後編 5

通話用のインカムに手を当てたウィルソンが、突如目を血走らせて立ち上がった。

同時に震動が応接室を襲った。

続けざま扉を蹴破り補佐官の睦月が日本語で喚き散らす。

「管制塔に未確認飛翔体直撃!」

神薙が湯呑を卓に置くや否や「逢見を呼べ」と防衛大臣の名を口走る。にわかに室内がざわめき、各国の高官たちがせわしなく駆けずり回る。

「貴国経済水域境界付近で待機させていた欧州統合軍の潜水艦が、消息を断ったという連絡が入りました。神薙閣下」

再び、震動が走る。分厚い壁越しにも轟音が響いてくる。文官たちが足元をぐらつかせ、何が起きているのかも分からず周囲を見回す。

「逢見が出るまでに、被害状況と、それから各国大使の安全を確保しろ」

「聞いているのかMr.カンナギ!」

「皆さんお待ちください!只今、テロ行為か災害であるかの判断を行っております!この応接間は安全です!」

室内にはウィルソンの他にも、スタンディング・ベアー、林を含めた各国高官たちでひしめいている。裃に陣笠姿の警備関係者が、ざわめく彼らを静まらせようと懸命に声を荒げる。しかし、飛翔体の直撃を受けておきながら、この状況が災害であると言う可能性を論じるほど彼らは愚かではない。

「どういうことだ、これは!」

「我々を狙ってのことか」

「すぐ本国と衛星回線を、何、妨害⁉」

汗で額をしとどに濡らした睦月が神薙に駆け寄る。耳打ちを受けると神薙は首肯して立ち上がり、声を張り上げた。

「皆さん落ち着いてください。想定外の事態が発生したようです。警備員の指示に従って、冷静に行動してください」

そのまま自分は袖を翻して歩き出し、既に恐慌状態を引き起こしている人波を掻き分けて、室外へと急ぐ。背後から、スタンディング・ベアーの罵声が響いてきた。

「貴様、ジャップ!仕込んだな!」

だが、第三の震動によってかき消され、神薙は完全に無視を決め込み御殿の廊下へと出た。応接間から溢れ出そうとする高官たちを、数名の警備要員たちが体を張って抑え込む。

何が、仕込みなものか。

神薙の表情が強張っていく。

「状況は」

「現在情報を収集中です。しかし管制塔と…ええ、ああ」

優秀なブレーンであるはずの睦月補佐官は、普段の姿からは想像がつかぬほどしどろもどになっていた。溜まりかねて遠藤が先に口角泡を飛ばす。

「三か所に攻撃を受けたのは馬鹿でも分かるわ!東京へ連絡して、内閣に召集をかけろ。御殿の表立った奴らは地下の有事対策室に集めろ。最優先すべきは各国大使と、黄総統の身の安全だ。黄は応接間にいなかったな?」

「大使夫人らと、茶話室にいらっしゃるはずです」

「応接間に連れていけ。あそこが一番守りやすい。その他関係者も全員押し込めろ。警備責任者を呼び出せ」

「既に地下有事対策室にいるものと思われます。情報が入りました」

懐中から取り出した睦月の端末に、立体映像が浮かび上がる。

「読め」

「はい。攻撃は水中発射式の音速巡航ミサイルによるものです。現在確認されている着弾は三発。自衛軍管制塔、滑走路、格納庫といった軍事設備を狙ったものであります」

巡航ミサイル、という単語が神薙の脳内に焼き付いた。それと同時に、どっと脂汗がにじみ出てきた。ミサイルだと?警戒厳重なこの小笠原浮島で、ミサイルを運用するだと?そんなことは並大抵のテロ組織には出来ない。出来る組織と言ったら。

「閣下!ここにおられましたか!」

黒裃の警備員が、木目調の廊下を息せき切って駆けてくる。眼球を飛び出させんばかりに興奮した形相で、困惑する睦月が何事か聞きだすの前に、口火を切る。

「上空に、自衛軍の偵察ヘリが現れました。周辺海域には可潜揚陸艇を確認。いずれも、有人であると思われます。先ほど稼働した非常防空システムによれば、無人戦闘機の一個編隊が接近中との情報も」

