状態だが、さすがに各国首脳陣は肝が据わっていた。自分を見つめる銃口を意にも介せず、ベアーに至ってはいつ近場の重装歩兵に飛び掛かってもおかしくない目の色であった。
「我々の目的は東洋同盟体制を樹立させ、東亜文明圏一丸となり、この超大国が跋扈する乱世を生き抜くことにあります。その為には是非とも、神薙、黄両閣下のご協力と、欧米両大使のご理解が頂きたいのです」
それは先ほども聞いた。東洋同盟なる、聞き慣れない単語。
「だからその、東洋同盟とは何だ」
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