着物を着なくちゃいけない日本
えあじぇす
前編 1
いきなりそんなことを言われても。
何故そんな馬鹿げた話を頼んでくるのだ。
自分は一介のファッションデザイナーであり、決してお上の片棒担ぎでも無ければ、最近流行りの国粋主義者でもなく。何より、軍服の知識も碌にないのだ。
遠藤修太郎がそう一気に喚き散らすと、彼の旧友にして陸上自衛軍一佐、神薙亮平は首を縦に何度か振った。
「そんなことは分かっているさ」
「ならば何故、俺に頼む」
「他にいないんだ。頼めそうな奴が」
「宮仕えの服飾関係者なんか、掃いて捨てるほどいるだろうが」
「既存の軍装の専門家ならばな。だがしかし、着物となるとそうはいかん」
そこがおかしいと言っている。
日本の軍服を全部、和服にしろだと。
要するに侍か。侍のコスプレか。
何なのだ。
「いいか神薙、軍服とは何だ」
激しい偏頭痛に見舞われこめかみを抑えながら、尚も遠藤は捲し立てる。
「そりゃ、まあ、軍人が着る服だ」
当たり前のことを言うなと、神薙は電子煙草をくゆらせる。甘ったるい香りの水蒸気が鼻をつく。
「そうだろうが。で、我らが誉れ高き皇軍こと自衛軍は、何処の様式をした軍隊だ」
誉れ高き、の部分に目いっぱい嫌味を込めてやった。しかし予想通り、この憎たらしい旧友は気にも留めてない。
「西洋式だな。思いきり。自衛隊時代の名残を考えれば、アメリカ式というのが一番正確かもしれん」
「そうだろうが。当たり前だ。旧軍だって皆、洋服を着てたんだ。二十世紀以来、基本的に近代的な軍隊ってのは大体が所、西洋式に出来てるんだぞ」
「分かってるよ」
「着物着た兵隊なんか明治のあたまに皆いなくなってるんだ!今更羽織でも着るのかお前ら。直垂れに長袴引き摺って軍事パレードでもする気なのか!」
「ひたたれとは、何だ」
その程度の知識でこんなバカをほざいているのか、防衛省という組織は。
ここは東京都市ヶ谷、防衛省庁舎。由緒正しき日本国の、護りを預かる総本山。
憲法改正がなされ自衛隊が軍に切り替わり早半世紀。名前が変われど内実は変わらずと揶揄されながらも、なんだかんだ国防とやらの為に働く人々の職場である。
本来なら遠藤など全くタッチしない世界なのだが、突然自分のオフィスに旧知の神薙から一報が入り、曰く。
「大きめの仕事があるんだがやる気はないか。競争入札の形にはなるが、なるべくお前を通してやるようにするから」
などと宣ってきた。
これは世に言う談合とか口利きとか、そういう類のものではないかと潔癖な遠藤は最初断ったのだが、結局この、坂道を転がっていく車輪のごとく口が良く回る旧友、神薙に言いくるめられ、のこのことやって来てみればこの無理難題である。
「和服なんていうのはな。たしかに伝統性はあるし見栄えはするが、言ってしまえば貧弱な日本人の体型を隠すために、ゆったりとした作りにしてあるという服なんだぞ?」
「お前、一応モダン和服の専門家なんだろ。いいのかそんなこと言って」
「機能性が無いという話をしてるんだよ。着づらいし、動きづらいし。そもそもお前ら、どういう着物を求めているんだ」
「それは、こう、侍のような」
ほざく神薙は真顔である。
「本気か。か、裃だとかか」
「ああそうだ。かみしも、な。そういうのが良いと、お偉方は言っていた」
「馬鹿じゃないのか」
こちらも真顔にならざるを得ない。
「その、さっき言ってた、ひたたれ、というのはどういった服なんだ」
「相撲の行司が着てる服だ」
「ぎょうじってなんだ」
「相撲の審判だ!」
いよいよもって遠藤は執務室の机を拳で殴りつけた。まがりなりにも佐官の机である。恐ろしく高級で重厚な造りだがもはや気にしない。気にもならない。
あまりの物音に部屋の外にいた歩哨が慌ててドアを開けて駆け込んできた。
「ああ、すまん。何でもないんだ」
苦笑って神薙がすぐ引っ込ませる。それからまだ怪気炎を上げようとする遠藤を遮り、話を続ける。
「思いだした、春場所で見た。それも欲しいそうだ。将官クラスが礼服に使うんだとさ。笑えるよな」
「笑えないぞ。正気なのか」
「いたってな。因みに防衛大臣はこれからひな祭りのお内裏様みたいな恰好になるぞ」
「どれだけ気が触れてるんだ我が国の国防族は。政治家どもはみんな礼服に燕尾服着てるだろうがよ。一部だけそんな格好してても浮くだろうが。阿保か、つくづく」
「実を言うと、防衛省だけじゃない」
「何だと、どういうことだ」
遠藤は唸る。聞き捨てならない。神薙は、もうどうにでもなれとばかりに遠い目をしていた。
