後編 6


便宜上、地下有事対策室などと名付けてはいるが、各国大使に指摘された通り、この浮島はあくまで浮遊式構造物である。大雑把に言ってしまえば、中が空洞で金属製の巨大な箱を、無数に組み合わせただけのものに過ぎない。だから地下など存在しない。神薙らが集まったこの巨大な指令室も、言ってしまえば船底のような場所である。

壁一面には巨大なスクリーンパネルが埋め込んである。八面に分かれたパネルには、浮島内外の狂騒が嫌になるほど鮮明な画像で映し出されている。あちらこちらで火の手が上がり、マズルフラッシュが煌めく。その一角、右端の画面にて、黒紋付きを着こんだ頭髪の薄い男が、脂汗を拭いつつ神薙の質問に答えていた。

「そうか、首都圏にも現れたか」

現防衛大臣、逢見聡一郎その人であった。

『はい、判明しているだけでも習志野、朝霞、その他不特定多数の一部部隊が突如指揮系統を離れ行動を開始しました。桜田門、永田町、市ヶ谷、皇居周辺で警官隊と睨み合っている状況です』

「今のところ人的被害は出ていないんだな」

『皇居にて近衛官との衝突があったようですが、現在は膠着状態にあります。動いているのはほとんどが歩兵と、無人航空機です』

「海自の情報は入ってこんのか。明らかに潜水艦が運用されているのだ」

『隠密作戦中だった艦が多く、まだ特定できていません。現在各基地に通達し人員並びに装備を照会させています』

逢見は決して有能ではないが、愚直な男である。彼が探しているというからにはその情報は遠からず必ず見つかるであろう。しかし、それでは遅すぎるのだ。

どこのどいつが、こんなふざけた事を。

神薙が考えるのはまずそこであった。こんな叛乱の動きなど、内閣は全くキャッチしていなかった。いずこかで上手く隠蔽されたのか。だがとにかく敵が何なのか分からなければ話にならない。今のところ陸、海、空三軍全ての装備品が参加しているように見える。一部部隊の叛乱、などでは済まないかもしれない。ともすれば。

自衛軍そのものが、行政府に牙を剥いたという、最悪の事態も想定せねばならない。

身震いが、した。

「首相、シタデルへ黄総統並びに欧米列国大使、並びにその関係者が入られました。ですがまだ所在を特定できていない方々も多数おり、現在調査を急いでいます」

シタデルとは、軍艦の内部に極めて強固な装甲を施した区画を造り、そこに艦の中枢を配置する構造である。二十世紀前半の軍艦は、雨霰と降り注ぐ砲弾をこの装甲区画で跳ね返し、艦の心臓を護っていたのだ。

これに肖って浮島下層にも装甲区画が設けられた。このシタデルには、島の中枢機能などを配置してはいない。その代わりに、複合装甲の内壁とハッチであらゆる衝撃から内部を護る、いわばシェルターの役割を果たしている。

「すぐに残りの関係者も探し出せ。一人でも傷つければ国家の恥と思えよ」

攻撃が始まってから、神薙は警備の為配置されていた警察官たちに、抵抗よりも非武装員の身の安全の確保を優先させるよう厳命していた。血の一滴も流さずに自由独立を維持出来てこそ、国家は品格を保てる。これが神薙の信念であった。自ら甘っちょろいとは思いつつも、この期に及んでこの方針を曲げることはどうしても出来なかった。叛乱であれ何であれ、日本人同士で殺し合うようになってしまえばお終いなのだ。

無論、一人でも犠牲者を出してみろ。その時にはあの馬鹿どもを徹底的に叩き潰してやるが、今は先に手を出すわけにはいかない。無駄な殺生をするよりも、時期を見計らい迅速に鎮圧するべきだ。だがそれは相手の情報を仕入れて、こちらも手駒を揃えてからの話だ。今は彼我の戦力が違い過ぎる。今ここで無駄な抵抗をしても、玉砕するだけだ。なんとしてもそれは避けなければならない。こんなトラブルをいなせないようであれば、あのひねくれ者で尚且つ頑固極まりない旧友から、徹底的にこき下ろされてしまう。

