後編 2

「まず前提としたいのは、日本は鎖国など行っていない。今回の入国制限は、あくまでも一時的な措置ということであります」

どの口がほざくか。

そう言わんばかりの三白眼で、発言を終えた日本国首相を睨みつけているのは合衆国副大統領、スタンディング・ベアー氏である。褐色巨漢、ネイティブアメリカン出身のベアー氏は、多民族国家アメリカの象徴として穏和なれども辣腕を振るう好漢と、国内外で高い評価を受けていた。マスコミの前でその屈強な顔から、笑みを崩したことはない。

そのベアー氏がここまで激高しているのはおよそ珍しい光景であり、度々顔を合わせたことがある黄も、今にも食らいつきそうな形相のベアーを見ていささか気圧されていた。もっとも黄自身は、そんな動揺を表に出すような年齢でも無かったが。

「このギガフロート以外に外国人を一切立ち入らせぬなどという法を施行しておいて、まだそんなことを言いますか」

「入国を禁止したわけではありません。外国人旅行者の入国検査を厳しくしただけです。我が国の法に適合しなければ、申し訳ないがお帰り頂く。我が日本国はかつてと変わらず、常に開かれた自由開明たる民主主義国家であります」

「ほぼ十割の人間を門前払いにしておいてどこが開かれているというのか!」

「現にあなた方はこの浮島殿に足を踏み入れています。ここはまがりなりにも、日本国の一角ですよ?」

赤銅の肌をした巨漢が、黒衣の小男に良いようにいなされている。歯噛みするベアーを遮り、手を挙げたのは欧州連合全権大使、ウィルソン議員である。

「我々と一般観光客を同列に見做すことは出来ないでしょう。それにこのボニン・ギガフロートはポンツーン方式の、いうなれば巨大な浮きドックです。国際法上この建造物を日本国領土とは認められません」

「欧米での呼称ではなく、小笠原浮島と正確に述べて頂きたい」

直垂を着た首相の傍らで、同じく黒の裃を着こんだ補佐官、睦月六郎がどうでもいい口出しを仕掛けてくる。だがこんなことでペースを乱されては日本側の思う壺である。

「失礼、些か日本語の発音は不得手なもので。この会談では翻訳機器の使用が認められていないものでしてね」

「当然の処置です。機器を用いてはお互いの発言が、恣意的に改竄されてしまう恐れがありますから」

「その点に関しては、同意します」

ウィルソンは大きな咳ばらいをした。

「では再度、日本語で要求させていただきます。日本国は直ちに全ての排他的政策を改め、国際社会に復帰してください。貴国が世界市場から抜け出てしまった損失は計り知れず、既に一部東南アジア圏では経済破綻寸前まで追い込まれている地域もあります」

ウィルソンの流ちょうな日本語を、神薙も取り巻き連中も瞼を閉じ、黙して聞いていた。

「伝統と文化の保持、行き過ぎたグローバリズムの自制は、確かにどの超大国も取っている方針です。しかし、日本の場合は度が行き過ぎている。経済水域における貴国の主権は、国際法上認められません。これを無視した強硬な措置が、周辺諸国のシーレーンにとって重大な障害となっているのです」

「しかし、経済水域における排他的権利、他国から侵害されぬ権利は認められています」

「かといって軍事力で対抗するのは行き過ぎだと申し上げている」

「現在我が国における沿岸警備は、自衛海軍直轄の保安艦隊によって行われています。彼らには、海上における警察権が認められています」

「…その点もです。何故、海上保安庁を自衛軍に吸収させたのか。宇宙研究機構にしても、空軍に吞み込ませたではないですか」

「防衛上の観点からです。それ以上のことは、申し上げられません」

「日本国は世界を相手に戦争でも起こすつもりなのですか」

ゆっくりと、神薙が目を見開く。

諸外国要人との会談の為造られたこの来賓館は、和風に設えたテーブルと個人用ソファーを置いてある。だが、日本国内のほとんどの施設では、官民問わず伝統的な床座りを奨励し、高足の椅子や机を撤去しているらしい。大手企業のオフィスですら、樹脂製の板張り床に座椅子とローテーブルが定番だそうだ。

ウィルソンはその光景を見たことがない。床に直接座るなどと、文明的でない印象すら感じる。だがこの国の連中ならば、そんな姿も様になるのだろう。あのひらひらした衣服が、感情を伺わせぬ振る舞いが、そう見せるのだろう。そう考えると、眼前の神薙の姿に、違和感すら覚えてくる。革張りのソファーに深く腰掛ける黒衣の男。お前たちに合わせてこんなものに座ってやっているんだと言わんばかりの、この態度。

異質だ。あまりにも異質だ。

異世界の住人が、目の前にいる。

そして、勿体ぶった口調で語り始める。

「我が国にそんな国力などありませんよ。当初表明した通り、これは我が国の平和を保つための、やむを得ぬ処置なのです」

「周辺諸国、いや世界とこれまで築き上げたパイプを全て断ち切ってでも、必要なことなのですか」

「重ねて申し上げた通り、これは一時的な措置です。我が国は開かれています。これまで行ってきた保護政策、伝統復興政策も、積極的に官が主導してきた訳ではない。全ては国民の支持ありきです」