「なん」

それ以上の言葉も発せずに、睦月が息も言葉も何もかもを飲み込んだ。

ではこれはテロリズムなどではない。そんな生易しいものではない。

「叛乱、か」

「そうです!至急、地下にお出で下さい!逢見大臣からの有線通信が入っております」

分かったと、ひと声答えて歩き出す暇もなく、廊下の反対側から警備要員がもう一人、袴に足を取られそうになりながら走ってきた。

「港湾部に揚陸艇が接舷!既に上陸部隊が入ってきています。戦闘車両も多数確認!」

「閣下!お早く」

「分かっている。それよりも、総統や大使らもすぐ地下へ降ろすんだ。こうなればもう、地上は安全でないっ」

激高しかかる神薙を嘲笑うかの如く。

廊下に設えた格子窓の向こうでは、日の丸をつけた偵察機が舞踊っていた。



大きなカモメが、弾け飛んだ。

巨大な翼が張り裂けて、赤黒い爆炎を撒き散らしながら滑走路を転げまわり、息絶えた。傍らに停まっていたもう一機も、いずこより何かが飛んできて、その身から閃光を吹き出した。

それが何らかの攻撃であること。今、目の前で、欧州連合とアメリカ合衆国の全翼旅客機二機が破壊されたこと。今、隣でアリスが遠藤のズボンを握りしめて硬直していること。

遠藤がこれら全てを理解するのに、三十秒を要した。

テロだ。

真っ先に出てきたのはこの単語だ。

どうかしていた。悠長過ぎた。この情勢下だ。いつ、何が起きてもおかしくはないと、重々承知していたはずだ。

こんな各国要人が一堂に会する集まりが、狙われない筈が無かっただろうが。

遠藤はアリスを見た。アリスも、遠藤を見ていた。視線が交わった時、同時に二人は我へ返った。

逃げなければ。安全な所へ。この子を連れて、今すぐに。切れ切れに頭の中で言葉が飛び交う。とにかくここにいては危険である。目の前で大型旅客機二機が炎上中なのだ。いつ破片が飛んでくるか火の手が上がってくるか。遠藤はようやくそれに思い当たり、アリスの手を握りしめて走り出す。

「何が起きているの!」

アリスが喚く。

「知らん!とにかく一階に行こう!」

まずは脱出路を確保しなければならない。こんな上階よりも下へ、下へ。エレベーターは危険だ。階段を利用しなければ。

脚が重い。まだ走り出したばかりだというのに、喉が渇く。息が詰まる。

こんなことなら年齢を言い訳にせず、もっと運動に勤しんでおけば良かった。などとどうでも良い後悔が浮かぶ。あまりにもペースが遅いと感じたのか、走り出したアリスは遠藤を追い抜き、逆に老体を引っ張り始めた。

「エレベーターは、どこかしら」

「だ、だめだ。エレベーターは、落ちる!階段を、階段を探せ」

走るペースが速くなる。息が追い付かない。言葉も途切れ途切れになる。だがそれを聞き取ってくれたアリスは、遠藤を引っ張りながら廊下を走る。

周囲には誰も人がいない。最初からこの辺りは人気が無かったが、黄はそこまで徹底して人払いをしたのだろうか。ようやく階段の下り口まで辿り着き、二人は勢いよく駆け下りていく。歩調が速すぎて、遠藤の鼓動が急激に早まる。

「ま、待て、待ってくれ」

「待てないわ!ここにいたら死んじゃう!」

この上なく当然な意見を返されて、遠藤は足をもつれさせそうになりつつ懸命にアリスについていく。二、三階下ったところで、急に階段が無くなった。

「どうしてこれ以上降りれないの!」

アリスが地団太を踏む。息が完全に上がってしまい、遠藤には答えることも出来ない。とにかく廊下に出て、又下り口を探すしかない。二人は勢いよく回廊へと躍り出る。

この階の廊下は長く、窓はどこにもなかった。木造風に造られたさっぱりした内装で、ところどころに格子張りの照明が点いている。まだ電気は来ているらしい。そして、この階にも人影はない。

