前編 8
遠藤はハンカチで、額や首筋から溢れ出る冷たい汗を拭う。
「簡単にご紹介させていただきます。そちらにいらっしゃるのが田所統合幕僚長」
遠藤は吹き出しそうになった。幕僚長って、防衛省でトップクラスの人間じゃないか聞いてないぞそんなのが来るなんて。
「続いて、沢尻陸将、前田海将、早瀬空将。お隣が国家公安委員会の矢作委員。そちらが防衛政務次官の――」
どういうことだ神薙。何がちょっとしたお披露目会だ。お偉いさんって、本当に国の防衛の中枢とでもいうべき人らがわんさと並んでいるじゃないか。いいのか、俺なんかがこの場にやってきて本当にいいのか。
「あと、今回における軍服改革の立案者、安曇野二等陸佐」
「よろしくお願いいたします」
呼ばれて、坊主頭の若い男が遠藤目がけ唐突に頭を下げた。遠藤は、簡単な会釈を返すぐらいしか出来なかった。
「それから、アメリカ合衆国海兵隊のベッカー大佐。中華民国総統府国防部の黄美麗女史、続いてインド陸軍中央コマンドのハーマン・シン大佐」
紹介をされ、各々軽く首を縦に振る国際人たち。遠藤の心臓は暴走寸前である。
「では、お願いします。遠藤さん」
余所行きの笑顔を絶やさぬ神薙。目が遠藤へ、さっさと始めろと促している。遠藤はデスクに駆け寄り、備え付けの接続しに端末をを直結した。会議場内の照明が薄暗くなり、中央に緑色をした堅苦しい着物の立体映像が浮かび上がる。
腹をくくるしかないのだ。
「ご紹介に預かりました遠藤です。早速ですが始めさせて頂きます。こちらがご依頼のありました、新式軍服の見本になります。まずは士官用の常装から」
立体映像は三百六十度あらゆる方向から見ても違和感ないように作り上げた。知り合いのグラフィックモデラ―に頼んで、生地の肌理まで完璧な仕上がりのはずだ。
大丈夫だ。大丈夫だと、信じたいのだが。
「これは、裃ですか」
坊主頭の安曇野が、いの一番に声を上げた。
「そうです。かつての武家、侍にとってのフォーマルな服装ですね」
口走っている遠藤が一番の馬鹿々々しさを感じていた。自らデザインしたものながら、本当に近代的な軍隊にこんな時代劇スタイルをさせてしまうのか。それで良いのだろうか。
全体的な構成は、誰がどう見ても江戸時代の侍の衣装そのものである。頭には陣笠、長着の下には細袴。更には肩衣を身に纏い、足元には白足袋と黒い合皮の草履。止めに、腰へ儀礼用日本式軍刀ときたものである。侍として余計なのは、帯から懐へと伸びた組紐ぐらいであろうか。これは先端が拳銃へと結束されている。
「被っているのはヘルメットですかな。和風に拵えた」
腫れぼったい唇を震わせつつ口出しをしたのは、陸将だとかいう男だ。広い額に立体映像の輝きが反射している。
「陣笠、というものです。時代劇で奉行などが被っているのを見たことはありませんか。赤穂浪士等が有名だと思いますが」
「ああ、そうですな。帽章に防衛省のマークが入っているのですな。色味からしてこれは陸自用ですか」
「そう想定はしていますが、色調を変えれば海自、空自用にすることも容易です」
瞬間的に、立体映像の色が濃紺や灰色に変わる。ぼそぼそとお偉いさんらの語らい声。これは好評なのかそれとも不評による反応なのか、皆目見当もつかない。
「外見はクラシカルですが素材には最新の物をふんだんに使用します。陣笠はカーボンナノチューブ製です。衣装の生地そのものは全て生体工学繊維によって編まれます。微生物によって織られた、蜘蛛糸をモデルにした繊維ですが、蜘蛛糸よりも遥かに強靭でしなやかに、尚且つ軽くできます」
「生体工学繊維ですか。だいぶ一般的になりましたが、あれは高額なのがネックではありませんかな」
手を挙げるのと同時に発言したのは防衛政務次官、だったと思う。いちいち覚えちゃいないのだ。
「大手企業では国内外に大規模なバイオ・プラントが建造され、生体繊維の価格は下落傾向にあります。この新式軍服計画が進み、更なる大量発注が生じれば更に安価での供給が見込めるでしょう」
眼を細めたのは、紋付き袴の壮年男。どこに所属している人物であったろうか。身なりを窺った遠藤は、男の着る羽織に世間でよく知られているマークがあることに気が付いた。
「なかなか業界の事情にも明るい方で助かりますな。確かに我が一菱においても、先日瀬戸内海に三つのバイオ・プラント建造が決定されました」
燦然と輝く菱型紋。天下の政府お抱え企業、一菱の社紋である。それも恐らく重役だ。一菱繊維工業と言えば遠藤など到底頭の上がらぬ縫製業界のドンとも言うべき集団である。
「そうでしたね、お噂はかねがね」
本当は初耳なのだが、さも知った風な顔を遠藤はしてみせる。一菱重役は更に目を糸のごとく細めて笑う。