そこが全くもってウィルソンには理解できなかった。だが厳然たる事実としてこの強引な鎖国政策を、ほとんどの日本国民は支持しているのだ。

それどころか着物を着ることも、伝統的な生活様式をすることも、日本国政府が強行している訳ではない。全ては民間レベルで推進されている運動なのである。少なくとも、秘密警察などといった特権的国家組織は、現在の日本国には存在していない。

外国人の移住ですら、何のことはない、入国管理局や市町村の職員により、実に平和的に行われたらしい。彼らは警察権すら有していないのだ。

それでいて、従来の経済規模を維持し、更には軍事力の底上げすら成功させた。これを今すぐにアメリカや欧州でやれと言われても、不可能である。経済活動というものはこの時代でも、国際社会において複雑に絡み合い、成立しているものなのだ。

「貴方がたが官民一体となって世界大戦の脅威に備えていることは理解しています。それが決して杞憂でない事も。それを踏まえて我が欧州連合に属するいずれの国家も、貴国を侵犯する意思はないと申し上げます。それは、世界の主要六大国も同様です」

「それはあくまで現状の話でしょう。超大国間の緊張が、いつ破裂するか分からない昨今。我々はこの衝突に巻き込まれることを非常に危惧している。我々は、第二次世界大戦以来の、平和国家日本を護りたいと、ただそれだけなのです」

平和国家と自らを称した折に、神薙の目から放たれた光を見逃すウィルソンではなかった。戦を禁じ、武装を奪い、平和を常に標榜せよと、かつて押し付けたのは確かに欧米、当時の連合国だ。皮肉のつもりなのだろうか。だが、あんなカビの生えた平和主義を捨て去る機会はこれまでいくらでもあったし、他ならぬ我々が何度も再武装を促してきたはずだ。

それを何故、今更言い出す。何故今更突きつけてくるのか。

「神薙大人」

音もなく立ち上がるのは、これまで沈黙を保ち続けてきた黄であった。

「一時とはいえ、我々は同じ道を歩んでいた間柄。決して私心のみでこのような接見を申し出た訳ではないと、承知していただいてることと存じますが」

「然り、我々はかつての同盟国です。されど、最初にインドと袂を分かち、同盟にひびを入れたのは他ならぬ中国ではありませんか」

「それも又、過去のこと。拭いようのない歴史ですが、今や中印はかつての蟠りを捨てようとしているのですよ」

「しかしもはや同盟を結ぶこともない。それが全てではありませんか」

中国総統が終身制となって久しい。だがその権力は往時よりも損なわれ、直接民主主義体制の象徴として存在している。そういった体制を、国家民主主義体制、即ちファシズムに結び付ける声もある。血筋に縛られぬ、市民の選ぶ皇帝制だという、穿った意見もある。連邦共和国であるインドとの対立は、こうした政体の違いから起こった経緯もある。

黄が総統に就任した際、彼女が袖を通すよう党から求められたのは冕服だった。中国歴代皇帝が身を包んだ、壮麗たる装束。冠からぶら下げる簾越しに、外界を見下ろす君臨者の衣装。それを着こなすことが、党中央の要求だった。

だが黄はそれを拒否した。彼女は民衆の代表になろうと思えど、帝位に就くことなど望んではいなかった。そこで、同じく中華皇族も用いた衣装であり、近年では民間で婚礼にも使われるようになった玄端を着込むことにした。

かつて自分は、日本のことを専制国家と評したことがあった。そう言った当の本人たる自分が、専制政治の長となって何とするのか。私たちの国は、私利私欲を貪る専制君主を廃して、近代国家に生まれ変わったのではなかったのか。それとも、多民族を束ねる国家には、強固な政治体制が不可欠なのだろうか。

懊悩した。黄の思考は堂々巡りを繰り返し、まるで渦巻のようだった。長く日本人と付き合っていたから、そのややこしい思考スタイルが感染したのではないかとも思った。

だが結局、黄は絶対の指導者になどなりたくはなかった。

「しかし協調路線を歩むことは出来ます。何故此度の接見に総統閣下御自ら出てこられたのか。日本国はその程度の意味も理解できぬのか」

眉間にしわを寄せて意見するのは黄が重用する文官であった。名前を林という。年は若いが有能であり、黄の片腕と言って差し支えない人物であったが、その口の迂闊さだけは最悪の短所である。

黄は今回、自分を除く文官に胡服を着用させて連れてきた。中国大陸北方民族の衣装を由来とするこの胡服は、派手さを除いたデザインで、日本の風物にも合う気がした。神薙の姿勢を緩めるにはうってつけかと考えてのことだったが、そんな小細工に易々と引っかかるほどこの島国の現状は甘いもので無かった。

「例えどのような方が参られても、日本は最高のおもてなしを約束致します。しかし、協調と称し服属を迫るような態度には断固として対応させて頂く」

「我が国がそのような下劣な国家であるとお思いか」

「日本国は傲慢に過ぎる。同じ有色民族の言葉ぐらいまともに聞き入れてはいかがか」

「人種などは関係がありません。我々日本は、日本国として自主独立の気風を崩さないだけであります」

絶対指導者になどならなかったことが、黄の誇りであり揺るがぬ意志の表れでもある。だが今にして思う。この頑強な国家を相手にするには、もっと強大な権力者としての対応が必要だったのではないのか。いや、しかし、迂闊な強硬措置はこれまでの自らの歩んできた道の全てを否定する行為になるまいか。

数多の苦悩、逡巡、思惑を飲み込んで、浮島会議の日程は淡々と消化されていった。

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