前編 11

「改めてお伺いします。もし貴方が本当に、極端な思想を有してはおらず、善良な一市民を主張されるのでしたら、このプランそのものに疑問などを抱かないのですか。日本政府、並びに軍部の思惑にも」

「我々には思惑など存在しませんよ」

安曇野が完全に激高する寸前、神薙が氷のように冷たい声色を挟んだ。

「申し訳ありませんが、前政権は軍部の暴走によりその命脈を絶やしたのです。我々中国政府は、軍部という戦闘集団を運用はしても、信頼することはありません。それは、他国、同盟国に対しても同様です」

自らも国防部に在籍する身でありながら、いけしゃあしゃあとこんなことを言ってのける黄女史は、間違いなく狡猾で有能な政治屋であった。しかしその攻撃の矛先は、自国のみならず自らが格下と判断した全てに向けられているのだ。

「いかがですか?大人」

黄の、いや、この場に居合わせた幾筋もの眼差しが遠藤へと襲い掛かってくる。遠藤は渇いた唇を舐めて、小さく息を吐き質問に答えた。

「私は、軍服を変えたからと言って、自衛軍が物騒な連中になるとは思えません」

「しかし、制服は組織を構成する器のひとつです。その装いで、その国の性格、実情を知ることが出来ます。遠藤大人も服飾業に身をやつす方であるのならば、それはお分かりのはずでしょう」

「私は自分のこのデザインを、滑稽、前時代的とは思っていても、戦闘的だとか強そうだとかは思えません」

暫時、黄は絶句した。

お偉方は顔を見合わせ、安曇野は口を半開きにしていた。

唯一、神薙だけは苦笑いを浮かべていた。

「こっけい、と、そう仰いましたか」

「コスチュームプレイでもさせているとしか思えません。そもそも私はビジネスとして着物のデザイナーをしているのであり、着物にそう深い思い入れがある訳ではないのです」

黄女史は眼鏡を外し、眉間へたおやかな指をあてた。きめ細やかな肌に、深い皺が刻まれている。これまでと打って変わった、低い声が喉から絞り出される。

「では貴方は何故、この仕事を引き受けたのです」

「仕事だからです。家族を養うためです」

「この軍服が採用された場合の、社会への影響というものを、いえ」

そこまで言いかけてから、黄はこの男と自分の語っている土俵の違いに気づいた。

「現在における着物文化の再興をどうお考えですか」

「文化の揺り戻しではないかと考えます」

淀みなく答える遠藤。眼鏡をかけなおし、思考を組み立てなおしているらしい黄。

「揺り戻し、と、仰いますと」

「ここ二百年ばかり、アジアのみならず世界は西洋発祥の物質文明を受け入れることに必死でした。それはそうでしょう、彼らの方が技術的に進んでいたのですから。しかし、経済、軍事、もっといえば国力で多くの国家が西洋に追い付いてしまった現在、自分たちの文化を再評価しそれを発展させようとするのはむしろ自然な現象だと思います」

「そして、欧米列強に取って代わろうと?」

「そうではありません。文化というのは、その土地の気候風土、国民性などに根差しています。他の文明圏からは奇妙なものに見えても、それはその土地にとって相応しいものなのです」

「だから、それを改めて使うと」

「はい。西洋、いや物質文明の技術、知識を取り入れて」

西洋物質文明の代表たるベッカーが、二人のやり取りを聞きながらにやにや笑いを浮かべている。

「再興した文化の危険性はお考えですか。又は、曲解される可能性などは」

考え込んでいた黄女史ではあったが、舌鋒を緩める気配はなかった。

「例えばメシーカの生贄刑です。あれは人道的見地から見て恐ろしい刑罰と言えましょう。あんな蛮習の復活を、揺り戻しなどという言葉で看過して良いものですか?」

「生贄刑は、女史の言葉を借りれば曲解されたものに過ぎません」

訝し気な表情を黄は浮かべた後に、懐からモバイルを取り出した。何やら操作をした後、得心がいったとばかりに遠藤を見据える。

「なるほど、大人はメシーカ首都、テノティトランへの渡航経験があったのですね」

「渡航というか、観光旅行に女房といったことがあるだけです」

現地で遠藤が聞いた話ではこうである。

かつて、メソアメリカにおいて神へと生贄を捧げる行為は喜ばしいものであり、刑罰ではなかった。生贄となった犠牲者たちも、いやこの場合、犠牲者という表現すら不適当なのだろう。彼らは信仰の為、神に喜んで命を差し出していた。当時のメソアメリカ社会において最も尊ばれることは、自己犠牲の精神であった。彼らは自らの命で太陽の寿命を延ばし、災害を鎮めることができると本気で信じていた。戦争で敗れた捕虜、王族、神官、時には生贄になるが為だけに育てられた巫女。生贄に捧げられ神の世界への仲間入りを果たすことが出来るのは選ばれた者のみであり、決して罪人が、ましてや一般市民がその栄誉に預かれることはなかったのである。