「どの省庁の大臣もこれからは式典の際、みんなお内裏様スタイルだ。束帯、というのか。無論女性はお雛様の格好だ」
「じゅ、じゅ、じゅ、十二単ッ」
「その、ひとえだ。因みに国会じゃ紋付き袴着用。警官消防関わらず公務員全般、皆で和装に切り替えるんだとさ」
くらくら、してきた。
正気を疑う。最早天を仰ぎたい気分である。何なんだ、その国家ぐるみの仮装大会は。
「ハロウィンか。万聖節なのか」
「年中無休だ。この庁舎も屋根瓦を乗せた帝冠様式になる。皇居もだな、迎賓館だのを除いて寝殿造りにする。江戸文化復興だな」
「寝殿造りは平安文化だ」
時代が千年近くずれている。
「細かいことはいいんだよ、日本っぽければそれで」
馬鹿げているとしか思えない。
「いったい誰なんだ、そんな滅茶苦茶な決定を下した奴は」
「そりゃまあ内閣だ。もっと言えば国会だ。もっともっと言えば世論に押されてだな」
世論だと。
そんな曖昧模糊な概念で決まるのか、日本仮装大国化計画が。遠藤は混乱と動揺で過呼吸に陥りそうである。
そもそも明治時代から数えて既に二百年以上が経過している現在、つまりは日本人が西洋文明というものに馴染んでから二百年以上。日本人は肉を喰らい洋服に袖を通すことを当たり前として受け入れてきた。既に西洋の文化は日本の一部となっていると言っていいだろう。今更廃して何になる。どうせ元をただせば和服だって、中国由来の構造をしているものがわんさかある癖に。
いくら世界的な機運だからといって。
「馬鹿げている。出来るわけがない」
遠藤の率直な意見であった。他に投げかける言葉もない。西洋の枠組みで作られた組織を、今更東洋の外観に作り直そうというのは無茶な話である。
神薙は何度か首を頷けて、机の引き出しに手をかけた。
「まあ、そう言うだろうとは思っていた。どんな大手企業にこの話を持って行っても、皆して似たような反応だったからなぁ」
「そうだろうよ。お前とは長い付き合いだが、この話は到底受けられん。聞かなかったことにさせてもらう」
「まあ待て、遠藤修太郎」
踵を返した遠藤を、旧友はにやりと笑いながら呼び止めた。振り向かずとも遠藤には分かる。こいつがこういった曰くありげな笑みを浮かべた時というのは、往々にして碌なことがないのだ。
「何だ神薙一佐殿」
「お前、この間トラブルを起こしたらしいな。もうちょっとで服飾業界から干され所だったと聞いたが」
「…何の話だ。仕事は万事順調だ。お陰様でよろしくやってるさ」
「それはどうかな」
すっと音立てて神薙が机から取り出したのは、明らかに隠し撮りされた小さな写真だった。その中で、他ならぬ遠藤が初老の紳士に拳を奮っている。
「おま、それを、どこで」
「いや、何、こう見えて俺は人づきあいがいい方でな。警視庁の知り合いが送ってきてくれたものだ。お前も前に会ったことがあるぞ」
遠藤は激しやすい性格である。写真の中で殴りつけているのは、大先達にあたる服飾デザイナーである。業界での顔も広く、遠藤如きが到底太刀打ちできる相手ではなかった。
「お前、なかなかの奴と喧嘩したんだな。原因は何だ?嫁さんがどうのと聞いたが」
瞬間的に頭に血が上る。手を伸ばして一佐目がけて飛び掛かる。それを見越して神薙は席を立つ。結果、遠藤は机に頭から飛び込む格好になる。万年筆だの時計だのがド派手な音を立てて机上から雪崩れ落ちる。
ドアが開き、またも不安げな顔の歩哨が顔をのぞかせた。
「心配ない、心配ない。引っ込んでろ」
一佐殿に言われて、二、三秒の逡巡の後に引っ込んだ。
暫く、沈黙が訪れた。神薙が次の言葉を言う前に、遠藤は押し殺した声を吐いた。
「次の仕事を回して欲しかったら、涼子を抱かせろと抜かしてきやがった」
「それは、まあ、殴るな」
「当然だ」
歯噛みする遠藤に、神薙は真剣な表情で声をかけた。
「そのオッサン、そのあとすぐ脱税だの何だので逮捕されただろ」
「…防衛省にそんな権限はない筈だ」
「言っただろう。俺は知り合いが多いんだ」
もし彼が逮捕されていなかったら、遠藤は今頃どうなっていたことだろう。業界から干され、仕事を失い、飢えに苦しんでいたかもしれない。全くいいタイミングで捕まってくれたものだと思っていたのだが。
「別に恩を売ったつもりはないぞ。それに、俺が手を回したと証明する術もない」
「テメェ」
歯ぎしりする遠藤に、神薙は満面の笑顔を向けた。
「で、話の続きなんだが」
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