前編 4

欧州の軍事統合が急ピッチで進んだもう一つの要因が、アメリカの変貌であった。

当時、アメリカはただでさえグローバリズム否定の急先鋒であった。そこにアブアルファドルの蜂起成功が現実となってくると、メキシコとの国境整備を切り上げ(結局国境全域に壁は立てられず、おまけに予算はアメリカ自身が税から絞り出す結果となった)、直ちに戦略の転換を図った。中近東とイスラエルから、全面的に手を引いたのだ。亡命してきたイスラエル指導部の嘆願を蹴り、ただちに中東から全軍を撤収させたのである。

もともとアメリカにとって、石油利権以外であの土地に旨味はなかった。文化的、政治的に中東への布石を欲していたのはむしろ欧州であり、米国はそのビジネスに乗ったに過ぎない。今更あんな砂埃ばかりの土地にかまけていて何になろう、と、いうのが当時の合衆国の見解であった。

アメリカ第一主義。二十一世紀初頭に沸き起こったこの考え方。歴史上、モンロー主義や栄光ある孤立などといった言葉で、幾度となくアメリカが繰り返してきた政策。極論すれば、アメリカさえ豊かであれば良い、ただそれだけの政策であった。あとは、よそに何が起ころうと関係がない。世界の警察や、民主主義の庇護者である立場にも、魅力はあったが、面倒臭いのだ。

何度も攻め込まれ空爆され続けた中東各国としては怒髪天を突く話だったろうが、自由と民主主義の象徴たる合衆国は非常に冷酷だった。別に世界を征服するつもりはないのだ。そんな事よりも、この世で誰より豊かでありたい。それがアメリカだった。

そんなアメリカの地位に陰りが生じた。少なくとも、善良なアメリカ市民はそう思った。軍事統合を終えた欧州連合、その姿は、世界唯一の超大国を自認するアメリカにとっては目の上のたん瘤になりかねなかった。彼らが本気を出して一つにまとまるならば、その経済力、軍事力は目下最大の仮想敵国ロシアを遥かに凌駕するものになる。しかも彼らはもはや、アメリカにとって無条件に味方とはなりえない存在だった。

アメリカは対応を迫られた。やはりこの時もそれを後押ししたのは世論だった。世界最強の筈のアメリカが、何故中東から手を引き、ヨーロッパの石頭どもから脅かされなければならないのか。人種に関係なく、この不満は高まっていった。そして、これまで永世中立国として頑なに欧州連合へ協力しなかったスイスが、連合加盟を決断するや否や、アメリカもまた、行動を開始した。

カナダ侵攻である。

カナダという国家は、イギリス連邦の加盟国であり、主権者はイギリス女王である。影響力を持っているのは、イギリス及びそれを有する欧州連合だ。アメリカは、北米に於ける欧州の台頭を恐れた。また、資源を確保し、地政学上の優位に立つためにも、アラスカの飛び地を地続きにしておく必要があった。

何よりも、弱腰で、極めて攻めやすい国家が目の前にぶら下がっていたのだ。例え同盟国だろうと何だろうと、火がついたアメリカ市民のガス抜きのため、これはどうしても必要な戦いであった。

欧州、特にイギリスの怒りは凄まじかった。直ちに欧州連合の世論を糾合し、大西洋上へ急ごしらえの機動艦隊が派遣された。が、アメリカの強力な防空網、海上防衛能力に阻まれ、小競り合い程度ですぐに兵を引き上げた。それはアブアルファドルにいいように翻弄された、国連平和維持軍のごとき、お粗末な光景だった。

カナダは、一週間で全土が制圧され、アメリカ合衆国に併合された。アメリカはメキシコ以南を除く北米大陸のほとんどを牛耳り、その国土面積はロシアに続いて世界第二位となった。

かくして、世界最強の超大国はその地位を盤石とした。国際的な信用のほとんど全てを犠牲にして。

そしてその影響はあっという間に世界中へと広がった。世界中に駐留している合衆国軍の基地やその近隣では抗議デモや暴動が巻き起こり、過激なところでは現地の軍隊や治安機構が直接乗り込んで接収にかかる事件もあった。アメリカはこれを許さなかった。しかし、今更他国に駐留軍を置き続ける気もなかった。全ての暴動をあらゆる手段で鎮圧したのち、ほぼ全兵力を本土へ引き揚げさせた。それは、日本であっても同様だった。

更には、強力な保護貿易体制も整えて、超巨大国家アメリカは自らの庭に閉じこもった。その当時アメリカから輸出されてくるものはどれも超高級品となり、庶民にはおいそれと手が出ないモノばかりとなった。特に畜産物に関しては。



テレビの画面が切り替わる。最近都内で出回り始めた、タコスチェーン店の宣伝が始まった。しかし、浮かび上がるのはソンブレロを被りマラカスを持ったラテン系男性の画像などではなく、もっといにしえの、ジャガーの革を被った筋骨隆々の戦士だった。それが、真っ赤なソースを滴らせるソフトタイプのタコスを美味そうに頬張っている。

