前編 2
庁舎から出てすぐに無人タクシーを呼んだ。
音もなく走る、卵型をした一人乗りエアカーの中で、手のひらサイズのモバイル端末を起動させる。浮かび上がったホログラムを操作して、妻に大口契約取得の連絡を入れた。すぐに返信が入り、祝いとして今夜のおかずに天然海老の天ぷらを作ると言ってきた。久々のご馳走だが、遠藤の表情は浮かない。
ふと、車内から街角を見た。
時代によって常に変化を絶やさない、東京の街並みが流れていく。建造物が日々建て直されて、見栄えは良くなり続けている。だが都市の根本を成す空気は変わっておらず、以前訪れたテノティトランなど最新の大都市に比べると、奇妙な古臭さがある。それでも整然とした街並みに見えるのは、東アジア特有の都市づくりの賜物であろう。特に規制もされておらず、種々の建物が混在している筈なのに、何故か統一感があるのだ。長らく住んではいるが、不思議な景観だと思う。
だが、この統一感は建物のお陰だけ、というわけでもない。
「また、増えたな」
無人のタクシーで、誰も聞く者もいないというのに遠藤は呟く。見つめる先には、着物姿のカップルが連れたって歩いてた。見渡せば、そんな格好をしているのは一人や二人ではない。通行人の大半が、多種多様な和の装いをしている。
近年、着物人口は急増していた。遠藤が子供の頃は着物姿など人ごみの中にちらほらと見かける程度だったが、今では洋服を着ている人間の方が少ないぐらいだ。
紋付き袴姿なのはサラリーマンであろう。振り袖姿の若い女性たち。小紋の中年女性。色無地姿の老人。これらはまだ、伝統性を残した出で立ちだ。若者になればなるほどデザインは奇抜になっていく。フードとボアがついた羽織姿の男性。前掛けと股引だけのチンピラめいた輩。女学生に至っては、既にセーラーやブレザーも廃されてしまった学校も多い。海老茶や紫をした丈の短い袴に、白地で柄付きの着物がトレンドである。たすきを掛けて袖を締めれば完璧だ。
なんなのだ本当に。あんな丈の短い袴なんて袴と言えるかけしからん。素直にスカートにしてしまえばいいのに。と、いうかスカートだあれは。帯がついているだけだ。
遠藤の幼少期、即ち二十年ほど前にはこんな光景はなかった。神薙の言う国民世論なる存在は、別段和風の追求など求めてはいなかった。今はすっかり遠くなってしまった昭和時代から連綿と続く、洋装が幅をきかせていたものだ。
今やどこもかしこも国風、国風。遠藤自身も、服飾関係の道を志したはいいものの、嫌々着物のデザインをさせられる日々である。本当はドレスを作りたかったのだ。流行とはいえ、遣る瀬無いものがある。
いつからこの日本は、いや、日本だけではない。この世界は自国の文化風物を愛し過ぎる人々で、溢れ返ってしまったのだろうか。
遠藤は遠い幼少期に思いを馳せる。やはり切欠はテレビで見たあの映像。砂漠で黒い旗を掲げるあの国家が産まれたことであろう。
あの頃から、世界がおかしくなったのだ。
※
最初はみんな喜んでいた。砂塵の中で相争い続けた中東諸国に、平和が齎されたというから。数十年テロと紛争の火種になり続けたあの一帯を、平定してくれる人物が登場したから。
それが、アブアルファドルという男だった。
アブアルファドルは旧イラク軍の司令官だった。彼はあの土地にはびこっていた、いわゆる原理主義者と呼ばれる勢力を各国各部族の力を結束させて駆逐することに成功した。欧米社会への造詣も深く、政教分離にも理解があった。政界に転身した彼は、巧みな外交戦術でアラブの王族や頭の固いイスラム法学者とも折り合いをつけ、地域に安定を齎した。
これだけでもノーベル平和賞に値すると、当時囃し立てられたものだった。だが、イラクとシリアを合併させることを提案した辺りから、話がきな臭さを纏い始めた。
当時シリアにあった独裁政権は長引く内戦で後継者も支援者もほとんど失い、力を無くしていた。イラクの民主主義政権は失政を重ね、民衆の支持を失いかけていた。そこに颯爽とアブアルファドルは現れて、同じアラブ人の国家同士、協調路線をぶち上げた。二国には文化やアイデンティティの違いが多々あったが、両国国民は自分たちの暮らす国家が力をつけ、もうテロリストどもに荒らされなくなることを望んでいた。多少の違いには目を瞑り、中東屈指の軍事大国と、屈指の産油国は手を携えて、一つの強国として生まれ変わることを決定した。
反発したのはイスラエルである。ユダヤ人勢力としては、自分たちの目と鼻の先に強大なイスラム国家が成立することなどあってはならなかった。第四次中東戦争以来、ユダヤによる大規模な戦闘は起こっていなかったが、イスラエルは彼らを潜在的な脅威と判断した。
ユダヤ人の行動は素早かった。イラク、シリアを統合する動きは、かつての過激派勢力を想起させると徹底的に批難。イラク・シリア回教共和国と、その支援を受ける反動勢力を封じ込めるとして、折角停戦が決まったばかりのパレスチナへ空爆を開始してしまった。
だが、欧米諸国はイラク・シリアの動きをさして問題視してはいなかった。むしろ歓迎していた。自分たちで滅茶苦茶にした中近東だが、今になって自由民主主義に理解ある人物がひとつにまとめてくれるのだったら、その方がマシだと判断したのである。彼らがイスラエルに望んでいたのはその監視役としての役割だったのだが、始まったのは独断による空爆だった。更にイスラエルはパレスチナ国境を越えて、シリア側にまで進駐を始めてしまった。