「このプランに噛ませていただけるかはわかりませんが、もしご契約が取れた暁には、我が社は全面的に協力いたしますぞ」
「願ってもないお言葉です」
「なんのなんの」
ひらひらと手を振ったのちに、戦前より日本の産業を牛耳る大企業の使いは言った。
「これも、皇軍復活の為です」
聞きなれない、いや、この場で聞いてはならぬフレーズに遠藤は一瞬声を上げそうになった。今、このオッサンは何を言い出したのか。デリケートな人たちの目の前で、触ってはならぬ単語を口に出さなかったか。
横目で各国代表の顔色を覗き見る。大体の連中はそ知らぬふりをしてみせているが、中国代表のあの女史だけは、怜悧な眼差しで他ならぬ遠藤を貫いていた。
物凄く突き刺さる視線だった。何故自分がそんな目で見られなくてはならないのか。発言者はあの一菱の男で遠藤ではない。是非とも今すぐやめて頂きたいが、兎に角無視をして話を先に進める。他に出来ることもない。
「この裃仕立ては基本、士官用の儀礼的な軍装となります。認識票は襟元に縫い込まれます。階級は陣笠の紋様、羽織における紋の数、又は軍刀の有無などにより識別します」
「カタナ、ですか」
想定内の突っ込みが入った。
それはそうだ、この現代で刀を腰に下げた軍人など、時代錯誤も甚だしい。揶揄の表情を予想して、遠藤は合衆国代表に向き直った。
「そうです。この出で立ちには刀が無ければ、まあ恰好がつきませんから」
「本物ですか。タマガネですか」
栄光の合衆国海兵隊、その代表としてこの場に参じたベッカー大佐は子供のように目をキラキラさせていた。
「いえ、硬質セラミックによるものです。光を反射せぬため目立ちません。その癖、切れ味は抜群です」
「おお、それは又素晴らしい」
どうやら本当に喜んでいるようだった。
この、流ちょうな日本語を解する白人は、一体どういう男なのだろうか。そもそも何故、この場に合衆国の人間がいるのか。有名無実の同盟国に、今更口を突っ込んでくるつもりなのか。
「私は、日本の文化が大好きなのです。アメリカでは、サムライやニンジャが主役のカートゥーンが、確固たる地位を占めています。かく言う私も子供のころは『サムライ・チャック』を見て過ごしました」
抱く疑問を感じ取ったのか、聞かれてもいないのにベッカーは嬉々として遠藤に自らの日本愛を語り始めた。残念ながら遠藤はその、サムライ・チャックなる作品を知らなかった。
まあ恐らく、多分にアメリカナイズされた内容なのであろうが。
「ですから、日本がサムライを復活させるのであれば、とても嬉しいのです」
そう言ってベッカーは親指を立てて見せる。周囲の反応は様々だ。にこにこと頷き返す日本のお偉方。今にも鼻先で笑いだしそうな中国代表。無表情のシーク教徒。
その中で一人、安曇野だけがベッカーのにやけ面を睨みつけていた。
明らかに不穏な表情だった。だが、またしても遠藤は見なかったフリをする。
「有難うございます。私も子供のころからアメリカ文化になじんだ口です。ハリウッド映画はやはり、素晴らしい」
「おお、そう言ってもらえると幸いでス」
遠藤のおためごかしにも、ベッカーは機敏に反応する。語尾の発音が妙に耳へ残った。
そこへ唐突に安曇野が手を挙げた。そのまま遠藤の返答も聞かずに発言する。
「陣笠の記章は、菊花紋にできませんか」
遠藤は口をつぐむ。ついで息を呑む。
どうしてこの日本人たちは、遠藤が細心の注意を払って避けようとしている話題を突っつきたがるのだろう。
現在使われている防衛省のマークは、刀と鞘を交差させ、その周りを松の木が丸く囲んでいる、独自のものだ。自衛軍設立に伴って一般公募され決定したこのマークは、軍を名乗れど専守防衛をモットーとした特異な集団である自衛軍の体質を象徴したものである。
そこには、兎に角攻撃気質なイメージのある旧軍とは本質が違うという主張が織り込まれており、そもそも本邦において刀と鞘の交差というのは守りの型なのだ。
下手に旧軍を連想させる旭日紋だの、皇室の象徴たる菊花紋よりは、海外陣営を刺激させぬであろうと考えての配慮だったというのに。そもそもこの男は、先ほどまで部屋の外にまで響く大声で、着物の着用は帝国時代の復活には当たらないと主張していたのではないのか。それなのに帝室のマークである菊花紋を持ち出してどうしようというのか。
「それは、省側のご意見、ご要望などが煮詰まりましてから回答させていただきます。現時点では、どういった紋にするも自由です」
喉元までこみ上げた絶叫を飲み込んで、遠藤は何とか話を繋げる。安曇野はまたしても不満げに、頬杖をつきはじめた。子供がふてくされているかのような態度である。
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