「最近こういうのも人気あるのよね。メシーカ系だっけ?」

「褌だよな、このタレントがしてるの」

遠藤が指摘する通り、ホロテレビの中でジャガーの戦士は毛皮と褌一丁、手にしているのは木製の盾と黒曜石をはめた剣だ。

「ワイルド通り越して野蛮だなこりゃ」

「懐かしいわよね、メシーカ。随分前に、旅行で行ったわよね」

アメリカの変貌に最も影響を受けたのは、その南に隣接するメキシコ合衆国だった。彼らはアメリカが、どうやってカナダを電撃的に占領したか、いやというほど見せつけられてしまった。その恐怖は計り知れず、彼らはこれまでにない思い切った政治体制の変革を迫られた。

メキシコ及びその周辺諸国にはかつて、メソアメリカ文明と呼ばれる文明があった。マヤやアステカ文化を育んだその文明は、欧州キリスト教社会の侵略により潰え、以後数百年、西洋文明を受け入れかつての文明は排除された。メキシコはまずこれら先コロンブス紀の文明を復興させる事から始めた。アブラハムの宗教、即ち旧大陸の一神教を禁教としたのだ。

それは、あまりにも思い切った決断だった。西洋文明は既にラテンアメリカ社会に根付ききっており、そこに暮らす人々はそれに慣れきってしまっていた。

ところが当時のメキシコ大統領は、過去の文献や古文書を読み解き、更にはその研究者たち、あまつさえ巷間に溢れかえっていた胡散臭いシャーマンたちまでかき集め、いにしえの神々の復興に取り組んだのである。その手法は極めて苛烈であり厳格であった。無数にあったキリスト系教会の打ち壊し、改修。一神教関係の書物の焚書。発掘した遺跡をそのまま神殿として利用し、時には新築して祭祀の場とし、更にはキリスト教を棄教した市民には税制面、社会福祉などを優遇する政策すら行った。そして短期間で、メキシコの地にかつての多神教を取り戻したのである。

更にメキシコは、かねてより問題にされてきた治安の悪さも、伝統の復古によって解決してしまった。凶悪犯罪者は、再興された神殿にて神の生贄として捧げられる生贄刑なるものを制定したのだ。

これは、受刑者の心臓を生きたまま神官が引きずり出すというおぞましい刑であった。麻酔薬は用いられず、しかもその様子は衛星を介し世界ネットで公開中継配信される。その残虐さたるや酸鼻に尽くしがたく、だがそれ故にこの刑が実際に執行されるや否やメキシコの治安は著しく回復した。

更にアメリカに対抗する為、メキシコは中米奥深くまで手を伸ばした。ありとあらゆる外交手段を講じ、ほとんど全ての中米国家をその経済圏に取り込んだ。アメリカを刺激せぬよう武力行使は最小限にとどめ、大西洋と太平洋を結ぶ運河のあるパナマだけは中立地帯として残すという周到さも発揮した。

メキシコは今やメシーカ合衆国を名乗り、米露欧回などの超大国には及ばずとも地域大国として十分な国力を有している。

このように、新興超大国の脅威を背景とした、復古的な地域大国の出現は、メシーカと同じく世界中で発生した。

南米では南米大陸西岸の諸国がまとまり、かつてのインカ帝国の栄光を取り戻すという旗印を掲げた連合国家となった。アンデス・スウユと自称する彼らは、やはり古の文化の復興と食糧生産業、太平洋国家との貿易を生業にしている。

イスラムの世界においても同じことが起こった。いかにアブアルファドルが強大な権力を握り、全てのムスリムの頂点を主張しても、それにまつろわぬ者は数多くあった。シーア派の代表格としてそもそもカリフ即ち継承者の正当性を認めないイランは元より、世俗型イスラムを掲げるトルコも、民主主義政体を貫いた。中央アジア諸国は、後述する事件により中国から独立したウィグルを取り込みトルキスタンを建国。神聖イスラムを自称する原理主義者と戦うことを宣言する。

アフリカでは度重なる戦乱で機能を失った国家が急増した為、サハラ砂漠を境にイスラム国家と隔てられ、星屑のように散らばっていた各部族や氏族が集い部族会議連合を形成した。彼らにとっての脅威はアメリカではなく、武力を以ってかつての強国エジプトを含むアフリカ北部をあっという間に制圧してしまった神聖イスラム圏であった。

この巨大な部族会議は、ブラック・アフリカ最後の砦として真っ向から神聖イスラム圏と対立し、世界中からの支持を得ている。だが単一国家になったわけでもない、数千を超す部族氏族の共同体は、なかなか足並みが揃わず苦戦を強いられている。

かくして、世界は今や群雄割拠の様相を呈していた。力のない小国は大国に取り込まれ、又は寄り集まり強国となり、更にはかつてのグローバリズムや西洋文化を否定し独自の文化、文明を崇拝する。技術の発展、世界的な工業力の底上げにより、至る所に大量破壊兵器が出回ってしまったこともこの有様を造った原因のひとつだった。国際連合はただの罵りあいの場と化し、常任理事国の権力は効力を失った。いずれの大国も自らの利益を優先させ、グローバリズム、世界平和のお題目は形骸化した。

まさに混沌。これが現在の世界。

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