「栄誉、ですか。生贄が」

文化、文明の差異に黄女史は又しても口数を減らしていた。

「私も現地のガイドからのまた聞きですからそう詳しくはないですが。しかし、西洋文明の侵略、キリスト教概念の植え付けによりそういった風習は廃れたそうです」

「しかし彼らはそれを再興させた」

「刑罰という、現代に即したやり方でです。経緯はどうあれ、メシーカでは数百年、生贄などという行為は公式には行われていなかった。それを今更復活させようというんです。現代の価値観に則ったものに、変質させる必要はあるでしょう」

現在、生贄の対象となっているのは罪人のほか、余命幾許もない重態の病人、係累のない高齢者、その他希望者で、その中でも厳しく精査された者のみであるという。生贄となることが決定したものは、政府から生贄になるその日まで潤沢な支援が与えられるため、貧困層の中で生贄希望者が続発し、社会問題になっているという。

「文化というのは時代に合わせて変貌していく、流動的なものです。その過程で、その文化風習が持っていた欠点は取り払われていくのが一般的です。それを曲解というのであれば仕方がありませんが、少なくとも現代の日本からは好戦的な気質は取り除かれていると考えます」

「しかし、武力は存在しています」

「それは貴国も同じことでしょう」

「しかし、それでも、軍服に限らず、日本国の文化は現在自由を失い、伝統の名の下に統制されつつあります。これにナショナリズムの跋扈を感じるのは、決しておかしな発想ではないでしょう」

「私の服装が統制されていますか」

 淀みなく言い切った遠藤の出で立ちは、そういえば最初から背広姿だった。

その事を今更のように認識したのか、黄はゆっくりとため息を吐いた。そして何故か横目で神薙を睨んだ。遠藤にはその意味が分からなかった。神薙は苦笑いを浮かべながら首を横に振っていた。

ますます意味が分からなかった。

 「ベッカー大佐、貴方はどう思われます」

 唐突だった。黄女史の鋭利な言葉が、いつの間にかあらぬ方向に向いて飛んでいた。名指しされたベッカーが自分を指さす。

 「私に、なにか?」

 「かつての主敵として、日本国のこの見解、この方向性を貴国はどうお考えなのです」

 防衛省のお歴々が、一瞬声をざわつかせた。

 面倒な話題に引きずり出されたにも関わらず、ベッカーはしれっとしている。

 「まず、Mr.エンドウが日本国の代表などではないということは理解しています」

 皮肉をたっぷり塗りたくった回答に、黄は顔を赤くする。対するベッカーの表情は穏やかなままで、不敵さすら感じさせられた。

 「ステイツとしては、同盟国の内政には不干渉です。私個人としてはサムライの文化が蘇るのは、とても楽しいことです。このデザインをしたMr.エンドウには、心から驚嘆と尊敬をします」

極めて率直な、恐らく本心からの発言であろうことがつたない日本語からも知れた。

「それから、敢えてミス・ホアンの懸念に関して付け加えますならば、どのような方向に向かっても、ステイツは同盟国を支持します。我々に牙さえ剥かない限り」

 その率直な表情のまま、ベッカーは黄女史の栗色の瞳を見つめた。

 「剥くなら、潰すだけです」

 場が一瞬にして、水を打ったかのように静まり返った。アメリカが未だに超大国であり、ほぼ世界中全ての国に対し、ベッカーが述べた通りの事など簡単にやってのけると、この場にいる誰もが承知していた。

 助けを求めるかのように、黄はハーマンへ、神薙へ、順に目くばせした。しかし、二人とも肩をすくめるばかりで、それ以上の発言は誰からも飛び出さなかった。唯一安曇野だけが、ベッカーに嚙みつきたがっているのを必死で自制しているようだった。

 「…質問は、以上です」

 女史が自ら幕を引いたことにより、ようやく遠藤の長い戦いは終わった。

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