そうだ、あいつに笑われたくなくって、俺はこんな所まで昇り詰めたのだ。そこまで考えてようやく気が付く。

そのあいつ、遠藤が今ここにいるのだ。

「シタデルに服屋はいるか」

ぽろっと零れた一言に、睦月が「は?」と声を上げて眼鏡のずれを直した。

「遠藤氏だ。黄に呼ばれた」

画面の中で逢見まで怪訝な顔をしている。まるで、こんな顔をした神薙を見たことがないとでも言いたげである。

「それが、その、ウィルソン大使の令嬢と、中国文官の郭氏と接触したところまでは確認出来たのですが、以降の消息がつかめず」

ウィルソンの、令嬢。

唐突な名前に神薙は一瞬睦月の間抜け面を瞠目した。馬鹿な。まさか、欧州全権大使の娘をこの状況下でまだ保護できていないと抜かすのかこいつは。

「令嬢の、所在も分からないのか?郭氏もなのか?」

「はい、目下捜索中で」

やおら、神薙は睦月の襟首を掴んで襦袢を引きずり出してやりたい衝動に駆られた。しかし、下唇を血が出るほど噛み締めて、闘争心を鎮めることに何とか成功した。

「探せ。早急にだ!テロリストどもに先を越されるな。官房長官に連絡はまだつかんのか。とりあえずの記者会見をさせろと何度言ったら」

『首相、桜田門にて警官隊と叛乱部隊とで小規模な銃撃戦が開始されたとの』

対策室の扉から、鈍い音がした。

全員が静まり返る。背後の扉に、視線が集中する。剣呑な報告を中断し、画面の中で逢見が顔色を変えている。

小さくため息をつくと、神薙は取り合えず画面に向き直る。対策室に詰めている警官らが腰の銃に手をやる。

「やめろ!無駄な血を流すな」

ひと声上げて、苦渋に満ちた表情を浮かべている逢見に、出来るだけ穏やかな表情を神薙は作ってやった。

「あとは官房長官に頼め。それからのことは、衷心より、くれぐれも頼む」

昔、こんな安っぽいシーンを、何かの映画で見たことがある気がした。目をしばたかせた逢見が、深々と一礼する。それを見計らい、職員が通信回線を切断した。同時に扉が破られて、暗緑をした群れが一気に雪崩れ込んできた。銃刀をぎらつかせて、次々と対策室を埋め尽くしていく。その先頭には、黒い羽織を着こんだ長身の男がいた。

「君が首謀者か。やはり何だ、様にならんな。まるで低予算の時代劇だ」

銃をつきつけられながらも軽口を忘れない神薙に、長身の男は小さく微笑んでみせた。



まだ視界がぼやけている。

自分は今、瞼を開けた筈である。しかし視界は薄暗い。物の輪郭もはっきりしない。ではもう一度目を閉じて、いっそまどろみの中に逃げてしまおうかとうっすら思う。

思いたくも、なる。

「目が覚めたか、爺」

地べたに転がる自分を、二人の重装歩兵が見下ろしている。アリスはいない。気絶している間に、自分はこの薄暗い一室に連れ込まれたらしい。ゆっくりと体を起こしてみる。 

固い金属製の床に転がされていたせいか、全身の節々が痛かった。アリスはどこにいったのだろう。それに、あの中国の文官は。悪態をつきたくなるが、迂闊な口を開けば又殴られるに違いない。

「女の子は、どうした」

真っ先に案ずるべきはアリスのことだった。歩兵の一人が口笛を吹く。

「口を開く元気があるのか。大した爺だな」

下卑た声色から、自分を殴りつけてくれたのはこいつだと遠藤は確信した。

「人を爺、爺と何度も呼ぶな。むかっ腹が立つわい、三等兵めが」

しまった、と、思った時にはもう遅い。

つい先ほど、迂闊な口を開くなと自分で考えたばかりではないか。遠藤は己を呪う。口が軽くなっている。年齢のせいか。いや、違う、明らかに遠藤の性分である。

下卑た歩兵が首を傾ける。襟元の階級章から見て、並び立つもう一人の歩兵よりも高い地位にあるらしい。大柄な体格から高慢さが溢れ出ている。

「つくづく元気な爺だな。少し大人しくさせてやろうか」

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