こうなると国際社会の非難を浴びるのはイスラエルだった。この時代はまだ国際社会という概念が通用していたのである。世界中の民意の声とやらを味方につけたアブアルファドルは、直ちに反撃を開始した。しかしいくら批難の対象になったといえ、イスラエルは欧米社会が中東最前線に作った西洋資本主義の牙城である。経済力も軍事力も優れており、そうそう落とせるものではなかった。
彼の本性は、この時期から露見される。
アブアルファドルは秘密裏に、大規模な特殊工作部隊を創設していた。その構成員はかつての原理主義者勢力やテロリスト、傭兵崩を再教育したものだった。彼らは金と宗教というお決まりの鼻薬をかがされてアブアルファドルに絶対の忠誠を誓い、中東全域に浸透していた。
そしてイスラエルとの小競り合いが始まってしばらく後、中東各国で反ユダヤの機運が高まった頃を見計らい、同時多発的にクーデターを起こさせた。アブアルファドルの目的は、最初からイスラエルの資本と技術だった。だがそれを手に入れるためには、アラビア半島ほぼ全域と中東各国の影響力を結集させねばならないと、彼は熟知していた。
アブアルファドルの蜂起は成功した。アラビア半島最大勢力だった西側国家すらも、彼の勢力に組み込まれてしまった。残されたのはトルコやイランなど、強力な政体を維持し続けた少数の国家ばかりだった。ほどなくして統率されたイスラム・アラブ諸国が怒涛のようにイスラエルへ攻め込んだ。
一連の動乱に、国際社会も手もこまねいていたわけではない。しかし、アブアルファドルの戦略は巧みであり、また迅速だった。こちらが手を伸ばす前に、彼の作戦は悉く成功裏で終結していた。ペルシャ湾岸、紅海に展開した平和維持軍はろくに機能しなかった。戦いを始める前に、肝心のイスラエルが占領されてしまったのである。
そしてそれは、イスラエルに公然の秘密として隠されていた戦略、戦術核兵器をアブアルファドルが握ってしまったことを意味していた。
彼は程なくしてカリフ、即ちイスラム世界の最高権力者を名乗り、自らが統治する地域を神聖イスラム圏と呼称した。
この宣言はカリフの名を以てして世界中に各国語で通達され、日本にもご丁寧に、様々なイスラム用語を日本語訳した注釈付きの宣言文が送られてきた。アブアルファドルはカリフのことを継承者と訳するよう指示してきた。イスラムの開祖、預言者ムハンマドの正当な継承者こそ自分自身であると僭称したのである。
これが、遠藤が五歳頃に起こった出来事だ。改めて聞いてもアブアルファドルの狡猾さに驚嘆するのと同時に、当時の国際社会の間抜けぶりが目に余る。サウジアラビアを始め中東の西洋同盟国には世界最強のアメリカ軍が駐留していたはずなのだ。しかし彼らの対応は後手後手に回り、結局基地を放棄して早々に撤退するという体たらくに陥った。
アブアルファドルはその後、神聖イスラム圏に残った非イスラム教徒に改宗か租税の支払いを求めた。コーランか奉納か、イスラムの伝統的な、それでいて強力な統治法だった。
彼はその後もイスラムへの回帰を旗印に勢力圏市民の支持を集め、今は周辺諸国、トルコ、イランとの接触を繰り返しながら、エジプトを筆頭とした北アフリカ諸国へ侵攻した。
正面だった欧米諸国との戦闘は現在に至るまで始まってはいないものの、もし開戦すれば悪夢のような宗教戦争は避けられない。しかも今回は、お互いに大量破壊兵器を保有している。世界中は未だやきもきしながら中東を注視し続けている。
この現実離れした神権国家、神聖イスラム圏の成立こそが現在世界で巻き起こっているナショナリズム旋風の切欠であった。国際社会は彼らを国家として認証することは断じてなかった。彼らの攻撃を免れたイスラム指導者、法学者たちは、アブアルファドルを僭称者、イスラムを名乗る邪宗門として扱い、イスラムの名を汚す背教者として扱った。だが時すでに遅く、連中の影響力は大きくなり過ぎた。
アブアルファドルは、自らの勢力圏には国境など関係ないと言い切った。イスラムの教えある土地は、全て自らの法の及ぶところであると宣言した。そして復古主義を加速させ、最新の建造物ですらイスラム様式に合わせてを建築させた。一時無秩序な建造物群が乱立していたメッカは、今やすっかり統一された壮麗なモスクで埋め尽くされている。
遅まきながら、ヨーロッパ各国、即ち欧州連合がこれに対抗して動き始めた。欧州は地中海を挟んで北アフリカ、並びにアラビア半島と向き合っている。伝統的にキリスト教とイスラム教との対立も激しい。しかも、二十一世紀初頭に抱え込んでしまった大量の中東難民とその二世、三世世代は、旧来のヨーロッパ社会と少なからぬ軋轢を起こし続けていた。
※
遠藤はタクシーから降りて、自宅近所の商店街をのんびりと歩いていた。大きな夕焼けが地平線に落ちていく。この一帯、赤羽区は都内でありながら電線の地中化が遅々として進んでおらず、レトロな街並みを残し最近では観光客を呼び寄せる種になっているらしい。細く黒い線で覆われた空には圧迫感があるが、何故だか不思議な安心感を持ってしまう。単に見慣れた光景というだけかもしれないが。
商店街の片隅には、古びた小さな和菓子屋があった。昭和から続く老舗であるこの店は、苺クリームの入った大福が美味いと評判だ。遠藤も妻も好物で、互いによく買って帰る。今日も何となく四つほど購入してしまった。
この大福に入ったクリームだって、西洋文化の一つである。十九世紀の終わりごろから、世界を席巻したヨーロッパのものである。
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