奥の方に、下り口を表す標識があった。

アリスが走り出す。遠藤は引き摺られる。ここが何階なのか二人とも理解していない。だが、とにかく逃げなければならない。その考えだけは一致している。

下り口から、人影が飛び出した。

分厚く大きな袖をした胡服を揺らして、中国人の文官が倒れ込んできた。さっき遠藤に通信端末を持ってきた男だ。

あの男には日本語が通じた筈だ。朦朧としかけた頭でそれを思い出した遠藤は、とにかく文官に声をかけようとして。

息を呑んだ。

荒々しい音を立てて、下り口からもう一人の大きな影が現れた。

全身が暗緑をしている。肩からは真っ黒なセラミック銃剣のついた、歩兵銃をぶら下げている。頭には、しころのついた兜にも似たヘルメット。防弾用のボディアーマーも、胴鎧に似せて作らせてある。脚甲と樹脂製の草鞋は、遠藤の自信作だ。

そうだ、これは遠藤の作品だ。

あの時、遠藤があの会議で披露したプロトタイプの、改良品だ。

和式軍服。83式重装歩兵用強化型。

顔を覆う防毒面の眼が、鈍く輝く。

アリスも遠藤も立ち止まる他になかった。中国文官が、廊下に這いつくばって震えている。全ての感情を隠すレンズ越しに、重装歩兵の眼光が全員を射抜く。

「さ、さむらい、さん?」

どういう、状況なのか。

まず口を開いたのはアリスだった。遠藤は、先ほどまで走っていた影響と、怒涛の急展開に心身が全く追い付いていなかった。

何故こんなところに自衛軍がいるのか。テロが起きたから駆けつけてくれたのか。それにしては、早すぎやしないか。それに、何よりも。

この歩兵の放つ殺意は何だ。

「なにが、おきているん、ですか?」

たどたどしい日本語で、アリスが尋ねる。しかし歩兵はそれを無視して、一言も言葉を発しないまま、床の中国文官を見下ろした。数秒だけ、沈黙が流れて。

それから、蹴り飛ばした。

文官の腹部に、歩兵の重厚な足先がめり込んだ。アリスが口元を押さえる。遠藤が、息も絶え絶えだったのも忘れて、がなる。

「おい!何をする!」

真黒な銃口が、二人に突きつけられる。

冷たい汗が浮かぶ。アリスが小さく声を上げる。口から涎を吐き出しながら苦しんでいる文官を尻目に、歩兵は二人へ向き直る。

「動くな、毛唐ども」

けとう。

何と時代錯誤な差別用語だろうか。遠藤はその意味すらぼんやりとしか知らなかった。外国人に対する、蔑称、だったであろうか。アリスに至っては何を言われたのかも分からず、目じりに涙を浮かべている。

銃口をこちらに間違いなく向けたまま、歩兵が歩み寄ってくる。その全ての動作からは敵意しか感じられない。遠藤は歯噛みし、重くなった足に鞭を打ってアリスの前に立った。両手を大きく広げる。盾になる。

「…何のつもりだ」

重く、低い声が、防毒面から響く。

「こっちの台詞だ。この娘に暴力は振るわせんぞ似非侍め」

顎に衝撃が走る。殴られた。歩兵銃の銃尻で、思い切り。続けざま側頭部に激しい痛みが走る。床に打ち付けられたのだ。目がくらむ。悲鳴が聞こえる。

「黙れジジイ。貴様日本人か?何故そんなふざけた出で立ちをしているのだ」

誰かが駆け寄ってくるのを感じる。きゃんきゃんと喧しい泣き声がする。涼子か、由希だろうか?いいや、違う、アリスだ。考えがまとまらない。階段から、大勢の重装歩兵がぞろぞろと現れるのが見える。頭上から、先ほどの低い声が又、響く。

「殺しはしない。立て、歩け。東洋同盟はお前たちの安全を保障してやる」

どうしてくれる気だ、神薙よ。

脳内で旧友に罵倒し、遠藤は気を失った。

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